人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「戦後日本と雅楽~みやびな武満,あらぶる黛」公演を聴く~サントリー サマーフェスティバル「片山杜秀がひらく『日本再発見』」

2017年09月05日 08時06分38秒 | 日記

5日(火).昨日は月曜日から涼しく,また9月に入ったこともあって,思い切って衣替えをしました   と言っても,半袖シャツを長袖に替えただけで,まだジャケットは早いのではないかと思います

ということで,わが家に来てから今日で1070日目を迎え,トランプ米政権が3日,北朝鮮の6回目の核実験を受けて圧力をさらに強める姿勢を鮮明にした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      中国が動かないなら 軍事力しか解決策はないような気がするけど 出来ないよね

 

                                          

 

昨日は,久しぶりに「カレーライス」を作りました   あとはいつもの「生野菜とサーモンのサラダ」です

 

     

 

                                           

 

昨夕,サントリーホール「ブルーローズ」で「片山杜秀がひらく日本再発見 戦後日本と雅楽~みやびな武満,あらぶる黛」公演を聴きました   プログラムは①武満徹「秋庭歌一具」,②黛敏郎「昭和天平楽」です   演奏は伶楽舎,②の指揮は伊佐治 直です

     

     

 

全自由席なので良い席を取るために早め家を出たのに,何をとち狂ったか上野の東京文化会館に行ってしまい,入口でもらった1Kgは超えるチラシの束を抱えて 慌てて銀座線で溜池山王に向かいました   幸い開演10分前に会場に着きましたが,最近こういうヘマが時々あるので困ります   多分 脳細胞がマッハ並みのスピードで減少しているのだと思います   

会場の「ブルーローズ」は床の寄木細工が張り替えられています   結局,後ろから2列目の右端の席を押さえました

さて,コンサートですが,1曲目の武満徹「秋庭歌一具」は1979年に初演された雅楽のための作品で,①参音聲(まいりおんじょう),②吹渡(ふきわたし),③塩梅(えんばい),④秋庭歌(しゅうていが),⑤吹渡二段(ふきわたしにだん),⑥退出音聲(まかでおんじょう)の6部から成ります

武満徹(1930-96)は1973年に国立劇場の委嘱で「秋庭歌一具」の第4曲に当たる,雅楽のための「秋庭歌」を作曲しましたが,79年に再び国立劇場からの委嘱を受け,新たに5曲を作曲し「秋庭歌一具」を完成させたのでした   武満は73年10月の国立劇場での雅楽公演のプログラム・ノートに,この作品について次のようなことを書いています

「たぶん,昔日は現在よりも自由であったであろうと想像される楽器配置について,風または木魂(こだま)と呼ばれる管楽を,一管どおりの管弦とは別に配置すること.形式は自由.秋から冬へ向かう季節の歌であり,私たちの遠い祖先が先進文明に初めて触れた愕きを,私自身のものとして失わないようにすること.新雅楽を創るというような気負いを捨てて,ただ,音の中に身を置きそれを聴きだすことにつとめる.以上が秋庭歌についての私の心づもりである

雅楽の合奏研究を目的に1985年に発足した雅楽演奏グループ「伶学舎(れいがくしゃ)」の面々が4つのグループに分かれます   ①秋庭(グループA)の9人はセンターに,②木魂1(グループA’)はセンター後方に4人,左右に各2人が配置され,③木魂2(グループB)の6人は左サイドに,④木魂3(グループC)の6人は右サイドにスタンバイします   グループAの秋庭だけが床に座り,他のグループは椅子に座ります

演奏者は”雅楽の制服”である平安時代風の色とりどりの衣装で,烏帽子を被っています   彼らが入場する時,われわれは拍手をしてもよいのかどうかわからず,結局誰も拍手をしませんでしたが,良かったのでしょうか

この作品の演奏には指揮者がいません   演奏に入りますが,いったい誰がコンサートマスターの役割を果たしているのかまったく分かりません   あるいは全員が阿吽の呼吸で演奏しているのかも知れません  

そもそも私は,箏,琵琶,笙,太鼓以外の楽器は 名前もろくに知らないので 演奏をどう表現すべきか困ります

6つの楽曲の中では,最初に作曲された第4曲「秋庭歌」が一番充実していたように思います   全曲を通して聴いた印象は,間(ま)が多いということです   楽譜がどう書かれているか知りません(五線譜?)が,休符だらけではないかと想像します   もう一つは,武満は雅楽の歴史を踏まえて,楽器の特性を最大限に生かした曲を書いたのではないか,ということです

大きな拍手の中,演奏者が退席しましたが,カーテンコールはありませんでした.これでよろしかったでしょうか

 

     

 

休憩時間の間に,ステージに敷かれていたシートが剥がされ,椅子が並べられます

2曲目の黛敏郎「昭和天平楽」は1970年の作品です   この曲は①序(じょ),②破(は),③急(きゅう)の3部から成ります.演奏は伶学舎ですが,この曲は伊左治 直が指揮をとります

伶学舎の編成は,センター手前に琵琶と箏,後方に横笛と笙,左サイドに箏,右サイドに太鼓といった並びで総勢28人です   黛敏郎(1929-97)は1970年10月の初演時のプログラム・ノートに次のように書いています

「私は,現在ふつうの雅楽では使用されなくなった楽器で,昔は使われていたに違いないと思われる楽器を,出来るだけ多く使うことにした   通常の演奏形態の約2倍となる.曲の構成は,大きく3部に分かれ,全体で序・破・急を構成するように構想した   第1部は,拡大された「音取」の様式を模した序奏部と,唐楽風な部分に分かれ,終結部分には「残楽」が用いられている.第2部は,笛を中心とした「乱声」に続いて,笙の「音取」から始まる林邑楽の趣を持つ.第3部は,高麗楽風の終曲である

第1部で一番驚いたのは,センターにスタンバイした箏をコントラバス用の弓で弾いていたことです  現在であれば普通かも知れませんが,当時は斬新な奏法だったと思います   黛ならではの試みでしょう

曲の全体を聴いた印象は,武満の曲とは対極にある作品で,3楽章形式ということもあり,休符の少ない交響曲のような曲想で,比較的わかり易い曲だと思いました   第2部の冒頭は縦笛による耳をつんざくような高音が鳴り響き,第3部では「まるでフリージャズじゃん」と思うほどに混沌とした音楽が顔を見せ,黛が雅楽の世界に新風を吹き込もうとする意欲を感じました

 

     

 

この企画のプロデューサーである片山杜秀氏がプログラム冊子の「イントロダクション」に次のように書いています

「日本の作曲の本筋は近代ヨーロッパのこだわる論理性や有機性を超克してゆくところにあるという視点.そこから眺めると『近代の超克』とは,伊福部昭を家元とする『ストラヴィンスキー・繰り返し』と,早坂文雄を家元とする『ドビュッシー・朦朧流』の二筋道で,前者から黛敏郎,後者から武満徹がスターとして現れたという見立てもあり得るのではないでしょうか」「この雅楽を土俵にして黛と武満が『最終決戦』をし,同時代的文脈では武満がより高い評価を得たことになる

と書いていますが,事実はそうだとしても,黛はもっと評価されても良いと思います

片山氏がこのコンサートのキャッチとして「みやびな武満,あらぶる黛」を掲げたのは,雅楽に対する二人の作曲家のアプローチをひと言で表現していて,さすがだと思います     

コメント
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