京浜急行金沢文庫駅から歩いて20分程度の場所にある称名寺が今回のお散歩コース。

国指定史跡『称名寺境内』
称名寺は金沢山(きんたくざん)称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で本尊には木造弥勒菩薩立像(重要文化財)が安置されています。
本寺は金沢北条氏一門の菩提寺で草創の時期は明らかにしていませんが、1258(正嘉2)年、金沢氏の祖と称されている北条実時が六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。
称名寺

金沢文庫駅から所々にある案内表示を見ながら緩やかな登り坂を歩いて行き、道路左手に見えて来るのがこの赤門です。
1771(明和8)年に再建され、建築様式は四脚門、切妻造、本瓦葺(再建当初は茅葺)

赤門をくぐり左右のお店を見ながら数分歩くと左手にあるのが、この称名寺塔頭光明院表門です。こちらは横浜市指定有形文化財(建造物)に指定されております。
建築様式は四脚門、切妻造茅葺、袖塀付で1665(寛文5)年建造で横浜市内の中で最も古い建造物だそうです。

更にちょっと歩くと正面に見えて来るのが仁王門です。
1818(文政元年)年に再建され、建築様式は三間一戸の楼門、入母屋造、軒唐破風付、銅板葺(再建当時は茅葺)。
左右には木造金剛力士立像があります。


木造金剛力士像は神奈川県指定重要文化財。
口を開いている右側の像は『阿形(あぎょう)像』、口を閉じている左の像を『吽形(うんぎょう)像』といい一対で寺院の表門に配置されています。
一般的には仁王さまと呼ばれる事が多い。
阿吽(あうん)の呼吸といった言葉の語源。

仁王門の左脇の入口から入ると見える景色です。
正面には池が広がり右手には朱塗りの橋が見えます。
入ってすぐにある解説板によれば、称名寺の庭園は、1323(元亨3)年に描かれた重文『称名寺絵図並結界記』によって伽藍の配置と完成時の姿を知る事ができるそうです。庭園は、金沢貞顕の時代の1319(文保3)年から翌年の1320(元応2)年にかけて造られたそうです。作庭には性一法師が携わり、青嶋石を使用した90数個の景石を中島や池の周囲に大量の白砂と共に配置することなどを指示し、その満々と水が注がれた苑池には貞顕から贈られた水鳥が放され、伽藍の美観の要とされる浄土庭園が完成。
南の仁王門を入り、池を東西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って金堂に達するこのような配置は、平安時代中期以降盛んになった浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の系列にあり、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして、庭園史上高い評価を得ているそうです。

前池に架かる反橋です。
残念ながら経年劣化による腐朽により閉鎖されています。
橋の上からの景色を写真に撮りたいと思っていたのですが、今年3月から通行は不可となったようです。

更にですが、平橋の方は腐朽が激しく撤去されてしまっていました。
鐘楼、金堂、釈迦堂です。



称名寺の裏山は『称名寺市民の森』となっており、ちょっとしたハイキングコースとなっています。

北条実時の墓。
鎌倉幕府の第二代執権義時の孫で実泰の子。
政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力を尽くし、現在の称名寺がある地に別業を開き金沢文庫の礎を築いた。

更に奥に登って歩いて行くと山の頂上にあるのが『六角堂』です。

木々の間から金沢の海や、金沢文庫、横浜方面と眺める事ができます。
ここで一休みした後は登って来た反対側の称名寺庭園に戻り、県立金沢文庫の脇を通り駅に戻り帰宅。
今回のコースは何ヶ所も目的地(ポイント)を設定しなかったので時間を掛けてゆっくりと回ってきました。
ただ、非常に残念な事に撮影途中にデジカメが故障をしてしまい六角堂から以降の写真は携帯電話のカメラを利用

となったため、六角堂以降のご紹介はなし。
明日以降の休日のブログに
影響大