散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

新年最初のロングな散策。

2019-01-05 19:58:12 | 旧東海道
年末年始の休暇に入ってからほぼ、長い時間歩いていなかったので足慣らしの意味で起伏はありつつ山登りにならない程度の散策。
JR横須賀線の東戸塚駅近くにある旧東海道の信濃一里塚から保土ヶ谷宿の相鉄天王町駅までのコース。

以前歩いた時の記憶を頼りに東戸塚駅をスタート。

感情2号に向かって坂道を登って行く途中で右手にこんもりのした小山。
何かあるのかと思いながら進んでいくと白旗山公園というプレートと上へ続く石段。
白旗といえば源氏に関係するものがあるのかとお思い、石段を登って行き何があるか確認。
その先には平坦な平場と雑木林と石碑。
白旗山公園 - Spherical Image - RICOH THETA


後から地図を確認すると裏手に白旗神社があったそうで、神社には気付かずに第一目的地へ。

以前、歩いた時より宅地化が進んでおり、道の両端に民家。
一里塚はちゃんと保護されているか心配になりつつ進んでいくと無事残されていました。

360度撮影での一里塚です。
信濃一里塚 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA


一里塚の上は公園になっており登って撮影。
信濃一里塚公園 - Spherical Image - RICOH THETA


そのまま進むと焼餅坂。
環状2号線の工事と周辺の開発時期に合わせて道の付け替えやマンションが建ち、むか〜し車で通った時は両側が雑木林でくらい細い道だったんですが、今は上を見れば空が広がり往時の面影なし。


坂道を登りきると境木不動尊。
相模国と武蔵国の境に木があり、町名の境木町。
境木地蔵尊 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



そのまま進んで権太坂へ行かずに投げ込み塚へ。

この地区を開発した時に人骨が多数見つかったことから碑が建ったそうですが、このような説明の碑があるとこの辺に新たに住んだ人たちはどう思うんでしょうかね。

戻って、権太坂を下るかコースを外れて横浜市児童遊園地へ寄るか悩み、権太坂は何度か通ってますしただの下り坂なので児童遊園地へ。

ゴミ焼却場へ行くトンネルを進み、抜けたところで右手に児童遊園地のは入り口。
ここへ来るのは初めてなので途中見かけた園内地図をしっかりと覚えて公園内を散策。



公園を抜けて英連邦戦没者英霊墓地へ行こうかとも思ったんですが、戻りを考え断念。
そのまま国道1号へ戻り、旧東海道の散策へ。

権太坂の下を通り、上方見附を抜け、本陣跡を見て保土ヶ谷の商店街を抜け相州道をちょっと歩いて古東海道に入り天王町駅で本日の散策は終了。







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2013年6月23日の散策

2013-06-23 21:09:33 | 旧東海道
先々週に鶴見から保土ヶ谷(天王町)までの旧東海道を散策したので、
本日は天王町から品濃一里塚まで。
今回は権太坂がありますので、無理をせずのんびりとキツい時には自転車を降りて行く事にします。

江戸名所図会や歌川広重の東海道五十三次に描かれた保土ヶ谷宿の帷子橋跡です。
昭和39(1964)年7月に帷子川の河川改修工事で河川の流れを変更して今は埋立れていますが、
以前はここに川が流れていたんです。

駅から保土ヶ谷駅までの道が旧東海道であり、宿場内の道ですが名所・旧跡等もないので、
駅前を右に曲がり旧東海道から一本右の平行した道「旧古町橋」の解説板があるところからが古町街道。
保土ヶ谷宿が新町で昔からの道(町)を古町と呼んで別けているそうです。

旧東海道保土ヶ谷宿内を歩いてJRの踏切手前、金沢道と交差する左手には
金沢横丁道標4基(横浜市地域有形民俗文化財)があります。
「円海山之道」の石柱は天明三年(1783)建立、左面にかなさわかまくらへ通りぬけと刻まれているそうです。
「かなさわ、かまくら道」は天和二年(1682)建立、左面に「ぐめうし道」と刻まれているそうです。
「杉田道」は文化十一年(1814)建立、正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻まれているそうです。
「富岡山芋大明神社の道」は弘化二年(1845)建立の4基。

JRノ踏切を越えて国道を渡った先に苅部本陣跡。
建物はいつも時代のもかは判りませんが、江戸時代と言う事はないと思います。

保土ヶ谷宿の上方からの入口。
上方見付跡と一里塚跡の近くにある外川神社。宿外れの神社ってことですね。
今井川の改修工事と道路の拡幅工事に併せて上方見付跡と一里塚跡が作られました。

国道1号、狩場インター手前の保土ヶ谷2丁目交差点を渡って右側の道へ。
こちらの道が旧東海道道なりに進んで、突き当りを左に曲がって道路右を歩いてすぐに
右手に伸びる急な坂道。
権太坂です。ここでは無理せずに自転車を降りて押し歩き。
昭和30年代に道路改修工事される前は寂れた坂道だったそうです。

権太坂を登りきって突き当り(境木中学校)のところを左に曲がって投げ込み塚へ寄り道。
昔の行き倒れになった旅人の亡骸を葬った塚。
宅地開発の時に発見され塚が作られたそうです。

境内にそびえるケヤキの木が武蔵国と相模国の境で境木。

境木地蔵尊の前の交差点から下る坂道は焼き餅坂。
20年くらい前は坂の両脇はうっそうとした林でしたが、宅地開発で昔の面影がほぼなくなっています。

焼き餅坂を下って(自転車だとかなり快適)、品濃坂を登った先に一里塚。
日本橋から九番目の一里塚で、道の両側の塚が当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけで県の史跡に指定されています。
塚の裏側は公園となっており、ここで休憩。
戸塚宿までは特に名所・旧跡はなく「○○跡」などの標柱のみなので、帰路の体力を考えここまで。

環状2号に出て新横浜方面を目指し、国道16号と交差した所で古道相州道を通って相鉄上星川駅で散策終了。
本日のルートや他の画像は以下の通りです。

2013年6月23日撮影(プラスオートムービー)

本日のルート
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鶴見ー保土ヶ谷(旧東海道輪行)

2013-06-09 19:12:24 | 旧東海道
本日は予定通り散策へ出発。
久しぶりに旧東海道。
自転車なので思い切って鶴見から保土ヶ谷宿の天王町までの以下のコース。

自転車はしっかりと輪行バックにつめて電車に乗って来ましたが、
嵩張るので座席にゆっくり座って行くわけにも行かず立ったままでここまで。
バックから自転車を出して各部をしっかりセットしてスタート。
この京急鶴見駅前の商店街通りが旧東海道。
ここから下野谷町交差点で第一京浜を越えて生麦の通りへ。

生麦の通りに入って一番始めにあるお寺。慶岸寺。
手前左手にあるお堂は子育地蔵尊。

本宮地区の稲荷社。
解説によれば、「蛇も蚊も」という横浜市指定無形民俗文化財の行事があるそうで、
萱で蛇を作り悪霊を封じ混めて、原地区の神明社で作った蛇体と境界で絡み合いをさせた後に海に流したそうです。
本宮地区は雄蛇で原地区は雌蛇。
現在は別々の行事となっているそうです。

「蛇も蚊も」の原地区の神明社。
公園の中に小さな社殿があるのか、境内を公園にしているのか?

横浜環状北線建設工事のため現在の場所に仮移転しているそうです。
本来あった場所は生麦事件で重傷を負ったリチャードソンがとどめをさされた場所。
今回は民家脇に書かれた生麦事件現場を見落としたので、しっかりと撮影。

神奈川新町駅近くにある神奈川通東公園内にあった解説板。
解説によると国道拡幅工事で移転した長延寺跡地(オランダ領事館跡)だそうです。

良泉寺は開港当初に神奈川宿の寺が各国の領事館などに充てられた中、
本堂の屋根を修理中といって断ったお寺。

笠のぎ稲荷神社。「のぎ」はノギヘンに皇。
境内には横浜市指定有形文化財の板碑があります。

真言宗高野山 能満寺。

神明宮です。別当寺は先程通過した能満寺。

神奈川小学校の裏手の壁に描かれた神奈川宿の様子。
図に書き込まれた記事に寄るとこの場所は海の中でこれから通る京急仲木戸やJR東神奈川駅も海の中。
先程訪れた能満寺の前の道が街道だったことからするとここが海とは思えないのですが、
急角度に切れ込んだ海岸線だったのかもしれません。

金蔵院。鉄筋立ての建て屋と別に趣のある山門。

熊野神社。金蔵院が別当寺。
神奈川郷の総鎮守。

神奈川宿の高札場を復元したものだそうで、当時は神奈川警察署の西側にあったそうです。

開港当初、アメリカ人宣教師の宿舎として充てられたお寺。成仏寺。

浦島太郎が竜宮城から持ち帰った観音像などが伝わっている伝説のある慶運寺。
別名うらしま寺。
開港当初フランス領事館に充てられたそうです。

開港当時にイギリス領事館に充てられたお寺で日蓮宗の浄瀧寺。

宗興寺はヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士が診療所を置いた場所だそうです。
山下町の方にヘボン邸があったそうですが、来日当初に開いた診療所なんでしょうかね。

宗興寺の脇にある神奈川の井戸。
海近くに名水といわれる水が汲み上げられたというのも不思議ですね。
解説にも書かれていますが、水の増減で翌日の天気を知る事ができたので「お天気の井戸」とも
呼ばれていたそうです。
現在も水が汲めるのかは不明。

「滝ノ橋と本陣跡」の解説板ですが、この図を見る限り橋の先は海。
埋立地との境目を確認するにはこうした昔の絵と動かない施設や建物から比定。

洲崎大神です。
解説板にある当時の風景がを見ると山門から先、現在の第一京浜の場所は船着場で海。

普門寺は先程の洲崎大神の別当寺だったそうです。開港時、イギリス上官の宿舎として利用されたそうです。

甚行寺は開港当時、フランス公使館として利用されていたそうです。

青木橋の手前、京急神奈川駅の改札近くの案内板とJRと京急の線路。
駅舎奥に見える山は幸ヶ谷。
昔は権現山と呼ばれていたそうですが、山を切り崩して線路施設の埋立に利用されたそうです。

開港当時、アメリカ領事館として使われた本覚寺。
先程の生麦事件之場所からここまで、逃げたそうですが馬に乗っていたとしてもかなりの距離を
負傷して逃げたんですねぇ。

東横線がみなとみらい線に乗り入れて東白楽駅の先から反町ー横浜と地下にもぐり使われなくなった
地上の線路跡がどうなっているのかと思っていたんですが、「東横フラワー緑道」として変わっていました。
自転車は通行禁止となっていたので、そのうちに東白楽から散策してみます。

大綱金刀比羅神社です。
本殿はここからひたすら石段を登って奥深くにあるので、道路に面した鳥居を撮影して終了。

浮き世絵にも描かれている神奈川台。
坂道の途中にある田中屋が坂本龍馬の奥さんの「おりょうさん」が働いていた事があるそうです。

台町の坂を登り切ったところにある神奈川台関門の碑。
もう少し、西側に関門があったそうで案内板の画像によれば道の両脇に民家があったようですが
切り通しなどの道路を作ったりしたため、かなりこの先の地形が変化しています。

浅間神社ではお祭りが行なわれており、神社周辺から追分近くまで屋台が出ており
人出が多く、普段でしたら環状1号沿いの歩道を避けているんですが、自転車に乗ったまま
抜ける事ができず、車の熱気にやられながら走行。


天王町の橘樹神社で終了。

2013年6月9日 10:35:34出発 ~ 13:34:01ゴール。
所要時間:2時間58分27秒。


今回もプラスオートムービー機能を使って動画作成。
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箱根旧街道(箱根峠から三島まで)

2010-05-01 15:26:24 | 旧東海道
今回の旅の一番の難所。箱根峠。
坂がきついとかではなく、道が良く判らない。
方向を考えると坂の途中で国道1号線を横断しなければなりません。しかも、国道1号線と新道の合流している場所でです。
道の駅箱根峠まで国道1号を戻り横断歩道を渡って歩くしかないのですが、歩道スペースがないので対向してくる車に注意が必要ですし、合流時点では車の交通量は少ないもののスピードを出してくる車も多いのでかなり気を使います。

また、道路の右と左のどちらの歩道を歩いていれば、箱根旧街道へ入る道があるか判らず行ったり来たりしてかなりの時間を使ってしまいました。
ウロウロしているうちにたまたま足下を見たら歩道に埋められた道案内に気付いて道が判りましたが、場合によってはここで断念したかもしれません。
進行方向右手に箱根エコパーキングという駐車場があり、その後ろに沿って箱根旧街道への歩道が整備されており、そのまま進むと国道1号から右に別れた車の通行が少ない道に入り、暫くすると左手に箱根旧街道入口が見えて来ます。
進んで行くとすぐに母屋と案内表示がありますので現在地とこれからのルートを確認。
母屋左手奥に入ったところに箱根八里記念碑があります。


頭から多いかぶさるような木々の間を通り、坂道を下って行くと左手にちょっと見過ごしそうな小さな石柱。
刻まれた文字を読むと「兜石跡」。観光案内等を読むともっと大きな株の形をした石ですが、ここにあるのは小さな石柱。道路整備で撤去してしまったのでしょうか。ちょっと残念。
更に進んで行くとオートバイのエンジン音が良く聞こえて来た所で国道1号と合流。
箱根旧街道はうねった国道1号を突っ切るような道ですので、このように国道1号に出たり入ったりしています。
国道に突き当たり右に曲がりしばらく、国道に沿った歩道を下って行きます。下りの左カーブの出っ張った所に接待茶屋というバス停があり、再び箱根旧街道へ。
入口脇には一里塚があり案内板もあります。少し入った右手には兜石!ここに移されたようです。

この後は施行平で眺望と楽しんだ後、石原坂・大枯木坂を下って国道1号を渡って願合寺地区の箱根旧街道石畳を歩いて「雲助徳利の墓」を見て、山中城跡を見学。宗閑寺には豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた時の戦死者(豊臣方と北条方の武将)のお墓があります。

国道1号をしばらく歩いて右手に案内標識。富士平入口。木々の間から見える富士山が何故か下方に見えます。少なくとも目線より上に見えないととも思うのですが、ちょっとした場所(立ち位置)による錯覚でしょうか?
旧街道を抜けると左手にドライブイン。次の旧街道入口は道路を挟んで反対側。ただし、右手はすぐカープですし左から下り坂を利用してスピードを上げたトラックが走り抜けて行きます。少し国道を上に戻って横断歩道を横断。この時も安全確認をしつつ、タイミングを計りながら横断です。
箱根旧街道上長坂の右上に国道1号が通っており車の騒音が響きます。

再び国道1号に合流して左側雄歩道を歩いていると箱根旧街道へ。この先には笹原一里塚。京に向かって左手の塚が残っていますが、右手の塚の辺りには民家。何時誰が整地してしまったんでしょうか?
笹原一里塚を過ぎて再び国道1号を横断して向い側の下り坂へ。この坂の名前は「こわいめし坂」。昔、米を背負った人が余りの急坂で汗で米が蒸れて強い飯になったということから名付けられた坂。今回は下り坂で良かったと思いましたがいきなり急な下り坂となり結構脚に来ました。
臼転坂は再び石畳の坂。でこぼこ道がだんだん耐えられなくなって来ました。

しばらくは舗装路が続き、所々で見掛けた神社やお寺、庚申塔などを撮影。(詳細は下のPicasaウェブアルバム)
箱根路の石碑や錦田一里塚等を撮影しながら小休止。
愛宕坂、今井坂を下って三島。最終目標地点の三嶋大社はもうすぐ!

伊豆国一之宮の三嶋大社です。旅の無事を感謝して参拝。時間が遅かったせいか御札とかの販売は行なわれていませんでした。

グルリと境内をまわってJR三島駅へ。
これにて東海道五十三次箱根宿-三島宿までの旅は終了。

東海道五十三次(箱根‐三島宿)
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箱根旧街道(箱根から箱根峠まで)

2010-05-01 13:00:40 | 旧東海道
本日はお尻・太股・ふくらはぎと下半身全体が筋肉痛で階段の上り下りに苦労しています。
さて、昨日は撮影した画像を取り込んでサッサと寝てしまいましたので本日は旧東海道五十三次箱根から三島宿の旅の振り返り。
歩いてみたいと思われる方に参考になれば・・・。

箱根芦ノ湖へ行くには小田原から直通のバスに乗るルートと箱根登山鉄道に乗り箱根湯本からバスに乗って行くルートがあります。また、箱根湯本からは旧道ルートと今回のルートの2路線が運行しているようです。

先ずは芦ノ湖から眺める富士山を撮影。鳥居脇には賽の河原。元箱根港(芦ノ湖側)から道路を渡り歩道を歩いてしばらくすると左手に箱根旧街道松並木へ分かれる道がありますので松並木へ。
道路一本隔てた道ですが、両脇には立派な松があり昔の街道の気分十分。松並木の間から所々で富士山を眺める事ができます。

しばらく松並木を楽しみながら歩くと箱根旧街道は国道1号と合流。この合流した地点にある横断歩道を渡ると恩賜箱根公園。
恩賜箱根公園に隣接(?)して箱根の関所資料館と関所があります。
五十三次の旅ですので関所はちゃんと通らないといけないと思い、ゴールまでは道のりが長いのですがちょっと寄り道。(資料館・関所観覧料金大人500円)
ひさしぶりに(何十年ぶり)訪れた箱根の関所は拡充しており、以前はなかったと気がするのですが高台の上に遠見番所が出来ており歩幅の合いにくい階段を登り撮影。


スタートから思わぬ足止めといいますか、時間をくってしまいましたが箱根旧道の旅に改めて出発。
周辺の案内表示を確認し、箱根の関所を京口御門から出てお土産屋さんが並ぶ通りを抜けて国道1号に突き当たり右へ。
目指す方向は国道1号三島・沼津方面。道路右手の歩道をゆっくり歩いていると交差点の反対側に駅伝広場があり記念碑があったので撮影。
この交差点から徐々に爪先上がりの坂道へ突入。しばらく歩くと信号のある交差点左側に橋向町の山の神の祠があったので撮影。地図を見ると箱根一帯で山の神様が祀られていました。

山の神の祠の所に駒形神社の案内標識があり、駒形神社へ寄り道。よく事前にルートを確認していなかったんですが、箱根旧街道は駒形神社を通り過ぎた所から向坂に入って行くのでここで駒形神社へ向かったのは正解でした。
駒形神社には摂社として蓑笠明神と犬塚明神、毘沙門天が祀られています。
駒形神社で旅の安全を祈願して案内表示に従って箱根旧街道へ進むと地蔵群がお迎え。
ここからしばらくは石畳の坂道が箱根峠まで続きます。

向坂、国道1号を挟んで赤石坂、釜石坂、風越坂、石挟坂とどこで切り替わったか判らない連続した石畳の坂道を登り、国道1号に突き当たり一旦箱根旧街道の石畳は終了。右に進んで道の駅箱根峠で一休み。



記事が長くなるので「箱根峠から三島」に続きます。
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有給休暇で連休2日目。

2010-04-30 20:32:15 | 旧東海道
会社の休みはカレンダー通りで本日は本来ならば出勤だったんですが、有給休暇を取得して連休にしてしまいました。
世間的には平日な訳で観光地へ行っても空いているだろうと考えて2008年11月23日以来、進んでいない東海道五十三次にチャレンジして来ました。
小田原から箱根登山鉄道に乗って箱根湯本。そこからバスに乗り、元箱根港が今回のスタート。
ゴールは三島!
下り坂が多いのでそんなに大変ではないだろうとタカを括っていたんですが、11時に出発して三島駅に到着したのは17時半近く。
電車を乗り継ぎ帰って来ましたが、本日は細かい紹介記事はご勘弁頂いてルートと各記録の記載をご紹介。

昼食抜きで帰宅後やっと夕飯を食べ、後は風呂に入って今日はさっさと寝ます。

歩数計の記録:31,276歩。 連続10分以上の歩行は8,428歩で82分。
小田原から三島までの所要時間:7時間55分26秒(電車・バス・歩行)
撮影枚数:502枚
ルートの確認はココ
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川崎-生麦

2010-01-04 20:44:58 | 旧東海道
さてさて、思いつきで川崎から散歩を始めた訳ですが以前自転車で走行した事がある東海道五十三次ルートを行ける所まで歩いてみようと出発。
六郷から砂子までに旧東海道沿いには旧跡の案内や宿場町の解説板などが所々にありますが、川崎信用金庫横の道に入ると繁華街の通りになりしばらくは史蹟案内表示はお目にかかりません。
ひたすら旧東海道を進むと京急八丁畷駅近くの電柱に「芭蕉の句碑 350m右」というプレートが前回は自転車で通り過ぎてしまったので今回は見落とさないように右を気にしながら歩いて確認。
京急八丁畷駅の踏切手前に小さな祠がありその中に句碑がありました。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と書かれているそうです。
踏切を渡って京急八丁畷駅の並びにあります「八丁畷の由来と人骨」という解説板と慰霊塔があります。
片側1車線の歩道もない通りを歩いて行くと横浜熊野神社や市場村の一里塚、庚申塔などがあります。

鶴見川に架かる鶴見川橋です。
徳川家康が東海道を整備した慶長6年(1601)頃架けられたそうで長さ25間、幅3間の橋といわれているそうです。
現在の橋は平成8年(1996)にアーチ橋として完成。
橋を渡った左手には開港当時外国人に危害を加えることを防ぐため関門が万延元年(1860)4月に関門が設けられていたそうで「鶴見橋関門旧跡」の解説があります。
橋を渡りしばらく進むと道標と解説があります。
解説によるとこれは「寺尾稲荷」へ向う道との分岐点の道標。
ただ、この石柱は複製でオリジナルは鶴見神社境内に移設。
鶴見神社へ向かう途中の街並と鶴見神社・オリジナルの寺尾稲荷道道標と鶴見駅に向かう途中の東海道の解説板。

鶴見神社は推古天皇の時代の創建と伝えられている横浜最古の社で、境内より弥生時代から鎌倉期に及ぶ多数の祭祀土器が出土したそうです。
寺尾稲荷道道標は横浜市地域有形民俗文化財に指定されており、正面には「馬上安全 寺尾稲荷道」右側面には「是より廿五丁」左側面には「寛永二乙酉二月初午 寛延三庚牛十月再建 文政十一戌子四月再建之」と刻まれているそうです。
旧生麦街道(旧東海道)沿いの浄土宗慶岸寺と子育地蔵尊、正泉寺と山門手前のお地蔵さん。

前回は気付かなかったですが、道念稲荷神社というのがあり「蛇も蚊も」という行事は横浜市指定無形民俗文化財に指定されているそうです。
この行事は約300年前に疫病が流行した時に萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられているそうで「蛇の蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら萱で作った蛇体を町内を担いでまわるそうです。
ここ本宮のものが雄蛇で原(後ほど訪ねた神社)のものが雌蛇で境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していたそうですが、現在は別々の行事となっているそうです。

住宅街を歩きとある民家の門扉脇に取付けられたパネル。
「生麦事件発生現場」
ここで文久2年8月21日(1862年9月14日)薩摩藩主の父・島津久光の行列を乱したとされるイギリス人4人(内女性一人)が供回りの藩士に殺傷(死亡1・負傷2)された事件。
重傷を負ったイギリス人は生麦事件の碑がある場所まで馬で逃げたが、結局は深手のため落馬し、死亡。
国道を渡り、キリンビール横浜工場脇の道を第一京浜へ合流する地点を目指して歩きます。

生麦神明公園の一角に神社の社があり、この神社が先程の生麦にあった「蛇も蚊も」の原にある神社らしいです。こちらも横浜市指定無形民俗文化財に指定。
第一京浜と合流したJR貨物線の高架の手前に生麦事件の碑があります。
碑の周りは第三京浜港北JCTと生麦JCTを結ぶ建設予定の横浜環状北線のため土地が収容されたのか、以前会った民家がなくなっていましたが、この碑はどうなるのでしょうか?
新子安駅から帰路へ。
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箱根八里はキツかった。

2008-11-23 22:07:18 | 旧東海道
前回、小田原駅から出発して畑宿にある箱根一里塚まで行き帰って来ましたが、本日はその続き箱根湯本まで電車で行ってバスで畑宿まで行き、畑宿-芦ノ湖・箱根の関所間を歩こうと朝から出発!
小田原で箱根湯本駅行きの電車は既に満員で朝のラッシュアワーなみの混雑。
箱根湯本からの登山電車は乗り換えにいったん改札を出ての整列乗車。
バス停に行くと狭い歩道に2-30メートルの行列。
(画像をクリックして大きな画像でホームに並ぶ人が見えると思います)
湯本駅前からバスに乗るのは諦め、先のバス停から乗ろうと山の中の道を歩きましたが、曽我堂上バス停ではバス停まで50メートルというところでバスに抜かれ、次のバスを奥湯本バス停まで歩き待ちましたが、満員のため次のバスに乗るようにとアナウンスを残し、バスは通過!
こうなるとバスを待っても時間だけが経ってしまうようですので歩く事にしました。
歩き始めて約2時間。なんとか、畑宿に到着。
本来の予定ですと12時前にはここから元気に出発しているはずだったんですが、時間的にも体力的にもバスを使ってここまでこれなかったのは痛いです。
左右にある一里塚を見ながら旧東海道(旧箱根街道)石畳を登って行きます。
正直言ってここからの坂道はかなりキツかったです。
七曲がりを短絡する橿木坂(かしのきざか)は距離が短い分、急な階段状で階段の終わり部分では足が上がらなくなってきましたし、続く猿滑坂では左足ふくらはぎがツリ始め、最後の方では右足ふくらはぎも危なくなってしまいました。
空腹と疲労と足のけいれんでリタイヤ寸前
なんとか追込坂まで来てあと十数メートルで甘酒茶屋!

甘酒(400円)と安倍川餅(450円)を頼んで休憩
甘酒の甘さと温かさでホッと一息です。
お土産に甘酒を買っちゃいました。
時刻は2時過ぎ、今日はここまででバスに乗って帰ろうかとも思いましたが、甘酒とあべかわの威力!
地図を確認すると2キロ以内!また次にここから歩く事を考えたら一気に歩いてしまおうと思い直し、再び出発

甘酒茶屋の隣の旧箱根街道資料館は外観だけ見て、出発。始めの数分は元気でしたが、急坂に入ると早くも弱気になり撤退と考えだしてしましました。
ですが、途中の元箱根まで40分の案内表示を見て再び歩元気に

元気に歩き出したのは良いのですが坂が急で石畳の上を歩くというよりも縁に足を掛け登るといった感じ。
途中すれ違った人にどのくらい登りが続くかと尋ねたら『15-20分くらいかなぁ。頑張ってね!』と言われ下ってバス停まで戻るか一瞬考えましたが、ひたすら足下だけ見ながら登って行く事にしました。
なんとか登り切り、天ヶ坂の先からは下り坂。
元箱根が近いのでしょうか、すれ違う人達(女性)の靴もスニーカーではなく町中で履くブーツやヒールの靴の人がちらほら?
どこまで歩く気かは知りませんが、石畳で捻挫をしない事を願いつつ、左足ふくらはぎのけいれんを気にしながらひたすら歩きました。
箱根八里の石碑を見て、権現坂を下る途中、芦ノ湖が木々の間からチラチラと見えて来ました。
後もう少しです。
旧箱根街道の石畳を歩き切り、芦ノ湖湖畔まで来て箱根関所まで後1.5キロという元箱根港で左足ふくらはぎが本格的にけいれん!
完全にアウトです。 揉みほぐしてもちょっと体重をかけるとふくらはぎがグッと動いてこむら返りし始めます。
関所は以前、来た事がありますのでここは無理せずバスに乗って帰る事に。
バス停ではすでに長い行列が出来ていたので、今度は素直に並んで乗る事にしました。
三連休の中日で人出が多いとの地元の人の会話を耳にしましたが、芦ノ湖周辺道路は確かに混雑していてバスも中々進まず、元箱根港や関所跡から出発するバスは満員状態!
天候は恵まれていたんですが、乗り物で移動するにはちょっと日が悪かったようです。
そう言えばはあまり見掛けなかったような・・・。
歩く事に一生懸命で周りの景色を見る余裕がなかった
では。
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東海道五十三次 小田原宿-畑宿 其の二

2008-09-15 11:56:57 | 旧東海道
旧道をバス停で言うと奥湯本入口、奥の茶屋、葛原、ホテルはつはな前、須雲川と通り過ぎ、左手上方に箱根バイパス、右手下方に須雲川を見ながら後方から来る車を避けつつ歩道を探して道路の右へ行ったり、左に行ったりしてゆるやかな坂を歩いて行きます。

須雲川IC、初花を過ぎて道路ぎりぎりに参道の階段がある駒形神社です。
取りあえず、神社はその地域の高台にありますので参詣がてら周りの集落を確認する意味で階段を上り境内へ。
須雲川を挟んで反対側にはキャンプ場らしきものがあり、社正面の山の中腹には民家がポツポツと・・・。
再び国道に戻り、数十メートル進むと臨済宗鎮雲禅寺山門脇に流れる霊泉の滝。
近くにいるだけでひんやりとした涼しい空気が流れて来て、熱を持った体には心地好く暫し立ち止まって休憩!
車で箱根というとターンパイクや新道を走り急坂というイメージがありましたが、歩いてみると今のところキツい坂はなく保土ヶ谷の権太坂の方が急でキツいと思います。たあだし、緩やかといっても何キロも続く坂道ですので体力を徐々に奪われているような気はします。
須雲川橋の手前、橋を渡って女転坂を登る手前の左手に見つけた看板。
須雲川自然探勝歩道。
設置された地図を見ると峠を越えるのに馬に乗った女性が転がり落ちるほどだった事から名前が付いた旧道の女転坂は通行不能となっているようです。
それならば、多少回り道に見えますが徒歩行ならではの須雲川自然探勝歩道を歩いた方が良いと思いこちらの道を選択。
女転坂の標柱を撮影して行く事にしました。
歩道ですので安心して(足下には注意して)のんびりと周りの景色を眺めながら歩いて行きました。
500メートルほど林道を歩き、岩の上に架けた簡易木橋を渡り山道の階段を登り国道732号に合流。


畑宿発電所バス停付近に合流してすぐ、右側に須雲川自然探勝歩道の続き(一部旧東海道)の割石坂がありましたので、国道を避けてこちらのルートを選択。
ところどころ江戸時代からの石畳という標識を確認し、木々に覆われた歩道を進んで行きます。

再び国道732号に合流。
200メートルほど歩くと左手に国指定史跡箱根旧街道という標柱が建っていましたので、国道を逸れて旧道へ。
箱根旧街道に入ると始めは下り坂です。
道幅も狭く昼間も木々に日差しが遮られ、夜間は全く歩けない道です。
途中の大澤坂は当時の石畳の道が一番良く残っているそうで、苔むした石畳の上を歩きましたが、雨が降った後は滑って危ないので足下に注意が必要です。
また、何ヶ所か石畳についての解説がありその解説によれば、石畳は小石と石とを突き固めた地面の上に、石と石とを組合わせて並べており、さらに石畳の横に、縦に排水路を持っているそうです。
山側には埋め土をして谷川には排水路と並木を植えて土手を造っています。(下段中央)
また、石畳の排水の工夫としては石畳の上を流れて来た雨水を石畳の外に追い出すために斜めの排水路を設けているそうです。
排水路は上流側に小さな石、下流側に大きな石を斜めに敷き、段差を造り出し水は大きな石の側面に伝わり並木敷土手の外にある沢へ流れ出るようになっているそうです。(下段右)

大澤坂と石畳

箱根旧街道の石畳を抜けると畑宿。
バス停本陣跡を数メートル進んだ先の右手に本陣茗荷屋跡があります。
小規模ですが日本庭園があり、幕末の安政4年11月26日アメリカ初代総領事ハリスが江戸入りの途中ここで休憩、観賞したそうです。
大正元年に全村火災の折り、本陣は焼失。庭園はそのまま姿で残る。
畑宿駒形神社と境内。
末社『照心明神』『菅原神社』『太子堂』

畑宿のはずれ国道の上り坂カーブの始まりを曲がらずに真っすぐ進むと箱根路東海道(箱根旧街道)です。
畑宿一里塚。
江戸から23番目の一里塚。本日3つめで最終目的地。
修復・復元されたものですが、当時の形態を留める数少ない一里塚です。
ここまで間に休憩を取りながらですが全行程5時間半。
シャツを着替え一休み。
歩きました(約14キロ)、撮影しました(298枚)、汗かきました(シャツ2枚)、水分も摂りました(2リットル)
帰りは畑宿バス停から箱根湯本駅へ。
バスに乗ると30分で箱根湯本駅です。
あっという間です。
次回は畑宿一里塚から芦ノ湖、箱根関所まで!

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東海道五十三次 小田原宿-畑宿 其の一

2008-09-14 23:59:24 | 旧東海道
朝早起きをして10時に小田原駅到着。
前回は国府津から小田原宿まで歩き、小田原城趾公園でアジサイや花菖蒲を見て楽しんだのが6月。
約三ヶ月ぶりの東海道五十三次の旅です。
スタート地点とする箱根口の交差点まで行き箱根旧街道を歩いて畑宿までが今日の目標。
旧道はバスが運行しているので、歩けないと判断したらバスで帰路へ着く予定。
国道へ出て300メートルほど歩いた右奥にあるのが山角天神社。
祭神は菅原道真公で創建年代は古く不明であるが、小田原北条氏時代と伝えられる城下町図には天神社が記されているそうです。
小田原市重要文化財に指定されている『菅原道真画像』俗にいう『いかり天神』があるそうです。
再び国道に出て、新幹線のガード下をくぐり東海道線ガード下手前にに居神神社があります。
祭神は三浦荒次郎義意公、木花咲耶姫命、火之加具土神。
本殿左手には鎌倉時代末期の古碑群があり、そのうち板碑2基、線刻五輪塔2基、陽刻五輪塔1基は市街地に残る最も古いもので小田原市の重要文化財に指定されている。


JRの東海道線の高架手前を右に曲がった道が旧東海道らしいのでそちらへ。
国道1号線と平行した住宅街の道を進み左へ曲がった(国道1号へ合流)付近に板橋地蔵尊があります。
境内は広く公園として利用されていて遊具があり、子供達が遊んでいました。
境内にはお地蔵さんや明治戊辰の役の犠牲者となった官軍の軍監中井範五郎ら合わせて13名の氏名を刻んだ慰霊碑もあります。
地蔵尊の解説によればこの地方では新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間続けてこの地蔵尊に参詣する習俗があり、毎年1月と8月の23日・24日の縁日に参詣すると個人に似た人に必ず合えるといわれているそうです。

国道1号に出てしばらくは右手上に箱根登山鉄道、左手下に早川とその先に石垣山と箱根ターンパイクを眺めながら緩やかな坂道を歩いて行き、小田原厚木道路の高架下で箱根鉄道の線路を渡り、旧道へ。
風祭駅を過ぎてしばらく歩くと右手奥へ行く道が見えて来ます。
通りから少し入った所の民家脇に風祭一里塚(道祖神)があります。
標柱によれば小田原市重要文化財、小田原の道祖神と書いてあり、後ろの解説板には江戸から21番目の一里塚と書かれています。
道祖神は丸彫単座合掌型1基と石祠型1基で横のワンコは地元の人が置いたもので単なる飾り?。
入生田駅を過ぎしばらく歩いて再び国道1号に出ます。
国道から1段上がった線路と平行した歩道をしばらく歩いて、湯本中学校近くの歩道橋を渡って道路反対側へ。
箱根湯本駅の手前にある三枚橋を渡ってここから箱根旧街道です。
目指す畑宿は春か彼方。
時計を見ると12時過ぎ、歩き出してから2時間が経過してお腹も空いて来た事ですので途中のコンビニでおにぎりと飲み物を購入。
地図を見ると早雲寺付近に公園があるのでそこで休憩と食事を取る事にしました。
湯本小学校を過ぎて公園はどこかと探していると目についたのが白山神社。
食事前の一仕事?ついでに参詣。
祭神:菊理媛命(きくり)、伊奘諾尊、伊奘冉尊
休憩前で疲れた体に参道の階段はキツかった。
早雲寺は大永元年(1521)北條早雲の遺命により、氏綱により建立された寺で北條氏五代の墓があります。
惣門とお寺の間にベンチがいくつか置かれていてここで休憩。
木陰でノンビリとおにぎりを食べつつ、汗で重くなったシャツを着替えてしばし休憩。

30分ほど、休憩もして禅宗のお寺らしい落ち着きのある早雲寺を眺めて気分もリフレッシュし出発。
箱根茶屋で見掛けた道祖神と箱根旧街道の一里塚。

湯本茶屋の宿街を通り過ぎてカーブの続く旧街道の道を歩きますが、歩道はなくなるべく車道にはみ出ないように歩こうと思いますが草が伸びており後ろから車が来るたびに立ち止まって車をやり過ごすちょっと歩行者には危険な坂道を登っていきました。
そんな道中、道路右手下に曹洞宗の福寿院というのを見つけ旧道から下の道を見てみると石畳。
今回の散歩?(散策・ハイキング・旅)で初めてみる箱根街道の石畳です。
この石畳は国指定史跡箱根旧街道で湯本方面の近道となっていて約255メートル続いているそうです。
ほんの数メートルですが、石畳を初体験。

ここまでで小田原駅を出発してから3時間40分経過。
このつづきは明日以降。
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