30日(月).昨日午後,初台の新国立劇場(オペラパレス)でモーツアルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)」を観ました.今回が新演出ということで期待して出かけました.
大震災の影響で指揮者と3人の歌手が来日できなくなり,代演での公演になりました.指揮はスペイン生まれのマルティネス,フィオルディリージ(ソプラノ)=ボルシ,ドラベッラ(メゾソプラノ)=ピーニ,フェルランド(テノール)=ウォーレン,グリエルモ(バリトン)=エレート,アルフォンソ(バリトン)=トレーケル,デスピーナ(ソプラノ)=オールという布陣.演出はイタリア生まれのミキエレット.
モーツアルトのダ・ポンテの台本に基づく「ダ・ポンテ3部作」は第1作が「フィガロの結婚」,第2作が「ドン・ジョバンニ」,そして最後が「コジ・ファン・トゥッテ」です.物語は「哲学者ドン・アルフォンソは”貞淑な女性などいない

”とうそぶいて若者2人と賭けをする.男2人に異国の男に変装させて,それぞれ別の恋人(姉妹)に言い寄って口説き落とすことができるか,できないか.結局,女性2人は口説き落とされてしまう.そしてアルフォンソは”女はみんなこうしたもの”と歌いあげる」
さて,今回の見ものは演出です.舞台設定は現代のキャンプ場です.3つの場面の「回り舞台」を展開させてテンポよく進行していきます.1つは「キャンピング・アルフォンソ」というキャンプ場管理小屋,1つはキャンピング・カーのある広場,1つは水を張った池のある庭の3つです.
個人的にはオペラで時代設定を現代に置き換えたりすることには感心しないのですが,今回の演出は納得することができました.舞台の時代・場所などの条件設定を中途半端に抽象化するよりも,今回のように思い切って現代にし,しかも若者が集まりそうなキャンプ場に設定することによって,モーツアルト特有のテンポ感がよく出ていたのではないか,と思います.6人のソリストたちは歌はもちろん素晴らしく,演技力もなかなかなものでした.男たちが,庭の池でズボンを脱ぎ始めた時など,私の後ろの座席の紳士が”困ったものだねぇ

”と奥様に語りかけていたのが印象的でした.
女性からは「女はみんなこうしたもの」と言うけれど「男はみんなこうしたもの,ではないか」という言い分があるでしょうし,「人間はみんなこうしたものだ」という主張もあるでしょう.モーツアルトにとってはどれも同じことなのでしょう.「いろいろあったけど,最後はみんな許しましょう」と,悪人は一人もいないのです.
ベートーベンは音楽評論家にあてた手紙に「私は”ドン・ジョバンニ”や”コジ・ファン・トゥッテ」のようなオペラは作曲できないでしょう.こうしたものに嫌悪感を覚えるからです

私にはこのような題材を選ぶことはありえません.私には軽薄すぎます」と批判しています.”ドン・ジョバンニ”はあらゆる女性に対するドン・ジョバンニの征服欲が描かれ,”コジ・ファン・トゥッテ”は女性の愛情の誠実さと堅さを試すという物語です.ワーグナーも,モーツアルトのこのオペラを批判しているらしいのですが,人妻を横取りした人に彼のオペラを批判する権利があるのか,非常に疑問です
終演後の鳴り止まない拍手は,今回,原発問題を抱える日本に代演で来て歌って

くれた歌手陣へのお礼と,演出面でモーツアルトのオペラに新たな光を当ててくれた演出家への賛辞が含まれていたように思います.