富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

温度計のはなし

2012年02月15日 | 震災

そもそもいつまで、壊れた原発の跡を、「福島第一原発」などという「過去の名前」で呼び続け
その後始末を、一企業のしかも事故を引き起こした当事者である東京電力に丸投げして
とても人類の危機を背負っては見えないあの無表情で淡泊なしゃべりのスポークスマンの話に寄りかかっているんやろか・・・
東京電力が負う賠償責任は、どう考えても、
たとえこれまで、独占的な殿様商売でどんだけ暴利をむさぼってきたにしても
とっくに会社の規模を越えている・・・
事実あのオッサンの説明は終始、原発跡地の敷地内の話に
限られていて、たとえば敷地外の周辺に降り注いだはずの放射能への責任とその後の後始末など
全く関知していないような、「知らぬ顔」を決め込んでいる。
だからこそどこか、他人事に思えて、あの顔を見るたびに、聞くたびに嫌悪感すら感じる。
「あいつら」は、100年いやひょっとして千年単位をかけてようやく浄化の道にたどり着く、この恐るべき事故の
顛末など、見るよしもなく、どうせ息絶えるはずで、せいぜい自分の退職までの間の責任だけを果たすつもりでいる。
なぜなら、彼らはこれからの気の遠くなる壊れた原子炉の後始末を誰がどんな形でするのかをいまだに示せない。
示せないどころか、そのことは彼らの責任外の事にしているのだろう。

福島の「原発の跡」にあるものは、決して開くことがあってはならないパンドラの箱で
あの日、「想定外」という言い訳とともに、この世に「悪魔」を放ち、人類には実は手に負えない負の遺産をもたらした。
四の五の言わず、とっとと「東電」自体を国有化して、まずはこの地獄の釜の蓋をしなければならない。
さらには、これほどの危機に際してもなお、自らが主導できない政府とか原子力行政が当てにならないのなら
あの地を国際的機関の統治のもとにおいて、そのコストをこの国が負うところまで行き着くべきだ。
そうでもしないと、原子力事故の話を、政府であれ東電であれ聞いたところで、疑念はいつもぬぐえない。
これほどの危機を、世界のスケールで取り組まなければ、終息の兆しなど決して見えてこない気がするし
第三者機関のコメントや分析こそ、せめてもの気安めになり得るのだと思う。
国有化は、今まで国有化して企業が成功したことがないなどという
経営的な見地の話ではない。この国の犯した責任と未来の世代へ果たすべき今ある世代の宿命の方策である。

温度計の3つのうち、一つが異常値を示すので2つの方が正常で、結果一つの方が壊れているという
東京電力の見解をにわかに信じるわけにはいかない。今までならその論理にあえて、寄りかかりもしたが
そもそも「想定外のあり得ない津波」などと言い逃れてきた連中の「想定」の内側にある論理など
信用に値しないことを思い知るべきだ。むしろ都合のいい数値を表している2つが異常で
異常な数値を示す一つだけが、壊れた原子炉の実態を表しているのかもわからない。
・・・・その想定こそが、これほどの犠牲を払って得た教訓であり
実際は正常な状態で稼働する原子力発電所しか知りもしない東京電力というたかが「電力会社」が
原子炉を破壊して、核がこの世にむき出しになった計り知れない大事故の後始末の方法など
初めから知るよしもないのではないか・・・・東京電力の発表がことごとく気安めにもならない現実が
それでもかろうじて期待したいこの国に住むすべての人々の失望を買う。
あれは、もう電気を起こす原子炉ではない。核が熔解した地獄の釜である。
しかも、破壊し尽くされた原子炉にだれひとり近づけないで、だれひとりその現状を知るものなどいない。
・・・・それでいて、まだ2つが正常値を示しているので一つの温度計が壊れているとしか考えられないなどとコメントする。

たった一本の温度計のせいにして、いつものように矮小化して事故を小さく見せてるけど
手に負えない溶解が進行し、再臨界への分岐点に立っているかもわからない状況にあって、
人類的危機をそんな連中に託して、救われるなどと言うのは幻想に過ぎないと思うのは、僕だけではない