海と山と

釣りと近場の山歩きを趣味とするリタイヤおじーのひとりごと

昔町並 足守

2009-06-26 09:32:23 | 気ままに
小さな町、昔町並 足守を歩く

6月25日、真夏の日差しの中、岡山市足守を歩いた。
「足守プラザ」に車を止めて北に歩いて行く。暑い暑い。
足守は足守藩木下家の陣屋町として栄えた町である。

約500mの町並みには漆喰の壁や江戸期の伝統的な造りが残っている


町並み保存地区に指定された通りは古い家屋がきれいに保存され、歴史の古さ
を感じる。
250戸の町家のうち100戸がそのまま残っているとか。


藩の豪商、「藤田千年冶邸」の中庭。
建物の中には当時の醤油醸造のための設備が残されており、往時の醤油作りの様子が再現されている。


「旧足守藩侍屋敷」。なまこ壁の長屋門を入った唐破風の立派な玄関


侍屋敷の「一の間」(殿様など一番大切な人をお通しする部屋)から見た中庭


侍屋敷の玄関、瓦等には桐の紋が彫りこまれている。
太閤秀吉とのつながりを誇示したものだろう


侍屋敷のさらに北にある「近水園」
6~7年前に秋に訪れたことがあるが、その時は紅葉の季節で人も多くお祭りイメージで有ったが、
今日は人をまったく見かけない。
宮路山の緑の中にひっそりたたずむ「吟風閣」はゆっくり楽しむことができた。


「吟風閣」はが宝永五年(1708)、京都御所(仙洞御所)を造営した時に、その残材をもって建てたといわれる。


町並みを歩く時、いろいろな形の「虫籠窓」(むしこ窓)をみて歩くのが楽しい。
江戸時代には、“町人が武士を見下ろさず。”の禁制から二階の建屋は建築されず、高さを抑えた中二階(厨子二階)
として主には物置き部屋として利用されてたようだ。この中二階は、通風、明かりとりのために虫籠窓が設けられたとか。
形によって年代が異なるらしいが、ここではほとんどが長方形






約1.5時間の散策で有ったが、暑さがなければ、もう少しゆっくり回ってみたい。
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種松山の花-8

2009-06-24 09:35:49 | 種松山
梅雨の合間に

梅雨とはいっても昔のシトシト長雨ということはなくなってきた。雲は多いがあまり雨が降らず、
降るときは一時的に激しく降るという傾向だ。
そんな合間に種松山を歩く

この時期なかなか新しい花は見つからない
これは今年初めての花「ワルナスビ」
「悪茄子」と書くらしい。畑に生えると始末に悪いことからこの名前がついたとか。
強い草で、少しでも根が残ると、そこからまた芽を出して、根は広範囲に張るという


「ノアザミ」
丁度モンシロチョウが蜜を求めていた。


「ムラサキカタバミ」
丁度今の時期、「ムラサキカタバミ」の群生を見ることができる


「ハルシオン」にとまる「??蝶」


「カタバミ」
「タチカタバミ」ではないと思う


「ハルシオン」と一緒に可憐な花を咲かす「ハマハナセンブリ」
「ベニハナセンブリ」も同じような花で、この花がどちらかは判断できず。


紫陽花園には多くの人が曇り空に映える紫陽花を楽しんでいた。
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大久野島、江田島

2009-06-21 17:46:16 | 家族旅行
平和の尊さを忘れないように

6月19日、20日本当は1泊で妻と四国伊予富士に行く予定であったが、妻が体調を崩したため、中止。
宿泊もキャンセルして、日帰りで江田島に出かけた。
ついでに途中、大久野島へ寄り、毒ガス工場跡も見学した。

朝9時30分広島忠海からフェリーで大久野島第2桟橋へ到着(約12分)。約1時間30分かけて島内を歩いた。
海上から見える旧軍発電所跡。火力発電所らしい


桟橋を降りて迎えてくれたのがウサギ達だ。
島内には約500羽ほどが放し飼いにしてあるらしい。島内を歩いているとあちこち
にウサギの糞が見られる。
なぜウサギが放し飼いになっているのか?。毒ガスの残り具合調査と関係有るのか?。チョット勘ぐってしまう。


島内には日露戦争に備え、南部砲台、中部砲台、北部砲台が砲台が設置され、その跡が、生々しく残っている。
写真は南部砲台跡


軍都広島と軍港呉を守る要塞として大久野島に16門の砲台が設置されたという
写真は中部砲台跡


毒ガス貯蔵庫跡
大久野島では1929年~太平洋戦争末期までイペリット、ルイサイト等の毒ガスが製造されていたという。
総生産量は6600トン程度で太平洋戦争が終わった時点で、
大久野島には3000トン位の毒ガスが貯蔵されていたようだ。
したがって、3000トン以上が、国外に持ち出されたことにことになる
(国際法上使用禁止の毒ガスは、戦争でも使用してはならないことになっており、日本軍が
使用したか否かは明確になっていないらしい)


毒ガスの研究室跡


研究室横に展示されている実験設備
反応器、配管等はすべて陶器製で、酸、アルカリ等による腐食漏れを防止したのだろう。


毒ガス資料館には時間の都合で入らなかったが、内容は大体想像がつく。
この製造部門でも多くの被害者がでたらしく、悲惨であったようだ。
また、未使用の毒ガスはどのように処理され、それが未来永劫に安全なのかも
心配される。
そんないやな思いを持ったまま、フェリーで忠海へ戻り、江田島に向かう
(今は大久野島も国民休暇村もでき、テニスコート、グランドなども整備され観光に力を入れているが、
この毒ガス施設に関しては永久に残し、語り継がれることを願う)


陸路で倉橋島経由で江田島に入る。旧海軍兵学校の建物を捜しながら走る。海上自衛隊の隊員、
建物は見えるが、本で見たレンガ建ての旧海軍兵学校は見当たらない。
土地の人に確認すると、海上自衛隊の敷地の中に有るという。
正門で受付を済ませ、すでに見学待ちの人と合流して、定時に説明者に引率されて敷地内を見学する。
写真は大正16年に建てられたという大講堂。
通常は、内部も見学させてもらえるらしいが、当日はNHKのビデオ撮りが行われている時間と合致して
しまったため、見学中止


旧東生徒館
現在は幹部候補性学校として使われている。
1893年に建てられたものであるが、レンガの輝きはまったく汚れもなくそれでいて昔をしのばせる
重厚なたたずまいを見せている



正面には黄金色の錨のマーク。以前は菊のご紋が取り付けてあったらしい


この建物は横の長さが144m。横からはまっすぐ延びた廊下を見ることができ、
スケールの大きさを知ることができるとともに気持ちも引き締まる。

当日は海岸側は見学コースに入っていないため、間近で見学できなかったが、休日にもかかわらず、自主活動に取り組む
生徒が大勢確認できた。
海側には戦艦「陸奥」の主砲、40cm主砲弾を遠望できた


教育参考館
内部には東郷元帥、山本元帥など、日露戦争~太平洋戦争で重要な役割を担った海軍の要人の遺品
特攻隊員の名簿、遺書などが展示されている
40分くらいの見学時間であったが、もう少し時間が欲しいところだ。


教育参考館の横に展示さえている「特殊潜航艇 海竜」。
本土決戦用に備えられた特高武器で終戦までに230機を製造したが一度も使用されずに終わった。
乗員は2名で、下部両側に魚雷を2発装着または艇首に炸薬を装備し相手艦に体当たりする予定であった


1941年12月8日 ハワイ真珠湾を攻撃した特殊潜航艇5隻のうちの一隻(実物らしい)


戦艦大和級 主砲弾


建造物の美しさ、歴史など「見学」と言う観点では時間が足りないくらい楽しませてもらったが、
「戦争」と言う点では、いろいろ考えさせられる1日であった。
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四国 矢筈山

2009-06-16 17:09:28 | 山歩き
梅雨入りしたとは言え、雨が少ない。高速道路上限
1000円を活用して、四国徳島の矢筈山(やはずやま 1849m)へ


6月14日、OB会山の会で四国徳島の矢筈山に出かけた。瀬戸大橋~高松道~徳島道~国道、県道を通り
登山口の落合峠まで2時間。すでに標高は約1500m。登山口から矢筈山は見えない。
8時20分「矢筈山」の標識に従って笹原を登り始める


緩やかな登りの森林帯を行くが、所々で展望が開ける
目指す矢筈山が左に見えるが、ガスと逆光で黒い山となって浮かび上がる


振り返ると登山口の落合峠、その向こうに烏帽子山に連なる落禿(1683m)が。


7合目あたりから、今回の一番の急登が始まるが15分程度で終わる。新緑の中を登るので、
急登も苦にならない。


急登が終わって大岩を通り過ぎる。ここまで来ると頂上は目前。


頂上へは10時16分に到着。ここまで約2時間。頂上ではほぼ360度の展望が楽しめる。
写真は北側の風呂塔方向。まだツツジ(何ツツジかは不明)が咲いていて気温の違いを感じさせる。


三嶺(1893m)方向の写真。写真では三嶺は左の方で切れてしまっているが、その続きの
西熊山(1816m)、天狗峠、尖った天狗塚(1812m)を望む。


頂上に到着した時には見えなかった剣山(1955m)が我々のためにチョコッと顔を出してくれた。
(右上のぼんやりした山)


早い昼食後、登ってきた道を下山する。新緑に陽が射し、一層緑が鮮やかで、すがすがしさが倍加する。


登りでははっきり見えなかった落合峠方向。落禿(1683m)、前烏帽子。


振り返ると登って下りてきた矢筈山の緑がくっきり浮き出ていた。一番左が矢筈山。


もうすぐ登山口の落合峠というところから写した烏帽子山(1670m)。山の形を見ただけでそれが
烏帽子山とわかる。


落合峠駐車場には、矢筈山登山口と反対側に、烏帽子山登山口が有る。当日も何組かの登山者が登っていた。


山で見つけた花
 独特の形をした「マムシクサ」


まだまだ蕾が固い「ノアザミ」


里山でも見られる「ハナニガ」。高山で見ると上品な花にみえるから不思議


別名「ユウレイソウ」といわれる「ギンリョウソウ」不気味さを感じる


多分「コンロンソウ」


赤い釣鐘が可愛い「コヨウラクツツジ」


登り2時間、下り1時間50分の山行き出会ったが、笹原から望む四国の山々を楽しむことができた。
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種松山の紫陽花

2009-06-11 07:54:51 | 種松山
梅雨空に紫陽花は映える

6月10日
今日から中国地方は梅雨入りという日に、紫陽花を見に、種松山へ。
雨こそふっていなかったものの、どんよりした曇り空。日本庭園周りの紫陽花は5分咲き程度ではあるが、
色とりどりの花が咲き始めていた。
アジサイは陽ざしの中で見るより梅雨空の中での「紫陽花」を眺めるのが雰囲気が合う


鮮やかな紫、青の紫陽花


紫陽花も色々な種類があるようだがこの際、名前はどうでもいい
美しさ、癒しを得られれば、それでよし。




額紫陽花の仲間だろう


紫の額紫陽花の中にひときわ鮮やかなピンクの紫陽花。
種松山の紫陽花はあと一周間程度で最高のショウーが見られるだろう。


これはたぶんヒルガオ
アサガオ、ユウガオは鑑賞用として庭で栽培されるが、ヒルガオはなぜか雑草扱い


ハルジオン
道端でよく見かける花だが、よく見ると可愛い花で十分鑑賞用として通用する


「???」
栽培用の花の種が飛んできたのか?


次は、しとしと降る雨空の中を笠を差して紫陽花を鑑賞してみたい。
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種松山の花- 7

2009-06-03 07:46:57 | 種松山
もう、秋の準備

6月2日
今日はジムのない日。いつもの通り、2時間コースの種松山歩き。
頻繁に歩いている割にはその都度、新しい花を見つける。
これは前にも写真を撮った「アカバナユウゲショウ」


「ムラサキカタバミ」と黄色の「タチカタバミ」が一緒に咲いていた。


これは多分「コナスビ」


「ニワゼキショウ」


これも「ニワゼキショウ」。「オオニワゼキショウ」も同じような花で
花の大きさが少し大きいらしい。
そこまで確認はしてこなかったのが残念


これは初めて見る花「ミヤコグサ」
黄色の、かわいい花で特徴があり、多分名前を覚えるだろう。


先回も写真を撮ったがその時は名前が分からなかったが、今回は調べることが
出来た「コマツナギ」


これはよく見る雑草の種。名前はわからない。


種松山はすでに秋野準備が始まっている
クリの花


柿もすでに小さな実をつけて日照りを待っている。


ミカンの花。花が落ちた後にここにも小さな実りが秋の準備をしている


    まだまだ見落としがあるだろう。
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