5日(木)。わが家に来てから今日で2915日目を迎え、EU欧州委員会は3日、新型コロナウイルス感染者が急増している中国にワクチンの寄付など支援を申し出たが、中国外務省の毛寧副報道局長は同日の記者会見で「中国は世界最大級の新型コロナワクチンの生産能力がある。必要な人に接種する能力はある」と述べ、支援は必要ないとの立場を示した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
中国製ワクチンが効かないから感染拡大が止まらないんじゃね? メンツの問題だね
今年初めて作った料理は「ビーフカレー」と「生野菜とアボカドのサラダ」でした わが家のビーフカレーは、牛バラ肉を使います。まるで牛丼屋のカレーのようですが、そのまんまです
赤ワインを開けました
橘玲著「バカと無知 人間、この不合理な生きもの」(新潮新書)を読み終わりました これで2023年は元日から1日1冊3日間連続で読んだことになります
著者の橘玲(たちばな あきら)は1959年生まれ。作家。2002年に金融小説「マネーロンダリング」でデビュー
「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」が30万部超のベストセラーとなる
「言ってはいけない 残酷すぎる真実」で2017年新書大賞を受賞
本書は「週刊新潮」の連載「人間、この不都合な生きもの」(2021年8月~22年6月)を加筆・修正したうえ、付論2編を加えた新書です
本書は大きく次の5つのパートから構成されています
PARTⅠ「正義は最大の娯楽である」・・自分より優れた者は「損失」、劣った者は「報酬」、ほか。
PARTⅡ「バカと無知」・・バカは自分がバカであることに気づいていない、ほか。
PARTⅢ「やっかいな自尊心」・・いつも相手より有利でいたい、ほか。
PARTⅣ「差別と偏見」・・誰もが偏見を持っている、ほか。
PARTⅤ「すべての記憶は『偽物』である」・・トラウマとPTSDのやっかいな関係、ほか。
著者はPARTⅡ「バカと無知」の中で次のようなエピソードを紹介しています
「心理学者デビッド・ダニングと博士課程のジャスティン・クルーガーは、『能力の低い者は、自分の能力が低いことを正しく認識できているのか』を確かめるため、学生たちを対象に調査を行った。その結果出た結論は『バカの問題は、自分がバカであることに気づいていないということだ』というものだった」
これについて橘氏は次のようにコメントします
「自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信を持つようになる。まさに『バカにつける薬はない』のだ
」
次に、日本人の無知に関する意外な実態について衝撃的な事実を突きつけます
「OECD加盟の先進国を中心に、24か国・地域の16歳~65歳の約15万7000人を対象に2011~12年に実施されたPIAAC(国際成人力調査=学習到達度調査の大人版)によると、①日本人のおよそ3分の1は『日本語』が読めない ②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない
③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
というものだった。しかし、もっと驚くのは、この成績は先進国で1位だったことだ
調査では①先進国の成人の約半分は簡単な文章が読めない、②先進国の成人の半分以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない、③先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人しかいないことが判った
これは一般には知られていないだけで、専門家には周知の事実だったはずだ
」
この数値は約10年前のものであり、調査サンプル自体が少ないのではないか、という疑問もありますが、それを差し引いても衝撃的な数値です 日本人はこれほど無知の人が多いのか。さらに世界はこれほど酷いのかという衝撃です
また「バカ」と「無知」の違いについて次のように解説します
「バカと無知はちがう。バカは能力の問題だが、無知は問題解決に必要な知識を欠いていることだ あなたがどれほど賢くても無知な可能性があるし、実際にはほとんどのことで無知だろう。私たちが無知なのは、現代社会がものすごく複雑だからだ。日常のあらゆる疑問(飛行機はなぜ飛べるのか?)に対して厳密な知識を得ようと思えば、2つか3つで人生が終わってしまう・・・研究者というのは、たった一つの疑問を生涯考え続ける人のことだ。もちろん、すべてのことに無知だと生きていくことができない
そのため私たちは、厳しい制約(1日は24時間で、睡眠時間を除けば16時間程度しかない)のなかで、なんとか必要最低限の知識を手に入れようと四苦八苦している
」
PARTⅤ「すべての記憶は『偽物』である」の中で著者は、記憶研究の大家エリザベス・ロフタスの学生の一人が実施した「ショッピングセンターの迷子記憶実験」を紹介しています
「学生は14歳の弟に子どもの時に起きた出来事を4つ示し、それについて思い出したことを毎日、日記に書くように求めた そのなかに、5歳の時にショッピングセンターで迷子になったという作り話を紛れ込ませておいた
すると弟は、早くも1日目の日記で『親切なおじさん』を思い出し、数週間後には、そのおじさんが青いフランネルのシャツを着ていたことや、頭がすこし禿げて眼鏡をかけていたことなど、細部を説明するまでになった
兄から、ショッピングセンターで迷子になった記憶が偽りだと告げられても、弟は信じようとしなかった。それに対して、実際に起きた出来事の1つは、最後までまったく思い出せなかった
」
これに対し著者は次のように解説します
「なぜこんなことになるのか。それは記憶が、パソコンのハードディスクに保存されているようなものではなく、流動的でつねに書き換え可能だからだ 誰でも子どもの時代に迷子になって不安に思ったことや、家族と一緒にショッピングセンターに行った思い出があるだろう。すると、実際に起きていない出来事であっても、ちょっとしたきっかけで、こうした記憶の断片が簡単に結びついてしまう。だが被験者は、この過程を『忘れていた記憶が蘇った』と体験するため、捏造された記憶が”事実”になってしまうのだ
」
これについては、経験があります 「高校時代の雪が降る日の音楽の授業のとき、クラスの男子生徒だけで授業をボイコットして音楽教室から抜け出して雪で遊んでいた」という記憶がありました
数年前に高校時代のクラス会が開かれた際、授業のボイコットの話が出た時に私が上記の話をすると、複数のクラスメイトが次のように言ったのです
「それは音楽の授業ではなく世界史の授業だった」
なぜ私だけが勘違いしていたのか? と後で振り返ってみて、次のような結論に達しました
私は吹奏楽部(部活)所属の生徒ばかりを”えこ贔屓”する高齢の男性音楽教師が大嫌いでした 中学の頃は音楽が大好きだったのに、嫌いになったのはあの教師のせいでした
一方、世界史は教育実習を終えて学校に赴任したばかりの女性教師でした。なぜか、男子生徒の一部はその教師が気に入らず、授業中に騒いだり、チョークを投げたりして、今で言う「いじめ」の対象にしていました
教師は泣いて教室を出ていくことが何度かありました
私は彼らの仲間に加わっているわけではなかったのですが、一緒にボイコットしたので共犯だったことになります
つまり、ボイコットの対象を世界史の授業ではなく嫌いな音楽の授業に書き換えて保存していたのです 意識したわけではないのに「記憶を自分の都合のよいように書き換える」という経験から、「すべての記憶は『偽物』である」という著者の指摘はよく理解できます
本書では、「キャンセルカルチャーという快感」「過剰敬語『よろしかったでしょうか』の秘密」「善意の名を借りたマウンティング」など、興味深いテーマで興味を引き付けて止みません お薦めします
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