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とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

閉された言語・日本語の世界

2006年09月10日 19時23分04秒 | 書評
井上ひさしの戯曲「国語元年(国は旧字体)」は明治のはじめを舞台にした方言にまつわるドタバタ劇だ。
長州出身の主は文部省に出仕する役人で薩摩出身の南郷家の養子だった。
当然のことながら彼の屋敷内には薩摩なまりの嫁と舅がおり、彼らに加えて困ったことに、津軽出身の車夫に江戸山の手出身の女中頭、江戸下町の女中が二人、尾張名古屋出身の書生が一人寄宿していた。
そこへ山形県米沢出身の主人公が女中奉公にやって来たのだから、何が何だかわからない。
で、この屋敷の主、南郷正之介が「全国統一話し言葉」の策定を文部少輔から言い渡されたところからドラマはハチャメチャに展開していく。
会津出身の押し込み強盗が乱入し、京都のお公家が言語学顧問と称し居候を始める。

「異なるお国なまりでは軍隊をはじめとする国家の近代化に支障が出る」という理由で検討されはじめるのが全国統一話し言葉。

実際のところ、異なるお国言葉でも登場人物たちの意思疎通は問題ない。
誤解や勘違いを生みながらもほぼ支障なく言いたいことが伝わっていくことに、ドラマの観客は気づかない。
方言の可笑しさに気を取られて気づかないのだ。

私はNHKのドラマで観たので、原作本がどういう展開を見せているのか知らないが、実にユニークな物語なのだ。

ところで、私たちの国の言語「日本語」は、世界でも非常にユニークな言語であることを私たちの多くは気づいていない。
というのも、日本語は他の主要な外国語と比較して特殊なのだ。
たとえば日本という国を一度出るとまったくと言っていいほど通用しないし、国内では日本語意外はまったくといっていいほど通じない。
つまり日本語は「地域限定」言語なのだ。

かといって、日本語が統計上、マイナーな言語でないこともこれまた事実。
日本は世界で10番目に人口の多い国であることは先週発表された統計結果でも明らかだし、日本語を使用する人口ランクも世界第六位。
中国語、英語、スペイン語、ロシア語、ヒンディ語に続く言語が日本語なのだ。

多くの日本人は英語をはじめとする西欧諸語の方が、とかく優秀な言語であるという錯覚を持っていることが多い。
これは明治政府開闢以来の日本人の持つコンプレックスであり、勘違いでもある。

鈴木孝夫著「閉ざされた言語・日本語の世界」は昭和45年に書かれた書物だかが、その輝きは今日もなお失われることなく、むしろその中で展開されている日本語論と英語習得論は今こそ読まれるべき重要性を秘めている。

島国という外界からは隔絶された世界ではあるが、ハワイのように完全に周辺の文明から遮断された状態でもない日本は諸外国(まず中国、そして西欧)から文書という形で文明を取り込み自分のスタイルにアレンジさせてきた。
その代表的な結晶が日本語で、漢字仮名混じり文で表現される日本語は、アルファベットという表音文字しか持たない英語をはじめとする西欧諸語とを、安易に比較することの愚を本書は明確に述べている。
第一、日本人が考えているように日本語が他言語に対して劣る言語であれば、開国以来たった百数十年で世界有数の経済大国に成長できたことを説明できない、と本書は指摘している。

確かに日本は海外の技術や考え方を輸入するために、その国の言葉を文字として学ばなければならなかった。
その中には、当時の日本語には該当する語句のないものもあったに違いない。
明治人の凄いところは、その該当するものがない外国語を、豊富な漢字の知識で日本語化してしまったことだ。
今も私たちはその恩恵に浴しているし、現代中国などは、その日本人が作り出した漢字の単語を使うまでに到っている。

その反面、マニュアル言語として外国語が存在するために、話し言葉としての外国語が日本人にっとって非常に苦手とするものであることも、指摘されている。
その中で生まれたのが外国語に対するコンプレックスに違いない。

ともかく、上述の主旨がバラバラになってしまったのは、私が本書を読み砕きしきれないことも去ることながら、本書の内容が多岐に渡りすぎていることも原因している。
言語学の専門家でなくても理解しやすい明確な文章は、「日本語」という私たちの言語について客観的に考察できる、格好の「世界の中の日本語」入門書だと言えるだろう。
必読です。

それにしても、本書を読み終えた私は、「日本人は水と空気と安全は無料だと思っている」というイディオムに、是非「言葉」を加えたい、と思った次第である。

~「閉ざされた言語・日本語の世界」鈴木孝夫著 新潮選書~

たそがれの日米同盟 ニッポンFSXを撃て

2006年09月05日 20時24分51秒 | 書評
三年ほど前、純国産とも言っていい6人乗りの小型ビジネスジェットが初飛行をした。
本田技研工業が機体からエンジンまで独自に設計試作したそのジェットライナーは、競合他社のものに比べて30%以上も燃費がよく、世界で最も優れた小型ジェット機だと報道された。
しかし、そのジェット機が飛行したのはアメリカ合衆国。
そしてその開発の中心になっている本田技研工業の航空機部門の拠点もアメリカ国内に置かれている。

日本の航空機産業が世界のトップレベルに位置していることは周知のこと。
間もなく一機目が空を飛びはじめる世界最大のエアライナー・エアバスA380も、来年から日本の空を飛びはじめる低燃費旅客機ボーイングB787も日本の技術なくして実現しなかった。

ところがその航空機技術の優れた日本が、今月引退するYS-11以降、40年間の長きにわたり純国産の商用飛行機の開発生産から手を引いてしまっているのは何故なのか。
本田技研工業が、そのカリスマ創業者本田宗一郎氏の悲願とした自社製航空機の開発初飛行をアメリカ合衆国で実施したことに、その複雑な理由をかいま見ることができる。

手嶋龍一著「たそがれゆく日米同盟 ニッポンFSXを撃て」は日本が独自に開発しようと試みた次期支援戦闘機にまつわる日米間の確執が描かれている。
結果的に、日本は「新型ゼロ戦」たる高性能の国産戦闘機の開発を断念せざるを得なくなったわけだが、その背景は例によって国内のマスコミではあまり詳しく報じられることはなかった。
本書はその裏側で展開されたドラマを小説形式に綴った半ドキュメンタリーだ。

近著「ウルトラダラー」でも見せたジャーナリスト出身の著者としての手法が面白い。
小説的手法を用いて物語を進めて行くと、たとえばニュースの記事としては書くことのできない裏取りの不十分なネタや、出自を明らかにできない秘密ネタなどをふんだんに盛り込んで、自由に展開していくことができるのだろう。

それにしても、当時これほどまでにもハイテク兵器問題で日米の同盟関係にヒビが入っていたとはなだ学生だった私はまったく気づかなかった。
ただ日本が独自に戦闘機を開発することに関してアメリカが文句を付けてきていることに、学生なりの不快感を持っていた。
そんな安直な印象しか持っていなかったのだ。
この問題の背景には東芝機械のココム違反事件や半導体、自動車などの貿易摩擦が深刻化し、アメリカ最後の牙城である航空機産業、しかも防衛に関わる戦闘機の分野という聖域に踏む込もうとした日本の大胆さが、日米同盟に暗い影を落としたことは明らかだったようだ。

現在でもなお、「日本はアメリカの召使い、犬だ」などと自嘲する日本人が少なくない。
しかし、現実問題として日米同盟は日本にとっても、そしてアメリカにとっても、そして世界の安定にとっても最も重要な2国間関係であることを否定できないだろう。
それは中国やロシアの力が増せば増すほど高まってくるものなのだ。

先々月、アメリカを公式訪問した小泉首相のエルビス・パフォーマンスが揶揄されたが、その一見馬鹿げた小泉パフォーマンスがどれほど日米双方の国益にかなっているのか、報道分析しているマスコミはほとんどない。

20年前、日米同盟にひびが入り、やがて湾岸戦争で海部内閣が決定的なミソを付けるまでの詳細は、中盤にだれるところもあるにはあるが、本書を読むとかなり参考になる。

~「たそがれの日米同盟 ニッポンFSXを撃て」手嶋龍一著 新潮文庫~

エーテル・デイ 麻酔法発明の日

2006年08月30日 23時56分42秒 | 書評
仮に、
「映画を発明したのは誰ですか?」
という質問をするとたいていの場合、
「トーマス・エジソン」
という20世紀最大の強欲ジジイの名前を答える人がほとんどだろう。

「初めて飛行機を発明したのは?」
と質問すると、
「ライト兄弟」
となり、
「初めてアメリカ大陸を発見したのは?」
と質問すると、
「クリストファー・コロンブス」
という答えが戻ってくる。

しかし、これらの解答はいずれも正しいようで正しくない。
映画を発明したのはフランスのルミュエール兄弟であるし、初めて飛行機を論理的に考案したのは二宮忠八であるし、アメリカ大陸を発見したのは少なくともアジアからの移民でありコロンブスのようなヨーロッパ人ではない。
かように「初めて」ということを認めてもらうことは難しく、ある種「運」に左右されることろがあるのかもしれない。

以前「外科の夜明け」という医学の歴史本を読んだ時、一番印象に残ったのが麻酔法の発明であった。
確かに、麻酔なしの外科手術や歯科治療は想像できない。
はっきり言って、拷問である。
実際に麻酔が発明される以前は麻酔なしで抜歯や開腹手術、四股の切断などが行なわれていたわけで、患者も医者も命がけで医療に携わっていたわけだ。
手術が恐ろしくてトイレに駆け込んだ患者をして、
「ああ、これで手術をせずに済む」
と安堵した医者がいたとかいないとか。
ともかく麻酔法の発明は人類に計り知れない恩恵をもたらしたのだ。

1845年10月16日。
アメリカのマサチューセッツ総合病院で世界初の麻酔手術が行われた。
書籍「エーテル・デイ」はこの世界初の麻酔手術をめぐる三人の男の物語なのである。
その三人とは我こそは麻酔薬を発明したと主張した男たちであり、あるものは特許権を主張し儲けようとし、あるものは発明の名誉を手中に収めようとし、またあるものは発明をさらに発展させようとして狂気に走っていった。
そのドロドロとした人間模様が痛ましい。

そもそも麻酔法は発明されたものでないところに問題があるのだろう。
というのも、人間から痛みを除去する効能がエーテルに含まれていることが分ったのは「発明」ではなく「発見」であったからだ。
この三人の中に、科学的に痛みを除去する薬を開発していた者は一人もおらず、見せ物として使われていた「変な気分になる可笑しな薬」エーテルがたまたま発見されただけだったのだ。
実際のところ現在の科学をもってしてもエーテルやクロロホルムといった薬品になぜ麻酔作用があるのか分っていないのだという。

この中身の分らない「発見」によって狂わされた三人の男の人生を描いたのが本書「エーテル・デイ」
麻酔法そのものよりも、史上最大の発見にまつわる人間ドキュメンタリーなのだった。

ところで「世界初の麻酔手術は西暦何年?」
というクイズが出されて、
「1845年」
と答えるとこれも間違い。
本当は1804年、日本の華岡青洲によって行われた全身麻酔による乳がん手術が世界初。
これが正解。

~「エーテル・デイ 麻酔法発明の日」J.M.フェンスター著 安原和見訳 文春文庫~

フロイト先生のウソ

2006年08月20日 17時54分33秒 | 書評
「学校側では被害を受けた児童に対し、心理カウンセラーなどを派遣し、ココロのケアに努める予定です」

というようなアナウンスをテレビの報道番組で耳にするようになったのは、ここ十年ぐらい。
犯罪被害に遭った児童はもちろん、凶悪犯罪に手を染めた少年少女に対しても同様の「ココロのケア」が実施される。

ところで、「ココロのケア」っていったい何?

現在の精神医療の分野では多くの場合、科学的に実証されていない心理学の研究結果(実証されていないものが結果といえるかどうかは別として)をもとにして患者の診察治療にあたっているという。
例えば「心理カウンセラー」。
ある大きな事件に巻き込まれたり、仕事や家庭の上で著しく大きな心理的プレッシャーを受けた結果、心理上何らかの障害が発生したとする。
その回復のための治療に手を差し伸べるのが「心理カウンセラー」。
ところが科学的にはその心理カウンセラーはなんの役にも立たないばかりか、反対にその病状を悪化させることすらあるという。
つまり「心理カウンセラー」なんて不要。
心理学の既存のデマをビジネスチャンスに用いているインチキ野郎が「心理カウンセラー」というわけだ。

「フロイトはマルクスよりも多大な被害を人類に与えた」と主張するロルフ・デーゼン著「フロイト先生のウソ」は驚きに満ちた科学読本だ。

心理カウセラーはその例の一つだが、デーゼンはこのなかで多くの「科学的に否定されるべき現代心理学の常識」について述べている。

読み進んでいくうちに例えば、幼児体験による犯罪や精神障害のウソは、現在の刑法をも書き換える可能性のある力を秘めていることに気づき驚愕することになる。
なぜなら、本著によると
「科学的に検証してみると、幼児体験などなんら影響を及ぼすものでもないし、第一、人間が身の回りで起こったことを電子メモリのようにすべて記憶しているという考え方はナンセンスだ」ということなのだ。
したがって幼児体験によって犯罪が引き起こされることもなければ、目も背けたくなるようなポルノや残酷ビデオで人が影響を受けて犯罪に走ることもない、という。
「残酷ビデオを見た結果、犯罪を実行する手段を学習するかもしれないが、そういう者はビデオを見るみないに関わらず、必ず犯罪に走るものだ」
と本書は述べている。

科学というものは「客観的な調査や実験により立証しなければならないもの」なのに、そういう手段を一切用いず、現代の心理学は単にフロイトの言ったことをそのまま真に受けて論を展開し、法を司っている。

「右脳左脳の役割」迷信しかり、「人は脳の10%しか使っていない」という迷信しかり、「多重人格」のウソしかり。
どれもこれも科学的実験や観察をしてみると否定されることばかり。
実に興味深い内容で、読めば読むほど「なるほど」と思わずにはいられない。

でも私にとって本書で最も印象に残ったのは次の言葉だ。
「記憶とはビデオレコーダーのようなものではなく、芝居の場面が断片的に再現される劇場みたいなものである。人間の脳は綿密で正確な年代作者ではなく、「自分史という超大作」に絶えず加筆修正を加えている-しかも、記憶の操作さえやりかねな-脚本家のなり損ないみたいなものである。」

自分自身を見つめてみると、確かにその通りではないだろうか。
(注:私がウソつきであるという意味ではない)

~「フロイト先生のウソ」ラルフ・デーゲン著 赤根洋子訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆☆

ウソの歴史博物館

2006年08月11日 20時25分53秒 | 書評
ロイター通信社のカメラマンがイスラエル軍によるレバノン空爆の写真を大げさな描写に変造していたことがバレたのは二日前。
変造暴露を伝える記事(産経新聞)
イスラエル軍の残虐非道に読者の注目を集めたかったかも知れないが、これではまったく逆効果。
実際よく見ればPhotoshopで加工したような映像なのに、通信社のプロたちが気づかなかったのは映像テクノロジーのなせる技か。

かように、世の中ウソであふれ返り、そのウソが独り歩きを始めて真実と誤解されるケースも少なくない。

日本兵による南京大虐殺も、百人切りも、従軍慰安婦問題も、すべてウソを「ホントですよ」と言い続けたために、ウソをついてた本人でさえ「ホントのことだ」と暗示にかかったウソの実例。
それが時として政治や経済の運命を左右するのだから迷惑至極というところだ。

「ウソの歴史博物館」は、人類が作り上げてきたウソやデッチあげの数々(南京事件などは載ってませんが)を紹介しているインターネット・サイトの書籍版だ。
ウソやデッチ上げを採上げているといってもいい加減なトンデモ内容なものではなく、そういうものをちゃんとした社会科学として扱っているノンフィクションだ。

この本は大阪阿倍野の旭屋書店で平積みにされていたのを発見した。
帯の広告には「世界貿易センタービルに突入する旅客機。2001年9月11日撮影」と書かれていて、表紙に載っていた写真がこれだった。

「なんじゃこれ!?」

と思って手に取ってページを捲ると、あるわあるわのデッチあげ。
こういうものが大好きな私には、なによりの一冊なので即購入したのは言うまでもない。

で、じっくり読み込んでみると私の期待を裏切らなかった内容も、
「イエス・キリストの姿が転写されているというトリノの聖骸布」
「ほんとは行っていないかも、マルコ・ポーロの東方見聞録」
から、
「人魚のミイラ」
「宇宙人の死体」
「CBSが放送した「宇宙戦争」大騒動」
「考古学者藤村先生の神の手事件」
などなど。
超面白いトピックが目白押し。

しかし、人類の歴史にこれだけ「ウソ」「デッチあげ」「インチキ」がはびこっているとすれば、テクノロジーの発達した現在、どの情報を真実と判断すれば良いのやら。
レバノン空爆の修正写真じゃないけれど、個々人の鑑識眼力がますます要求される時代ではある、と痛感した一冊だった。

~「ウソの歴史博物館」アレックス・パーサ著 小林浩子訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆☆

喪失の国、日本

2006年08月05日 20時19分59秒 | 書評
「インドへ行って人生に対する考え方が変わりました」

なんてことを良く耳にする。
最近も女優の中谷美紀が自分を見つけるために行ったというインド一人旅の旅行記が出版され話題になっている。
女性が一人でインドを旅行するのは「アドベンチャー」に見えるようで、中谷美紀だけでなく、数年前はガンジス川を泳いだという女性のエッセイが出版され、これもまた話題になった。

しかし考えてみるまでもなく、どこの国へ行っても日本との文化の違いを感じるのはごく普通で、その衝撃の大きさがインドだけとりわけ大きく心理に及ぼす影響が著しいのだろう。
そりゃベナレスの死体焼き場や、乞食の集団、街中を歩く牛たちを見るとビックリするのは当たり前。

中谷美紀も旅行中パスポートやデジカメなど金目のものを盗まれたり、体調を崩したりして大変だったようだが、そういうあちゃらを旅していると「当たり前」のことを旅行記に綴られてもちっとも面白くないし、ともすれば「アホちゃうか」とも思われるのだ。
そのうち有名人のマネをして行方不明、なんて輩が出て来て家族や友人、関係者たちに迷惑をかけることになる。
前述のガンジス川を泳いだ、という女性にしてもそう。
ガンジス川のような「ちょっとそこ、死体流れてまっせ」というような川を泳ぐぐらいなら隅田川や淀川を泳ぐほうがよっぽどマシ。
ガンジス川を泳ぐことは「哲学的」か「オモロイ」かどうかでで人の目を惹くのではなく「そんなババッチイところで、よく泳げるね」という驚きで人の目を惹くのだ。

ともかく、このように日本人から見たインドの世界を記した書籍は数あれど、日本に来たインド人が日本のことを記した書籍はこの「喪失の国、日本」を読むまでお目にかかったことがなかった。
「人生観が変る」と日本人が感じるインド文化を持ったインド人が日本へ来たらどう感じるのか。
ただでさえ外国人が自分の国に対してどう思っているのか。
そういうことを非常に気にする日本人のこと。
面白いテーマだと思わないはずはない。

そういうことで、私もそういう日本人なので、こういう本は是非読んでみたいと思い、購入した。
ただし、今度ばかりは外国人から見た日本というよりも「インド人から見た日本」というのが何にもまして私の好奇心を誘ったのは言うまでもない。

本書の魅力は、なんといっても著者の鋭い観察眼にある。
著者はインドのエリートビジネスマンだとのことだが、本書の中で語られる日本への視点が、ある時は優しく、またある時は冷徹に分析し、体験記や紀行文を凌駕した一種の文化比較論にもなっている。
つまり著者はビジネスマンというよりも比較文化人類学者なのではないかと想像してしまうぐらい奥の深い内容なのだ。

昨年の中韓の反日デモ以来、日本企業のインド進出が盛んに叫ばれだしたが、他の国と比べてなぜ日本だけが少数の企業を除き今までインドで成功することができなかったのか。
例えば、米国の衣料品を購入すると「madein India」のタグが付けられていることが少なくないが、日本のもので「made in India」はあまり見かけない。
本書を読み通すことにより、私たちはその理由を朧げながらも理解することができるようになる。

インドと日本の文化の相違について、数多くの事例が述べられているが、どちらが正しいというものではなく、どちらが間違っているというものではない。

本書には「喪失の国、日本」というタイトルが付されているが、これは少しねじ曲げられた題名ではないかと思われてならない。
なぜなら、著者がイメージしてきた、または聞き及んできた日本という国のイメージ(例えばサムライの国といったような)と、現代の日本のイメージ(拝金主義、性文化の堕落といってような)が作り出すギャップについて著者は詳細に語っているが、それはあくまでも原題の「日本の想い出」という部分であり、著者が本当に目指していたものは、日本を通じてインドの今と未来を見つめることに以外のなにものでもないと私は思う。
したがって枝川公一氏による本書の解説はおおまかには合っているかもしれないが、その主題について間違った分析をしていると思われてならない。
それは日本の記述部分よりも、日本で生きるインド文化の記述の方がより感情を込めて書かれていることからも明らかだ。

ともかく、底の浅い(ものばかりではないが)日本人によるインド体験記ではなく、知に満ちたインド人による日本体験記と言えるだろう。

なお、本書の内容は素晴らしかったが、実のところ私にとって一番印象的だったのは訳者が本書の原書に出会い著者に巡りあう部分だった。

~「喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの日本体験記」M.K.シャルマ著 山田和訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ★★★★☆

ぼくたちは水爆実験に使われた

2006年07月30日 20時26分17秒 | 書評
「白人のキリスト教とじゃないアジア人だから、原子爆弾を投下してもへっちゃらさ」
と言ったかどうかは知らないが、1945年の夏前にアメリカ合衆国のトルーマン大統領は日本へ原子爆弾を投下することを許可した。
放っておいても敗戦するのは明らかな青色吐息の日本対して出した決断が、戦争のルールを無視した原爆投下。
「せっかく作った原子爆弾だから、なんとか試してみたいのが人情だ」という軍部と科学者の欲求と「日本人はイエローモンキーの異教徒だ」という大統領のレイシズム思想とが合致することにより下された悪魔のような決断だった。

それが証拠に終戦直後から占領軍は軍服着せた科学者を広島長崎に送り込み、原爆被害者の写真を撮るは人体標本は採取するわで、ワクワク、ウキウキだった。
「貴重な人体実験ができたよね」と、これも言ったかどうかはしらないが、ちょうどその頃、彼らの仲間がニュルンベルグ裁判でユダヤ人虐殺の罪でナチスドイツを裁いていたのだから、なんて歴史はシニカルなのだ。

ということで長い間アメリカ合衆国の首脳連中は「相手が人のアジア人だから平気で原爆を投下した」と私たちも思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

マイケル・ハリス著「ぼくたちは水爆実験に使われた」は1950年代に南太平洋の水爆実験場に送り込まれたアメリカ兵(もちろん白人を含む)の実体験が綴られたノンフィクションだ。
そのアメリカ兵とは著者自身。
書いた本人が経験した内容だけに、かなりリアルで不気味なのだ。

物語は第五福龍丸事件直後から始まる。
徴兵されてマーシャル諸島のエニウェトク環礁に一年の任務で送られた著者は、女気なし、植物なし、ブルトーザーで平坦に均されて、コンクリートで固められたエニウェトク島で数々の狂気と十数件の水爆実験を目撃する。
「直接見なければ目は大丈夫」
「死の灰が降ってきたら窓を閉めて室内で待機」
「水爆実験をしている海はサンゴ礁。綺麗な海だから泳いで大丈夫」
などなど嘘で固められた軍部の説明のもとで任務に当たる。

夜明け前。
総員整列で屋外に並ばされ「爆発方向は向こうだからこっちを向いて」と指示を受け、つぶった目の上を両手で覆う。
「5.......4.......3.......2........1.......」
と進むカウントに続いて轟く音の表現が凄まじい。
「ブーン」

「ドカーン!」でもなければ「ズドーン!」でもない。
「ブーン」なのだ。

目を覆っている手など役に立たないのはもちろんで、後頭部をすり抜けて強烈な光が網膜に突き刺さる。
(感覚で言うと、東京タワーに仕掛けた水爆の爆発を新宿辺りで眺めるのに等しい行為)

「目を開けて良し」の指令を聞いて目を開けたら失明していないことに感動し、後は笑うだけ。
本書に付いている帯の宣伝文句「笑わなくちゃ生きられないぜ」というのがこの環境だ。

ともかく、このような兵士を任務と称して核実験に供したアメリカ政府というのは恐ろしい存在だ。
しかし一方に於て、こういう事実があったことを公表する自由があるところも、ある意味アメリカの恐ろしいところだ。
もっとも事実の詳細が公開されたのは、半世紀近く経過したクリントン政権になってから。

全体的に明るい筆致で書かれているだけに、ある意味そんじょそこらのスリラーよりも恐ろしい雰囲気の漂うドキュメンタリーと言えるだろう。


~「ぼくたちは水爆実験に使われた」マイケル・ハリス著 三宅真理訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆(星五つが満点。アマゾンと同じような採点方法でおま)

ビール15年戦争

2006年07月22日 20時30分22秒 | 書評
ビールの美味しい季節になった。
夏になると私はいつもオリオンビールを飲みたくなる。
「蒸し暑い=オリオンビール」
というのが、1987年以来の習慣なのだ。

学生気分も冷めやらぬ1987年6月。
私は初めて沖縄へ行った。
残念なことに仕事で行ってきたのだった。
仕事の内容は沖縄本島中部に建設中のリゾートホテルの竣工書類の作成業務。
約1ヶ月の滞在だった。
6月だというのに連日蒸し暑く、ホテルも工事中なので現場事務所以外は冷房なんか効いていない。
書類の作成のために各種項目のチェックや測定のために現場へ入ると汗だくになった。

名門ビーチ「ムーンビーチ」近くの宿泊所の安ホテルは驚くなかれクーラーが有料で1時間100円。
コインボックスには400円までしか入らないので、4時間ごとに目を覚ましては100円玉を追加した。

暑さをしのぐ、毎日の楽しみはビールを飲むこと。
ホテルの近所の万屋の冷蔵庫にはキリン、アサヒ、サッポロ、サントリーのメジャー4社のビールも入っていたが、オリオンビールが最も多くの場所を占有していた。

「オリオンビールって何?」
と初めて見た沖縄の地ビール会社に興味津々。
興味津々だが、やはり飲み慣れたキリンやアサヒを購入した。
で、ホテルへ持ち帰り飲んでみると、
「なんや? 不味~!」
となってしまった。
大学時代、そして社会人になって2年間、ビールは暑い季節には美味しいものという既成概念が崩壊した瞬間だった。

翌日、めげずにサントリーとサッポロを買い、試しにオリオンを買ってホテルに帰った。
で、サントリーとサッポロはやはり不味くて飲んでもすっきりしないのだ。
「オリオン、飲んでみよか」
と大阪からの出張組の仲間と一緒に飲んでみると、
「え~!うま~!」
と驚いた。
「沖縄では沖縄のビールしか飲んだらアカンということか」

カルチャーショックを受けてから、沖縄滞在中は本土のビールは一本も買わなかった。
しかも帰る時のお土産もオリオンビールで、当時本土と沖縄県は酒税が異なっていたので、郵パックで送っても、本土で買うビールよりも安かったのだ。

1987年というとビールといえばキリンのラガービール。
家でも外でも「ビールちょうだい」といえば、ラガービールが出て来た時代だった。
ところが、この1987年は、ビールの歴史ががらっと変る激変期間の最初の年でもあったのだ。

天の邪鬼の私は高校卒業以来、コンパや宴会、ちょっとしたパーティなどでは必ずラガー以外のビールを飲んでいた。
「ラガーって、美味しくないよね」
などと大胆にも味の違いなど分らないまま恰好をつけて宣ったりした。

ある雑誌で聞いたことがある一説に「オリオンのパクリらしい」というアサヒ・スーパードライ。
本書はそのスーパードライ登場に始まるビール業界の市場逆転と発泡酒の出現による過酷な「ビール戦争」をリポートしたドキュメントだ。
1980年代半ば、サントリーへの合併を進めるために倒産寸前のアサヒビールに住友銀行から送られた社長が、和食に合うビールを創れと開発に指示したことからスーパードライが誕生した、という前半は、まさにNHKのプロジェクトXの感覚で楽しめる。
一方、市場が激変し、僅か数年で奈落の底に落とされたエリート集団キリンビールの社員のエピソードは現在まで続く多くの日本企業の縮図でもある。

本書は過去20年に渡るビール業界の闘いを通じて、営業とは何なのか、企業文化とは何なのか、ということを読者に対して率直に問いかけたルポルタージュの傑作だ。

思えば父や祖父の時代はキリンのラガーがお決まりのビールだったが、その理由を私たち一般人が知ることはなかった。

今では酒屋やコンビニへ行くと大手四社はもちろん沖縄のオリオンビールまで売られている時代。
こうなる過程で、ビールの市場がどう変ったのか、そしてその変化に各メーカーの営業マンや企画開発担当者はどう挑んだのか。
単にビールのみならず、あらゆるビジネスに通じるドラマが本書では紹介されているのだ。

そして、各々のドラマには共通の言葉が含まれている。
その言葉を「情熱」という。
本書を読むと、その情熱が胸を打ち、気楽に構えていることができないくらいの感動と衝撃を受けるのだ。

企業戦士として生きる者なら是非読みたい一冊だ。

~「ビール戦争15年 すべてはドライから始まった」永井隆著 日経ビジネス人文庫刊~

馬鹿で間抜けな発明品たち

2006年07月17日 19時34分33秒 | 書評
「イグ・ノーベル賞」を読んでから、変な研究や変な発明に興味が湧いてきて困っている。
ただでさえ「普通でないもの」が大好きなのに、その普通でないことを真面目に研究開発している人々がいるのかと考えると、嬉しくて仕方がないのだ。

そこで同様の趣旨の本がないかと探していたら、ありました。

「馬鹿で間抜けな発明品たち」

本書には米国特許庁で許可取得済みの素晴らしい発明品が、特許取得時に用いられたと思われる説明図と共に100余点収録されているのだ。
よくもこれほど馬鹿馬鹿しいアイデアに対して特許を認めたなと、特許のアイデアそのものよりもアメリカ政府の懐の大きさに感心する中身ではあるが、あまり期待して読むと失敗することになる。

やはりイグノーベル賞とは格が異なるのか、その面白さは正直言ってかなりトーンダウンしているのだ。

掲載されている発明品の多くは、かつて朝日放送の「探偵ナイトスクープ!」に登場した大阪八尾市の発明おじさんが開発した「わけのわからん発明品」に近いものがほとんどで、笑えることは笑えるのだが、どうも中途半端になってしまう。
解説がつまらないことも影響しているが、一番の問題はせっかく掲載されているイラスト図に対してなんら説明が加えられていないことだ。

特許の申請に貼付したイラストには、その商品が持つ機能や部品を部番で示し、部番ごとに詳しく説明する。
ところが本書ではせっかく掲載されている部番に対する各々の解説がまったくないのだ。
このため、どの部分がどのような働きをするのか読者は「想像」するしかなく、せっかくのアイデアが台無しになってしまう。
もしかすると詳しく解説すると編集費用とページ数が増えるので割愛したのかも知れないが、編集者のセンスを思わず疑いたくなる構成だ。

とはいえ、ユニークな特許に思わず笑ってしまうことも確かである。
私は「足3本のストッキング」と「育児用お喋るスプーン」にはとりわけ大声で笑ってしまった。
また中には「地肌用印刷機」のような、もし私の大好きなタイガースのオフィシャルグッズとして販売したら「今なら」かなり売れるのではないか、と思えるようなものもあった。(5年前であれば、売れなかったかも知れない)

なお、真剣に商品開発やマーケティング活動で活躍している人には予めお断りしておきたい。
本書は実用に供しません。
以上。

~「馬鹿で間抜けな発明品たち」テッド・ヴァンクリーク著 主婦の友社刊~

加藤隼戦闘隊の最後

2006年07月15日 19時32分29秒 | 書評
今年、4月1日から10日間ミャンマーを旅行した。
三度目になるミャンマー旅行の目的地には、一般の旅行者がめったに訪れないバングラディッシュとの国境に近い遺跡の街、ミャウーを選んだ。

ミャウーへは飛行機やバスで直接行くことはもちろんできない。
まずヤンゴンから民間航空のエアーマンダレーのプロペラ機でヤカイン州の州都シットウェー市へ移動するのだ。
飛行時間は約1時間30分。
座席足下の壁面が「ボコッ」と凹んでいる以外は、恐怖感のない快適な飛行だった。

でミャウーはそのシットウェー市から直線距離で70km。
日本人の感覚からすると自動車で一時間といったところだが、その考えは甘い。
満足な道路がないのでシットウェー市からはボートをチャーターして川を6時間以上も遡らなければならなかったのだ。。

ところでシットウェー空港は短い滑走路と小さな平屋のターミナルビルのある田舎の飛行場だった。
あまりにちっぽけな「JRローカル線の無人駅」に似た飛行場なので、街もちっぽけかと思っていたらそうではなく、病院や大学、パゴダなのどの寺院が数多く点在する大きな街だった。

船着き場へ向かう途中、大通りに面した万屋でボートで食べる食料やドリンク類を調達した。
大通りは自転車のサイドカーやバイク、自動車が頻繁に往来し実に賑やかなところだった。

このシットウェー市のランドマークは19世紀の終り頃に建てられた時計塔。
英国植民地時代の面影が残る街の風景にぴったりの目印だった。

美しい時計台のシルエットを眺めながら私はTさんに質問をした。

「この辺りはヤンゴンからも遠いですから、さすがに日本軍は来なかったのでしょう?」
と。

彼女は地元タクシー運転手にちょっぴり歴史を訊いてくれた。
すると、「ここでも日本軍とイギリス軍が戦争をしたんですって」と教えてくれた。
「へー、こんなところまで来ていたんだ」
と感心し、我が日本軍の行動範囲に驚いていたのだった。
が、この驚きは私の勉強不足。無知の為せる技だったのだ。

♪エンジンの音、轟々と、隼はゆく、雲のはて♪

日本人なら誰でも知っている加藤隼戦闘隊。(10~20代は知らんかもわからんが)
その有名な帝国陸軍の加藤隼戦闘隊を率いる空の軍神「加藤隊長」が戦死したのが、まさにここシットウェー市なのであった。

シットウェー空港は英国軍の基地であったものを我が陸軍航空隊が激戦のうえ占領。
1944年、インパール作戦の失敗まで我が日本の基地となっていたところだった。
ちなみにミャンマーの玄関口。ヤンゴン国際空港ももともとはミンガラドン航空基地という日本軍の基地なのであった。

で、なぜこんな重要なことに気づかなかったかというとシットウェー市は昔アキャブという名前だったのだ。

宮辺英夫著「加藤隼戦闘隊の最後」は加藤隊長の戦死後、第64陸軍航空隊に赴任した著者によって書かれた隼戦闘隊の活躍から解散までの軌跡を綴った回想録だ。

ミャンマーから帰ってきてシットウェーがアキャブであることを知った間抜けな私は、歌だけ知っている隼戦闘隊のことをもっと詳しく知ろうとして関連書籍を調べてみた。
で、一番手軽な検索方法であるアマゾンドットコムに頼って見つけたのが本書なのだ。

加藤隼戦闘隊がミャンマーを中心に東南アジア各所を転戦した実像は、私たち戦後生まれのものにはほとんど知らされていない。
本書に登場する街の名前は、現在の我々が観光で訪れたり、あるいは通過したりするミャンマーの町々であり、それら地名を通じて先の大戦で国のため(家族や友人のため)に散華していった先人たちの息吹を活き活きと感じさせてくれるのだ。
乾期の紺碧の空を駆け巡る隼と、雨期の水墨画のような風景のなか厳しい訓練に励む隊員たちの姿が思い浮かび、ミャンマーに対する私のイメージにまた一つ新たらしい形が加わることになった。

本書の原稿は著者の死後、家族によって発見されたものを戦友の一人が出版化させたものだ。
負けた戦争。
しかも多くの戦友や部下を失った失意の回想録を世に出すことは著者は最後まで躊躇っていたのだ。
しかし、今の戦後日本人がもっとも必要とするのは、こういう生きた証言であって、思想的欠陥のある人たちや外国政府によってねじ曲げられた歴史ではない。
そして、その生きた証言を得ることのできるタイムリミットは刻一刻と迫りつつあるのだ。

本書は意外なきっかけで触れる機会が与えられた、私にとって極めて優れた一冊だった。

~「加藤隼戦闘隊の最後」宮辺英夫著 光人社ノンフィクション文庫刊~