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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

ビッグバン宇宙論

2006年07月08日 15時30分05秒 | 書評
子供の頃、小学館(学研だったかも知れない)の「なぜなにシリーズ」という図鑑が大好きで、それを見るため(読むためではない)によく図書室へ行った。

そこにはピラミッドや古墳のなど世界の謎がカラー写真やイラストと共に説明されており、私たち子供の想像力をかき立てた。
その中でも、最も印象的だったのが古代人が考えた宇宙の姿だった。
星々が描かれた巨大なドームの中に数頭の象に支えられた半球状の大地が乗っていて「象が動いたら地震になる」という古代インド人の宇宙観や、どこの文明かは忘れたが大きな船に乗った大地が天上から吊るされた星々のもとユラユラしているものがあったように記憶している。

以来、私にとって宇宙は「なぜなに」の中の一番の関心事になり、ちょうど訪れた火星大接近ブームが宇宙への関心をさらに高めてくれた。
ある夕方、勤め人であった父は会社から帰ってくるなり私のたたき起こし、まだ開いていたいくつかの店を自動車で駆け巡り安物(たぶん)の望遠鏡を買い求め、そのまま私を連れて大阪と奈良の府県境にある生駒山へ登った。

「あれが火星やぞ」

と父が望遠鏡で見せてくれた火星は米粒よりも小さくただ赤いだけ。

「図鑑とえらいちゃうやん」

と思ったものの、口には出さなかった。
というのも、火星はともかく望遠鏡で見る星々は肉眼で見るよりも一層美しく神秘的だったからだ。

小学校高学年になると雑誌の通販で買ってもらった、もうちょっとマシな天体望遠鏡と愛読誌「天文ガイド」と「天体と気象」となぜか「UFOと宇宙」を持って、父の故郷である田舎の岡山へ行って冬はオリオン座、夏は天の川などを眺めて(観測はしない)は悦にふけっていた。
岡山には国内最大の望遠鏡(日本最大(=世界最大)の望遠鏡はハワイにある「すばる」)を抱える国立天文台岡山観測所があり、そこの博物館へ連れて行ってもらったりして、天文への関心はますます高まった。

「大人になったら天文学者になりたい」
とある日、両親に言ったところ、
「どうやって生活すんねん」

と、とても子供に言うセリフとは思えない現実的な回答が戻ってきて「天文学者=ビンボ~」という印象が植え付けられ多少失望した。

しかし、宇宙に対する関心は縮まるどころか、さらに広まってしまった。
それは中学に入学してすぐに見た深夜のテレビ番組の影響であった。
その番組は、ある宇宙船が5年間の調査飛行と称して、宇宙のあちらこちらを飛び回るという、当時としては画期的なコンセプトのSF番組で、このため私には望遠鏡を覗きながら「あの星へ行って見たい」という余計な想像が加わることになった。

大人になってから望遠鏡で空を見つめることは、残念ながらなくなってしまったが、宇宙への関心は失われていない。
今日でもなお、宇宙にまつわる書物は時々目を通してしまうし、「宇宙探査計画」などという見出しを新聞で見つけるとワクワクしてしまうのだ。

ただ宇宙を考える上で、出来るだけ避けようとしていることに宇宙の起源と宇宙の果てという二つのものがある。
というのも、子供の頃は理屈で考えることがあまりが無かったので「宇宙の果て」や「宇宙の起源」を考えても頭が変になることはなかった。
しかし高校生になったころからこれら二つの命題を理屈で考えるようになり、考えれば考えるほど頭が変になってくるという現象が発生したからだ。
というのもこの命題はとてつもなく難解で答えものないものだかし、一部の宗教ファンの人たちのように「神様がいらっしゃる」なんてとても信じられなかったからだ。

したがって考えているうちに、
「宇宙は巨大な生物のホンの一部分なのかも知れない」
とか
「宇宙の構造と原子の構造は似ているので、私たちは想像も出来ないほど巨大な物体の原子の一つなのかも知れない」
と思えたりして、映画「アニーホール」の主人公の子供時代のように鬱状態になりそうになることがわかり、今では出来るだけ考えないようにしているのだ。

さて、サイモン・シン著「ビッグバン宇宙論」はこれまで人類が考えてきた「宇宙の構造」と「その成り立ち」を科学の歴史を通して、非常に分かりやすく描いている科学ドキュメントだ。
太古から人類は宇宙の構造とその成り立ちを探るため、非常な努力を重ねてきた。
その努力は宗教などがもたらす既成概念との闘いであったことも印象的だ。
神が造りたもうた宇宙からビッグバン理論完成に到る道筋は、実際のところ学校の地学や歴史の時間で学んでもよく分らないことばかりだった。

とりわけ近代に入ってからというもの、宇宙を説明するにはアインシュタインの相対性理論のように素人には理解不能に近い物理理論やパルサーやクエーサーなどといった「そんな星がホンマにあるのん?」と思えるような存在について理解しなければならなくなった。
しかも現在では量子物理学まで知らなければならないとなると、「天文学者にならなくて(なれなかっただろうが)よかった」とさだまさしの歌の題名と反対の言葉を出してしまいたくなる気持ちになってしまうのだ。

ところがこの「ビッグバン宇宙論」は、そんな訳の分らない理論を、かみ砕いてできるだけ素人にも理解できるよう優しい言葉で書かれているのが大きな魅力なのだ。

科学の歴史、そしてそれを演出するダイナミックな人間劇。
これこそ、本書の醍醐味だろう。

~「ビッグバン宇宙論 上・下」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社刊~

全国アホ・バカ分布考

2006年06月24日 17時04分38秒 | 書評
「全国アホ・バカ分布考」は大阪の人気テレビ番組(今や全国放送されているらしいが)「探偵!ナイトスクープ」から生まれた方言学の入門書、といえば大げさに聞えるかも知れないが、それほど中身にボリュームのある良書だった。

「アホとバカの境界線はどこにあるのですか?調査してください」
という一通のなんでもない視聴者からの依頼が、大発展し行き着いたところが前ページ数582ページ(索引含む)の本書というわけだ。

それにしても驚きである。
「アホ」と「バカ」
このたった二つだけの言葉を追い求めていくことで、素晴らしい言語文化論が展開され、日本文化への感動が怒濤のように迫ってくるのだ。

本書を読んでいて、まず一番最初に感じるのが国語の大切さだ。
それも方言を含んだ国語という意味であり、言葉の一つ一つに自国のそして故郷の歴史と文化が隠されていることを考えると、自分の国の言葉と文化に、たまらない愛おしさが生まれてくる。

私には今から二十数年前にNHK教育テレビで放送されていた国語学の番組にはまっていた時期があった。
当時は高校生だったので、もちろん講義の内容を総て理解することは出来なかったが、講師の金田一春彦先生の解説は分りやすくユニークで、とても魅力的だった。
一時は「進学するなら上智大学へ」と思ったくらいだった。(でも実際はどういうわけか大阪芸大へ進んだ)
この講義の中で、一番興味をそそったのが「日本語は京都を中心にして時間とともに波のように地方に広がっていった」という方言周圏論だった。
なぜ、それほど方言周圏論に興味がそそられたのかというと、沖縄が日本であることを実感することができたからだった。
当時、沖縄は「琉球王国」だとか「日本とは違う」とか「民俗的にも別物だ」、というような革新的意見が渦巻いており、ひどいものになると沖縄独立論までかかげる人々が存在したのだ。
「沖縄は日本とちゃうんかな」
という言い知れぬ寂しさを感じていた私は方言周圏論を知るにおよび、あのまったく本土とはかけ離れたように聞える琉球言葉が実は千数百年も前に京都から発せられた言葉だと知り、猛烈に嬉しく思ったのだった。
つまり理論を通じて、
「沖縄はやっぱり日本や!」
という至極単純なことに感動したのだった。

本書のバカ・アホ分析はまさにこの方言周圏論を実証する、ユニークでかつ格調の高い、まさかテレビのバラエティ番組から発せられるとは思わない「論証」だったのだ。

余談だが、つい先日、台湾に9年間滞在していた人とと、台湾人の言葉について話す機会を得た。
「台湾の人は台湾語で話すんでしょ」
という私の問いに、
「学校や公式の場では北京語で話していますよ。でも、家へ帰ると台湾語。一部の少数民族は日本語で話しています。」
「国語は台湾語じゃないんですか?」
「違いますよ。だから年配の人は台湾語や日本語で話すんですが、若い人は北京語しか出来ない人もいるんです」
「困らないんですか」
「困りますね。だから、ここ数年、日本語はともかく台湾語を教える授業が小中学校で正式に取り入れられて、民族の言葉を守るということに積極的になってますね」

ちょうど本書を読んでいた時聞いただけに、国語よりも英語を教えようという我が日本人の言語教育の体制に大いに疑問を持った一瞬だった。

「全国アホ・バカ分布考」
なるほど、と唸らさせらてばりの一冊だった。

~「全国アホ・バカ分布考」松本修著 新潮文庫~

探偵!ナイトスクープ

続弾!問題な日本語

2006年06月22日 21時27分27秒 | 書評
2匹目のドジョウを狙った「問題な日本語」の続編だ。

前回は、

「こちらキツネうどんになります」
「こちら、キツネうどんになりました」

で、思わず笑ってしまった、現代日本語の不思議を扱った「問題な日本語」。
続編の「続弾!」も実にユニークで面白い奇妙な話し言葉が取り上げられていた。

「すみません」と「すいません」
「ご負担いただくようなカタチになっております」
「違和感を感じる」
「歌わせていただきます」

などなど。

私の会社に会議の時、

「○○というカタチの営業を考えています」とか「×××というカタチにもっていきたいと」

などと、常に「カタチ」という言葉にこだわって話してしまう同僚がいる。

以前一度だけ意地悪で「○○さん。『カタチ』って言葉が気になるんですよ。なんか、こう『販売店がうちの商品を意識して営業に廻ってもらえるようにするキャンペーンの”カタチ”てな、言い回しが」と言ってやったことがある。

「そんなにオカシイ?」
「オカシイですよ。一度でもいいから『カタチ』って使わずに、発言してみては。」

と助言したところ、本人も気になり出したのか「カタチ」を使わずに話そうとした。しかし普段使っている言葉を使わないというのは、落ち着かないもので、言葉が途中で途切れることが多くなってしまった。

「あかん。やっぱり『カタチ』使わな、ちゃんとしたカタチができへん」

この「カタチ」のように、自分の話すリズムの代わりにとりあえず使ってしまう言葉もあるようで、そういう「言葉のヘン」なことを学術的に、しかし分かりやすく、しかも、時としてマンガも組み合わせて解説しているのが本書なのだ。

しかし、考えてみると今の子供たちは不幸だ。
自宅ではコンピューターゲーム相手に会話を持たず、学校では国語も満足に話せないのに小学生の年代から外国語(英語)を教え込まれる。

このような社会状況では、満足な日本語を話せる人が減るばかりか、このシリーズの本のネタは、永遠になくならない「カタチ」になることだろう。

~「続弾!問題な日本語」大修館書店刊 北原保雄 編著~

アメリカの鏡・日本

2006年06月12日 20時24分53秒 | 書評
司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」でも紹介されている有名なエピソード。(うろ覚えなので、細かなところは間違っているかも知れませんが)

ある日、大阪天満八軒屋付近を歩いていた竜馬に一人の暴漢が襲いかかった。
暴漢は土佐藩から差し向けられた刺客で、脱藩者の坂本竜馬を成敗することを任務としていた。
竜馬が北辰一刀流の免許皆伝であることから刺客は剣術に優れた者が選ばれたが、竜馬は刀も抜かず、落ち着きはらってこう言った。
「もう剣の時代ではない。これからはこれの時代じゃ」
と懐から取り出したのはピストルであった。
後日、刺客はなんとかピストルを工面して、再度竜馬に襲いかかると、相変わらず竜馬は落ち着き払い、
「もうピストルではない。これからはこれじゃ」
と懐から取り出したのは「万国公法」の一冊であった。

この伝説は以後、日本という国が維新後、不平等条約を解消し、被植民地となることを防ぐために守り抜いてゆく「国際公法」の重要性を表しているのだ。

ところで、この国際公法は誰が作ったかというと、欧米列強が作り出したものである。
中国やインド、東南アジアや中東の国々ではない(なお、正確には当時このあたりはタイ以外は国ではなく列強諸国の一地域でしかない)。
西洋諸国が帝国主義時代に於いて国家間のルールとして作り上げた、いわば当時の正義を明文化したものと言えるだろう。

「アメリカの鏡・日本」は1948年にアメリカの学者ヘレン・ミザーズによって書かれた日本分析書である。
本書の凄いところは、東京裁判のまっただ中に、アメリカの正義に疑義を挟み、日本を裁くのであれば、それはそのままアメリカに跳ね返ってくることである、と論じているところだ。
当時、GHQのダグラス・マッカーサーは本書のあまりに鋭い指摘に対して「プロパガンダ書である」として和訳、出版することを許可せず、近年に至るまで日本では日の目を見ることはなかった。

本書では、著者ミザーズの日本に対する深い知識(間違えている部分も少なくないが)に敬服するとともに、戦勝国国民として「勝者は正義」という曇った視点を持ち合わせず、冷ややかな目で、日本が戦争に到った経緯や、そう到らせた欧米諸国、とりわけアメリカの役割を分析していることだ。

その骨格となる部分は「日本は開国以来、西洋列強を教師に迎え、自身も善き優秀なる生徒となることを努めてきた。したがって日本が戦後おこなってきた政策(日清日露の戦役や朝鮮併合など)は西欧諸国が行ってきたことであり、法的にはなんら問題のあるものではなかった」という意味合いのところである。

そう。
日本は維新後「万国公法」を重んじ、一等国になることを目指した。
西欧が作り出したルールを守って戦った日本を裁く権利が、アメリカにあるのだろうか、というのが本書のテーマなのだ。

現在でも第二次大戦に於ける日本の立場を理解できる人が少ないにも関わらず、終戦直後にかくも日本の立場やアメリカ(つまりは西欧)の正義を冷静に見ていた人がいたとは驚きだ。

ハンチントンの「文明の衝突」と併せて読みたい一冊である。

~「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 角川書店刊~

ナツコ~沖縄密貿易の女王

2006年06月03日 16時19分12秒 | 書評
小学校二年生の時(1971年)の担任の先生は、宮古島出身の若い女性の教諭だった。
「○○先生はパスポート持って大阪に来ているんだよ」
ということを聞かされて、何も知らない私は、
「先生は日本人と違うの?」
と無遠慮に聞いた事がある。
先生のパスポートには当時の沖縄人の苦悩が込められていることも知らずに。

沖縄の基地問題が取りざたされる度に、その表面的な報道にうんざりさせられることが多い。
普天間基地の移転問題ひとつをとっても、米軍に場所を移ってもらったり、極論すれば出て行ってもらいたい気持ちは痛いほど理解できる。
しかし、本心から述べると、もし米軍に出て行かれたら、これから沖縄の人々はどうやって生活していくのか、疑問である。
基地の移転問題以上に大きな声で叫ばなければならないのは、沖縄の経済問題に他ならないのだ。

基地依存型経済が形成される前、沖縄には独自で経済を支える時代が存在した。
それは戦争で本土と切り離され、破壊され尽された沖縄の人々が生き延びるために編み出した経済システムだった。
そのシステムは一般に「密貿易」と呼ばれている。

沢木耕太郎の短編「視えない共和国」は、遥か西に台湾島を望む与那国島の「景気時代」を紹介した唯一の一般書物だった。
沖縄、それも最も台湾に近い与那国島には、外国になってしまった台湾との密貿易で栄えた時代があった。
いや、台湾だけでなく与那国島を含む奄美から南西諸島までが、日本としての扱いを受けず、孤立した一種独特の経済圏に置かれてしまったのだった。

奥野修司著「ナツコ 沖縄密貿易の女王」は金城夏子(本名慶子)という一人の沖縄人にスポットを当て、戦中から戦後、本土復帰の数年前までの沖縄の人々のたどってきた道を描き出したノンフィクションだ。

どうして沖縄が外国の軍隊基地に依存した経済形態になってしまっているのか。
私たちはその事実は知っていたとしても、そうなったプロセスは意外に知らずにいる。また知ろうともしないのだ。
戦争に敗れたことにより27年もの間、本土と切り離された。
その間、琉球政府が設立されるが、それは米国軍の傀儡軍政であり、沖縄の人々に言論や経済の自由は存在しなかった。
当初は島内を自由に移動する権利さえなかったのだ。
食べ物は配給であり、貿易は許可されず、本土との交流は著しく制限された。

現在、沖縄県を訪問すると、暖かい気候のもと、時間に囚われない大らかな性格の人々に他の日本人が失ってしまった素朴さを感じとり、安らぎさえ覚えることがある。
しかし、その優しい県民性の裏には、このような異常な社会の中で生きるために道を自ら切り開かなければならなかったという厳しい時代が存在することを本書は教えてくれている。
そう、夏子というその美しき女傑の短い人生を本書でたどると、沖縄の現在をテレビや新聞の報道から受取るイメージとはまた違った形で見つめることができるのだ。

~「ナツコ 沖縄密貿易の女王」奥野修司著 文藝春秋社刊~

失踪日記

2006年05月29日 20時56分55秒 | 書評
周りの人たちが「面白い」と薦めるものだから、ついに読んでしまいました「吾妻ひでお著『失踪日記』」。

このマンガ。
実は発売当初からかなり気になってはいたのですが、「ななこSOS」や「ふたりと5人」などで有名な吾妻ひでおというマンガ家の作品にも関わらず、購入を躊躇していたのでした。
というのも「失踪」という、どちらかというと暗いテーマのマンガ。しかも実話に基づいているということは、日頃の自分自身の「暗い部分」に潜んでいる「恐ろしい心理」の蓋を開けてしまうのではないか、と恐れたからでもあります。

実は私には失踪し、20年以上も行方不明になっていた肉親がいました。
それは父の兄弟の長兄でした。つまり叔父です。
叔父は戦前、日本海軍で職業軍人をしており戦中は横須賀に勤務していました。
戦後、海上自衛隊への入隊を勧められましたがそれを断り保険会社に就職します。
いくつかの支店を勤務の後、大阪郊外の支店を任せられ支店長を務めますが、ある日忽然と姿を消したそうです。
その時、私と親子ほど歳の離れた従兄が一人と叔父の奥さん、つまり叔母が残されました。
失踪事件発生当時、私はまだ生まれておらず、物心がついた時「どうして、あの○○兄ちゃんのところは、おっちゃんおらへんの?」と無遠慮に訊いたそうですが、失踪の理由はだれも説明できませんでした。

20数年後、暇があれば探していたのでしょう、私の父が浮浪者然とした叔父を大阪の新世界で発見しました。
叔父は放浪の将棋士として生活していたようで、ある小説にも実名で登場していることが後に分りました。
発見の報に従兄も喜んだのですが、20数年のブランクはいかんともしがたく、叔父が亡くなるまで従兄は、その父と孫たちとを一緒に住まわせようとはしませんでした。

そのような肉親を持つためか、私にも「失踪願望」や「自殺願望」が時おり沸き起こりそうになる時があります。
夜、静かになると「死んだら楽だろうな~」というような漠然としたダークサイドな感情がさざ波のように寄せてくる時があり、いつも「これはいかん」と振り払うのですが、それを振り払えない時が万一来ると恐ろしいと思います。
また東南アジアを旅していても、旅行中に少なくと一回は必ず「このまま日本に帰らず、家族や友人と音信不通になってもいいかな」と真剣に考えてしまうことがあります。
これもまた恐ろしいことです。

ということで「失踪日記」は読むのが怖いマンガでした。
実際マンガの中身は、失踪中の生活やアル中になって入院した時の病院生活がかなり明るくディフォルメされて描かれており、シリアスだけど「ふ~ん」という感じで読めるマンガ、というよりも読み物のようなコミックでした。
マンガという分野である程度の地位を獲得している著者が失踪してしまった理由も、なんとなく分らなくないだけに、私のダークサイドが納まっているパンドラの箱を開けることもなく、楽しく読むことができました。
中身を読む限り、作者は最悪の事態は回避したようで、まずは安心。

ともかくホームレスの生活、家族を切り離した生活というのは「無責任」以外のなにものでもない、ということだけははっきりしているようで。

~「失踪日記」吾妻ひでお著 イースト・プレス刊~

パゴダの国のサムライたち~「ビルマ国軍士官学校」出身者が築く日本とミャンマーの絆

2006年05月22日 20時21分37秒 | 書評
今の日本人が持っているミャンマーに対する印象は概ね次のようなものだろう。

1.軍事政権が国家運営をになっている「危険な国」
2.ノーベル平和賞受賞者の民主化指導者スーチーさんを監禁している「危険な国」
3.政治犯罪者を刑務所に送り込んで強制労働などをさせてる政治的自由のない「危険な国」
4.少数民族を武力弾圧し迫害している「危険な国」

という「危険な国」というイメージがつきまとっている。
私のように何回も(とはいっても、たった3回だけだが)ミャンマーを旅行するようになると、周囲のものは私を変な目で見はじめたりするのだ。
「変ってますね」
てな感じで。

そういう負のイメージを抱えたままだと実際のところミャンマーを訪れることはほとんどないのだが、ちょっと興味が湧いてきて「タイにも飽きたし、ミャンマーへでも行ってみるか」という心境になり、バンコクからひと足延ばしてヤンゴン国際空港に下り立つと、がく然とすることになるのだ。

「なんじゃ。新聞やテレビの報道は嘘っぱちか」
と。

この私のブログをちまちまと読んでいただいている方々はすでにお気付きだと思うけれど、ミャンマーはテレビや新聞が報道するような「危険な国」ではまったくない。
ないばかりか、見ようによっては日本よりももっと安全で、治安の良い、大らかな人々の国であることにすぐ気づくのだ。
二三日も滞在していると、敬虔な仏教徒であるミャンマー人にすっかり感化されて「あ、よくよく考えてみると、うちの家も宗教は仏さんだったわね」なんてことを思いだし、気がつくとミャンマーの人たちと一緒に黄金色の仏像に向かって手を合わせている自分に気づいて愕然とするのだ。

日本人のミャンマーに対する誤った固定観念は、ミャンマーの近代史を知らないために起こる誤解から発生している。
とりわけここ20年ばかしはスーチー女史が正義で軍事政権が悪だという勧善懲悪的視点ばかりの報道がなされてきたため「ミャンマーは民主化もできない、問題国家」という印象を世界中に持たれてしまっているのだ。
しかし、ミャンマーがかくも欧米を中心に外国から非難を浴び続けなかればならないのか、その理由を冷静に考えてみると、高山正之氏の著作のタイトルではないが「世界は腹黒い」ことに気づくのだ。

軍事政権側が度々スーチー女史に話し合いの席に就くよう歩み寄りの姿勢を取り続けているのに、彼女がかたくなに「完璧な民主化」を主張するため話し合いが前へ進まないこと。(完璧な民主化を達成している国は日本を含めアジアには無い。世界にも無い)
武装反抗をしている少数民族「カチン族」の一部は植民地時代に英国の指導でキリスト橋民族となり、ミャンマー民族が仏教を信仰することに反感を持っていること。そして彼らを支援している欧米はキリスト教国であること。
ミャンマーの軍事政権はミャンマー人と多くの少数民族で構成され、しかも民主化へ移行するための指針を持ち、かつ国家が内乱(ミャンマーは独立後、長い内乱の時代を経験している)にならないよう軍がにらみを利かさなければならないこと。

などは、まったく報道されることがないのだ。

ミャンマー政府が悪者にされて、欧米が制裁を加え、周囲の顔色伺ばかりをしている我が国も公式の経済援助をストップしている。
これは由々しき問題なのだ。

近年、経済援助の必要なミャンマーは中国に接近し、経済的繋がりを深くしている。
これは日本にとってもミャンマー人にとっても不幸なことなのに、無知と誤解が、邪魔をしているのが現実だ。

ミャンマーを支援すべきは中国ではなくて日本なのだから。

その多くの日本人が知らない日本と密接な関係のあるミャンマーの近代史が詳しく書かれている数少ない一冊が「パゴダの国のサムライたち」。
中国ではなく、なぜ日本がミャンマーを支えなければならないのか。
本書を通じて日本とミャンマーの歴史的繋がりを知ることはは、今後のアジア、および世界における日本の役割を真剣に考えることにも繋がるのだ。

本書は良書である。
おすすめ。

~「パゴダの国のサムライたち~ビルマ国軍士官学校が築く日本とミャンマーの絆」~太田周二著 同朋社刊~

日露戦争に投資した男

2006年05月20日 17時36分41秒 | 書評
昨年2005年はポーツマス講和条約締結100周年。つまり日露戦争戦勝100周年だった。

20世紀は日本とロシアの戦争で幕を開けて、日本が勝利を収めることにより、いろんな意味で世界史の流れが大きく変った。

当時、日本は開国後半世紀に満たない経済的に弱小国家。
資源もなければ金も無い。
あるは人材だけであった。
この点が現在の日本と違うところで、今は資源もなければ金も無いし、唯一頼みの「人材」もいない。

その金のない日本が大国ロシアに対してその存亡を賭けた戦いを挑まねばならなくなったとき、一番困ったのはなにかというと、やはり金であった。

戦時国債を発行して戦争するための資金を調達しなくてはならないが、銀行が中小企業になかなか融資してくれないのと同様に、当時の日本に投資してくれる勇気ある人は少なかった。
それでも開戦直前に締結した日英同盟が最初のお墨付きとなり、すこしばかり調達することに成功したし、開戦早々の黄海海戦で勝利を収めたことも幸いし綱渡り的な資金集めに成功した。

最終的に国家予算の三倍もの金額が費やされて日本海海戦でも勝利を収め、ルーズベルト米国大統領の仲介のもと判定勝ちに持ち込んだ。

この戦費調達火急の日本に最大の支援をしたのが米国国籍のユダヤ人「ジェイコブ・シフ」だった。

本書「日露戦争に投資した男」は戦後、日本政府の招待で来日したシフの旅行記だ。
ニューヨークを出発し、日本そして韓国を旅し再びニューヨークに戻ってくるまでの3ヶ月に渡る旅路が記されている。
当時の日本の姿がアメリカ人にしてユダヤ人資本家であるシフの目から、冷静に描かれており内容は興味を惹かれる。

幕末維新からつづく訪日外国人による旅行記に見られる「礼儀正しい日本人」という共通した姿が描かれているが、それらは現在の私たちが失ってしまった「日本文化の美しさ」にほかならない。
たとえば年長者が年下の者の面倒をきちんとみる。
年収の開きがはなはだ大きく、(アメリカ人投資家から見て)乏しい者が多いにも関わらず人々は幸せそうに生きている。
などなど。

外国人の日本旅行記としては特筆すべき点はないものの、ジェイコブ・シフという一人のユダヤ人投資家の力が、日本を戦勝に導いた一つの大きな原因であることを知ることは悪くない。
そういう意味では、高橋是清や金子堅太郎、三井財閥の人々ら、シフと交友をもつ人々の姿もかいま見られる意味で面白い一冊と言えるだろう。
望むなら、シフが日本に投資したその背景をロシアのユダヤ人迫害以外の視点からの論説でも、もっと多くのページ数を割いていただきたかった。
物足りなさの残る一冊だ。

~「日露戦争に投資した男」新潮新書 田畑則重著~

世界がさばく東京裁判

2006年05月16日 06時55分15秒 | 書評
「靖国参拝を止めたら経済協議に応じてやる」

という無法者国家「中国」に対して媚びる必要などまったくない。
にも関わらず、中国に媚びるものが後を絶たない。

先週、経済同友会は「小泉首相に靖国参拝を取り止めることを要請し、靖国神社に代わる戦犯を合祀しない宗教色のない戦没者追悼施設の建設を提案する」と公式声明を発表した。
経済同友会設立以来、初めてステートメントの採択意見が真っ二つに分裂する事態に発展し、多数決の原則でなんとか会の公式見解として通過したということだ。

このへっぴり腰の声明を出した人たちが経営する個々の企業の今後が憂慮される。
金に目がくらんで何が正論であるのか素直に認める能力がない経営者は、今は良くても近未来的にお客はおろか従業員からも見捨てられることになるだろう。

尤も、彼らが無法者国家「中国」に神経をつかう気持ちも分らなくはない。
中国は今やビジネスの上お得意。
中国無くして日本の経済は立ち行かなくなるかもわからない。
しかし、同時に日本無くして中国の経済は立ち行かないところが現実で、そのへんの分析をきっちりしないとところが現在経営者の情けないところだ。

ところで、この情けない経営者を生み出してヤクザな中国と、その腰巾着たる南北朝鮮が「靖国へ参るな!」と暴論を吐き続ける根拠になっているのが「東京裁判」。

東京裁判は第二次大戦に敗北した日本を連合国が寄ってたかって法律の根拠もなく裁いた「違法裁判」であったことを、朧げながら聞いたことのある人は多いだろう。
青山学院大学名誉教授・佐藤和男氏監修「世界が裁く東京裁判」は、その東京裁判がいかに「違法」で「論拠を持たない」「ナンセンスなもの」であることを実例を挙げながらダイジェストに法の目から見て分析している、いわば東京裁判に関する入門書だ。

ともかく私も東京裁判の当事者が判決を政治利用せず、当事者でもない「中華人民共和国」と「大韓民国」がとやかく言うのはちゃんちゃらおかしいと思っていた。

本書を読むと、なぜ裁判を主導したアメリカが東京裁判について言及しないのかすぐに理解できる。
なぜなら東京裁判ほどアメリカの歴史にとって恥ずかしく、汚すものは無いからだ。
敗戦した日本に対し、その復讐劇として企画された東京裁判はA級、B級、C級戦犯というものを生んだ。
その罪状の多くは「平和に対する罪」「虐待に対する罪」などというトンチンカンな内容ばかり。
日本軍によるでっち上げの残虐な行為(例えば南京大虐殺)は処罰するが、東京大阪を焼き払い広島長崎に原爆を落とし、数百万の非戦闘員を殺戮した行為は不問に付される。
すでに敗戦を覚悟した日本がソ連へ終戦調停を働きかけているのにホロコーストよりも残酷な原爆を落とし「アメリカ兵の命を救った」とうそぶいたトルーマンもお構いなし。
しかも日本が終戦調停を働きかけていたソ連は死にかけのルーズベルトと密約を結び、これまた死にかけ日本との条約(日ソ不可侵条約)を破棄し、日本領へ侵略をかけてきた。

ちゃんとした「東京裁判」評価さえ持っていれば、中韓あるいは経済同友会諸兄のような発言はしないし、それに対して日本人も卑屈にならず、相手の暴論をきっちと論破できるのだ。

「世界が裁く東京裁判」は、その東京裁判がいかに「違法」で「論拠を持たない」「ナンセンスなもの」であることをダイジェストに実例を挙げている。
そして読み手は多くの外国人が東京裁判を非難し、それが今日の世界情勢だと知って驚くだろう。
さらに、東京裁判の判決が下された当時、社会党までが判決を非難し、戦時における日本の正当性を訴えていたことに度肝を抜かれるに違いない。

東京裁判史観の呪縛から逃れるために、同友会で賛成票を投じた人たちに是非読んでいただきたい一冊だ。

~「世界がさばく東京裁判」佐藤和男監修 明成社刊~

外科の夜明け

2006年05月10日 19時56分03秒 | 書評
二年前の秋、施工屋さんが忙しくて確保できず大阪堂島のお客さんの事務所で私自身が商品の組立をしていたら、部材の金属製パネルが倒れてきて左手の甲を負傷した。
傷口は約3センチほど。
部材が鋭利な鉄板だったので、皮膚がぺろりと開いて中の赤い肉と、そのまた下の白い部分が見えていた。

それはとても痛そうだった。

「痛そう」と他人事のように言うのは変な話だが、実際は見かけほど痛くなかった。
痛くなかったが血がなかなか止まらないので、
「すんません、手、ちょっと切ってしまったんで、病院へ行って来ます」
と断って、
「救急車呼びましょうか」
と心配するお客さんを落ち着かせ、怪我をした本人である私はタクシーをひらって北区にあるK病院へ向かった。
K病院は救急病院でもあり、心得ているのかすぐに外科の先生を呼んできて処置をしてくれることになった。
私と同年配とおぼしき先生は、私の傷を見て「わー、縫いましょか」と即宣言。
で、面白かったのはここからだった。

先生はインターンらしき若い先生を呼んできてなんと私の傷口を使って講義を始めたのだった。

「あ、これこれ、よー見ときや。この白いのが........」

若い先生は真剣に聞いている。
私も聞いていたが意味がさっぱりわからない。ともかく、早く治療して頂戴。

「消毒するから、そこの綿花とって。麻酔、もう効いているはずやし」

と先生は私の傷口を思いっきり開いて消毒液のびっちょり浸された綿花でゴシゴシと洗浄した。

「なんにも感じへん?」
「はい」と私。
「な、これ麻酔なかったら、泣き叫んでるで」とインターンと私に説明した。

結局、七針縫って治療は15分ほどで終了した。

「麻酔が効いている」から私は怪我の治療を難なく受けることができたのだが、この麻酔が開発されたのはそう遠い昔の話ではなかったのだった。
1854年まで、外科治療は麻酔無しで行われていたのだ。

J・トールワード著「外科の夜明け」は19世紀半ばから終盤までの外科治療に関するいくつもの革新的発見、発明について述べられている。
「麻酔」もその一つ。
麻酔が開発されるまで外科治療は想像を絶する苦痛を伴う死と隣り合わせの医療だった。
本書では麻酔無しでの下の切断治療が紹介されているが、一人の患者はあまりの激痛のためショック死したことが記されていた。
それが「麻酔」の開発により、人類は治療に伴う苦痛から歴史上初めて解放されることになったのだ。

本書ではこの他に「消毒すること」の発見や「防腐法」の開発、帝王切開から母体を守る技術、史上初の心臓手術に到る医師の苦悩などなど、現在の私たちが、ごく普通に受けることのできる医療上の恩恵が初めて切り開かれた時の感動が描かれている。

読んでいて気分が悪くなる部分もなくはなかったが、人を苦痛から、そして死から解き放つための先人達の努力は並大抵でなかったことが窺える。
それは医療が人々の文化や習慣、そして宗教と密接に結びつくと同時に最先端の科学とそれを用いた冒険でもあるからだ。
彼ら、そして彼女たちの命を賭けた試行錯誤を私たちはいったいどれほど知っているだろうか。
本書は医療の進歩を通じて人の命のあり方を語っている素晴らしい一冊といえるだろう。

~「外科の夜明け」J・トールワルド著 大野和基訳 養老孟司解説 小学館刊~