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今日の筆洗

2016年05月25日 | Weblog

 『熱海殺人事件』や『蒲田行進曲』の劇作家、演出家のつかこうへいさん。ペンネームをめぐってこんな伝説があった▼その名をつぶやき続けてみる。つかこうへいつかこうへい…。「こうへい」の「い」の音が「つか」の「つ」に重なり、いつの間にやら聞こえてくるメッセージがある。「いつかこうへい」(いつか、公平)▼在日韓国人二世として差別なき世に願いを込めた名であり、平仮名にしたのは漢字の苦手な母親のため。そう伝わっていた。長谷川康夫さんの『つかこうへい正伝』(新潮社)によると、実はたまたま見かけた表札の名を拝借したそうだが、つかさん自身がその説を気に入ったのか、容認していたそうだ▼つかさんの「いつか」に向けた一歩としたい。民族差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)の対策法が成立した。法で差別を許さないと宣言した▼されど憂いもある。鍵の起源は紀元前二〇〇〇年まで遡(さかのぼ)れるそうだが、人類に盗人が生まれてこなければ、鍵は生まれる必要はなかったとも空想する。法成立に愁眉を開くが、法によって差別を批判しなければならぬ、現在の日本が心配である。差別や憎悪表現がなければ、その鍵は無用だったはずである▼劇作家の名を再びつぶやく。法はできた。だが本当に「いつか」が来るのは法ではなく、人間の心によって差別や憎悪を消し去ったときだろう。

愁眉を開く

うれえて眉を寄せていたが、心配事などがなくなってほっと安堵すること。「愁眉」は後漢の頃、都の洛陽の婦女が化粧のため、うれえを帯びるように細く曲がった眉を描いたことから云う。出典は劉兼の詩「春遊」の一篇から。反対は「眉を顰める」(まゆをひそめる=怪訝)。 


今日の東京新聞 主な内容

2016年05月25日 | Weblog

泣いた赤鬼 あらすじ[編集]

とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」という立て札を書き、家の前に立てておいた。

しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔しがり、終いには腹を立て、せっかく立てた立て札を引き抜いてしまった。

一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が赤鬼の元を訪れる。赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」という策であった。これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かうのだった。

そしてついに作戦は実行された。青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。

だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。今村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。しかし、青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。

それは「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」という青鬼からの置手紙であった。

赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。その後、赤鬼が青鬼と再会することはなかった。