世界に誇る長寿国の実態は、実際のところ
寒々しい・・・100歳を超える長寿の人の所在も
生死もわからずに、それを気にもとめずにいる家族と
世間のありよう・・・平均寿命などという数字のからくりは
こうした正体が見えない人の寿命が作り出しているように思えてくる。
寒々と人と人とのつながりを断ち切って、なお平然と
暮らし続ける命への希薄さが垣間見えてくる
折しも、明日は広島に原爆が投下され30万の人々が
一瞬のうちにとかされて絶命した日
いまなお、戦禍を引きずり、忘れようとしても決して消えることのない
家族への思いを抱えている人もいながら
一方で肉親の行方すら捜すことなく、死んだ人の年金をむさぼり
あるいは弔うこともなく、死への敬虔な思いすらもなく
人と人をつなぐ糸すらもとうにちぎっている家族も存在している。
コレガこの国なれの果てで、平和な国の中身なのだとしたら
ぞっとする。
ありもしない長寿をこしらえた「役所仕事」と
「プライバシー」などという都合のよい知らんぷりの口実が
人への無関心を増長させている。
隣国のコメントが痛々しい・・・この騒ぎを評して
家族が崩壊した国の行政のずさんさも
いい加減さも政治にイコールである。
「福祉」という言葉すらも空々しい
慌てて100歳以上の限定的な調査をし始める役所も役所で
実際は何十年も消息がつかめずにいる人は、数知れない。
100歳を超えているということだけが問題なはずがない
70歳を超えている人で消息のわからない人こそ調査の対象である。
100歳以上は役所仕事の都合のいい身勝手な境界線で
さっさとこの問題に幕引きしたいのだろう。
福祉というのならせめて70歳以上の消息を改めるべきではないのか・・・
きっと、「行旅死亡人」などいう行きずりの身元不明遺体が
いくつかの戸籍を重複させているのに違いないし
いくつかは「犯罪」かもしれない・・・・
戦争を経て、結果、行きずりに死を迎えて
弔われずに100歳長者にされている人が悲しい
あるいは死を隠して、年金をむさぼったものを放置していながら
書類の不備で受け取りを拒否されている人たちを思うとき
より切ない・・・そこんとこが
浮き彫りにされたニュースであり
国家という名ばかりの底の浅さがむなしい