井上ひさしの戯曲「国語元年(国は旧字体)」は明治のはじめを舞台にした方言にまつわるドタバタ劇だ。
長州出身の主は文部省に出仕する役人で薩摩出身の南郷家の養子だった。
当然のことながら彼の屋敷内には薩摩なまりの嫁と舅がおり、彼らに加えて困ったことに、津軽出身の車夫に江戸山の手出身の女中頭、江戸下町の女中が二人、尾張名古屋出身の書生が一人寄宿していた。
そこへ山形県米沢出身の主人公が女中奉公にやって来たのだから、何が何だかわからない。
で、この屋敷の主、南郷正之介が「全国統一話し言葉」の策定を文部少輔から言い渡されたところからドラマはハチャメチャに展開していく。
会津出身の押し込み強盗が乱入し、京都のお公家が言語学顧問と称し居候を始める。
「異なるお国なまりでは軍隊をはじめとする国家の近代化に支障が出る」という理由で検討されはじめるのが全国統一話し言葉。
実際のところ、異なるお国言葉でも登場人物たちの意思疎通は問題ない。
誤解や勘違いを生みながらもほぼ支障なく言いたいことが伝わっていくことに、ドラマの観客は気づかない。
方言の可笑しさに気を取られて気づかないのだ。
私はNHKのドラマで観たので、原作本がどういう展開を見せているのか知らないが、実にユニークな物語なのだ。
ところで、私たちの国の言語「日本語」は、世界でも非常にユニークな言語であることを私たちの多くは気づいていない。
というのも、日本語は他の主要な外国語と比較して特殊なのだ。
たとえば日本という国を一度出るとまったくと言っていいほど通用しないし、国内では日本語意外はまったくといっていいほど通じない。
つまり日本語は「地域限定」言語なのだ。
かといって、日本語が統計上、マイナーな言語でないこともこれまた事実。
日本は世界で10番目に人口の多い国であることは先週発表された統計結果でも明らかだし、日本語を使用する人口ランクも世界第六位。
中国語、英語、スペイン語、ロシア語、ヒンディ語に続く言語が日本語なのだ。
多くの日本人は英語をはじめとする西欧諸語の方が、とかく優秀な言語であるという錯覚を持っていることが多い。
これは明治政府開闢以来の日本人の持つコンプレックスであり、勘違いでもある。
鈴木孝夫著「閉ざされた言語・日本語の世界」は昭和45年に書かれた書物だかが、その輝きは今日もなお失われることなく、むしろその中で展開されている日本語論と英語習得論は今こそ読まれるべき重要性を秘めている。
島国という外界からは隔絶された世界ではあるが、ハワイのように完全に周辺の文明から遮断された状態でもない日本は諸外国(まず中国、そして西欧)から文書という形で文明を取り込み自分のスタイルにアレンジさせてきた。
その代表的な結晶が日本語で、漢字仮名混じり文で表現される日本語は、アルファベットという表音文字しか持たない英語をはじめとする西欧諸語とを、安易に比較することの愚を本書は明確に述べている。
第一、日本人が考えているように日本語が他言語に対して劣る言語であれば、開国以来たった百数十年で世界有数の経済大国に成長できたことを説明できない、と本書は指摘している。
確かに日本は海外の技術や考え方を輸入するために、その国の言葉を文字として学ばなければならなかった。
その中には、当時の日本語には該当する語句のないものもあったに違いない。
明治人の凄いところは、その該当するものがない外国語を、豊富な漢字の知識で日本語化してしまったことだ。
今も私たちはその恩恵に浴しているし、現代中国などは、その日本人が作り出した漢字の単語を使うまでに到っている。
その反面、マニュアル言語として外国語が存在するために、話し言葉としての外国語が日本人にっとって非常に苦手とするものであることも、指摘されている。
その中で生まれたのが外国語に対するコンプレックスに違いない。
ともかく、上述の主旨がバラバラになってしまったのは、私が本書を読み砕きしきれないことも去ることながら、本書の内容が多岐に渡りすぎていることも原因している。
言語学の専門家でなくても理解しやすい明確な文章は、「日本語」という私たちの言語について客観的に考察できる、格好の「世界の中の日本語」入門書だと言えるだろう。
必読です。
それにしても、本書を読み終えた私は、「日本人は水と空気と安全は無料だと思っている」というイディオムに、是非「言葉」を加えたい、と思った次第である。
~「閉ざされた言語・日本語の世界」鈴木孝夫著 新潮選書~
長州出身の主は文部省に出仕する役人で薩摩出身の南郷家の養子だった。
当然のことながら彼の屋敷内には薩摩なまりの嫁と舅がおり、彼らに加えて困ったことに、津軽出身の車夫に江戸山の手出身の女中頭、江戸下町の女中が二人、尾張名古屋出身の書生が一人寄宿していた。
そこへ山形県米沢出身の主人公が女中奉公にやって来たのだから、何が何だかわからない。
で、この屋敷の主、南郷正之介が「全国統一話し言葉」の策定を文部少輔から言い渡されたところからドラマはハチャメチャに展開していく。
会津出身の押し込み強盗が乱入し、京都のお公家が言語学顧問と称し居候を始める。
「異なるお国なまりでは軍隊をはじめとする国家の近代化に支障が出る」という理由で検討されはじめるのが全国統一話し言葉。
実際のところ、異なるお国言葉でも登場人物たちの意思疎通は問題ない。
誤解や勘違いを生みながらもほぼ支障なく言いたいことが伝わっていくことに、ドラマの観客は気づかない。
方言の可笑しさに気を取られて気づかないのだ。
私はNHKのドラマで観たので、原作本がどういう展開を見せているのか知らないが、実にユニークな物語なのだ。
ところで、私たちの国の言語「日本語」は、世界でも非常にユニークな言語であることを私たちの多くは気づいていない。
というのも、日本語は他の主要な外国語と比較して特殊なのだ。
たとえば日本という国を一度出るとまったくと言っていいほど通用しないし、国内では日本語意外はまったくといっていいほど通じない。
つまり日本語は「地域限定」言語なのだ。
かといって、日本語が統計上、マイナーな言語でないこともこれまた事実。
日本は世界で10番目に人口の多い国であることは先週発表された統計結果でも明らかだし、日本語を使用する人口ランクも世界第六位。
中国語、英語、スペイン語、ロシア語、ヒンディ語に続く言語が日本語なのだ。
多くの日本人は英語をはじめとする西欧諸語の方が、とかく優秀な言語であるという錯覚を持っていることが多い。
これは明治政府開闢以来の日本人の持つコンプレックスであり、勘違いでもある。
鈴木孝夫著「閉ざされた言語・日本語の世界」は昭和45年に書かれた書物だかが、その輝きは今日もなお失われることなく、むしろその中で展開されている日本語論と英語習得論は今こそ読まれるべき重要性を秘めている。
島国という外界からは隔絶された世界ではあるが、ハワイのように完全に周辺の文明から遮断された状態でもない日本は諸外国(まず中国、そして西欧)から文書という形で文明を取り込み自分のスタイルにアレンジさせてきた。
その代表的な結晶が日本語で、漢字仮名混じり文で表現される日本語は、アルファベットという表音文字しか持たない英語をはじめとする西欧諸語とを、安易に比較することの愚を本書は明確に述べている。
第一、日本人が考えているように日本語が他言語に対して劣る言語であれば、開国以来たった百数十年で世界有数の経済大国に成長できたことを説明できない、と本書は指摘している。
確かに日本は海外の技術や考え方を輸入するために、その国の言葉を文字として学ばなければならなかった。
その中には、当時の日本語には該当する語句のないものもあったに違いない。
明治人の凄いところは、その該当するものがない外国語を、豊富な漢字の知識で日本語化してしまったことだ。
今も私たちはその恩恵に浴しているし、現代中国などは、その日本人が作り出した漢字の単語を使うまでに到っている。
その反面、マニュアル言語として外国語が存在するために、話し言葉としての外国語が日本人にっとって非常に苦手とするものであることも、指摘されている。
その中で生まれたのが外国語に対するコンプレックスに違いない。
ともかく、上述の主旨がバラバラになってしまったのは、私が本書を読み砕きしきれないことも去ることながら、本書の内容が多岐に渡りすぎていることも原因している。
言語学の専門家でなくても理解しやすい明確な文章は、「日本語」という私たちの言語について客観的に考察できる、格好の「世界の中の日本語」入門書だと言えるだろう。
必読です。
それにしても、本書を読み終えた私は、「日本人は水と空気と安全は無料だと思っている」というイディオムに、是非「言葉」を加えたい、と思った次第である。
~「閉ざされた言語・日本語の世界」鈴木孝夫著 新潮選書~