浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

「狂人」の音楽を狂ったやうに弾くギーゼキング

2007年08月10日 | 洋琴弾き
狂人とは精神が正常ではない人間のことだが、正常でないといふ判断を下すのはやはり人間であり、誤診もあれば本人の都合により意図的にそうする場合もある。また、周囲の凡庸さにより天才を見抜けぬ場合にも狂人扱ひは起こり得る。さて、シューマンの場合は、実際に精神病を患ったのであるが、その作品を狂気の沙汰と扱ってよいものか。

作品番号11番に洋琴奏鳴曲第1番がある。シューマンの20歳台の作品だが、ベートーヴェンの死後間もない時期に、このやうな前衛的な作品が発表されたことに驚きを感じる。当然、当時の聴衆に理解されるはずもなく酷評されたのだった。その名残は現代にもある。この作品の突飛な展開や聞きなれぬ不安定さに精神的混乱を原因と考えてゐる向きも多いやうだが、それは明らかに聴く側の脳に問題がある。人の脳は「どこかで理解を諦める」場面があり、これを「バカの壁」といふことは皆さんご承知のとおりである。シューマンの洋琴奏鳴曲は、音楽に於ける「バカの壁」を突きつけてくる恐ろしい作品だと僕は密かに思ってゐる。

この難解な作品に挑んできた洋琴弾き達の一人にワルター・ギーゼキングが居る。この録音は1942年と記されてゐる(1948年といふ説もあるやうだがどちらでもいい)が、この時期にギーゼキングはしばしば炎のやうに爆発する演奏の記録を残してゐる。フルトヴェングラーと協演したシューマン、メンゲルベルクとのラフマニノフなどはギーゼキング=ザハリヒカイトのイメージしか知らない人たちを驚かすだらう。

確かにモーツァルトやバッハ、ドビュッシーなどに大きな感情移入は見られないが、感情の表出が重要なシューマンの作品では、晩年の録音でも非常にロマンティックなスタイルをとっている。ギーゼキング=「即物主義」といふイメージは、バックハウスの「独逸正統派」のイメージと同程度の無知と言える。1940年代の録音であるこの奏鳴曲では、ギーゼコングの内なる声がはっきりと表明されてゐるやうに聴こえる。

ギーゼキング、ギーゼ王、ギーゼコングはみな同一人物で、彼はその作品によって顔を使い分けた洋琴家だ。

盤は、伊太利亜ClassicoによるリマスタリングCD PTC2019。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。