人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

佐渡裕 ✕ 新日本フィル「第九」公演のチケットを取る / 友田とん著「『百年の孤独』を代わりに読む」を読む ~ まだ読んでいない人にお薦めします

2024年08月25日 00時01分35秒 | 日記

25日(日)。わが家に来てから今日で3512日目を迎え、11月の米大統領選に立候補していたロバート・ケネディ・ジュニア氏は23日、選挙戦から事実上撤退し 共和党候補のトランプ前大統領を支持すると表明したが、同氏は当初、民主党の大統領候補指名争いに出馬し 断念して無所属で立候補した経緯がある  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     名門ケネディ一族の出身者にしては 優柔不断で信念がないように見えるが大丈夫か

         

12月14日(土)14時からサントリーホールで開かれる新日本フィル「『第九』特別演奏会」のチケットを定期会員先行販売で取りました 演奏はソプラノ独唱=高野百合絵、メゾ・ソプラノ独唱=谷口睦美、テノール独唱=笛田博昭、バリトン独唱=平野和、合唱=栗友会合唱団、指揮=佐渡裕です

     

         

友田とん著「『百年の孤独』を代わりに読む」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を読み終わりました    友田とんは1978年京都府生まれ。作家、編集者。大学で経済学、大学院で数学(位相幾何学)を研究し2007年に博士(理学)を取得。企業でコンピュータサイエンスの研究者・技術者として勤務する傍ら、「『百年の孤独』を代わりに読む」を自主制作し発表。その後、「代わりに読む人」を立ち上げ、独立

     

著者は「まえがき」に次のように書いています

「本書はガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』を、まだ読んでいない友人たちの代わりに読む、という試みを綴ったものである しかし、『代わりに読む』と言っても、単に小説をあらすじの形に要約したり、作品の背景を解説したりしたわけではない。それでは、代わりに読んだことにはならない なぜなら、小説を読み進めている時間に読む者の心のなかに立ち上がる驚きやワクワクというものは、要約や解説では伝えられず、そのまま時間が過ぎれば消え去ってしまうものだからだ なんとかしてその消えてしまうはずの驚きやワクワクを生のまま伝えたかった

この著者は鋭いと思ったのは、「(「百年の孤独」が)読者をからかう冗談話として書かれていると気がついた。読む側もある種の冗談的な方法で受けて立てばいいのではないかと思いついた」ところです

この思いつきに基づいて、著者は「百年の孤独」を読み進める中で、連想したドラマや映画、ドリフのコント、こんまりの片づけ術などの話に脱線し、再び「百年の孤独」の世界に戻る手法を採ります

著者はそのような手法により、次のような章立てで「百年の孤独」を読み進めていきます

第0章:明日から「『百年の孤独』を代わりに読む」をはじめます

第1章:引越し小説としての『百年の孤独』

第2章:彼らが村を出る理由

第3章:来る者拒まず、去る者ちょっと追う『百年の孤独』のひとびと

第4章:リズムに乗れるか、代わりになれないか

第5章:空中浮揚に気をつけろ

第6章:乱暴者、粗忽者ども、偏愛せよ

第7章:いつもリンパ腺は腫れている ~ 大人のための童話

第8章:パパはアウレリャノ・ブエンディア大佐

第9章:マコンドいちの無責任男

第10章:NYのガイドブックで京都を旅したことがあるか?

第11章:ふりだし

第12章:レメデイォスの昇天で使ったシーツは返してください

第13章:物語を変えることはできない

第14章:メメに何が起こったか

第15章:ビンゴ

第16章:どうして僕らはコピーしたいのか?

第17章:如何にして岡八郎は空手を通信教育で学んだのか?

第18章:スーパー記憶術

第19章:思い出すことでしか成し得ないものごとについて

第20章:代わりに読む人

上記の中で「それには気がつかなかった」という指摘があり、「この人、よく読み込んでいるなぁ」と感心しました。それは第3章の中の次の文章です

「『百年の孤独』ではだれも食事をしていない。もちろん彼らも食べ物を口にしているに違いない。しかし、家族が集まって食事をするといった場面はひとつもないのである

確かに、600ページに及ぶ5代の家族の物語なのに食事のシーンは一つもありません これが向田邦子のテレビドラマの脚本だったら毎回食事シーンが登場するところです 一方、

「レベーカが好んで食べるのは、中庭の湿った土と、壁から爪ではがした薄っぺらな石灰だけ

という記述がありますが、これは食事とは言えないでしょう ガルシア=マルケスは食事のシーンを書くことについてはあまり興味がないように見えます

本書は、著者が「まえがき」に書いているように、「『百年の孤独』を、まだ読んでいない友人たちの代わりに読む、という試み」という観点からすれば、これから読む人にとっては手引書・入門書的な存在になると思います その反面、私のように先に『百年の孤独』を読んでから本書を読む者にとっては、連続ドラマやドリフのコントなどへの”脱線”は邪魔になります とはいうものの、600ページを超える大作を順序だてて要約しながら書き進めているので、「そういう出来事もあったな」とか「あれは、そういう意味だったのか」とか、あらためて気づかされる箇所も少なくありませんでした その意味では、複雑な人間関係や出来事を整理して理解するうえで大いに参考になりました

著者は「結局のところ、現時点で代わりに読めていないのだと私は思い知る」と書いているように、本書のタイトルが文字通りにはいかないことを認めていますが、「あとがき」に次のように書いています

「小説を人の代わりに読むことはできないというのは希望である

分かりにくい言葉ですが、著者はその根拠として次のように書いています

「もし小説を読むという営みが、まさに余人をもって代え難いものだのだとしたら、それは本人が本人の力で読むしかない、各人が各人で読むしかないのである そして、だからこそ、どれだけ過去の人がすでに読んだ後であったとしても、私には読む必要があり、読み時間が必要であると社会に向かって主張することができるのである つまり、あなたの代わりに誰かがもう読んでしまったから、あなたは読む『必要がない、読まなくていい』というようなことは他人にはいうことができないということだ。これが希望でなくて何だろうと私は思う

一昨日(23日)のブログでご紹介した通り、ガルシア=マルケスの長編小説『百年の孤独』は全625ページの超大作で、5代100年にわたる長大な物語であり、最後まで読み切るまでは一筋縄ではいきません その意味では、本書(全350ページ)は『百年の孤独』のガイドブックとして役に立つと思います 特にこれから『百年の孤独』を読む読者にお薦めします

     

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「勝ち負け超え  広島で音楽する意味 ~ 異例の国際指揮者コンクール 」~ 朝日新聞・吉田純子編集委員の記事から / 向田邦子の死去から43年 ~ 日経のコラム「春秋」から

2024年08月24日 01時58分03秒 | 日記

24日(土)。昨日の日経朝刊第1面のコラム「春秋」は次のような書き出しで始まっています

「向田邦子さんが新進の放送作家だったころの話である 急な仕事が入って恋人との約束を果たせぬことになり、電報を打った。ただ要件のみ『コンヤユケヌ ク』。切ない7文字だ

最後の「ク」は邦子の頭文字です。「春秋」の本文の趣旨は長い歴史を持つNTTの「電報」に終わりが近づいているというものです ケータイやスマホの普及により固定電話が減少するなか、電報が廃止されるのは時代の趨勢というものでしょう 電報というと、仕事では「弔電」を、私的には「祝電」を思い浮かべます「春秋」は次のように締めくくっています

「(電文は)小説や映画のなかにだけ息づいている 往時、さまざまな『コンヤユケヌ』が飛び交っていたに違いない。そんな時代を生きた向田邦子さんも、旅立って43年になる

これを読んで初めて、なぜ今 「春秋」の筆者が向田邦子を引用したのかを理解しました 前日の8月22日は彼女の命日だったのです   私は向田邦子の文章が好きで、彼女の小説、エッセイ、脚本などをすべて読んでいます とくにエッセイにおける男性的な切れ味鋭い文章は唯一無二のもので、絶対に真似できません 向田邦子(1929.11.28~1981.8.22)が台湾の航空機墜落事故で死去してから43年も経ったのか、と月日の流れの速さを感じます

ということで、わが家に来てから今日で3511日目を迎え、ウクライナ最高会議は21日、国際刑事裁判所(ICC)の加盟に必要な条約である「ローマ規定」を批准する法案を賛成多数で可決したが、欧州連合への加盟に繋げるほか、ロシアによる戦争犯罪の追及に向けた姿勢を明確にする  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     これでEC加盟に近づいたわけだが 犯罪国家ロシアがICCに加盟しないと意味ないな

         

昨日、夕食に「鶏の山賊焼き・生野菜添え」と「トマトと卵のスープ」を作りました 山賊焼きは今回、豚肉でなく鶏肉を使いましたが、娘は鶏の方が良いというので次回から鶏にします

     

         

22日付の朝日新聞夕刊に「勝ち負け超え  広島で音楽する意味 ~ 異色の国際指揮者コンクール」という見出しのもと、同社編集委員・吉田純子さんが記事を書いています 記事を超略すると次の通りです

「広島市で今月開かれた第2回ひろしま国際指揮者コンクール(ひろしま国際平和文化祭実行委員会、中国新聞社主催)は、勝ち負けも国境も超え、出場者同士の友情を育み、音楽家として生きることに対する深い思考をそれぞれに促す無二の機会となった 本選に残れなかった出場者たちも、表彰式後の打ち上げに加わり、皆で意見交換を続け、前回の優勝者・大井駿の姿もあった。指揮者の下野竜也がプロデューサーとなり、指揮者の沼尻竜典、ヴァイオリニストの荒井英治、作曲家の細川俊夫、音楽評論家の片山杜秀ら、さまざまな分野の第一人者が審査にあたり、予定時間を超えて議論を尽くした 審査委員長を務めた広島交響楽団音楽監督のクリスティアン・アルミンクは『出場者たちがこんなにリラックスし、互いに打ち解けているコンクールは世界的にも珍しい』と語る その理由は2つある。コンクールが始まる前に下野によるマスタークラスが開かれ、全員がベートーヴェンの『エグモント』序曲を素材にディスカッションをしたこと それに加え、出場者全員が8月6日の平和記念式典に参加し、原爆資料館を訪れ、被爆者の話に耳を傾けたこと それらはすべてコンクール参加の必須条件だった。同コンクールは一昨年に創設され、2年に1回開かれる。今年は映像による96人の予備審査を経て、世界各地から12人が出場した。2回の予選を経て台湾人、韓国人、中国人の3人が本選に進み、細川俊夫「《昇華》チェロとオーケストラのための」とラヴェル「ダフニスとクロエ」第2組曲を指揮した 2017年から今年3月まで広響の音楽総監督を務めた下野は、この地でオーケストラを率いることの意味を模索し葛藤を重ねてきたが、『指揮者は、自ら音を出さないからこそ、生き方そのものが問われる存在 オーケストラだけじゃなく、一般の社会で人々の心も束ねていくんだという意識を持ってもらえたらと思う この広島の地で感じたことことを、自分の国に戻ってから、それぞれに人々をつなぐ力に変えてほしい』と語る

この記事を読むと、被爆地・広島である特色を生かした異色のコンクールであることが良く理解できます  残念だったのは、今年は日本人が、また女性が本選に残らなかったことです

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G・ガルシア=マルケス著「百年の孤独」を読む ~ 南米のへき地でマコンドという村を切り開いた一族の繁栄と没落の百年を描いた年代記:「孤独」は15回登場!

2024年08月23日 00時02分16秒 | 日記

23日(金)。わが家に来てから今日で3510日目を迎え、北朝鮮の新義州一帯に大規模な水害が発生した中、北朝鮮の金正恩国務委員長が所有する豪華ヨットが運行されている状況が衛星写真に補足された  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     北朝鮮は 大富豪の金正恩一族と 大多数の大貧民の国民から成り立ってる 異常な国

         

昨日、夕食に「鮭のムニエル」「マグロの山掛け」「冷奴」「豚汁」を作りました ムニエルは野菜サラダを乗せてワンプレートにしました

     

         

ガブリエル・ガルシア=マルケス著「百年の孤独」(新潮文庫)を遂に読み終わりました ガブリエル・ガルシア・マルケスは1927年南米コロンビアのアラカタカ生まれ。ボゴタ大学法学部を中退し、新聞記者となり欧州各地を転々とした後、1955年に処女作「落葉」を発表。1967年刊行の「百年の孤独」は世界的ベストセラーとなり46言語に翻訳され合計5000万部を達成した 「族長の秋」「予告された殺人の記録」「迷宮の将軍」など次々と歴史的傑作を刊行し、82年にはノーベル文学賞を受賞した 2014年死去

     

「百年の孤独」は南米大陸、カリブ海沿岸地方のへき地でマコンドという村を切り開いた一族の繁栄と没落の百年を描いた年代記です 孤立したマコンド(架空の村)は100年にわたり次々と不可思議な出来事に見舞われる ある時期は4年11か月2日の長雨と、10年の干ばつが立て続けに起こる 一族の人々も数奇な運命に翻弄される 物語の主要人物であるホセ・アルカディオ・ブエンディア大佐は革命家として32回の反乱を繰り返すうちに、何のために戦っているのか分からなくなり、一人で部屋に閉じこもり金細工に明け暮れる レメディオスという少女はシーツと共に浮遊して昇天してしまう・・・このような”現実と超現実が居心地よく同居している現象”を作家・筒井康隆は巻末の「解説」の中で「マジック・リアリズム」と呼んでいます ガルシア・マルケスは事情により両親の顔も知らずに祖父母のもとで養われたといいますが、「百年の孤独」に書かれた物語はその祖父母から聞いた過去の事実をほぼ忠実に書いたと語っています しかし、マルケスは「百年の孤独」の結末で、この物語がすでに百年の昔、ジプシーの長老メルキアデスによってサンスクリット語で羊皮紙に記されていたことを明かします つまり、ブエンディア家の人々の運命は100年前に予言されていた、ということです

今年がガルシア・マルケスの没後10年ということで、新潮社から文庫化されたとたん本書は飛ぶように売れているといいます 本文だけで625ページの超大書です 私は読むスピードが遅いので読了まで正味24時間以上かかりました

冒頭部分にブエンディア家の家系図が掲げられているので、人名が出てくるとそれを見て確認して読み進めましたが、何しろ5世代続く物語で、生まれてくる子供に同じような名前が付けられるので、頭がこんがらがってきます

読み始めてすぐに、「これは一筋縄ではいかない難解な書だ 果たして途中で放り投げることなく最後まで読み切ることが出来るだろうか?」と自問しました そこで思い出したのは、高校の時の校内マラソン大会(西武園一周)を前にした体育の教師の言葉です 「ただ走るのは苦しく辛いものだ。例えば、赤色の石を見つけて数えながら走ると、苦しさを忘れる それは赤色の石でなくても何でもよい」という言葉です これをヒントに、私は本書の中で「孤独」という言葉がどこで合計何回使われているかを確認しながら読み進めていくことにしました 世の中、こんな読み方をする暇人はいないでしょう

その結果は次の通りでした(ページは「新潮文庫」のページ)

①48ページ1行目「この孤独の奈落の底にどうして落ちることになったのかといぶかりながら、しばらくじっと立っていると~」

②55ページ12行目「孤独にあこがれ、世間に対する激しい憎悪の念に燃えるホセ・アルカディオは~」

③102ページ12行目「もともと孤独な性格で、本心はひとに明かさなかった」

④142ページ12行目「孤独を分かち合う相手として、また、そのつもりはないのに途方もない祈りが~」

⑤195ページ5行目「これまでになく孤独な感じがすることにウルスラは気づいた」

⑥261ページ9行目「絶大な権力に伴う孤独のなかで、彼は進むべき道を見失いはじめていた」

⑦262ページ8行目「予感にも見放された孤独な彼は、死ぬまでつきまとわれそうな悪寒から逃れるために~」

⑧266ページ8行目「自分をかこむ孤独の殻を破ろうとして、何時間もそれに爪を立てていた」

⑨382ページ1行目「老年のかたくなな孤独のなかでかえって、屋敷のなかのどんな出来事も見逃さないほど頭が冴えていたので~」

⑩398ページ9行目「メメにはまだ一族にとって宿命的な孤独はきざしていなかった」

⑪409ページ9行目「大佐はふたたびおのれの惨めな孤独と顔をつき合わせることになった」

⑫440ページ2行目「メメは手の重みを膝に感じ、その瞬間にふたりが孤独の彼岸へと達したことを知った」

⑬440ページ6行目「彼女は男に夢中になった。睡眠や食事を忘れ、孤独に深々と身をうずめて、父親さえじゃまだと思うようになった」

⑭508ページ16行目「曾祖父と同じように人を寄せ付けぬ、孤独の闇の世界に生きることを知った」

⑮550ページ2行目「孤独な生活のなかで人間味を帯びていったが、しかしある朝~」

上記の通り「百年の孤独」の中で「孤独」という言葉が使われているのは15箇所でした 孤独な作業でしたが、1度読んだだけなので 見逃している箇所があるかもしれません しかし、確認のために もう一度読む気力はありません、悪しからず

「孤独」が使われている文章を読むと、様々な登場人物が「孤独」と向き合っていることが分かります この「孤独」とは「愛の欠如」とも言えるし、現代社会にも通じる「虚しさ」とも言えるし、「他人には理解できない自分だけの世界」とも言えるのではないか、と思います

文庫本の帯に「現在、NETFLIXが映像化を準備中」と書かれていました これは楽しみです この奇想天外な物語をどのように映像化するのか、とても興味があります

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「読響サマーフェスティバル 三大協奏曲」を聴く ~ 大井剛史(指揮) ✕ 中野りな(Vn) ✕ 佐藤桂菜(Vc) ✕ 進藤実優(P)

2024年08月22日 00時04分56秒 | 日記

22日(木)。わが家に来てから今日で3509日目を迎え、南北の軍事境界線を越えて脱北した北朝鮮軍の兵士が、韓国軍の宣伝放送を聞いて脱北を決意していたと韓国メディアが報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     韓国軍はK-POPやニュースを流しているらしい  豊かさへの渇望は押さえられない

         

昨日、夕食に「茄子のかば焼き」「プルコギ」「生野菜とアボカドのサラダ」「山芋の味噌汁」を作りました 「茄子の~」は新聞の料理メモを参考に作りましたが、美味しく出来ました

     

         

昨日も朝から腰痛が厳しく、動くのがしんどかったのですが、木曜以降はしばらくコンサートがないので覚悟を決め、東京芸術劇場コンサートホールで「読響サマーフェスティバル 三大協奏曲」を聴きました プログラムと演奏は①メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」(Vn:中野りな)、②ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」(Vc:佐藤桂菜)、③チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」 (P:進藤実優)です 指揮は大井剛史です

     

自席は1階L列13番、センターブロック左通路側です 会場は1階席を中心にかなり埋まっています

オケは12型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつもの読響の並び。コンマスは長原幸太です

1曲目はメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)が1844年に作曲、1845年にツィプツィヒで初演されました 第1楽章「アレグロ・モルト・アパッショナート」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「アレグレット・ノン・トロッポ ~ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります

ヴァイオリン独奏の中野りなは、2004年東京都生まれの20歳。2021年日本音楽コンクール優勝、22年仙台国際音楽コンクールで史上最年少の17歳で優勝 23年4月から桐朋学園大学「ソリスト・ディプロマ・コース」に全額特待生として在学、ウィーン市立芸術大学でも研鑽を積む

大井の指揮で第1楽章に入ります すぐに中野の独奏ヴァイオリンが入ってきますが、音色がとても美しく良く鳴ります ストラディヴァリウスは自分の思うような音が出るまで”飼い慣らす”のが並大抵ではない、とどこかで読んだ記憶がありますが、その点、中野は1716年製のストラドをすっかり自分の分身のようにして自由自在に弾きこなします カデンツァは流麗で見事でした 第2楽章では独奏ヴァイオリンの弱音の美しさが際立ちました 第3楽章では愉悦感に満ちた演奏が展開、大井 ✕ 読響の万全のサポートのもと華麗なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーの嵐がソリストに押し寄せ、カーテンコールが繰り返されました 中野りなは若手ヴァイオリニストの中でも突出したアーティストではないかと思います 将来が楽しみです

2曲目はドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」です この曲はアントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が1894年から95年にかけて作曲、1896年にロンドンで初演されました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・モデラート ~ アンダンテ ~ アレグロ・ヴィーヴォ」の3楽章から成ります

チェロ独奏の佐藤桂菜(けいな)は2000年生まれの24歳。中学卒業後に渡米しアメリカで研鑽を積む。ジュリアード音楽院卒業後、23年からロサンゼルスのコルバーン音楽院で奨学生として学ぶ。20年に英キングス・ピーク音楽オンラインコンクール優勝

オケは14型に拡大し管楽器が増員されます

大井の指揮で第1楽章に入ります 佐藤は感情表現豊かに郷愁を誘う演奏を展開します ホルンの松坂隼の演奏が素晴らしい 第2楽章では佐藤のチェロが叙情的な演奏を繰り広げ、クラリネットの金子平、フルートのフリスト・ドブリノヴ、オーボエの荒木奏美の演奏が華を添えます 第3楽章では独奏チェロが民俗色豊かな演奏を展開しますが、大井は佐藤のチェロが歌うべきところはテンポを落としソリストを引き立てます そして、独奏チェロとオケとが一体となって雄大なフィナーレを飾りました

満場の拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコールが繰り返されました スケールの大きな演奏でした

     

プログラム後半はチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23」です この曲はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1874年から75年にかけて作曲、1875年にボストンで初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ・エ・マエストーソ ~ アレグロ・コン・スピーリト」」、第2楽章「アンダンテ・シンプリーチェ ~ プレスティッシモ ~ テンポ」、第3楽章「アレグロ・コン・フォッコ」の3楽章から成ります

ピアノ独奏の進藤実優は2002年愛知県大府市生まれの22歳。モスクワ音楽院付属中央音楽学校卒業後、ドイツのハノーファー音楽演劇メディア大学で研鑽を積む。ショパン国際コンクール、ジュネーヴ国際音楽コンクールのセミファイナリスト

大井の指揮で第1楽章に入り、すぐに進藤のピアノが力強く入ってきます しばらく聴いていて、これまで聴いてきた他のピアニストの演奏スタイルと違うと感じました モスクワ音楽院で学んだということと関係あるのかどうかわかりませんが、独特の弾き方・間の取り方をしているように思いました 第2楽章では流麗な演奏が続きます フルート、オーボエが冴えています 第3楽章では冒頭から独奏ピアノのエネルギッシュで躍動感あふれる演奏が展開します 独奏ピアノとオケが一体となって展開したフィナーレは圧巻でした

会場いっぱいの拍手とブラボーが飛び交い、カーテンコルが繰り返されました 何度目かに中野りな、佐藤桂菜も加わり、3人のソリストが揃ってカーテンコールに応えました

この日のソリストは20代前半の若手女性でしたが、3人とも将来が楽しみなアーティストです これからも応援したいと思います

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浅倉秋成著「俺ではない炎上」を読む ~ ネット上で凶悪な殺人犯に仕立て上げられた大手不動産会社営業部長の顛末:果たして真犯人は誰で何が目的なのか?

2024年08月21日 01時49分23秒 | 日記

21日(水)。相変わらず、ベッドから起き上がる時、腰に激痛が走ります その痛さは半端ではありません 朝起きる時はもちろん、今は朝から晩までベッドで寝ながら本を読んでいるので、食事やトイレで起きるたびに激痛が走ることになります 整骨院の院長の話では「最初の3日間がヤマで、少しずつ痛みが和らいでくるはず」ということですが、さてどうなることやら 昨日は背中に8本のテープを貼ってもらいました 現在は 寝ている時も起きている時も、腰痛ベルトとTシャツの間に大きめの保冷剤を挟んで患部を冷やしていますが、当分続きそうです

ということで、わが家に来てから今日で3508日目を迎え、米大統領選の共和党候補、トランプ前大統領は19日、米実業家で電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者について、再選すれば閣僚か補佐官で起用する可能性を示唆した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

     

     "ディール"のトランプのことだ  いくら献金するかでマスクの処遇を考えるんだろ

         

昨日、夕食に「鯖の味噌煮」「鮪の山掛け」「生野菜と豆のサラダ」「冷奴」「舞茸の味噌汁」を作りました 娘が外食だったので一人分作りました ヘルシーを絵にかいたようなメニューですが、美味しかったです

     

         

浅倉秋成著「俺ではない炎上」(双葉文庫)を読み終わりました 浅倉秋成は1989年生まれ。2012年「ノワール・レヴナント」で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビュー 21年刊行の「6人の嘘つきな大学生」が第12回山田風太郎賞候補となり、2022年本屋大賞にノミネートされる

物語の主人公は大手不動産会社「大帝ハウス」の営業部長・山縣泰介で、50代半ばのハンサムな男性 彼はいきなりネット上で「血の海地獄」と題するツイートの投稿者として特定され、ネット界隈で大騒ぎになる このツイートには本物と思われる若い女性の血みどろの殺人現場写真が添付されていたからだ 当の泰介はインターネットの使い方すらろくに知らないのに、自分の名前と身分と写真がネットに晒され、凶悪な殺人犯として炎上しているのだった 泰介にとってはまったくの濡れ衣だが、ツイッターで犯行を自慢するアカウントは巧妙に出来ており、見れば見るほど泰介のものとしか思えないので、誰も無実を信じてくれない 会社に見放され、同僚に見放され、そして家族でさえも疑いの目を向ける 泰介は命を懸けて必死の逃亡を続ける 果たして真犯人は誰で動機は何か・・・意外な人物が浮かび上がる

     

本書は山縣泰介を含む4人の登場人物の視点から物語が展開します 泰介のほかは、泰介と何の関係もない大学生・住吉初羽馬、泰介の娘・夏美、殺人事件の捜査と泰介の追跡を行う県警の刑事・堀健比古の視点です この4人の視点が絡み合って緻密なプロットのもと物語が複層的に展開していき、次第に真相が明らかになっていきます

夏美の小学校の同級生”えばたん”が窮地にある彼女に同情し、彼女を救おうと、ネットで事件に関連するSNS上の書き込みをチェックするものの、うまく情報収集することが出来ないという場面があります 彼は「SNS上には同じ意見が飛び交っているわけではない。しかし、よく観察してみると、いろんな意見を言ってるようで、みんな同じことしか言ってない それは自分の言い分が正しいということだ」と語ります それは、被害者の山縣泰介についても同様で、会社の同僚からも 取引先からも 家族からも信頼され、すべてうまくいっていると思い込んでいたが、客観的にみると実は尊大な人間で、周囲の人たちから恨みを買っていたと気が付きます    ここにこの作品に込められた著者のメッセージが表れています

この作品は結末を知ってから読むと興味が半減してしまうので、ここで真犯人は明かさない方が良いと思います 是非、手に取って読んで”どんでん返し”を楽しむことをお薦めします

         

本日、toraブログのトータル閲覧数が900万 P V を、トータル訪問者数が294万 I P を超えました   これもひとえに、普段からご訪問くださっているフォロワーの皆さまのお陰と感謝しております    これからも1日も休まず根性で書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

【忘備録】2024年8月21日現在におけるtoraブログのアクセス数・ランキング

(ブログ開設から4936日目。投稿総数 5085本)

①トータル閲覧数    =9,000,875 P V

②トータル訪問者数 =2,940,829 I P

③gooブログ全体におけるランキング=3,188,828ブログ中 251位

④にほんブログ村「クラシックコンサート・演奏会感想」におけるランキング=57ブログ中 1位

⑤フォロワー=2057人(1952 + X分105人)

     

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