富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

英語のメンタリティ

2008年02月29日 | Weblog
佐藤さんのDJは、仕事の出がけに良く耳にします。
今日や昨日の話は、「英語のメンタリティ」についての
コメントがあって、ハンドル持ちながらも聞き入ってしまいました。

それこそ、メンタリティという言葉を訳すにもいくつかの
言葉が思いつくんですが、固くゆうと「精神性」とか
平べったくゆうてしまうと「気のもちよう」とも言えるのかも知れません。

これでも、結構外国人の知り合いがいて、
何度かやり取りして、佐藤さんの言う「メンタリティ」
とりわけ、アジア人的な発想との違いを実感してきました。

今、テレビではいくつかのニュースが連日取り上げられています。
アメリカの大統領選でのオバマかツルガか知らんけど
チラリーかヒラリーかわからんけどのやり取りを見てて
これほど、物事の責任を言い切ってええもんかと思う反面

私たちの自衛隊を巡る数々の発言は、人が亡くなっているというのに
誰もが出来るだけ責任を回避しようと、
どうともとれそうな、もっといえば
ナニをゆうてるのかはっきりしない言葉ばっかりで、
誰が見ても「ごまかし」の何ものでもありません。

また中国の警察の会見も、長い間かけて出た結論は
事件の捜査などしてもおらずに、
ことの真相を離れて、日本の警察の見解を覆す
理由探しをしてただけの責任のなすりあいに終始していました。
声は相変わらず怒鳴ってるように大きいけれど
私たちには責任はないというような言葉を繰り返し、
とても真相捜査の中立性などかけらも感じられない発言に聞こえた。


日本語のどうともとれる言葉遣いは、人に対する機微を
伝えて、英語のようにストレートに過ぎないいいところもありますが
例えば「謝罪会見」で「素直に謝りたいと思っております」てな
言葉にいたっては、思とらんと謝らんかい!っていいとうもなります。
そうした言葉に映される文化から、一方でアジア的な言葉には
「○○するな」「○○してはイケない」という否定的な
言葉が多いことと、それに縛られる傾向を、
こういったニュースから読み取ってしまいます。

したがって、自衛隊も、中国の警察にとっても
彼らが気にしているのは、実害を与えられた側になく
その組織に意識が向いているんだと気づく。ナニを守るかのかと言えば
それは、「組織」というようなモノに対する配慮でしかないのでしょう。

佐藤さんは、例として「失礼のないようにしなさい」という
日本語の英訳を取り上げていましたが、
こうした言葉を英訳する際に、我々の言葉の文化なら、間違いなく
「Don't」・・・何々をするなと「否定的」な言葉を思いつきます。
が、英語の世界では、「respect」という敬意を払うという単語から、
敬意を払えという言い方で「失礼」を回避する意味にとります。
「するな」ではなくて、「他のことをすることで」
結果として失礼を与えないという考え方にたちます。

誰かを激励するときは、「You can do it!」・・・君なら出来るであって
「無理するな」では決してありません
何かを人にあげるときに、私たちは「謙遜」の意を込めて
「つまらないものですが・・・」と差し上げます。
が、しかし英語では、「つまらないもの」を差し上げることは
非礼もはなはだしく、そんな言葉は存在しません。
「これはいいものよ、きっと気に入ってくれる」と付け加えるのです。

前にもどっかで、ゆうた通りパソコンは、英語の器械ですし
こうした文化を内在しています。
パソコンをかじってるぐらいで、「出来る」なんていえたもんやないと
考える人もおられるでしょう。
が、パソコンは、少しでもやったなら、「パソコンは使ったこと」があるわけです。
「こうしたらアカン」「そんなことしたらどないなっても知らんで」
などといった調子の否定的な言葉に惑わされずに
パソコンぐらいは、こうしたある意味前向きに
「とりあえずこうしてみよう」とか「こうして解決できそう」と
発想を変えてみると、「コワイ」とか「失敗する」などというような
「しないこと」を減らして、「すること」が増えて身につくのではないのかと思うのです。


にしても、誰が見ても誰のためにあるのかといいたいくらい
誰も信じることの出来ない言葉の数々の「防衛省」と中国の警察当局

そのことに全く「すべ」を持たないこの国の政治の
幼稚さが身にしみます。

物事の責任は、とらないようにするのではなく
責任をとると言い切る「英語」の響きが、たとえパフォーマンスやと
わかっていても、「うらやましく」思える今日この頃でござりまする。



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