人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

新国立オペラ:西村朗「紫苑物語」を観る ~ 巨大な鏡を使った大胆な舞台演出、充実した歌手陣の歌唱にブラボー! ~ 新国立劇場創作委嘱オペラ作品の世界初演

2019年02月18日 07時21分09秒 | 日記

18日(月)。わが家に来てから今日で1599日目を迎え、賃金の動向を示す「毎月勤労統計」の調査手法について、2015年11月の経済財政諮問会議で黒田日銀総裁や高市早苗総務相、麻生太郎財務相、甘利経済再生相など閣僚らが変更を促していたことが分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     賃金指数は日銀総裁や政治家の意見次第でどうにでもなるフェイクデータじゃね?

 

         

 

昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」で西村朗「紫苑物語」(全2幕)を観ました これは新国立劇場創作委嘱作品で世界初演です 出演は 宗頼=髙田智宏、平太=大沼徹、うつろ姫=清水華澄、千草=臼木あい、藤内=村上敏明、弓麻呂=河野克典、宗頼の父=小山陽二郎。演出=笈田ヨシ、美術=トム・シェンク、管弦楽=東京都交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団、指揮=大野和士です

 

     

 

石川淳原作による「紫苑物語」のあらすじは以下の通りです

勅撰歌集の選者の家に生まれた国の守・宗頼は、歌の道を捨て弓の道に傾倒する 宗頼は父により、権勢の家の娘・うつろ姫と結婚させられるが、情欲で権勢欲が強い妻のことは忌み嫌う。国の目代である藤内は、うつろ姫を利用して国を支配する野望を燃やす。ある日、宗頼の前に千草という女が現われ、宗頼を虜にさせる 実は千草は宗頼が射た狐の化身だった。宗頼は「知の矢」「殺の矢」の弓術を習得し、千草の力によりさらに「魔の矢」を編み出す 宗頼は人を殺すたびに、紫苑(しおん・忘れな草)を植えさせる。国のはずれにある山で、宗頼は仏師の平太と出会う。宗頼は平太が崖に彫った仏の頭に3本の矢を射る。それと同時に世界は崩壊し、宗頼も千草も闇に落ちていく 山の麓のうつろ姫と藤内らの館も矢の飛び火で焼け落ちる

 

     

 

新国立劇場創作委嘱による日本人作曲家の作品の世界初演ということもあってか、会場はほぼ満席状態です

オーケストラ・ピットに指揮者・大野和士が入り、前奏曲の演奏に入ります このオペラの妖艶で哀しい物語を凝縮したような美しい弦楽合奏が会場を満たします

このオペラは日本語で歌われますが、同じ日本語でも貴族の時代から武士の時代に移り変わる頃の古い物語であること、日本から世界に向けて発信するオペラであることから、ステージの左右の壁には日本語と英語の字幕スーパーが表示されます

第1幕第1場「婚礼の儀」に入ると、女官や家来たちの合唱に続いて酒に酔いしれたような うつろ姫が登場、何やら大きな声を張り上げ自由奔放なカデンツァを歌います 清水華澄のパフォーマンスが凄い   豪快さをもったうつろ姫に成り切り ほとんど狂気のアリアを歌い上げます この人、いつから性格俳優、じゃなくて、性格歌手になったのでしょう。存在感抜群です

この後、宗頼を演じる髙田智弘が登場しますが、歌も演技も主人公の宗頼に相応しく、全2幕を通じてほぼ出ずっぱりの重責を見事に果たしました

藤内を演じた村上敏明は、男としては軟弱ながら、宗頼に代わって国の長を窺う狡猾な男を 身軽な動きで演じ 歌いました

千草を演じた臼木あいは、弓で射られた小狐の恨みを晴らそうと妖術を使い宗頼に接近するものの、逆に彼の虜になってしまう可憐な娘を演じ、妖艶な歌唱力を発揮しました

 

     

 

舞台・演出で目立ったのは、大きな鏡を舞台の上手、下手、天井に配置し、時に応じて舞台に出現させていることです   これに関し 笈田ヨシ氏は『演出家ノート』の中で、「自己を見つめる時、そこから離れて見ることがある。石川淳の作品にも2つの目があることから、舞台では実際に起こっていることと、それを客観的に見るという関係性を絶やさないように、鏡を用いることにした 舞台の様子がそこに映し出され、主観的なヴィジョンと客観的なヴィジョンが行き来する」と語っています

上手と下手からせり出してくる巨大な鏡には、登場人物たちの背中とともに 指揮者・大野和士氏と聴衆が写り込みます 笈田氏は、宗頼は実は平太である(平太は宗頼の鏡像)という関係性を鏡に映し出すとともに、舞台上で演じられているオペラと、それを観ている観衆という関係性を鏡を通して明らかにしようとしているのではないか、と思いました

もう一つ気が付いたのは「黒子」の存在です 普通のオペラ公演では舞台転換はコンピュータ制御による機械で動かしますが、この公演では黒装束で顔も黒い布で隠した「黒子」が何人も出てきて手動で舞台を動かし、宗頼の射た弓を陰で操ります 一方、第1幕第5場の終盤、妖気が漂う不穏な雰囲気のなか 強風と雷鳴が藤内を襲うシーンでは、黒子がハンディカメラを持って「カメラを止めるな」とばかりに藤内を追いかけ回し、恐れおののく顔の表情を激写し、その映像を天井の巨大な鏡に映し出して、まるで映画を観ているような感覚を生じさせます 伝統と革新をミックスしたような これら「黒子」の活用は、明らかに歌舞伎や人形浄瑠璃など日本の伝統芸能の様式を取り入れたもので、「日本から世界に発信するオペラ」を強く意識した演出です

作品自体について言うと、全体的にはシリアスな物語にも関わらず、どこかユーモアを感じさせるところがあり、これは何だろう?と思いました 休憩時間にプログラム冊子を読んでいたら、桐朋学園大学教授の沼野雄司氏が『一元的な多元性 作曲家・西村朗の世界』という論考を寄せていて、その中に西村朗氏の音楽に関して「ブッファ的あるいはディヴェルティメント的な表現の模索」という記述がありました この文章に接し、「ああ、これだな」と思いました。このオペラの登場人物はみな真面目なキャラクターです。ただ一人うつろ姫を除いては 「醜男は嫌いなのよ」とのたまう うつろ姫こそ、このオペラのブッファ的な側面を体現した人物なのです 私は、彼女の存在がこの作品に深みを与えていると思います

カーテンコールには、歌手陣、合唱団に加え、指揮の大野和士氏、演出の笈田ヨシ氏、台本の佐々木幹郎氏、美術のトム・シェンク氏、衣装のリチャード・ハドソン氏ら関係者、そして最後に作曲者・西村朗氏が登場し、会場いっぱいの拍手とブラボーを浴びていました

かくして日本人による創作オペラ「紫苑物語」は世界に向けて発信されました

 

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする