富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

特別寄稿:「ひだまり感謝祭?」のあとで

2010年08月29日 | Weblog

いつもは、雨を乞いたいほどの猛暑と炎天の続く中で
27日だけは、なぜか雷鳴がとどろいて、雨のしずくに追いやられてしまいました。
多くの人たち、サークルのメンバーが集まっていただいて
確か交流会というなのはずが、「感謝祭」に変わって
合図もなく始まったパーティは、事前に絶対に歌うんやと決め込んでいた
Kたの押しつけがましい???ライブが、それまでのきっとあったはずの?段取りを無視して
なんとなく始まりましたね・・・ちゃんと食べられましたか、飲めましたか?
なにはともあれ、スタッフとそれをサポートしていただいている皆さんとの
とてもいい交流の機会になったことは間違いありません。
本当にありがとうございました。

そのことは、別として「ひだまり」がオープンして早1年と4ヶ月が過ぎ去りました。
始まる時の大いなるやる気と一方でかかえる不安は、小さくはなかったし
ここまでにいたる間には、スタッフの入れ替わりや、
様々な試行錯誤と乗り越えなければならない行政とのギャップや
思いとは別に向いていく自らの方向の修正やら、彼ら彼女たちへの試練もありました。
けれども、それでも前に向いて行くことができたのには
サークルのメンバーや近隣の方々の心からの理解と有形・無形の支援があればこそ
と感じています。

大きな意味で、「福祉」を考えるときに、多くの人たちの希望に十分に応えられるほどの
成果はどこにもまだ見あたらない現状です。
生まれた家で暮らし、生まれた家を継いでいくというような
従来この国にあった「大家族制」は、自分たちの選択によって結局崩壊しました。
親は親、子は子で暮らし、干渉することなく無理強いもしない
ただ欧米並みのライフスタイルにしていても、
精神というか考え方は必ずしも合理的ではなくて
どこかに「情」とか「ならわし」などを心にずっと持ち続けてきて
その矛盾が自分たちの行き先を曖昧にしてもいるかのようです。
それから起こりうる「いなか」の高齢化とか孤立化などという問題を
解消しうる手立てを見いだすことなく、世代間に暮らし方や生き方に生まれた
「溝」のようなひずみを埋められずにきている事実も現実として存在しています。
もはや、家族というくくりでは、解決できない問題が、「家族」という中に存在しています。
それは、介護を必要とする現場で深刻に現れています。

「介護保険制度」というのは、従来家族で担ってきた「介護」を
社会が負担していこうとする制度ですが
実際は、人材不足、資金の問題、福祉への理解不足から 何より
政治や行政の準備が不十分なままスタートして、
介護保険料を徴収する制度だけはあっても、
容易に利用できるインフラも何より運用する人そのものが足らずに
とても需要に追いつきません。

デイサービスひだまり」は、そういうなかで私たちの暮らしのある場所に
私たちが求めうる「場所」として生まれ、今日まで存在しています。
僕自身の思い込みであるけれども、それは、「幸運」やったと思っています。
この場所で暮らし、老いに不安を持つ人にとっても・・・ 
どんな家にも、人にも「悩み」や「不安」が一つや二つは必ずあります
とりわけ将来を考えれば、確信できる幸福感などどれほど裕福な人にももてないでしょう。
「ひだまり」がすべてのこうした問題の答えではありません。
たとえ、その何百分の一かの答えが見つかったとしても・・・
ただ、こうしてそばに「居場所」を作り出した「ひだまり」があり、
そういうものがあって、それを近くに感じて、理解してくださる方が
増えていくことが、こうした行き先の不安の答えにはなり得るのではないかと期待しています。
ひだまりの存在が、悲観して未来の不安を考えず
積極的に将来の暮らし方を考えるきっかけになればと思うのです。
行政に過度の期待が持てなくなった時代に、率先してこういう場所を
提供してくれたこと自体に感謝もしています。


幸い、ひだまりのスタッフは、「介護」という本質が全員に見えていて
介護というものの理解と理念を共有できています。
やり方はそれぞれ違っても、望むべくもない機能回復を強要せずに、利用者と向き合い
一人一人違う思いを、その気持ちをサポートしたり、支える事を第一義に考えて
そのひとり一人の時間を、大切にしていく場所作りを心がけているのです。
たとえば、人が持つ悩みや問題は、結局自らが自分の責任において
乗り越えていくもので、誰かに解決してもらうものではありません。
たとえ、お節介に「わしに任せとけ」てな調子で、男意気を売りにしゃしゃり出ても
いっかど解決したと思い込んだとしても 、その人の心のすべてにこたえられません。
むしろ、押しつけがましさは、大事なものを傷つけることに無頓着になってしまいます。
その人の問題が心底解決できないことは目に見えています。
人頼みはいつも、相手に依存するだけで、
その人の達成感やその人のためになり得ないのです。
抱え込んだ問題を、乗り越えようとする思いや気持ちを「サポート」することこそが
いわば「介助」とか「介護」の精神なのであって、それは「愛」とか「情」に通じていくものとも
思えてきます。こうした有り様をますます進化させていく事が
ひだまりのこれからの方向の一つでもあるような気がします。


ただ、「ひだまり」自身まだまだ成果と呼べるだけの月日を経験していません。
若い思いと利用者の世代間には、実際は埋められない考えの違いもあるでしょう
そのときに皆さんの率直な考えや意見、アドバイスが大きなチカラになります。
今後もいろんな意味で多くの問題を「ひだまり」が経験し、それを乗り越えていくことになります。
介護の世界には、まだまだ厳しい現実が横たわり
そこに働くものへの報いが十分ではありません。利用者にありのままを見せて
ありのままのつきあいを実践していこうとすればするほど、
一方で知らず知らずに多くのストレスをかかえてしまいます。

こうしたことからも、集まっていただいた皆さんのなおいっそうの支援というか
気持ちのサポートを期待してやみません。
そしてさらに多くの方の理解を増やしてもいきたいと思うのです。
前に述べたように私たちは、家族の有り様を変えることを選択しました。
であるならばそれなりに、社会とか暮らしを変化させて、
自分たちがどう暮らしていくかを 見つけ出さねばなりません。
介護保険という制度を受け入れていながら、
なお「世話になる」とか「お世話する」という「情」に必要以上にとらわれず、
ある意味でもう少し発想を変えて、「利用できる」という「場所」を作るとか
もう少し、制度の理解を深めて「利用」を広げていく必要があります。
いったんは壊した従来型のコミュニティとか世間であるならば、その中に
新たにやりたいこと楽しいことをどうして見つけていくかということも大切です。
パソコンサークルでさえその一つの形だと思うのです。
「要介護」というのは、「気の毒な」状態でなどではなく
誰にも起こりうるある意味で避けようのない現実の一つです。
家族だけで抱え込むにはもう社会が変化しすぎています。
そこでどう生きるかという問題は、誰もの問題でもありますが
悲観が先立たず、前向いて考えられてこその「福祉」であるべきなのです。



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