人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ミハイル・プレトニョフ ✕ 東京フィルでスメタナ:連作交響詩「わが祖国」全曲を聴く / ロシアの音楽家 ~ 政治とのはざまで:ゲルギエフ氏を巡って

2022年03月12日 07時24分37秒 | 日記

12日(土)。昨日の朝日朝刊 文化欄に「ロシアの音楽家  政治とのはざまで  ~  指揮者ゲルギエフ氏 国外の職を続々降板」という見出しで吉田純子編集委員が書いています 吉田さんは、プーチン大統領との関係が深い世界的な指揮者ワレリー・ゲルギエフの現況を中心に、ロシアのウクライナ侵攻が、クラシック音楽の世界にも深刻な影響を及ぼしていることに言及したうえで、最後に次のように締めくくっています

「『音楽を武器にして、世界中の戦争を止めたい』。北と南に分断された故郷で紛争が起きるたび、ゲルギエフ氏は人道支援を呼びかけ、力強くこう口にした ロシアの攻撃によってウクライナの無辜の民が血を流している状況を、ゲルギエフ氏自身もまた、複雑な思いで見守っているのかもしれない。率直な思いの表明は未だになされていない

ゲルギエフ氏はロシア国外のオーケストラからは次々と解任されましたが、現在なお、国内のマリインスキー劇場の芸術監督兼総裁を務めています もし彼がプーチン批判をするようになれば、おそらく最後の砦のマリインスキー劇場から去らなければならないのではないか、と想像します いま ゲルギエフ氏は音楽家として瀬戸際に立たされています

ということで、わが家に来てから今日で2618日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は10日の閣僚会議で、ウクライナ侵攻を受けてロシアから撤退する外国企業の資産を国有化する政府方針を了承した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「俺の物は俺の物 他人の物も俺の物」というプーチンの卑しい本性が表れた行動だ

 

         

 

昨日、夕食に2週間に一度のローテにより「チキンステーキ」を作りました あとは「人参とエリンギの中華スープ」です。チキンはレア気味に焼いたのでソフトで美味しかったです

 

     

 

         

 

昨夜、東京オペラシティコンサートホールで東京フィルの3月度定期演奏会を聴きました 前日の10日が新国立オペラ「椿姫」と重なったため東京フィルの公演を振り替えました プログラムはスメタナ:連作交響詩「わが祖国」全曲です この曲はスメタナ(1824‐1884)が1872年から1878年にかけて作曲しました 第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」、第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」、第3曲「シャールカ」、第4曲「ボヘミアの森と草原から」、第5曲「ターボル」、第6曲「ブラニーク」の6曲から成ります 実は、スメタナはこの曲を作曲中 聴覚が急激に衰え、第2曲の「ヴルタヴァ」を作曲中に完全に聴力を喪失してしまいます     それでも彼はベートーヴェンにも負けない不屈の精神で創作を続け、全6曲を完成させました

本公演はもともと2020年3月に予定されていましたが、コロナ禍により同年8月に延期、さらに21年3月に延期されましたが、これもプレトニョフが来日できず中止となり、今回が4度目の正直となります

ミハイル・プレトニョフは1957年ロシア生まれ。1978年チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で優勝 その後、ピアニストとして活躍する傍ら、1990年に国家から独立したロシア・ナショナル管弦楽団を設立し、創設者・芸術監督として指揮活動も並行して行ってきました 2015年から東京フィルの特別客演指揮者に就任しています

 

     

 

交響詩「ヴィシェフラド(高い城)」(1872~74年作曲、1875年初演)はブルタヴァ河畔の岩上に残されたヴィシェフラド(高い城)に寄せて、チェコ王国の過去の栄光と悲哀を綴った曲です

交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」(1874年作曲、1875年初演)は水源からしだいに流れを集め、大きな流れとなっていくヴルタヴァ川に託して、祖国の自然を歌い上げた曲です

交響詩「シャールカ」(1875年作曲、1877年初演)は男を憎悪する女傑シャールカの伝説を描いた曲です

交響詩「ボヘミアの森と草原から」(1875年作曲、1876年初演)はチェコの風景描写の中に、祖国への賛美を込めた曲です

交響詩「ターボル」(1878年作曲、1880年初演)は”陣営”を意味します ただし、ここでは チェコ人の独立のために根強く戦ったフス教徒の「ターボル派」を意味しています

交響詩「ブラニーク」(1879年作曲、1880年初演)はターボル派が最後に立てこもり、1452年に陥落した砦のあった山名です 祖国独立の勇士の霊がそこに眠り、いつかは立ち上がることへの願いを込めた曲です

全6曲の初演は1882年にプラハで行われました

 

     

 

振り替え後の自席は2階1列1番、センターブロック左端です 会場は9割近く埋まっているでしょうか。良く入りました

オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置。コンマスは依田真宣です おやっと思ったのは管楽器の配置です。舞台一番奥にホルン8本が横並びにスタンバイし、その手前にトランペット、トロンボーン、チューバが並び、その手前に木管楽器群が控えます それぞれの交響詩で指定された楽器編成でホルンは4本のはずですが、8本とは さずがはロシアの大陸的なスケールを感じます

プレトニョフの指揮で第1曲「ヴィシェフラド」が2台のハープの演奏によって開始されます    このテーマを聴くと、これからスメタナの「わが祖国」への旅が始まるのだな、と思います  第2曲の「ヴルタヴァ」では、流麗な音楽が続きますが、終盤になると急にテンポが上がり大音響の演奏に変貌します。これにはちょっとビックリしました     ホルン・セクションが凄い迫力です    個人的に最も面白く聴いたのは第3曲「シャールカ」です 「シャールカは勇士に助けられるが、男嫌いのシャールカは兵士たちにお酒を飲ませて油断させ、角笛の合図で女戦士たちに男どもを襲わせる」というシーンですが、シャールカを表すクラリネットの演奏が素晴らしかったのと、お酒を飲んで寝込んでしまった兵士たちの”いびき”をファゴットが描写していて、思わず笑ってしまいました この第3曲「シャールカ」は物語性があるので分かりやすく、親近感が持てます プレトニョフは極めて速いテンポで音楽を進めていましたが、指揮する姿は楽しそうでした

3曲が終わったところで15分休憩に入りました

第4曲「ボヘミアの森と草原より」では8本のホルンが深い森を表していました また、弦楽器によるフーガ風の音楽は聴きごたえがありました 第5曲でもホルンを中心に金管楽器が大活躍しました 第6曲のフィナーレは金管、木管、打楽器、弦楽器の総力を挙げての渾身の演奏でボヘミアの戦士たちの栄光を歌い上げました

満場の拍手に、プレトニョフ ✕ 東京フィル(弦楽器群)はバッハ「G線上のアリア」を厳かに演奏し聴衆のクールダウンを図りました クラシックコンサートでアンコールに「G線上のアリア」やバーバー「アダージョ」を演奏する場合は、誰かを追悼する意味があります 言うまでもなく、今の時点でロシアの指揮者プレトニョフがこの曲を選んだのはロシアのウクライナへの侵攻で犠牲になった人たちへの追悼の意味が込められていることは間違いないでしょう 想いを乗せたモルダウが小川(Bach)に流れ込み、さらに海を通じてウクライナを縦断するドニエプル川まで流れ込んでほしいという願いが込められているかのようでした

さて、下の写真は1か月以上前に配られた、上のチラシの下の部分を拡大したものです

 

     

 

そして、下の写真はコンサート当日配布されたプログラム冊子の下の部分を拡大したものです

 

     

 

どこが違いますか? そうです。プログラム冊子では「後援:ロシア連邦文化省、在日ロシア連邦大使館、ロシア文化フェスティバル組織委員会」が消えて、代わりに「助成」が加わっています この変更の理由は想像がつきます。裏でいろいろとやり取りがあったのでしょうね いまロシア出身者がらみのコンサートを開くのは困難なようです

コメント (4)
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