24日(水)。わが家に来てから今日で2782日目を迎え、米紙ニューヨーク・タイムズは22日、複数の関係者の話として、トランプ前米大統領が退任時に自身の邸宅マールアラーゴへ持ち出した公文書の引き渡しを国立公文書館から求められた際、「私のものだ」と主張して抵抗していたと報じた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
危機管理能力は小学生以下 と言ったら小学生に叱られる 今時の小学生はもっと賢い
昨日、夕食に「鮭の西京焼き」「冷奴」「生野菜サラダ」「キュウリの食べるラー油乗せ」「豚汁」を作りました ヘルシーメニューです
昨夜、サントリーホールで「読売日響第620回定期演奏会」を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595」、マーラー「交響曲第9番 ニ長調」です
演奏は①のピアノ独奏=アンヌ・ケフェレック、指揮=ユライ・ヴァルチュハです
指揮をとるユライ・ヴァルチュハはスロヴァキア出身。サンクトペテルブルクとパリで学ぶ 2009年から16年までRAI国立響の首席指揮者を務め、同年からナポリ、サンカルロ劇場の音楽監督とベルリン・コンツェルトハウス管の首席客演指揮者を務める
22年6月にヒューストン響の音楽監督に就任
オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の並び コンマスは長原幸太、その隣は林雄介というダブルコンマス態勢を敷きます
1曲目はモーツアルト「ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756ー1791)が最晩年の1791年に作曲した最後のピアノ協奏曲です
第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります
ピアノ独奏のアンヌ・ケフェレックは1968年ミュンヘン国際コンクールで優勝して以来、世界各地で活躍しているフランス出身のピアニストです 日本ではラ・フォル・ジュルネ音楽祭の常連アーティストとして有名です
ケフェレックが緑の葉と赤い花を彩った明るくチャーミングな衣装で登場します いつもは赤と黒を基調としたシンプルな衣装が特徴ですが、この日は、まるで「春」を感じさせる衣装です
演奏するK.595の第3楽章のロンド風の主題が歌曲「春への憧れ」に転用されているので、それを意識したのかな、と勝手に想像しました
第1楽章の冒頭はオーケストラによって主題が演奏され、なかなか主役のピアノが出てきません これは当時のコンチェルトのスタイルです
そして、「お待たせしました
」とばかりにケフェレックのピアノが女王のごとく軽やかに入ってきます
何とエレガントな演奏だろうか
一音一音の粒立ちがとても美しく響きます。カデンツァはキラキラと輝いていました
第2楽章の中間部を聴いていて、言葉では言い表せない感情が押し寄せ、思わず目頭が熱くなりました
後半では装飾音を加えて演奏していましたが、モーツアルトの時代にはこれが普通のスタイルでした
第3楽章は弾むような音楽ですが、ケフェレックはあくまでも抑制を利かせ美しくノーブルに演奏、ヴァルチュハ ✕ 読響がピタリと付けました
満場の拍手に応えて、ケフェレックはヘンデル(ウィルヘルム・ケンプ編)「メヌエット ト短調」を抒情的に演奏、聴衆を沈黙させました 一段と大きな拍手に、ケフェレックは前に後ろに一礼し、ピアノに向かって拍手をして舞台袖に引き上げていきました
何とチャーミングな女性だろうか
「生きてケフェレックのモーツアルトが生で聴ける
これほど幸せなことがあるだろうか
」とつくづく思います
アンコール曲は下のCDに収録されています
プログラム後半はマーラー「交響曲第9番 ニ長調」です この曲はグスタフ・マーラー(1860ー1911)が1909年から1910年にかけて作曲、マーラーの死後、1912年6月26日にウィーンで初演されました
第10番が未完に終わっているので、完成された交響曲としては最後の作品です。第4楽章がアダージョであることから、マーラーは死を意識してこの曲を作曲したのではないか、という憶測がしばらく喧伝されていましたが、現在では、そうではなく、マーラーはまだまだやる気十分だったことが分かっています
ただ、マーラーの死の前年=1910年の夏には、妻アルマと若き建築家ヴァルター・グロビウスとの不倫が発覚し、マーラーは精神的に追い詰められています
年末に再びニューヨーク・フィルを指揮するためにアメリカに向かいますが、現地に滞在中に心内膜炎が発覚し、ウィーンに戻るとそのまま帰らぬ人となりました
その意味では、結果的に死を意識した作品のように捉えられても仕方ないのかもしれません
この曲は第1楽章「アンダンテ・コモド」、第2楽章「ゆるやかなレントラー風のテンポで いくぶん歩くように、そして極めて粗野に」、第3楽章「ロンド・ブルレスケ」、第4楽章「アダージョ」の4楽章から成ります
オケは16型に拡大し、4管編成のフルオーケストラ態勢になります ステージ下手にはハープが2台スタンバイしますが、1番を演奏するのは自称「フリーランスの手酌系ハーピスト」高野麗音さんです
この人のブログは楽しいです
お酒と手作りの酒肴が美味しそうです
ユライ・ヴァルチュハの指揮で第1楽章に入ります 冒頭部分の音楽を聴いて、音楽評論家の江藤光紀氏がプログラム・ノートに書いていたことを思い出しました
それには「序奏に続きヴァイオリンに大らかな第1主題が現れる
この旋律は前作『大地の歌』の終楽章の『永遠に』という歌詞の音型を引きずりながら、この交響曲の随所で顔を出す
」と書かれていました。「そうだったのか」と思わず膝を打ちました
第1楽章は冒頭からハープが絡みますが、高野麗音のハープが素晴らしい
弦楽器のウネリが凄い
第2楽章は舞曲風のテンポ感が素晴らしい
第3楽章は一転、目先がクルクル変わる支離滅裂とも言える曲想が展開します
しかし、この狂乱的な第3楽章があって初めて第4楽章アダージョが生きるのです
ヴァルチュハは、第3楽章が終わって、出来るだけ早く第4楽章に移りたいと思っている様子が見られました
実際には管楽器の準備(楽器から唾を排出する)があるので、一定の時間は必要でしたが、ヴァルチュハは第3楽章と第4楽章を続けて演奏する方が効果的(両楽章の落差から)だと考えていたのではないか、と思います
私もそう思います。その第4楽章は弦楽各セクションの渾身の演奏に尽きます
分厚い弦楽器によるアンサンブルは第3楽章までの喧騒を浄化するかのように会場を満たしました
さらに、徐々に音を減少させながら長い余韻を残して消えていくラストは、まさにマーラーの音楽の神髄とでも言うべき音楽表現でした
「静寂」を音で表したらあのような演奏になるのだろう、と思います
最初のうちは、ヴァルチュハはオケをやたらと鳴らすだけの指揮者かと思っていましたが、第4楽章を聴いて考えを改めました 読響はヴァルチュハの要求に応え、最弱音から最強音までダイナミックレンジの広い演奏でマーラーに迫るスケールの大きな演奏を展開しました
熱い演奏にカーテンコールが繰り返され、なおも拍手が続く会場を出たのは21時半でした
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