29日(土)。わが家に来てから今日で3728日目を迎え、米政府効率化省を率いる起業家のイーロン・マスク氏が、連邦政府職員のリストラに裁判所の差し止め命令が相次ぐことから、裁判所の判事を敵視した活動に躍起になり、26日には「活動家」とみなす判事への反対署名に100万ドル(約1.5億円)の「賞金」を出した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
これだから富豪は嫌われるんだよ お金に物を言わせて 自分の主張を通そうとする 浅ましさ丸出し
小池真理子選「精選女性随筆集 向田邦子」(文春文庫)を読み終わりました 本書は「精選女性随筆集」(全12巻)の1冊です
小池真理子、川上弘美の2人の作家が分担して、向田邦子、有吉佐和子、武田百合子など女性作家の代表的な随筆を選んで紹介しています
向田邦子は1929年 東京生まれ。実践女子専門学校国語科卒。映画雑誌編集記者を経て放送作家となり、ラジオ・テレビで活躍した テレビドラマ脚本の代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」等がある
1980年に「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家活動に入ったが、81年8月に航空機事故で急逝。享年51歳だった
著書に「父の詫び状」「無名仮名人名簿」「霊長類ヒト禍動物図鑑」「眠る盃」「思い出トランプ」「あ・うん」他多数
小池真理子は1952年 東京生まれ。成蹊大学文学部卒。1989年「妻の女友達」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞 96年「恋」で第114回直木賞を受賞したほか受賞多数
近著に「月夜の森の梟」など
そもそも私が向田邦子の作品を読むきっかけとなったのは、娘が実践女子高を受験することになったからです 中高一貫女子校ですが、高校に推薦入学で入りました。高校からの中途入学はその年が最後になりました
娘にとって向田邦子は学校の先輩に当たるわけで、親としてもどんな作品を書いているのか興味を持ちました
最初に読んだのは「父の詫び状」だったと思いますが、彼女の文章の魅力に すっかりはまって 片っ端から読むようになりました
そういうわけで、向田邦子の作品は、シナリオ、小説、エッセイのほとんどすべてを読んでいます
しかし、書店で「向田邦子」のタイトルの本を見ると、どういうわけか手に取って購入してしまうのです
本書は別の女性作家が独自の視点で選んだエッセイを、ほぼ年代順に紹介しているところが大きな特徴です
数多くのエッセイの中から本書に収録する作品を選んだ小池真理子は「ふいに緞帳が下りて」と題する”前文”の中で、次のように書いています
「向田邦子の書いたものはすべて、『人間くささ』がある 『人間らしさ』ではない。あくまでも『くささ』である。大仰なことはひとつも書かれていない
書かれているのは身の回りのこと、誰もが経験すること、思いあたること、身に覚えがあることばかりだ。そうそう、そうなのよね、わかるわかる・・・といったあの感覚である
私たちは向田邦子の文章を読んで、人間のにおいを嗅ぎ取る。どのページをめくっても、私たちは人間が等しくもっている、愛すべき人間くささを目の当たりにして、どういうわけか、深く安堵するのである
」
これを読んだ私は、思わず「そうなのよね、わかるわかる」と呟いていました
向田邦子のエッセイには作曲家の名前が出てくる作品がいくつかあります 小池真理子選による本書に収録されている中では3つありました
その一つは「勝負服」というエッセイです 次のように書き出しています
「随分前に読んだ本で正確な題名は忘れてしまったのだが、音楽家の死因を調べたものがあった チャイコフスキーはコレラ、ラフマニノフはノイローゼ、ラベルは交通事故の後遺症といった按配に、古今東西の音楽家達が何で亡くなったかを調べた本なのだが、その人の死因と音楽は妙に関りがあるように思えてなかなか面白い1冊だった
」
もう一つは「襞(ひだ)」というエッセイで、次のような文章を書いています
「私は、4年生の時『修善寺物語』をやったのだが、ここ一番という時にかけるレコードは、『トロイメライ』とサン・サーンスの『白鳥』しかなかった この2枚が『安寿と厨子王』の時にも、『乞食王子』にもかかるのだが、テレビなど無い時代だったせいか、講堂いっぱいの生徒や先生方は、けっこうハンカチを出して泣いてくださった
そのせいか、私は今でも、この2つの曲を聞くと、鼻の奥が少しこそばゆくなってくる
」
3つ目は「夜中の薔薇」というエッセイで、次のように書き出しています
「『あれはモーツアルトだったかな、シューベルトだったかな』 そのひとは、いきなり小声で歌い出した。童は見たり野中の薔薇 曲はシューベルトのほうであった
小学校や女学校のときに習った歌は、こういう場合、ひとりでに口をついて出てしまう
」
他の作品を含めて、向田邦子のエッセイを読むと、彼女は結構クラシック音楽を聴いていることが窺えます 私が向田邦子を好きな理由の一つです
向田邦子は料理の達人でもありました 「くらわんか」というエッセイには「わが家の手料理ということで生き残っているもの」として3つの料理を紹介しています
〇若布(わかめ)の油いため
〇豚鍋
〇トマトの青じそサラダ
それぞれについて作り方が書かれていて、誰でも簡単に作れそうです 私もいつかはチャレンジしようと思っています
ある時、いしだあゆみ嬢に「若布の油いため」の作り方を伝授したら、スタジオで会った時に「つくりましたよ」とニッコリした 「やけどしなかった?」と聞くと、あの謎めいた目で笑いながら、黙って 両手を差し出した。白いほっそりした手の甲に、ポツンポツンと赤い小さな火ぶくれができていた
長袖のセーターは着たが、鍋の蓋を忘れたらしい・・・と書いています
つまり筆者は、料理するとき油がはねるので長袖のセーターを着て、片手に鍋の蓋をもって、油はねを防ぐようにとアドヴァイスしたが、いしださんは鍋の蓋を忘れたということです
いしだあゆみといえば、つい先日(3月11日)亡くなりましたが、朝日新聞夕刊に連載の「三谷幸喜のありふれた生活」の3月27日付のエッセイに、彼女のエピソードが紹介されていました 三谷氏は次のように書いています
「先日亡くなった いしだあゆみさんで思い出すのが、向田邦子脚本のドラマ『阿修羅のごとく』のワンシーン 第1回の冒頭、いしださん扮する滝子が家族会議を開くために姉妹たちを電話で召集する。姉の巻子(八千草薫)は電話の途中で家族と別の会話を始めてしまい、滝子と話していたことを忘れてしまう
ようやく思い出して電話に出ると、その間ずっと公衆電話の受話器を握って待っていた滝子の顔のアップに画面は切り替わる。この時のいしださんのムスッとした表情が最高なのである
電話を切らずに長時間待っていた滝子という人物の、ちょっと暗くてネチっこい性格が手に取るように分かる
どうってことない場面なのだが、ここだけで滝子という人物、そして物語そのものに視聴者は惹きつけられる
そこが向田さんのうまさなのだけど、それを完璧に具現化してみせた いしだあゆみさんの演技力・・・なによりこのシーンの面白さを いしださんが理解している感じがいい
」
「名作が名演技で生かされた好例」と言うべきシーンでしょう
話を戻します 巻末の「解説」を日本女子大学名誉教授の髙橋行徳氏が書いていますが、向田邦子のエッセイの特徴を次のように表現しています
「向田邦子のエッセイには おおむね心理描写がない 人物の行動が淡々と記述されているだけである。またごてごてした形容も一切ない。このように簡潔な文章でありながら、向田の作品は読むそばから情景がありありと浮かびあがってくる
これは彼女が脚本家であったことと大いに関係がある
」
向田の切れ味鋭い文章を読むと、なるほど、と思います さらに、髙橋氏は「向田文学の特質をなす4つの要素」を次の通り紹介しています
①長女の頑張り・・・長女の彼女は家族や他人の難儀を見過ごせず、無理を承知で多くの事柄を背負い込む これは文筆活動にも言え、常に超人的な量の仕事をこなさなければならなかった
②転居の利点・・・父親の職業(保険会社の地方支店長)の関係で、彼女は小学校の頃から何度も転校した そのつど新しい学校や土地の言葉、習慣に馴染まなければならなかった
しかし、そのことが作家としての財産となった
③雑誌「映画ストーリー」の効用・・・彼女は映画雑誌の編集者として映画を浴びるほど観た しかもこの雑誌は映画批評ではなく、公開前の作品紹介と、そのあらすじを詳しく伝えることを編集方針としていたので、彼女は試写や編集作業で必然的に様々な映画のストーリーを知ることになった
これが彼女のバラエティーに富んだ物語を生み出す有力な源泉となった
④森繫久彌の知遇・・・彼女は森繫久彌から大きなチャンスと知識を得た 森繁は向田の文才をいち早く見抜き、執筆の機会を与えた
テレビ界へ進出したときは、向田を脚本スタッフの一員に加えるなど、彼女の背中を押した
本書を読み終わった今、あらためて思います。51歳の死はあまりにも早すぎた、と