富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

豪雨その恐怖

2009年08月10日 | Weblog
さすがに関西弁で、悲痛な声を、泥にまみれた住宅を前に
ニュースで聞くと、この恐怖が実感として伝わってくる。

不景気に覆われた閉塞感もたまらない時期に、気候変動が
恐怖として私たちの身近に迫り来る

40日間も空白の選挙戦は、長すぎるというか
間延びもええとこで、相手をあげつらう言葉に辟易とする
石原の子のいっかどわかったような政策論や、高木なんとかという
かつらかぶった若作りの評論家気取りの論調は
鼻について、もうええ加減反吐がでる・・・
口を開けば、相手の「財源」をあげつらう・・・けど800兆円を超える
借金をこしらえ続けた与党政治の粛正と反省があれば
財源をいう資格すら、自分たちにないことに気づくはずで
肝心要の政治の責任というもんが棚上げされていることに気づいてもいない。
一方、民主の側には、自分らにまわってくる責任の
大きさにうろたえて、本来自分らの側にいてはならないはずの
小沢なにがしらに寄りかかってみえて、弱々しい

「知事会」あんなもんは、多分総務省なる旧自治省のOB会みたいなもんで
知事に、権限を委譲することが地方主権ということでは絶対にない
そんな幻想を抱くのはまったく元の木阿弥で、いまのままでは
カタチを変えた総務省の官僚支配に過ぎない
地方分権をゆうのなら、それは国家の仕組みと同じように
縦型に知事か県庁に権限をゆだねることではない・・・
例の「そのまんま」などという見せかけだけの存在は、
今のまま縦割りを維持していたい
「役人」の代弁をしているに過ぎないのではないか・・・と思う
彼の言はいつも、すべて何かの本を聞きかじった言葉に聞こえてならない。
地方分権の本質は、もっと市民や私たちに行政の金遣いのプロセスが見えていて
使い途の決定が市民の了解のもとに
公開されるということでないと意味はない。
そんなことが出来ているところが一つでもあるんやろか・・・

なんにしてもとっくに国会を解散しているくせに
まだ選挙にもいたっていないこの現状はなんなんやと思う

僕らの生活は、豪雨の恐怖と先の見えない不景気の渦の中にいる


なんでもええさかい、はよう選挙したらどうなんや
誰が責任持ってるんやはっきりして、この恐怖と不安をぬぐい去らなあかんというのに
頼りない2世議員がよってたかってもマニフェストなんて完璧なはずはないし
誰も今の政治家に大きな変革が
出来るなんて信じたくても信じられない
せやからとりあえず、今のままやのうて
変えてしまえというのが、こたえといやぁ答えですんで
なんせ、「選挙」してしまえというのが有権者の言い分やと・・・おもうけどぉ