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今日の筆洗

2016年05月14日 | Weblog

 演出家とは、何か。蜷川幸雄さんは、ごく簡潔に定義した。「観客の千の目を代表している立場」▼若者らが体制に異議申し立てをし、街でデモの波がうねっていたころ、蜷川さんは演出家として、街そのものを舞台にしたような衝撃的な作品を世に問うた。だが、学生運動は袋小路に入り、絶望感が漂い始めた▼そんなある日、彼は新宿で青年にナイフを突きつけられ、こう問われた。「蜷川さんは今、希望を語れますか」。「語れない」と言うと、青年は去って行った。その時、蜷川さんは思ったという。「演劇とは、観客の千の目と、虚偽と変質を許さぬ千のナイフに向き合う」営みなのだと(『演劇ほど面白いものはない』)▼だから稽古では徹底的にだめ出しし、灰皿でも靴でも投げつけた。本人は「僕は、開成高校の頃野球部だったので、人には当たらないように投げていた。そこは冷静に計算してね」と語っていたが、自分自身にはナイフを突き立てていたのだろう▼重い病気を何度も患って、満身創痍(そうい)になっても、走り続けた。かつて語ることのできなかった「消滅した希望」を語れるようにする。そのために、蜷川さんは演劇という仕事を続けたという▼八十歳で逝く直前の病室にも、台本があったそうだ。「世界のNINAGAWA」劇場の幕が下り、いまは幾千幾万の目から、涙がこぼれていることだろう。


今日の東京新聞 主な内容

2016年05月14日 | Weblog

 

18世紀末、種痘法を発見したイギリスの医者。

 ジェンナーは1749年、イギリスのバークリーで牧師の子として生まれ、ロンドンで医学の修行をして地元で開業した。当時は天然痘は死亡率の高い伝染病として恐れられ、有効な治療用や予防法がなかった。ジェンナーは牛痘に感染した人が天然痘に罹らないことに着目し、20年間熟考した末、1796年に天然痘菌を接種して、発病しないことをつきとめた。免疫をつくり発病を予防するという種痘法は当時の医学界では受け容れられなかったが、ジェンナーは多くの接種を重ねて有効であることを実証し、ようやく1802年に認められた。 → 科学革命

Episode 種痘の原理の発見

 イギリスのグロスターシャー州では乳搾り女たちがよく牛痘にかかったが、彼女たちはけして天然痘にはかからないことが知られていた。ジェンナーは、りんごの頬をしたグロスターシャーの乳搾り女が牛乳桶ごしに、「いいえ、めっそうもありません。私は牛痘に罹っているので天然痘に罹ることはできません」と彼に言った時、種痘の原理を発見した。1796年5月14日の土曜日に、セバーン河畔の村バークレーのエドワード・ジェンナー医師は、牛痘に罹っている百姓の娘サラ・ネルムスから膿をとり、8歳の少年ジェイムズ・フィプスの腕に半インチ(1.3㎝)の軽い二本の擦り傷をつけて膿を移した。7月1日にジェンナーは人痘の膿をフィプスにつけて皮膚を引っ掻いたが、フィプスは天然痘に罹らなかった。数ヶ月後に人痘膿による接種を繰り返したが、何も起こらなかった。ジェンナーは種痘予防接種を発明したのである。ジェンナーは、この膿を接種する考えを実行に移すまで20年間熟考した。彼は医師懇親会でその話しばかりして皆にうんざりさせ、嘲笑され続けていた。

杉田玄白と同じ時代ですね。