富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

安部の退陣の衝撃???

2007年09月13日 | Weblog

政権を投げ出したボンボンのありようには、
正直あきれ果て、こんなのを「政治」などと言いたくもないし、
ここに至るまでの、これから先の
税金の無駄遣いこそ、ひょっとして「年金」の比ではないのかも知れない
政治の空白はこれからあるのではなく
ずっと存在していることを実感する

中には、心情的に安部に対する同情論に満ちたコメントも
報道される始末には、彼がやらかしたことへの危機感が
全く感じられません。
彼がいかにも分かったような顔をして、無理矢理通した
「教育基本法」やもろもろの法律もあらゆることも
しでかした「浅はかさ」は、それらを白々しいモノしてしまい
教育という意味において考えれば、
身をもって、最低の見本を示したことになった。
結局は、無責任と認識の程度の低さに唖然とするし
議員としての資質も全く欠如していたことを、思い知る。
何もかも、何もわからずにやっていたということであって、
彼が言うことが全く伝わらなかったわけがそこにある。

「戦後レジュームからの脱却」
戦後、この国にあった「なぁなぁの枠組み」からの脱却
という意味合いだったのだろうか・・・・

ということであれば、
郵便局の民営化と郵便貯金の市場化だけのために
ある意味で、ひずんだ選挙に走ったコイズミの暴走の果てに生まれた
極端な衆議院の情勢を、補完するような結果となった。
今度の参議院の状況は、政策で競う状況として捉えれば、ひょっとして
民意が議会を正常に揺り戻したのかも知れないし


政策や国のありようは、アメリカ市場主義偏重の
いわゆる「グローバル」化によって、
「国の財政」のためにというお題目で
切ってはならないモノまで切り刻んだあげく
市場原理ばかりを優先したあげくに
実際に地方は疲弊し、その一方で大都会に資金は流出した。
その事実に民意が反発したのではないのかと思う。

ボンボンは自分の「政策」が通らないという理由で辞任した
民意は、彼には届かないどころか
反論に嫌悪だけを持ち、「反省すべきは反省し」
などという言明は、ただの詭弁だったようだ。

しかし、その政策が通らないという辞任の理由こそが
彼が民主主義や議会主義
ひいては戦後のレジュームを全く理解してないことを
明確にしている
コイズミと程度が同じに見て取れるので
大いなる衆議院議員数を曲解して
さしずめ、二人の大好きなB大統領を気どって「強行採決」
で強権を鼓舞したかかったんだろう。
ところがそのB大統領が大きな政策転換を繰り返しているのは
議会が賛成しないからだ。
あのアタマのよろしくない大統領でさえ議会が政策を承認しないと
政策転換を強いられるのは、当然で
その程度の民主主義だけは心得ているのである。
その認識さえないのなら事態は深刻を通り過ぎてる。

議会制民主主義では、議員から総理大臣を選ぶのだが
国権の最高機関はあくまでも議会であり
内閣が提案した政策を国会で決め
国会が承認するものであり、国策というのは
総理大臣一人の意志では決してない
民意にそった選挙で選ばれた議員が議論して最終的に決定し
議会が国策の責任を負う。
その責任者であり政策の実行者が総理大臣なのである。
コレを全く無視したのがコイズミでありそれを鵜呑みにしてたのが
アベだったのだ。
自分の政策を独裁的に通すのでない。
通らないから局面を打開するという論理も全く
間違っているし、実際やめることによって
状況が変わるわけでもないし、総理大臣と責任は
そういうことに使われるべきモノでもない。

衆参両院に第一党が違う状況であることが
本来の議会制民主主義が始まる大きなチャンスであり
それこそが、戦後、一党独裁と、万年野党で繰り返してきた
政治の「戦後レジューム」というか閉塞した政治からの脱却が
可能になったのだ。
実は、彼が言い続けた状況が皮肉にもそこにあり、
そうなったことを理由にやめるという論理が全く理解できない。

ボンボンは自分の言い分や主張が通らないとアカンと考えている
それは、彼が戦後レジュームのなかでぬくぬくと世襲制度のごとく
育てられた2世議員であることが大きな理由であり
そのことは、私たちが毛嫌いする「北朝鮮」のありようと
どれほど違うことなのかとも、一方で思える。

コイズミもまた同じアナのムジナに見える
そして彼らを担いだ多くのヤカラがそのたぐいの何ものでもない。

一国の総理は、議会のもとで存在するものであり、
その議会でぬけぬけと所信表明をした上で代表質問を前に
辞任を表明するなど
無責任というよりも、議員として明らかに失格である。
彼が表明すべきは総理大臣でなく、「議員」を辞する意志である。

彼を「みこし」としてかかげた責任も
また再び、コイズミをかかげようとする責任もそうした人間達の
議員としてのみならず、人としての見識を問いかけたい

私たちが失った国際的あるいは、国の内側に向けての
信用は決定的に地に落ちているのではないかと
悲観的になる

「退陣」の衝撃と言うような甘い話ではない
私たちの国の政治は、もう手遅れの状況に至っているのでは
ないのだろうか
もう政治とかいうことについて
この場で書き込むのはいやになってしまいました
はっきり言ってむなしいし、「選挙」することすら
意味を感じることが出来そうにもない