散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

本日は走水神社、東叶神社、西叶神社。

2020-11-03 17:04:59 | 御朱印
本日は距離が長いので途中バス移動を挟みながら神社巡り。
京急馬堀海岸駅から京急バス観音崎行きに乗り、走水神社でおり、まずは走水神社を参拝。
東征中の日本武尊が、古代東海道を辿って走水から船で上総に渡ろうとしたが、暴風雨に阻まれ立ち往生。
海神の怒りを鎮め、航海の安全を図って、弟橘媛が入水したという伝説にちなみ、創建された古社。


本殿の右手には、稲荷社、水神社、左手には(別宮)と小道を登った先にはせきひや神明社、須賀社、(諏訪社)、日本武尊が参拝したと伝えられる稲荷社があります。


海に面した高台にある神社なので、振り返れば当然のことながら海。
各社にお参りし、眺望も楽しんだところで社務所で御朱印をいただいて次の目的地へ。


徒歩で観音崎まで行き、次の東叶神社へは浦賀行きバスに乗り移動。
新町バス停を降りて湾の堀沿いを歩いて10分ほどで東叶神社到着。


本殿右脇には不動尊。御朱印を頂く間に社務所の左奥には身代わり弁天と勝海舟が断食修行の際に利用した井戸を撮影。
ここ東叶神社にはお守りの袋が授与され対岸にある西叶神社には中に入れる勾玉が授与され二つの神社をお参りすると一つのお守りになります。


次の西叶神社へは渡し船で行くつもりだったんですが、残念なことに渡場に着いた時にはお昼休み。

渡し船ならば数分で西叶神社へ行けるのに陸路では30分ほど。
お昼休みならば仕方がありません。対岸の叶神社目指してスタート。

途中、津守稲荷、八雲神社という案内の看板を見かけたので、寄り道。

八雲神社は建物は江戸時代のもので、以前はお寺であったものが、明治の廃仏毀釈により神社に代わりお寺の形式のまま神社になっていて、鳥居はありません。

今年はなんとなくと言いますか、歩く癖がついていないためか、街中の散策は飽きが来てしまいます。


前回、参拝した際には気づかなかったんですが、この神社の狛犬。
左右の狛犬の下の石柱のところに隠れるように小さな狛犬がいました。
それぞれを撮影して、社務所に行き御朱印をいただいて近くのバス停からバスに乗り、浦賀駅へ。



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鎌倉幕府の鬼門除け、富岡八幡宮。

2020-10-25 23:07:25 | 御朱印
何度か、車で通り過ぎた際に案内表示が目に入り気になっていた富岡八幡宮。
本日はピンポイントで富岡八幡宮を目指して散策に出発。


京急線、上大岡駅で各駅停車に乗り換えて京急富岡駅から出発。

所々に富岡八幡宮への道標があり、散歩コースとして整備されています。


車での参拝ルートに沿って富岡八幡宮に到着してしまったので、裏参道から入ってしまい一旦境内を横切って表参道の鳥居まで行き、改めて富岡八幡宮へ。


緩やかな石段を上り、境内へ。

石畳は改修工事中。

祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、比売大神(ひめのおおかみ)、蛭子尊(ひるこのみこと)、 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

「金澤七福神」のうち恵比寿が祀られています。

末社・摂社

左から熊野三社、稲荷社、祖霊社。

御朱印は「八幡宮」、「恵比寿神」と2つを一緒にしたものの3種。
1回に一つとなっているとのことで、一緒にした御朱印をいただくことにしました。


参拝後は再び裏参道を通り、来た道とは変えて京急富岡駅へ。

船溜りの風景。
事前準備不足と最近、長距離を歩いていないので本日は短時間(短距離)の散策。
もう少し足慣らしをしてから、「旧海岸線を感じながら歴史・海・緑をめぐる道」(13Km)を散策したいと思います。

本日のコース。
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天気が良さそうなので散策。

2020-10-18 19:05:21 | 御朱印
朝起きて食事をして、めだかに餌をやってと朝のルーティンワーク。
さて、今日は何をしようかと窓から西の空を眺めると好天。

ふと、頭に浮かんだのは、相模十三社の一つである深見神社。
ルート検索すると相鉄瀬谷駅と大和駅のほぼ中間地点。
1分差ですが、瀬谷からの方が早かったので、相鉄瀬谷駅から出発。

瀬谷駅南口から出て、大和方面を見ると線路左側は再開発中。
外壁に沿って歩くこと数分。
環状4号線の効果を潜る手前左手にあえて残したような草が生茂る塚状のもの。

何かと思い、近寄り塚の横に建てられた看板を読むと、「世野の原鷹見塚」の文字。
道路の拡張や、宅地化、再開発といつまで、どのような形で残っていくかはわかりませんが、見落としがちな塚です。

高架下の信号を渡って、しばらく進むと右斜め後ろから道が合流するところに、庚申塔。


境川を渡って横浜市瀬谷区から深見神社のある大和市へ。
深見神社の案内板の手前を左折して、浄土宗佛導寺。

大和市指定重要文化財は江戸時代に深見村を所領していた旗本坂本家の墓3基、梵鐘、慶長年間の墓(板碑型)、徳本念仏塔の4件。
墓地を彷徨うのは遠慮して山門をくぐってすぐの右手にあった梵鐘のみを撮影。

本日のメインの相模十三社の一つである深見神社。
境内の脇に参道があり、鳥居の左手にある深見神社社号標は市指定重要文化財。



七五三のお参りが始まっているようで本殿内では祈祷が行われていました。

祈祷中なので、お参り時の二拝二拍手一拝の二拍手は遠慮がちにしました。

境内には御倉稲荷神社(おくら稲荷)と戦中に厚木航空隊内にあった厚木空神社を戦後、移して祀っていました。


ここまでは計画。ここからはノープラン。
今年に入ってから、あまり長時間、長距離を歩いていないので、昼時でもあるので相鉄大和駅に向かって歩くことにしました。
途中、住宅案内図を見掛け見てみると歩く方向に大和天満宮の表示。
不思議なことにいつも頼りにしているgoogleMapには表示なし。
さて、住宅案内図が正しいのか、GoogleMapが正しいのか?

地図上の場所についてみると白い大きな建物。
市の文化ホール?どこに神社?
大和天満宮と書かれた案内表示があるのでこのビルのどこかにあるようですが、神社のビルはわかりますが、公共施設内に神社がある?


ぐるりとビルを回り込むと地下化された相鉄線の線路上の道路側から建屋側面に伸びる階段+スロープ。
登った先に天満宮。
参拝して、御朱印をいただいて本日の散策は終了。

食事して帰路へ。

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今年初の御朱印

2020-09-20 18:01:53 | 御朱印
今年に入って、新型コロナのため外出もままならず、気づいて見れれば今年になって初めてのお寺めぐり。
電車で行って散策を兼ねて行ける所として東急東横線沿線、菊名神社へ。
電車に乗ってすぐに菊名駅の菊名神社だけでなく、その一つ先の大倉山駅近くの師岡熊野神社へ目的地を変更。
改札を出て左へ。商店街を抜けて綱島街道を目指します。
綱島街道へ出て、左へ進み熊野神社入り口の信号を右折して道なり。
しばらく歩くと右手に池があり、池の中央には水天社(弁財天)、左手の石段を登った先が熊野神社本殿。
池の名前は「いの池」といい、横浜市地域史跡の一つ。神社本殿裏に「のの池」があり、今は無くなった「ちの池」と合わせ
い・の・ちの池と呼ばれていたそうです。


参拝後、授与所で御朱印をお願いするとコロナ対策のため御朱印は書き置きを渡しているとのこと。


しばし境内を散策。
本殿裏に「のの池」と摂社・末社。
そして本殿左手にさざれ石。

一服して次の当初の目的地、菊名神社へ。
大倉駅から菊名駅へ行き、参拝しようかとも思いましたが、googleMapで調べると歩いても負担のない距離。
周りの風景を楽しみつつ歩いていくことにしました。

綱島街道に戻り、左手分かれ道手前で見かけた庚申塔と太尾妙義神社。


環状2号を渡って、しばらく住宅街の進んで行くと、民家と民家の間に不動尊の鳥居。
そして、その先に伸びる小道。
進んで行くと高台の伸びる石段。
木々に覆われ、その先は見えなかったのですが取り敢えず行ってみることに。


階段の途中右手には今は水が枯れているでしょうか、何か口から水が流れ出ていてもおかしくないような獅子が顔だけ石壁から出していました。
石段を上り切った先、草むらの先に小さな社。これが不動尊なんでしょうか、遠目に拝んで元の道へ戻りました。


多少寄り道をしつつですが、目的地の菊名神社到着。


お参りをして御朱印をお願いした後は境内散策。

御祭神以外、手水鉢の四方を支えている4体の鬼の石像が寛政年間(1789-1801)からジッと忍耐強く支えていることから「がまんさま」として親しまれているそうです。

御朱印は全部で6種類あるそうで、私の前にお願いしていた人は全部お願いしていて3,500円納めていました。
私は通常のもの、例祭バージョン、限定版の3種。

限定御朱印には説明付き。


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相鉄平沼橋駅から和田町駅まで

2019-12-01 19:25:17 | 御朱印
本日も天気が良く、散策がてら相鉄沿線武蔵国の神社巡り。


まずは、相鉄平沼橋駅から出発。
駅からすぐの水天宮平沼神社。

七五三の参拝のご家族が狭い境内に4、5組がいて遠目から社殿を撮影して参拝。
御朱印は現在は書いて頂けな旨の張り紙があり、お参りしだけして次へ。
御祭神:天之御中主大神   ( あめのみなかぬしのおおかみ )、安徳天皇   ( あんとくてんのう )
由緒:1839(天保10)年、平沼新田を開拓された平沼九兵衛翁が新田の守護神としてお祀りし創建された。
明治初期に神社の社格制度に依り、平沼町の鎮守様として指定村社に列せられると共に、名称も平沼神社と改称された。
今日まで水天宮さんの名称で親しまれ、有名と成り現在では水天宮平沼神社と称している。
 水天宮平沼神社は初め、現在の西区西平沼町に有る帷子川の元平沼橋附近の横浜道添に鎮座していたが、御鎮座地周辺の発展と共にその場所を参度転じ文久二年現在地に御鎮座され、大正二年に本殿の前に拝殿を新築して現在の社殿が完成した。
境内末社として、境内には商売繁盛・五穀豊穰の神様平沼稲荷神社・火伏、火防、竈の神様竈三柱神社・学問芸道上達、試験合格の神様平沼天満宮がお祀りされている。

次に訪れたのは戸部の杉山神社。


大国様が祀られており、狛犬の手前に狛鼠が鎮座しており、左の狛鼠はメスで女性は反時計回りに狛鼠を回して願掛けをして、男性は右の狛鼠を時計回りに回して願掛けをするそうです。

左の狛鼠は参拝者が回したままで社殿に向いていて背中を見せていました。

戸部杉山神社 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


御祭神:大己貴神   ( おおなむちのかみ )
御由緒:当神社は、白鳳三年弥生二十日の創建と言う。武相の地杉山社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと言伝う。
当神社の効顕の著しきを以て近隣に杉山社の名称多くなれりとも言う。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。
 歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しありと言う。
御祭神は天孫降臨以前に己に国土開拓経営に威霊を発揮せられ給う。即ち日本最初の神社祭神なり。
貧賊病弱を救癒して産業を授けて富益を増し、医薬の道を興して氏族の繁栄の基を計り、剣爭を用いずして温和の中に諸事泰平の国本を培養せられ、国政家斎の法を授け給う。
知謀悟道の祖を開き、国利民福を念とし給う。自ら苦反して以て他を憐み給ひ、即ち当地開拓の先哲達人先ず此の大神を奉祀し、鎮護の祈願せんため、勧請せしなり。

次は石崎川、JR・相鉄線、帷子川を橋や高架橋を渡って越えて旧東海道を目指して歩く途中、新田間川の手前。
岡野神社

境内に奥行きがなく、埋立地に勧請された神社らしくこじんまりとした神社です。
御祭神:大物主神   ( おおものぬしのかみ )、稲荷大神   ( いなりのおおかみ )
御由緒:弘化四年 (一八四七年) 未年正月、三河国碧海郡川島村 太田佐兵衛なる人、武蔵国久良岐郡横浜浦にて新田開発を計画、讃岐国象頭山金刀比羅大権現へ祈願し、艱難辛苦の末、遂に開発に成功したので神助に感謝し、象頭山へ登山、その御神体を受けて新田総鎮守として崇敬し、日夜奉仕した。
 かくて年々三月、十月各十日を以て祭日と定めた。
 安政六年 (一八五九年) 未年中、当地御開港中の御地所拝借人 総代太田屋、新田農夫総代等申し合せ、同年十月十日大祭を執行し、更に、太田新田の太田一丁目より同八丁目迄入舟町と改まり、以上九ヶ町の総鎮守と崇め奉った。
 慶応二年 (一八六六年) 寅年十月二十日、末広町より出火、大火の為御用地となり、その替地として、現在の尾上町二丁目に至る場所、即ち旧緑町に移転した。
 明治六年 (一八七三年) 酉年中、相生町三丁目より出火、その折当社も類焼にかかったので伊勢山へ鎮座したが、偶々大正十二年 (一九二三年) 九月一日の関東大震災に遭遇し、神殿悉く焼失した為、昭和三年 (一九二八年) 二月、中区新山下町三丁目五二番地の場所に移転の止むなきに至ったのである。
 元来、岡野の里は、往時入海で、旧記によれば天保 (一八三〇~一八四三年) の初め頃より陸地少しく現れていた。時に保土ヶ谷駅帷子の里に住していた岡野勘四郎氏が埋め立てを始め、次々に新田として開拓したもので、明治三十四年四月横浜市に編入せられ現在の様な地形となったが、住する者は未だ少なかったのである。然し土地発展の為、追々来たり住む者が増えて来た事は喜ばしい事であった。

旧東海道を保土ヶ谷方面に歩いて、松原商店街を抜け、天王町商店街。
橘樹神社。

御祭神:素盞嗚尊   ( すさのおのみこと )
ご由緒:当神社は、文治二年 (約八百年前)、源頼朝公天下の平和を賀し国中の大小の神祇に奉幣し祭祀の典を行った時の創建とつたえられる。
即ち京都祇園社 (現在の八坂神社) の御分霊を勧請奉祀した。故に当社も祇園社、牛頭天王社、天王宮、橘樹社等社名が変わり大正十年、正式に現在の社名となった。


天王町、橘樹神社。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


全天球カメラTHETAの撮影用に長さ2mの一脚を購入したので使って撮影してみるとちょっとドローンで上空から撮影したような画像になりました。

旧東海道と相州道が交差するところにある庚申塔(2基)

ここを右に曲がってすぐに神明社。


道路と並行して続く参道。今回お参りしている神社の中で一番長い参道です。
神戸 神明社。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


御祭神:天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )
神明社御由緒 (旧伊勢神宮領榛谷御廚総鎮守)
 今から一千年以上昔、平安時代の中ごろ、保土ヶ谷の地が榛谷 (はんがや) とよばれていた頃、天禄元年 (九七〇)、当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が、武州御廚の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年 (一二二五)、神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御廚八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に七十五度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
 その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年 (一五九〇)、徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、御朱印地が安堵された。また元和五年 (一六一九)、宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。このとき建てられた社殿が、幾度かの修営を経て現在まで引き継がれている。明治二年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の材を下賜された。明治六年、村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。

ここまでひらすら神社巡りをしてきましたが、ちょっと目先を変えて神明社から道路を挟んで反対側にある横浜ビジネスパークのオブジェを散策。


金属のオブジェでサイ、象、壁から出てビルに消える犬など多種のオブジェが敷地内のいたるところにあります。

星川駅前交差点を右に入ってまたすぐに右に曲がり急坂。
山の上にある星川の杉山神社。

御祭神:日本武尊   ( やまとたけるのみこと )
ご由緒:東にはるか上総の山々、西に霊峰富士山をのぞむ神丘に鎮まります当神社が初めて国史上にあらわれるのは「続日本後記」です。
その承和5年(838)の2月の条に「武蔵国都築枌(杉)山神が霊験あらたかなるをもって宮社に列せられた」とあり、同16年(848)5月の条には「武蔵国旡位枌(杉)山名神」が従5位下を奉授されたとあります。
さらに降って「江戸名所図会」に「新町より8丁あまり北の方下星川村にあり延喜式内の神社にして云々」とあるように「延喜式」神名帳に武蔵国44座の中「都築郡一座(小社)」と記載されており、多摩川以南都築、橘樹、久良岐三郡において唯一の式内社との伝承が古くより語り継がれております。
御神紋は丸に三本杉の紋で神聖な森を表しております。
星川杉山神社 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



本日2社目の杉山神社ですが、保土ヶ谷区内には他にも和田町と仏向町、上星川、川島町にも杉山神社があります。
(神奈川神社庁で検索すると星川と和田町、川島町の3社のみ)
神社の名前が同じなのに御祭神は大己貴神(戸部)、日本武尊(星川)、日本武尊・五十猛命(川島)と異なっています。

以上で本日の神社巡りは終了。

保土ヶ谷公園を通って銀杏並木の坂を下って秋を感じつつ帰路へ。
神奈川県立保土ヶ谷公園。 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


ここ数年、銀杏並木の黄葉にムラがあるように思えてしょうがない。
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鎌倉五山残り1。

2019-11-16 20:21:59 | 御朱印
鎌倉五山巡りも残り一つとなっており、快晴の中外出。
鎌倉駅から金沢八景駅域のバスに乗って浄妙寺下車。
乗り換え案内ではバスで9分ですが、八幡宮までの渋滞にはまって20分以上。

満員のバスは浄妙寺で一気に解消。
このバス停では浄妙寺以外に竹林で有名な報国寺や巡礼古道へ行く人もいるので分散。


お寺の裏山に石窯ガーデンテラスがあり、ここへ食事に訪れる人も多いようです。

浄明寺で御朱印を頂くまでがプランでこの後はノープラン。
のんびりと歩きながら、足の向くまま気の向くままに鎌倉を駅を目指して出発。



車通りを途中、右へ入り住宅街の道へ。
荏柄天神社の鳥居が見えたので、荏柄天神社へお参り。

参道の左右は民家が立ち並び、石段からが境内。
祭神は天神社ですので、学問の神様菅原道真。
御朱印帳は相模国ですので寒川神社で購入した御朱印帳に書いていただきました。

路地裏を歩いて行きますが、ところどころに神社仏閣や名所などへの案内板があり、気分に合わせて右左。

白旗神社と源頼朝のお墓へとつながる石段です。
お墓といっても供養塔ですので実際のお墓とは違います。何度か訪れた事がありますので今回は下から石段のみを撮影。

横浜国大附属中学校に突き当たったところで校庭脇に沿って鶴岡八幡宮へ。

源氏池を臨む休憩所で一服。
鳩は人に慣れており、鳩の餌を持った観光客の手に乗り餌をもらっていました。

源氏池の中にある旗上弁財天で御朱印を頂きました。
書き手は3名で今回いただいた方は女性で筆先だけを用いて伸びのある筆遣いの御朱印でした。

本日の散策は以上で終了。
町並みを撮影しつつ、鎌倉駅を目指して帰路へ。
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相模国の後は武蔵国

2019-11-15 18:44:31 | 御朱印
相模国の一宮から四ノ宮を巡ったので、武蔵国の一宮を参拝しないのはどうかと思い、有休消化のため本日、休暇を取得して出発。
事前に調べたところ、多摩市の小野神社と大宮の氷川神社がそれぞれ一之宮と書かれていましたが、小野神社では御朱印を頂くに当たって事前連絡が必要なようで・・・。
それに対して氷川神社は境内の規模も大きく、氷川神社の総社とも書かれていたので、氷川神社へ。
また、埼玉県内には氷川神社が多いとのことも書かれていたので、いくつかの氷川神社をピックアップ。

三の鳥居近くの駐車場に車を停めて、長く伸びる参道を二の鳥居までまで戻りまずは撮影開始。

こちらへ訪れるのは初めてかと思っていたんですが、数年前に埼玉の知人に案内されて来たことを参道を歩きながら思い出しました。

三の鳥居をくぐり境内に入ると先に小さな橋があり、立派な楼門が見えてきます。


ちょうど、七五三の季節で至る所でお参りの家族とカメラマンがあちこちに。
お参りした後は拝殿右側の神札授与所で御朱印帳と御朱印を頂きました。

御朱印帳は2種類あり、それぞれ1,500円(御朱印含む)で御朱印と一緒に御神菓(飴)を頂きました。

次は、武蔵一宮氷川神社の祭神は須佐之男命で男体社で稲田姫命を祭神とする女体社とされる一之宮氷川女体神社へ。
近くまでは問題なく到着したんですが、駐車場が見当たらず、鳥居前の小川脇に路駐。

御朱印は普通、季節、一之宮の3種。
初穂料は300円で一度に2種類までとのこと。
季節の御朱印と一之宮の御朱印を頂きました。

一之宮の氷川神社・氷川女体神社の二社と比べると社域はかなり狭いです。

御朱印には鳩ヶ谷なので鳩が描かれていました。

鎮守氷川神社。今回、一番カラフルな御朱印。

御祭神は素盞鳴命と夫婦神として櫛稲田姫命。
御朱印の左下の赤い印は素盞鳴命で春夏秋冬で色が変わり、現在は秋で赤く、来年1月からは冬で紫になるそうです。(1月15日〜3月31日まで)
また、1月1日から14日までは正月限定御朱印符となり、2月2日と3月3日はクシナダヒメの日ということで素盞鳴命の代わりに櫛稲田姫命の御朱印符が頂けるそうです。
気軽に行ける距離ではないだけに悩ましいところです。

境内には富士塚があったので取り敢えず登ってみてました。

撫で犬という像があり、母犬を撫でて安産祈願、子犬を撫でて子宝・子育て、親子を撫でて家内安全だそうです。

ここまでで本日のお参りは完了。
もう一つの一之宮小野神社や三之宮は気になるのですが、参拝するかは未定。

相模国一之宮の寒川神社の御朱印帳、そして今回の武蔵国一之宮氷川神社の御朱印帳。
神社巡りの際はそれぞれの地域の御朱印帳に御朱印を頂く予定です。
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久しぶりに鎌倉。

2019-10-20 21:16:13 | 御朱印
相模国六社めぐりで思い立ち、鎌倉五山めぐりをしようと考え、まずは五山第一位の建長寺へ御朱印と御朱印帳を求め出発。

JR鎌倉駅から出発したんですが、小町通りは観光客が多く、歩きづらいので江ノ電側から出て、人通りの少ない通りを使って建長寺へ。


途中、第3位の寿福寺がありましたが、五山めぐり用に第1位の建長寺の御朱印帳を使おうと思っていたので、ここではお気に入りの参道だけ撮影。

岩舟地蔵尊の前を通過。


亀ヶ谷坂切り通しを通って建長寺へ。
亀ケ谷切通し #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



建長寺では拝観料500円を収め、まずは御朱印帳と御朱印をお願いして境内を散策。


半僧坊からの天園ハイキングコースは先の台風の影響で閉鎖されているようでした。 

建長寺の御朱印帳と御朱印帳の初めに印刷されている建長寺開山大覚禅師語録の言葉と管長吉田老師の揮毫、建長寺の御朱印。


次は鶴岡八幡宮。

全天球カメラでも撮影したのですが、人が多過ぎて、他の人にぼかしを入れていると風景がわからなくなるので途中で断念。

こちらは相模国の神社ということで前回、寒川神社の御朱印帳に御朱印をいただきました。

御朱印を描く人が数名いるので、同じ御朱印でも頂くたびに異なっています。

帰宅途中に黒系のピンポンパール2匹を購入。
こちらは今年孵化したのか、かなり小さめ。
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六社で終わったと思ったら十三社に

2019-10-05 17:15:11 | 御朱印
相模国六社巡り残り三社。
相模三ノ宮比々多神社、二ノ宮川勾神社、総社六所神社の順で参拝。

本日はお祭りらしくお囃子の車が出て行くところですれ違いで到着。


本殿ではお祓いをしていたので、離れたところからお参りをして、社務所に寄り、御朱印帳を預けて境内を散策。

本殿裏には縄文時代の遺跡もあり見学しつつ、ぐるりと回って社務所へ。


次は川勾神社。


茅葺の山門からの本殿を撮影。


今回は他の御朱印は頂かずに本社の御朱印のみを頂きました。


御朱印以外にも小冊子やパンフレットを頂いたんですが、その中に延喜式内相模十三社巡りのパンフレット。
延喜式に記載されている相模国の神社十三社の案内。
六所神社へお参りして、相模国六社めぐりで終わりの予定だったんですがね。

前回、右折ができないと思い諦めたんですが、川勾神社からは左折で入っていけますので、左折して入って行った所、右折禁止の看板に小さな文字で六所神社前右折禁止。
ということは、前回訪れた時も問題なかった訳でした。


境内に入るとすぐに池を渡る橋。
左には龍神社、右には弁天社。


本日は結婚式を挙げており、遠目から参拝。


御朱印は本社と摂社をいただきました。



参考までにどういう順番付けかはわかりませんが十三社の社名と場所、御祭神。
深見神社、大和市深見、武甕槌神・建御名方神。
宇都母知神社、藤沢市打戻、天照大御神・稚産霊神・若日下部命。
大場神社、藤沢市稲荷、神皇産霊神・菅原道真公・大場三郎景親公。
有鹿神社、海老名市上郷、大日霊貴命。
小野神社、厚木市小野、日本武尊、下春命。
高部屋神社、伊勢原市下糟屋、神倭伊波禮彦命<相殿>誉田別命・大鷦鶺命・三筒男命・息気長足姫命・磐之姫命。
寒川神社、高座郡寒川町、寒川比古命・寒川比女命。
前鳥神社、平塚市四之宮、菟道稚郎子命・大山咋命 ・日本武尊。
石楯尾神社、相模原市緑区名倉、石橋尾大神・事代主神・日本武尊・護良親王・木花開耶姫命・保食神・天村雲命・中筒男命・天児屋根命・火産霊神・埴山姫命・水波能売神・菊理姫命。
大山阿夫利神社、伊勢原市大山、大山神祇大神・高龗神・大雷神。
比々多神社、伊勢原市三ノ宮、豊斟渟尊・稚日女命・天櫛明玉命・日本武命・大酒解神・小酒解神。
川勾神社、中郡二宮町、大名貴命・大物忌命・級津彦命・級津姫命・衣通姫命。
寒田神社、足柄上郡松田町、倭健命・弟橘比売命・菅原道真・誉田別命。
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相模六社を巡ろうと・・・。

2019-09-28 20:55:19 | 御朱印
五月に二宮駅からの散策の途中で相模国二ノ宮の川勾神社にお参りしてから気になっていた相模五社巡り。
本日、出来るだけ巡ろうと朝から車で出発。

駐車場に車を停め、まず目に入って来たのは、着物、羽織袴姿の子供達。
もう、七五三の季節なのかと思いながら、まずは神池橋を渡り、三の鳥居をくぐります。

記念撮影をする人たちが多く、しばらく人の流れが切れるのを待って撮影。


参道、神門でも同じように人の流れの切れ目待ち。


流石に拝殿前は、人の流れが切れることもなく、撮影範囲になるべく人が映らないタイミングを計って撮影。
相模国一ノ宮、立派な建物です。
お参りをして、人形放哉殿前の売店で寒川神社の御朱印帳を購入して客殿に行き、御朱印を頂いて相模川を渡って四ノ宮の前鳥神社へ。

御朱印帳は数種類ありその中から、今回は八方の描かれた御朱印帳を購入。


頂いた御朱印は普段頂ける御朱印と天皇陛下御即位を記念した御朱印の2種類。

記念の御朱印は鳳凰(?)の印が朱色のものをいただきましたが、他に青や黄色のものがあります。
こちらは御朱印帳に頂けるのではなく、後から自分で御朱印帳に貼るタイプ。
記念の御朱印は500円で、通常の御朱印はお気持ちと言われ、合わせて千円を納めました。


四ノ宮、前鳥神社では丁度、お祭りを執り行っており、参道の両脇には出店。


舞田野社務所までには氏子さんらしき人がそれらしき格好をして複数人いましたが、拝殿前は参拝者はが途切れがち。


他にも摂社の御朱印がありましたが、今回は前鳥神社の御朱印のみ(500円を納めました。)

次にお参りしたのは、相模國一國一社の八幡宮、平塚八幡宮。


七五三のお参りは人家族のみ、まずは本殿、八幡さまへお参り。

社務所により、御朱印をお願いして、境内内の開運七社詣の用紙をいただいて七社詣。

各社に印が置かれており、台紙に印を押して七社詣は完了。

七社詣は無料で、御朱印は500円。

次に大磯にある相模国の総社である六所神社に向かいます。

工事中なのか、六所神社入口の信号に差し掛かった時に右折禁止と書かれて看板があり、通過。では二ノ宮、川勾神社へ行こうと思いましたが、渋滞にはまり時間を考え、帰路へ。
次回は、伊勢原の比々多神社(三ノ宮)からスタートして、川勾神社、六所神社を巡ろうと思います。
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