散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

チョロチョロと歩いています。

2018-11-28 20:57:01 | 古道
先週の三連休初日に鎌倉古道を散策。
聖蹟桜ヶ丘から小野路まで。



そして本日は小田原。
小田原駅から城山公園へ向かい小田原城総構散策。


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逗子ー鎌倉散策(史跡巡り)

2014-03-22 21:49:16 | 古道
三連休中日。
家でゴロゴロしているのももったいないので、外出。
本日の散策コースはJR逗子駅からスタートして法性寺と大切岸、まんだら堂やぐら群、名越切通しを通ってJR鎌倉駅までの古道散策。
切り通しを抜けた後は通り道の神社仏閣へ寄り道しつつの散策。
散策日和。

逗子鎌倉散策


逗子駅の拓けていない方の出口から出て、線路に沿って鎌倉方面へ
JR逗子駅西口 - Spherical Image - RICOH THETA
ひたすら歩いて踏切を渡る手前の右ヘ入る細い道を行くと法性寺駐車場と山門。
日蓮が松葉ヶ谷で焼き討ちにあった際に白い三匹の猿がこのお寺にある岩窟に避難させたという伝説があるお寺。
山門の額に書かれた山号は猿畠山。
法性寺山門 - Spherical Image - RICOH THETA
山門から急な長い坂道を上り切った先に奥の院と日蓮の弟子の日朗のお墓のお堂があり、
法性寺奥の院 - Spherical Image - RICOH THETA
鳥居の先の石段を登って行くと山王大権現。
眺望良しです。
法性寺内の山王大権現 - Spherical Image - RICOH THETA
右手に墓地、左は崖下の小道を進んで行くと更に登った未舗装の小道。
登った先の道は二股に分かれ右に行くと大切岸に続く新しく出来た遊歩道。
大切岸に通じる遊歩道からの眺望 - Spherical Image - RICOH THETA
以前はこの近くまで来る事はできませんでしたし、大切岸は鎌倉幕府(北条氏)が三浦一族からの攻撃に備えるための防備施設と言われていましたが、調査が進んだ結果、石切場の遺構であって防壁ではないとなっているようです。
大切岸 - Spherical Image - RICOH THETA
山の尾根道の途中にあった市指定の石造り建造物の石廟2基。
ひっそりと忘れ去られた存在。
石廟 - Spherical Image - RICOH THETA
尾根道を進むと名越の切り通しへ出ます。
左に進むと逗子、右に進むと鎌倉。
とりあえず本日のゴールは鎌倉なので逗子側に行ったん進みます。
途中、左手の斜面に登る道がありますが、この先は「まんだら堂やぐら群」。
普段は史跡整備のために立ち入り禁止となっていますが、「臨時公開中」の看板。
せっかく来たので、寄り道。150穴以上のやぐらがあるのは鎌倉でも数少ない貴重な遺構。
まんだら堂やぐら群 - Spherical Image - RICOH THETA
まんだら堂やぐら群 - Spherical Image - RICOH THETA
名越切通 - Spherical Image - RICOH THETA
名越の切り通しの戻って再び逗子方面へ。
名越の切り通しの特徴(見所)のひとつ「名越切通の第一切通し」。
三浦一族が攻め込んできてもこの場所で一列にならなくてはならず、頭上の崖の上から矢を射かけることができるので防備は万全。
名越切通の第一切り通し - Spherical Image - RICOH THETA
逗子側出口まで行き、再び戻って鎌倉方面へ。
名越切通の逗子側近く - Spherical Image - RICOH THETA
先ほどの細く入り組んだ崖と並ぶ見所が置き石。
広がった道の真ん中に大きな石が間を置いてふたつ。
邪魔な石です。
この先は急な下り坂。
名越切通の置き石 - Spherical Image - RICOH THETA
直角に曲がったり、折り返すような曲がり坂。
一度に通れる人数も少なく急いで下る事もできず、弓矢で狙い撃ち!
名越切通 - Spherical Image - RICOH THETA
名越切通。鎌倉方面。 - Spherical Image - RICOH THETA
大通りに出てから見かけたお寺。
安養院。北条政子の法号から取られているそうです。
安養院 - Spherical Image - RICOH THETA
七福神があったり、身代わり地蔵、千手観音不動尊堂があるお寺。
上行寺 - Spherical Image - RICOH THETA
右に入る小道があったので進んで行くと見えて来たのが八雲神社。
鎌倉最古の神社で新羅三郎に所縁があるそうです。
社右脇の裏山に続く道は祇園山ハイキングコースに続く道だそうで次回鎌倉散策の際には歩いてみようと思いました。
八雲神社 - Spherical Image - RICOH THETA
八雲神社境内 - Spherical Image - RICOH THETA
ばたもち寺と呼ばれてますが正式名称は常栄寺。
日蓮が処刑されるための護送途中、桟敷の尼がぼたもちを捧げました事から「ぼたもち寺」。
ぼたもち寺境内 - Spherical Image - RICOH THETA
小道を進んで行くと突き当たり拓けた場所にそびえ立つ山門は妙本寺の山門。
かなり長い参道。ここでは山門だけ撮影して鎌倉駅を目指します。
妙本寺山門 - Spherical Image - RICOH THETA
戎橋と本覚寺。
日蓮宗の本山(由緒寺院)だそうで、身延山から日蓮の遺骨を分骨し本覚寺に納めているため東身延とも呼ばれているそうです。
戎橋 - Spherical Image - RICOH THETA
本覚寺山門 - Spherical Image - RICOH THETA
本覚寺境内 - Spherical Image - RICOH THETA
やっとゴールであるJR鎌倉駅入口。
この後はお土産の定番、鳩サブレを買って帰宅。
鎌倉駅入口交差点 - Spherical Image - RICOH THETA

今回は画像は全天球カメラTHETA撮影画像のみ。
デジカメで撮影した画像がプラスオートムービーで動画にしてアップ。
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朝夷奈切り通し散策

2013-05-18 19:27:41 | 古道
朝夷奈切通を久しぶりに散策しようと思いついて出発。
以前は、鎌倉駅からひたすら歩いたんですが今回はちょっと楽して杉本寺まではバスを利用。
あいかわらず鎌倉駅には観光客が多いです。
JR横須賀線で鎌倉駅に到着するとホームにあふれる人・人・人です。
遅々として進まない人の流れに乗り改札を抜けバスに乗り込みましたが満席で座席脇に立つ人もたんくさん。
バスの外を眺めると二の鳥居から八幡宮までの道すがら多くの観光客がいます。
気候も良いので出掛ける人が多いんですね。
バスに乗り10分程で杉本寺。拝観料は200円。
以前に訪れた時には本堂内の拝観はできなかったんですが、中に入り御本尊である十一面観音像を拝む事ができました。
ただ、薄暗く離れた場所からですのでご尊顔を拝すことは・・・。
名物の石段の苔は少し乾き気味。
杉本寺から歩いて5,6分程で鎌倉五山第五位の浄妙寺。
本堂の裏手の高台には石窯ガーデンテラスという石窯で焼いたパンを提供するカフェ&レストランがありますが、今回は五山めぐりではないのでパス。
目的は山門右脇の奥へ続く道の先にある鎌足稲荷。
鎌倉五山めぐりをした際に訪れた事があるんですが、鎌倉の地に藤原鎌足に由来する稲荷社。
由来を確認するために再訪です。
問い合せる人が多いのか、道々に案内の看板。
階段の登り口にも親切なほど案内板。
左側が山の斜面、右側は民家。
入り口から数メートル進むと左手斜面へ伸びるひと一人が通るくらいの細い急な石段。
石段を上った先が鎌足稲荷社。
由緒によると「大織冠藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常に
お護りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。
大化元年(645)中大兄皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って
大願を成就された鎌足公は、翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に
宿泊されました。
その夜、「あなたに鎌を授けて、守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願を
なし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに
鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。
鎌倉の地名は鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。
「お稲荷さま」というとキツネをイメージする人がいますが、キツネは稲荷大神のお使いであって、
稲荷大神そのものではありません。」

鎌足稲荷社で由来を確認したので次に行こうと来た道を戻る途中に左手に石段があり、
その先に観光客のような地元の人のような服装のおじさんが立っており、見てみると
解説板のようなものが・・・。
時間もありますし、気になったのでおじさんが移動したあとに行ってみると石碑と小さな社。
解説を読んで見るとこの場所は本寂堂と呼ぶらしく、仏・法・僧の三宝を守護する三宝荒神をご祭神として祀っているそうです。

メイン通りに出て、道端の石碑や石柱、石仏を眺めながら明王院へ。

正式名称は飯盛山寛喜寺明王院。
創建は嘉禎元年(1235年)で鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立したそうです。
幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂に祀れているそうです。
境内は撮影禁止と小さな板に書かれていたのでここでの撮影はなし。
毎月28日には護摩法要が行なわれ、誰でも本堂に入る事ができるそうです。
どんな本堂か気になる方は明王院さんのサイトでご確認下さい。
明王院の境内は狭く、うろつくのも不審者扱いされそうなので早々に退出。
通りに戻り、明石橋手前の道路と川沿いの公園の間の空き地に石仏・石柱群。
辻や境に庚申塔などがありますが、道路拡張や宅地造成で一箇所に集められる事が多いのでこの場所もそう言ったものなのでしょうかね。
ここから先は交通量の割に狭い歩道がより一層狭くなるので対向者には注意が必要です
次に訪れたのが、光触寺。
寺号は岩蔵山 光触寺。
山門をくぐると参道左手には墓地とずらりとならんだ仏像。
本堂は左に曲がった先にありますが、曲がり角に一遍上人像と塩嘗地蔵があります。
この塩嘗地蔵は元々金沢街道に安置されており、六浦の塩商人が鎌倉市内に商売に行くたびにお地蔵さんに塩をお供えしていて、帰りに見ると塩がなくなっていたことから塩嘗地蔵と呼ばれるようになったそうです。

光触寺山門を出て右へ折れ、住宅街の細い道を抜けてメイン通りへ。
川沿いに遊歩道が整備されており少しの間ですが、人とのすれ違いや車に心配せず、安心して歩く事ができます。
遊歩道が終わったところで右奥へ進めば朝夷奈切り通し。
バス停のある交差点で信号のある横断歩道を渡って反対側にある十二所神社へ寄り道。
小高い山の中腹、石段を上った先に神社があります。
神社、本殿の裏は切り立った崖。
崖の一部をくり抜いた櫓があり、中には石で組まれた社が2基。
少し涼んだあと、もと来た道を戻り、横断歩道を渡って案内表示に従って切り通しへ。

血洗い川に沿って進んで行き、徐々に民家が途絶え電線もなくなって少し進むと見えて来る分れ道。
ここからが目的の朝夷奈切り通し。
鎌倉七口と呼ばれる切り通しの多くが拡張され、足元が舗装される中、中世の雰囲気を残している道です。
前回来た時は雨上がりの後に来たので道全体にあふれ流れる水の中を歩いて、沢道を歩いているような気分を味わいましたが、今回も所々、道を横切るように水が流れてました。
岩山を切り崩した往時の大変さを想像しつつ、金沢湊から鎌倉へ荷物を運んだ商人の苦労を偲びつつのんびり歩きました。
ちょうど切り通しを登りきったあたりの崖の鎌倉側に崖を削って描かれた仏様。
この先、両脇の切り立った崖の間を抜けるのですが、足元に市境を表す標柱。
横浜側に入って右手、山を登って行く方向に熊野神社の道標。


今回は途中までバスで移動して体力を温存したので、どのくらいの距離かは判らなかったんですが、寄ってみる事にしました。
先を歩いている人がいたので、その人を目印に山道を進んで行きました。
こんな舗装路もない山の中なので小さい社の神社かと思っていたんですが、
新しくかなり立派な社の神社。
人力で資材を運んだか、クレーン?ヘリコプター?
どちらにせよ予想外でした。

簡単ですがお参りもしてもと来た道を戻り、崖の切り崩した跡を確認し、環状4号朝比奈を目指して一踏ん張り。
とはいってもなだらか下り道ですので、周りの景色を眺めながらのんびりと下山。
横浜横須賀道路の高架橋の下をくぐって切り通し出口手前の石仏・石柱群を眺め切り通し散策は終了。

環状4号に出たところでバス停があり、そのままバスに乗って京急金沢八景駅を目指しても良かったんですが、前回バスに乗ってバスから撮影してちゃんと確認をしていなかった崖の壁面に彫られた磨崖仏、鼻欠け地蔵をちゃんと撮影するためにもう少し徒歩で移動。
環状4号の両脇にはかなり民家も増え、開発と言う名前の破壊が行なわれていないか心配しながら歩いて行き、崖崩れ防止なのかコンクリートで補強されている崖を見ながらなくなっているのかと一瞬思ったんですが、なんとか保存されていました。
ただ、長い年月による風雨の浸食からか輪郭と説明書きによりなんとかそうなのかなと判別できる程度。
孫、子の代にはなくなっているかもしれませんね。
大道中学校前のバス停からバスに乗り京急金沢八景駅へ。
遅めの昼食をとも思ったんですが、駅への道すがら店を探しますがコレといった店もなかったのでそのまま帰路へ着き横浜で昼食。
天気も良く、涼しい風が吹く散策日和の日。
明日は天気が不安定らしいので、水槽の清掃予定。

今回もプラスオートムービー機能を使って動画を作成しました。
朝夷奈切り通し散策


日時:2013年5月18日 10:53:01 ~ 13:35:24
所要時間:2時間42分23秒
平均速度:2.5km/h
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久しぶりに古道散策。

2011-12-18 23:18:31 | 古道
古道と言っても割と有名な大山街道(矢倉沢往還)。今では国道246号線と言った方が判りやすいと思います。
といっても国道246号をひたすら歩く訳でなく、246号線に沿いながらもところどころ逸れてところにあるのが古道です。
今回はJR横浜線長津田駅から出発して相鉄さがみ野駅間の街道を歩いて来ました。
JR横浜線長津田駅南口から出て、時計回りに駅前バスロータリを周り線路を背にして国道246号方向に緩やかに下って行き、最初の信号のある交差点(長津田駅南口入口)を右へ。
先ず最初のポイントは「上宿常夜燈」
しばらく歩くと歩道から右に急な登り坂が現れるので、右手の坂道を登って行くと坂の途中、左手に常夜燈と地神塔が見えて来ます。
横浜市地域史跡 長津田宿常夜燈二基の内の上宿にある一基で隣には地神塔。
この常夜燈は天保14年(1843年)に宿中の秋葉山講中が建立したものだそうで、となりの地神塔は翌年に建立されたそうです。
そのまま、坂道の登って行くと大石神社の脇に到着。
ご神体は円形の自然石だそうで、在原業平朝臣を祀った神社だそうです。
鳥居をくぐり社殿正面の石段を降りて再び大山街道へ。

石段を降りて街道に戻り、右へ。
長津田小学校入り口の交差点を右折して緩やかな坂道を上り小学校手前の左手に伸びる細い未舗装路が大山街道。
未舗装路の右手に「旧大山街道」と書かれた標柱が建っているので迷う事はないかと思います。
右手は小学校の石壁で左手は雑木林。
昔の街道としても狭い道です。
少し歩くと石段があり道路で分断されており、横断歩道を渡って反対側へ。
歩いて来た道を延長した形で細い道が伸びてますが、両脇には民家が建ち並び舗装された小径になっています。
小さい交差点ですが、一応信号のある交差点で右折。
しばらくは緩やかな上り坂が続き、遠くの山並みの上に富士山の山頂部が見えたので望遠にして撮影。
自分の頭の上の空は晴れ渡っているのに遠くの山並みは霞が掛かっているのが残念。
国道246号に突き当り厚木に向かって右側は歩道がなくなるので、信号を渡り反対側へ。
左手にはアスレチックコースなども見えて来ますが、特に目を楽しませる景色もなくただ歩くのみ。
つくし野交差点に以前、マクドナルドがあったんですが今回歩いてみたところ閉店。
テナント募集中の貼紙がありこの建物の裏手の道が旧大山街道らしいので一応歩いてみました。
大山街道は再び国道246号で塞がれてましたので、歩道橋を渡って反対側へ。
歩道橋を渡って信号を渡り厚木方面へ向かうとすぐ右手に曲がる細い道が旧大山街道。
位置的には国道246号が左手にあり、右手下には田園都市線。
この細い道だけが周りから一段高くなっており「馬の背」と呼ばれているそうです。
特に何もないですが、見晴らしも良くぴったりのネーミングで気分が良くなります。
良い気分はすぐに終わり、再び国道246号沿いの歩道へ。
右手に下っていく道を進み、すずかけ台駅近くへ。
こうま公園で一休みして国道246号へ戻り、歩道橋を渡って反対側へ。
横浜市緑区から東京都町田市とかなり入り組んでいます。

国道246号も途中高架になり、左側の下の道へ。
右手に高架を見ながら一旦「辻地蔵尊」へ寄り道。
左折してすぐに左折した先にポツンとあるのが地蔵堂と道祖神。
念仏供養や諸願成就を願って元文5年11月(1740年)に建てられたもので霊験あらたかと崇敬され親しまれて来たそうで、昭和38年(1963年)に国道246号線の拡幅に伴いこの地に移されたそうです。
東名入口交差点を渡って目黒交差点までひたすら歩きます。
途中、大ヶ谷戸バス停先の交差点角に「大ヶ谷庚申塔」があり、目黒交差点手前国道246号の高架が下の道と合流する左手の公園のような場所に「五貫目道祖神」。
他には山王山日枝神社、浄土真宗円成寺もありました。
今回のルートで面倒なのは国道246号の存在。
旧道をそっくりそのまま道幅を拡幅して246号とした訳ではなくまっすぐに造り直しているので旧道が分断されてしまっており、反対側に渡るために遠回りしなければならなくなる事。
目黒の交差点を反対側に渡って、渋谷方面に戻り左斜め後方に曲がる道を入り、境川に掛かる鶴瀬橋を渡るといった無駄動きが発生。
観音寺交差点を渡ってここからは下鶴間宿。
大山阿夫利神社御分霊社。相州鶴間村と刻まれた道標があり、境内には新田軍の鎌倉進撃路(新田氏関係地名)の地図があります。
新田氏縁の家だそうです。

しばらくは鶴間宿内ですので、歩きながら周りを見回すと石仏・石塔、神社・仏閣があちらこちらにあります。
旧民家(小倉家)を復元した下鶴間ふるさと館を過ぎてすぐの右手の急な石段があり、下の方には上半身がほとんどない不動明王像があり、すぐ先の石段を上ると鶴林寺。
鶴林寺と下鶴間不動尊とは上で繋がっており社と蚕神さまと天神さまが祀れてました。
鶴林寺を過ぎてすぐの右手分れ道角にお地蔵様と常夜燈、そしてまんじゅうや跡の解説板に道標。

坂を登り切ると右手に厄除地蔵。
更に少し歩くと山王日枝神社があり、入口左手に庚申塔と青面金剛立像があります。

ここから先は一般的な普通の道。ただし、割と真っすぐな道でひたすら西に向かって歩く形になるので冬場の日が傾くのは早く常に太陽に向かって歩く形になるので、撮影はほとんど逆光!
アポロキャップでも被っていれば日差しを遮る事が出来たにと思いながらぶらぶらと・・・。
小田急江の島線鶴間駅で散策を終了しても良かったのですが、以前相鉄さがみ野駅から海老名まで大山街道を歩いたので連続性を考えて最終目的地まで歩きました。
日時:2011年12月18日 12:11:35 ~ 15:45:07
所要時間:3時間33分32秒
平均速度:3.4km/h
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横浜の古道を散策 -相州道(上星川ー三ツ境)-

2011-04-03 20:31:22 | 古道
空は曇っていて風は寒かったんですが、散策しに出掛けたくなり外出。
以前購入した冊子、横浜市教育委員会編集・発行の「横浜市の古道」の中から相州道を選択。
冊子は閉じた状態でB4サイズで持ち歩くには邪魔になるので、関連したページをスキャンしてページを合成してPDF化。
PDF化したコース図をiPadに転送して地図の準備は完了。
地図
保土ヶ谷区の岩間町付近から厚木に至る道なんですが、岩間町周辺は旧東海道やかなさわ・かまくら道、八王子往環道を散策した際に歩いていたのでスタート地点としてはパス。
スタート地点をどこにするか、地図を見て考えましたが、西谷浄水場からの道を歩いていないので西谷浄水場に近い相鉄上星川駅からスタート。
ゴールは三ツ境駅か瀬谷駅。気分次第で出発。
スタートの上星川駅です。
散策案内図で大まかな場所と途中の目印を確認。
駅のロータリから橋を渡ってすぐの信号機のある交差点の脇には蔵王高根神社。
馬頭観音、庚申塔、角塔(指差し)があります。
神社境内の桜はまだのようです。
水道坂と呼ばれる坂を上り、水道関連施設をチェック。
地図を見ると古道は西谷浄水場の中を通っていたようですが、施設内で一般人は通行不可ですので外周をまわって先の道へ。
西谷浄水場のグランドと体育館はいつの間にやら「YOKOHAMA FC LEOCトレーニングセンター」といういものに変わっていたようです。
ここで練習しているんでしょうかね?
「横浜の古道」を作成した当時の地図が古いのか、環状2号線が記載されておらずどうなる事かと思いましたが、地元の人の便宜を図ってちょっと迂回してましたが、道はあり環状2号線の下をくぐって先へ。
保土ヶ谷高校の外周の道を右へまわり住宅街の古道へ。
寄り道になるのですが、市沢の交番横の三角地に馬頭観音(弘明寺道)道標、庚申塔、猿田彦碑、二十六夜塔があると記述されていたので寄って撮影。
資料によると馬頭観音塔は慶応元年で庚申塔は天保二年だそうです。
長い間、風雨に晒されてきたのでかなり、角とか表面ははがれ落ちそうなほど劣化しています。
三反田からは2月に旭区散策の際に歩いた二俣川までのコースと同じです。

二俣川駅前まで歩き、普段車で走行する時に使う厚木街道から斜め右奥の道(分れ道には交番があり道路脇には旧厚木街道の標識があります。)を進みしばらくすると自転車駐車場の建屋の右手を登る道があるので右に進みます。
道の流れからすると左手の道に進みたいところですが、古道とされている道は右手の登り坂。
道に入ってすぐの左手の小さな公園と道の間の登った先には小さな神社。
石段を登った先に小さな鳥居と社だけがあります。
しばらくは道なりにただ歩くのみ。地図では農地であったり民家はないように描かれているところに現在は民家が建ち並んでいます。
また、歩いている内に改めて気付いたのですが、道の左右を見るといくつかの箇所で歩いている場所から下り坂。
つまり尾根道を歩いている事に気付かされます。古道の変遷はあるのでしょうが、尾根道=古道ですかね。

途中、いくつかの分れ道でどちらへ進むか悩むところもありましたが、携帯のGPSで現在地を確認しながら道を選択して無事三ツ境駅まで到着。
時間的にも昼時だったので食べ物屋さんを捜して商店街をしばらくうろつきました。
途中、見つけたのが「白姫神社」という神社を見掛けたので撮影。養蚕業は盛んだった時期、明治42年(1909年)11月に阿久和養蚕組合が伊勢神宮、外宮の「衣の神」を奉戴し、そのご神体を蚕の神としたそうです。
その後、養蚕業の衰退により阿久和町から三ツ境の現在地に遷座したということです。

本日のコースを地図にトレースしてみると判るのですが、昔の人が歩いて移動するために使われた道ですので安全に歩ける最短コースになっていますね。
地図

ルートの詳細確認は GoogleMap ルートラボで!
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旭区をちょっと歩いて来ました。

2011-02-06 21:00:34 | 古道
朝起きてどこへ行こうかと考え、区役所のサイトにアクセス。
最近は史跡や散歩コースを案内しているページがあったりするので探して見ると旭区のサイトで5つの目的別コースが掲載されていたので早速ダウンロードして検討。
古道のコースがあり、距離としては約6.4Km。
2時間くらいあれば、散策も出来ると思いますし、サブタイトルが「名木と石仏・石塔を訪ねて歩く相州道」。
散策テーマとしては私の趣味にも合いますのでiPadに地図データを転送して散策に出発。

帷子川に沿って十数メートル歩いて右の小道に入って地図通り踏切を渡ります。
地図には記載がなかったんですが、四つ角でお地蔵さんを見掛けたので撮影。左折し西川島公園に突き当たった所の民家脇に庚申塔があったのでここでも撮影。
確かにサブタイトル通りに石仏・石塔を訪ね歩く相州道です。
鶴ケ峰の駅からスタート。帷子川親水公園で小川のせせらぎと季節の花を楽しみながらのんびりと歩いて行きます。

以前歩いた時には名前を確認していなかったんですが、今回地図に記載されていて判明したのが、禅導庵跡と御嶽神社。
小さい社の神社でした。

嶋崎金子稲荷のタブノキの以前、散策で訪れた事があったんですが、コースにあったので取りあえず訪問。
民家脇の未舗装の爪先上がりの細い道を入って行くとある稲荷とタブノキですが、一部分ですが側面が焦げていました。
何があったのかと周りを見渡すと隣接した民家の庭に黒こげの複数の車 !?
民家とタブノキは全焼の被害は被ってはいないようですが、車だけが燃えるというのはどんな原因の火災でしょうかね?
見た所。5台の燃えた車が置いてありましたが、個人所有の車なのか、車販売業をされているのかは不明。
取りあえずは「横浜市指定天然記念物」のタブノキが無事で良かったです。

横浜鶴ケ峰病院と東海道新幹線の線路脇の道を進み、次なるチェックポイントは馬頭観音。
祠の中に石柱に馬頭観音と彫られた石塔。道路を挟んで向いにある椚谷公園(くぬぎやとこうえん)を抜けて通り一本奥へ。
聖徳太子像の石仏があるはずなんですが、見落としてしまいここで行ったり、来たりと往復しつつ何とか発見。
足元くらいの高さに視線を下げ、歩いていたので見落としたのですが、目線より上の民家の塀の少し凹んだ場所にありました。

三反田稲荷神社、六十六部供養地蔵はすぐ見つかったんですが、脇道に入った西岸寺はお墓は見掛けたんですが、付近にお寺らしい建物が見るからず、畑のあぜ道には蚊柱が立っていたのでそれ以上進む事なく断念。

「座頭ころばし」や「神奈川坂」と呼ばれる坂道を登ったり降りたりしつつ、神奈川坂神明社へ。
境内前に女性の配達の原付が止まっていて、動くのを待っていたんですが、近所の知り合いでしょうか通りかかった女性と立ち話をし始め、タバコを2本吸って待っていましたが、いつまでたっても終わりそうにないので、「撮影したいので少し移動を」とお願いして撮影。
橋を渡って川沿いに歩いてしばらく行き、宮沢学舎跡を探しますが中々見つかりません。
地図をじっくり見て場所を確認しまたが、大きな門のある家の門扉脇に標柱を発見。
明治6年、学制により開校した五つの学舎のひとつで二俣川小学校の前身である宮沢学舎がこの地にあったそうです。

厚木街道を渡って保土ヶ谷バイパスの本村インタ近くにある「三佛寺」が本日のコースの最終ポイント。
横浜市地域史跡「旗本宅間家歴代の墓所」、横浜市指定名木・古木「いちょう」などがあります。

ぶらぶらと歩いた散歩も二俣川がゴール。
石仏と石塔もたっぷり見ました。
嶋崎金子稲荷のタブノキが危うく焼失しそうになっていたのは驚きでしたし、石仏の聖徳太子像といった珍しいものも見れたので満足。
今まではダウンロードした地図を印刷したり、散歩の途中で携帯で現在位置を確認したり手間取っていましたが、今回ダウンロードした地図はちゃんとした地図だったのでiPadで表示して散策の手助けになりました。(拡大/縮小ができるのは便利でした。)

旭区散策 -1-
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出版されていたんですね。

2010-12-15 19:10:12 | 古道
趣味でといいますか、どうせ散歩するならばある程度目的を持ってと思い、散歩する時にはテーマを持って(Webや本で探して)散歩ルートや古道を歩いていたんですが、横浜市の出版物を探していて見つけたのが、横浜市教育委員会編集・発行のこの「横浜の古道」1,200円。
昭和62年に発行されて平成二年に改訂、平成八年に増補改訂された冊子です。
新しく道路が造られたり、宅地開発で山が切り崩されたりして、この資料が作成された当時のルートが残っているか心配な面もありますが、年内はゆっくり研究して来年は、のんびりと実地踏破してみたいと思います。
地図に記載されているのは横浜市内を通る「東海道」、「矢沢沢往環」、「中原街道」、「稲毛道」、「恩田川北岸神奈川道」、「恩田川南岸神奈川道」、「横浜道」、「八王子道」、「相州道」、「金沢道(六浦・浦賀道)」、「柏尾通大山道」、「吉田道」、「境川東岸藤沢八王子往環」の13ルート。
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相鉄相模大野駅-海老名駅(大山街道)

2009-05-31 15:19:09 | 古道
天気も持ち直したようですし、夕方までは雨が降らないようなので散歩。
東海道五十三次も箱根でストップしたままなので、代わりに今年は大山街道を歩いてみようと思っていたので、相鉄沿線の駅から出発できるルートを散策。
相模大塚駅出発です。
お隣のさがみ野駅でも良かったのですが、相模大塚駅から散策に出掛けた事がなかったので多少遠回りする事になりますが、相模大塚から出発。
駅前のロータリを抜けて国道246号線方向へ進んで行き、桜森の交差点まで行きます。
現在の地図では交差する太い道が厚木(大山)街道と記載されていますが、目指すは旧道。
交差点を渡って工場脇の道へ進みます。交差点を渡ってすぐに右折をしてそのまましばらくは真っすぐな道をひたすら歩いて行きます。
国道246号に突き当たる手前に歩いて来た道に対して斜めの道と交差したところで左折。
この国道246号から斜めにさがみ野駅へ向う道が旧の大山街道。
ひたすら真っすぐな道を歩きます。
さがみ野駅入口交差点を通り過ぎ、踏切を渡って大塚交差点。
昔、塚があったそうですが現在は何もなくただの交差点。
ここからもひたすら道なりに進みます。歩いていて左右からの合流して来る道を見ると下り坂。
尾根道を通っているようです。昔は沢や川の近くの道は大雨による増水の危険から逃れるため尾根に沿って道が開かれていた事を実感!
赤坂というバス停に大きな銀杏の木があり、バス停と銀杏の大木の間にあった不動明王座像。
台座の側面には何やら文字が彫られているようですが、風化によってぼろぼろとなっていて「江戸○×△?☆」。
結局江戸の文字しか読み取れませんでした。
ここから緩い坂を下る途中の左手延びる道の交差点。民家の塀の脇に道標があります。
手前側面には「右 国分 厚木 左 大塚 原町田」 もう片方の側面には「向ニ 小園 早川 綾瀬村小園」と刻まれており、左の道を進むと小園や早川に行く道だと判ります。道標の並びに「渡辺華山ゆかりの道」とい言う案内板が建っており小園や早川に抜ける道は「古東海道」と書かれていましたが、古東海道ルートはどのようなルートか気になるところです。
角の反対側、マンション横の公園に建っていた石碑ですが、文字が判別できず何の石碑なのかは不明。
再び、歩き始め望地の交差点。
右へ曲がれば現在の厚木街道ですが、大山街道は交差点を渡った二本道の右の道らしいので横断歩道を渡って右側の緩やかな登り坂へ。
右手に公民館があり、公民館前の空き地の道路に面した場所に馬頭観音がありました。道路の反対側には公園。おそらく晴れた日にはこの公園から大山が見えるのではないかと思います。
公園と公民館の間の道を下って行き、道なりに右に曲がって右手の民家脇、少し奥まったところに道祖神があります。道をそのまま進んで厚木街道に出て目久尻川を渡って、すぐ右に曲がり川に沿って進んですぐ左の未舗装の道の先には伊勢山自然公園。
普段ですと公園内の散策となるところですが、今日はどこまで歩くかを決めていないので今回はパス。
再び通りに戻って歩いて行くと道は二叉に別れます。
史蹟逆川碑
大化の改新の頃に目久尻川を塞き止めて分岐させて海老名の耕地の灌漑用や運送用に水路を掘り作った川だそうで、以前の川の流れを解説した碑が建っていました。
二叉に別れた右の道を進み、道標や温故館(老朽化して倒壊の危険があるため閉鎖中)や道祖神を見掛けながら海老名駅へ。
途中には国分寺跡や海老名の大ケヤキなども見掛けましたが、以前かしわ台から海老名駅まで歩いた時にゆっくりと見物したので今回はパス。

海老名駅到着です。
途中から日差しも出て来て汗だく!
道路沿線の開発も進んでおり、建物ばかりで木陰や休憩する公園もほとんどないルートでした。
尾根道を歩いて海老名近くで低地になるほとんど急な登り坂のないコースだったんで歩くのは楽でしたが、日差しを除ける事が出来ないルートですので真夏はキツいコースかと思います。
寄り道しつつのんびり歩いて2時間のコースでした。
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鶴見の古道(鶴見神社-寺尾道-獅子ヶ谷市民の森)

2008-07-21 21:39:58 | 古道
ちょっと鶴見に用事があり、行ったついでに散策。
鶴見の古道と呼ばれている小杉道か寺尾道かどちらかを歩いてみようと旧東海道から少し入った鶴見神社からスタート
鶴見神社は往古は杉山大明神と称し、境内地約五千坪を有する社であったそうです。その創建は推古天皇の御代(約1400年前)と伝えられて横浜・川崎間最古の神社だそうです。
主祭神
杉山大明神と天王宮の二社相殿で杉山大明神 - 五十猛命を祀っていて、天王宮 - 素盞鳴尊を祀っています。
横浜市地域有形民俗文化財
平成18年11月1日登録
寺尾稲荷道道標は、旧東海道の鶴見橋付近から寺尾・小杉方面への分岐点にあった三家稲荷に建てられていたもので、一村一社の神社合祀令によって、大正年間に三家稲荷が鶴見神社境内に移された時に、移されたものと思われるそうで、昭和30年代前半頃に、鶴見神社境内に移されていた三家稲荷の鳥居前の土留め作業を行なった際、道標が埋没しているのが発見され現在の場所に設置されています。
神社を抜けて隣の公園を更に抜けてJRの高架をくぐり、三角交差点へ進み、レアールつくの商店街のアーケードを歩いて行きます。
アーケードの途中の左路地横に地蔵堂があったので撮影。
ぼてふり地蔵といい、堂横の『ぼてふり地蔵尊縁起』によると江戸時代ハマグリやアサリをてんびん棒で担ぎ売り歩く行商人をぼてふりさんと呼んでおり、生麦村や潮田村から寺尾や末吉のお屋敷町に向うぼてふりさんは三角のお地蔵様の前で一休みし、出立の時にお地蔵様を倒して行き『早く荷が売れたら帰りに起してあげるから』と願を掛けた帰りに再び起して願解きをし、手を合わす事から地蔵様は『ぼてふり地蔵』と呼ばれるようになったそうです。
この地蔵堂には近隣から集めた地蔵様も祀られています。
商店街のアーケードを抜けると道は4方向に別れます。文政年間に編集された『新編武蔵風土記稿』に記された追分がこの地点と思われます。
右が古道の小杉道、左の小机に抜ける寺尾道になるそうで、昔はここに地蔵堂があり、地蔵塔の側面に道標が刻まれていたそうですが、現在はなくなってありません。
現在の諏訪坂と右の末吉道との間に細い坂道があり、間の細い坂が旧諏訪坂です。
諏訪坂の町名の由来となっているこの坂の途中に『諏訪馬之助館跡』があります。古くは諏訪山と称して、永享年間(1429-1440)に小田原北条氏の家人であった諏訪三河守が、殿山(現馬場町)に城を構えたとき、そこから東北に延びる丘陵の突端にこの館を築いたそうです。
『武蔵風土記稿』に諏訪家屋敷として『海道より右方へ5・6丁ゆきて丘上にあり一株の大松あり是諏訪午之丞(馬之助)居住ありし所にて其頃前の松なり、故二土人今も諏訪の松といえり』とあります。
文久元年(1861)4月、老松のあった根元の塚を掘ったところ、古い石棺が出て、中から数々の遺物が発見され、後にこの塚は諏訪山古墳として奈良時代のものと指定されました。
諏訪馬之助館跡の解説の板の前に路駐をしている車があり、解説板全体をきれいに撮影できず、こんなレイアウトになりました。
坂を上り切ると住宅街でどの道が古道なのか判らなくなりました。
どちらに進めば良いか判らずウロウロと歩き回っていた所、細い階段状の坂の下に神社らしきものを見つけたので、取りあえず階段を下りて神社横へ。
小さい社で名前は確認できませんでしたが、隣の諏訪坂公園に目を向けると何やら石仏や石碑を発見。
公園の入口にあったのは、『諏訪坂古墳石棺蓋石と道標』で先程の追分に以前、置かれていたお地蔵様がこちらに移転させられていたようです。
側面には『是より末吉道』としっかり刻まれています。
道路整備(拡張)などで古碑を撤去してしまうのは問題だと思いますが、移動したならば移動したで、移動先をちゃんと記しておいて欲しいものです。
多分、道に迷わなければこの公園には来なかったでしょうし・・・。
公園前の道を迷ってウロウロとしている時に見つけたアパート前のお地蔵様。
由来は判りませんが、アパート入口付近に祠に鎮座しています。
風雨により削られており良く判りませんが、ひょっとして馬頭観音かもしれません。建立年も読み取る事はできませんでした。
このまま迷子になってしまってはどうしようもないので携帯のGPS機能を使って寺尾道と判っている響橋を目的地に設定してナビで歩いて行く事にしました。
途中、目的地が響橋の下、第二京浜になっていることに気付いて目的地を修正。
おかげで山から一旦下の第二京浜に降りてしまい、昭和坂を上る事になり無駄な時間と体力を使ってしまいました。響橋を渡ったところに享保元年(1716)建立の庚申塔がありました。
橋の左側を渡ってすぐ後ろを振り向いた所にあり、何気なく歩いていると見過ごしてしまいそうです。
また、このように古道などを歩いていると残念に思う事として、このような庚申塔や石仏の近くはゴミの集積場として利用されている事が多く、もう少しちゃんとした扱いをしても良いのではないかと非常に残念です。
橋を渡ると道は二叉に別れていて左の道に進むとすぐの左手に祠がありお地蔵様が納められています。
二体安置されており、小さい方のお地蔵様は天明年間(1781~1788)に建立されたようです。
しばらくそのまま道を歩いて行くと鶴見排水池信号があり、右後方から合流する道の角にこの馬頭観音があります。
文化二年(1805)建立。
古道を歩いていると辻ごとに周りを見回し、石仏や石塔がないか確認をしなければなりません。
昔の人は目印として、安全祈願として辻に石仏や石塔を建立していたようですので旧道(古道)を探して歩く目安になります。
ただ、近年は道路拡張や宅地開発が進んで道が変更されたりして、昔(明治期)の地図が頼りといった事も多いようです。
ここまで歩いて来てこの後も歩いて行くかバスに乗って最寄り駅から帰るか、ちょっと悩みました。
携帯のGPS機能を使って地図を表示させると獅子ヶ谷市民の森がここから1.7キロ。
ナビ機能に任せて寄ってみる事にしました。
住宅街の細い路地を抜け、坂を下り上りしてやっと到着!
森の中の小道を下って広場で休憩。
水道があったので顔と手を洗い、ついでにシャツを着替えて一服!
デイバックも汗で濡れています。肩ベルトからは塩が吹いていました。
広場を抜け降りて行くと再び、住宅街。
住宅街の裏山が市民の森となっているようなので右手に森を見ながら、再び森に入って行ける道を探しながら歩いて行きました。
画像左手奥の地蔵は、享保3年(1718)に建立されたもので『子授け地蔵』とか『車地蔵』と呼ばれているそうです。
お堂の左側の柱には、小さな木の車が取り付けられています。
この車は『地蔵車』または、『後生車』とも呼ばれ、これを回す事によって六道の苦難から救われると信じられ、後生安楽に成仏すると言われてきたそうです。
この車地蔵が建っている峠道は、江戸時代、鶴見から師岡・綱島方面に至る唯一の街道だったらしいです。
残念ながら、今回は歩き疲れてしまったので、この峠道を歩くのは断念しました。
森を右手に見ながら歩いて行くと西谷戸池というのがあり、池の水は地下水をポンプで汲み上げているそうで、この地下水は綱島温泉で有名なように茶褐色をしています。この色は地下に堆積している落ち葉などの植物の腐食等による有機物が溶け込んでいると考えられているそうです。水質は飲む事はできないそうですが、生物や植物に有害なものでないそうです。(鯉が泳いでいました
携帯のナビ機能を使って二つ池を見て帰ろうと思ったんですが、朝充電したにも関わらず電池切れ寸前。
こんな所で迷子になるのはかなり恥ずかしく、ちょっと焦りましたが周りを見回すと何やら茶色い大きなショッピングセンターのような建物の一部が見えます。取りあえずその建物を目指して歩きます。
トレッサ横浜。(トヨタテクノクラフトの工場とトヨタグループの物流拠点の跡地に出来た首都圏初のオートモール複合施設)
雑誌か何かで見た事がありいつか行こうかと思っていましたが、寄ってみる元気もなく、頭の中は早くバスに乗って近くの駅まで行く事のみでバス停を探し帰路へ。
バス停に着くとすぐに新横浜駅のバスが来たので乗り210円払って新横浜駅へ。
久しぶりに新横浜駅に来ましたが、駅ビルを作っているのは知っていましたが、完成した駅ビルを見るのは今日が初めてです。立派なビルです。
店舗もいくつか入っているようですがこのビル全部がテナントなんでしょうか?
大型商業施設?
残念ながら今回はここもパス!
頭の中は帰る事しか思いつきません。次回ゆっくりと見に来たいと思います。


本日のルート

クリックするとALPSLABのルートマップが表示されるので『▶』ボタンでクリックしてルートを確認して頂けます。
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かなさわ・かまくら道

2008-06-14 17:41:49 | 古道
保土ヶ谷区内の古道を歩こうと思い今日は金沢横町の道標で記された『かなさわ・かまくら道』を散策。
正確にいうと今回は保土ヶ谷区から南区(鎌倉街道)までです。
どこからスタートしようかと地図を見たり、Webサイトを調べたりと多少、事前準備に時間が掛かりましたが、山越え(二つ)のコースなので自転車ではなく徒歩で行く事を考え、相模鉄道線天王町駅をスタート地点とする事にしました。
なるべく、昔からの道を歩こうと思い天王町付近の古い地図でルートを確認。
横浜市のサイトにはGoogle Earthの衛星・航空写真に重ね合わせてみる事のできる古い(昭和20年代)地図データがあるのでダウンロードして現在と比較確認する事ができます。
右の赤線は昭和39(1964)年の帷子川河川改修工事以前の天王町駅付近の川の流れです。
駅前のかって帷子橋が架かっていた場所は小さな公園となっていて、帷子橋のモニュメントがあります。
また、古町橋は右の画像の場所に架かっており、川の流れは左側のマンションから右へ流れていました。
川の跡は一部、公園になったり巾が狭くなっていますが、道路になっています。
現在は陸地ですが、江戸時代以前は天王町の帷子橋近くまで入り江となっていたり、この古町橋より内陸まで海が広がっていたようで、時代によって渡れる場所が変化して鎌倉道もそれに合わせて変化(移動)しているそうです。
神明社御由緒(旧伊勢神宮領榛谷御厨総鎮守)
今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大神が武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社嶺を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜社人 供僧 巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正十八年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行なわれ御朱印地が安堵された。また、元和五年(1619)宮居を神戸山山頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。


明治二年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治六年村社に列せられ神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成十年十月、鎮座1030年祭、当地遷座770年祭、伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して『平成の大造営』が行なわれ、三百八十年ぶりに御本社、摂末社神楽殿等総ての境内建物十二棟が一新された。
平成十二年四月、神奈川県神社庁献貨使参向神社に指定された。
御祭神は天照大神。
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り。
野村ビジネスパークから月見台へ上る坂道。通称ビール坂。
昔、神戸町(今の野村ビジネスパーク)にはこの辺りの湧き水を利用したビール会社、後に日本最大の製瓶工場があり、それが由来になった坂道。
道のつながりからするとこの坂道はかなさわ・かまくら道ではないと思いますが、この坂道を登り切った先の道がかなさわ・かまくら道と表記されているので、かなり急な坂道ですが、登って行きました。
月見台から坂を下り切り、旧東海道保土ヶ谷宿の東側、金沢・浦賀往還への出入り口にあたり、通称『金沢横町』と呼ばれていた場所にある道標四基。道標はそれぞれ、
円海山之道 天明三年(1783)建立
かなさわ、かまくら道 天和二年(1682)建立
杉田道 文化十一年(1814)建立
富岡山芋大明神社 弘化二年(1814)建立
本日はこの道標にある『かなざわ、かまくら道』を歩く事が目的。
金沢横町の道標を見てJR東日本の踏切を渡り、国道1号線へ。
交差する所に歩行者信号があるので渡ると案内表示がありますので、案内に従って路地を進みます。
石名坂(いわな坂)という名前の坂道です。
道の左側は民家がポツポツとある程度で緑が残されていますが、道の右側はマンション等が建ち並び、残念ながら古道の面影が非常に薄くなってしまっています。
御所台地蔵尊
石名坂の『政子の井戸』の手前、左手にあります。
人が一人登れる石段の先に庚申塔や馬頭観音、石灯籠があります。
長い年月で文字はかすれて見にくいですが元禄、貞亨と六合掌三猿や阿弥陀立像、三猿文字庚申に刻まれています。

御所台の井戸(政子の井戸)
政子の井戸と呼ばれるようになったのはこの井戸の水を政子が化粧に使ったという言い伝えと、この一帯が政子の所領する土地だったのではないかという説のふたつがあるそうです。
きれいに整備されていますが、これだけ周りに民家が建ってしまうと井戸水としてはどうなっているんでしょうか?
坂を登り切り、横浜清風高校を通り過ぎた先の信号の角にあるのが、『北向地蔵』
解説によると横浜市地域有形民俗文化財
僧三譽伝入(さんよでんにゅう)が享保二年(1717)に、天下泰平・国土安全を祈念するとともに旅人の道中安全を祈願して建立したものです。この場所は東海道の保土ヶ谷宿の通称金沢横町から分岐した金沢・浦賀往還への途中に所在するため、角柱には『是より左の方かなさわ道』『是より右の方くめう寺道』と刻まれ、金沢方面と弘明寺方面への道案内も兼ねています。と書かれています。
北向かい地蔵の名前がついた理由として始め、北(江戸)を指し示すように建立しその後、修繕の時などに地蔵の向きを変えても、いつの間にか北向きに戻っているので「北向地蔵」と呼ばれるようになったと言い伝えがあるそうです。
ここまでが明確化されている『かなさわ・かまくら道』。
今回はここから直進して蒔田、鎌倉街道へ向いましたが、諸説あるようでここから先はどの道が昔のかなさわ・かまくら道かは特定されていないようです。
また、首都高狩場線建設のため旧道が分断され、道がなくなっている状況も特定を難しくしているようです。
相鉄天王町駅から保土ヶ谷、蒔田経由京急井土ケ谷駅まで二時間近く二山越えて歩きましたが、歴史的を伝えるものは『金沢横町の道標』、『御所台地蔵尊と御所台の井戸』『北向地蔵』と少なく、また、宅地化が進み古道を歩いても往時を思わせる風景がなくなっているのは非常に残念です。
次回、保土ヶ谷区内の古道は和田町(和田橋)を起点とした古鎌倉街道を調べて歩く予定。
では。
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