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最古のキリスト教寺院があるマルーラを攻撃 2013年9月

2015-01-01 02:52:45 | シリア内戦

        < カラムーン山地の戦略的重要性>

マルーラの戦闘は、住民がキリスト教徒であること、2000年前にイエスが話したアラム語を話す人々であるということで、世界の注目を集めた。

 

マルーラは、カラムーン山地の南端にある小さな町であり、そこで起きた戦闘も大きなものではない。しかし、この地域は戦略的に重要である。ダマスカスの北方のカラムーン山地一帯が、反政府軍の支配地となっており、首都ダマスカスにとって危険な要因となっている。

 

ダマスカスから北のホムスに向かって、幹線道路が走っているが、ダマスカスを出ると、しばらくは、カラムーン山地のふもとを行くことになる。ホムスへ向かう輸送車両は危険地帯を進むことになる。

カラムーン山地の反政府軍はレバノンから補給を受けている。彼らは、ダマスカス周辺の反政府軍への補給を中継し、後方基地の役目を果たしている。カラムーン山地の反政府軍が一掃されれば、ダマスカスの反政府軍は補給を絶たれる。

マルーラはカラムーン山地の南端にあり、それだけ、ダマスカスに近い。本来アサド軍がカラムーン掃討作戦をすべきところであるが、ヌスラの方が果敢であリ、先に攻勢をかけた。カラムーンの支配地を広げる目的で、ヌスラは積極的に作戦を進めた。

 

         カラムーン山地          BBC

                         

 (説明)①反政府軍は、レバノンのArsalから国境を超え、シリアに物資を運んでいる。

②赤戦が、南のダマスカスから北のホムスへ向かう幹線道路であり、カラムーン山地の東側を走っている。地図にM5(自動車道5号線)と示されている。

③QaraとYabroudを結ぶ線の西側に、反政府軍の基地がいくつかある。基地は地図には示されていない。地図の上方、幹線道路に接して、Qaraの町がある。Qaraの南、道路からはずれて、Yabroudがある。

④Maloola(マルーラ)はYabroudの南にある。

 

      <ヌスラがマルーラの検問所を攻撃>

      マルーラの入り口     Wikipedia

   

 2013年の3月、ヌスラ戦線がマルーラの町の背後の山中に進出してきた。それ以来キリスト教徒の住民は圧迫を受け、ヌスラの基地の近くに農地を持つキリスト教徒の農民は、イスラム教徒を同伴しなければ、自分の農地に行けなかった。

2013年9月4日、ヨルダン人が運転するトラックが、村の入り口にある政府軍検問所の近くで自爆した。爆発を合図に、ヌスラの兵士が攻撃を開始した。政府軍兵士8人を殺害し、2台の戦車を破壊し、ヌスラは検問所を奪取した。

即座に駆けつけることのできる、政府軍の部隊は、近くにいなかった。シリア空軍が出撃し、検問所を三度爆撃したが無駄だった。少人数のゲリラ部隊を、空爆しても意味がない。ヌスラは日暮れまでに、マルーラのいくつかの地域を占領した。

 3日後の9月6日、政府軍は地上部隊をマルーラへ送った。政府軍の戦車と装甲車が近づくと、ヌスラの兵士は検問所を明け渡し、山中に退却した。政府軍は検問所を奪回すると、守りを強化した。    

翌7日、政府軍は、山中のホテルにたてこもるヌスラを攻撃した。しかしヌスラに援軍が到来し、9月8日、政府軍を町から追い出してしまった。この日の戦いで、ヌスラの兵士18人が死亡し、100人が負傷した。

 

 この間、ヌスラの残虐行為を、住民が訴えた。「ヌスラはキリスト教徒の家を襲撃し、数人を殺害した。教会を焼き、別の教会を略奪した。彼らは、キリスト教徒の農民を脅し、『イスラム教に改宗しなければ、首を切り落とすぞ』と言った。」

また、ある農民の婦人は「夫が、のどを切られ殺された」と語っている。彼女の夫は、親アサド派の民兵だった。キリスト教徒の住民は町を去り、イスラム教徒の住民は、ヌスラの兵士を歓迎した。

 

 9月9日、政府軍は陣容を整え、再びヌスラを攻撃し、町を奪回した。

      マルーラの政府軍兵士と話すアサド大統領

   

 

その後、アサド軍は、2013年11月15日、本格的なカラムーン作戦を開始した。

[参考)<http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ma'loula>

 

      <世界で最も古いルーラのキリスト教会>

   

                              Wikipedia

マルーラは人口わずか3300人の小さな町である。住民はキリスト教徒とイスラム教徒である。イスラム教徒といっても、アラブ化しておらず、アラブが到来する以前のシリアの住民の風習を守っている。ウマイア朝の首都ダマスカスの近くに住みながら、彼らはアラブ人ではない。アラブ人の方が外来者であり、マルーラの人々は、古代シリアの住民の末裔である。

 古代のマルーラには、イスラムが到来する半世紀前に、キリスト教徒が存在した。この地はキリスト教が誕生したエルサレムに近い。聖書には、パウロはダマスカスへの途上で、十字架につけられたイエスの声を聞き、回心した、とある。

 マルーラの町では、イスラム教徒もキリスト教徒もアラム語を話す。イエスが生きた時代、アラム語はシリアの広い地域で話されていた。パレスチナでも、ヘブライ語はすでに文語のみとなり、口語はアラム語だった。イエスはアラム語を話したと考えられている。2000年を経ると、死語となる言語が多いが、マルーラの人々は、今日もアラム語を話している。

  

 マルーラには数多くのキリスト教の寺院と教会とがあり、シリアでも有数の巡礼地となっている。中世から近代にかけて、西欧では、華麗で壮大な教会や寺院が建造されたが、ここマルーラの寺院・教会は、それらと趣を異にし、別世界を感じさせる。岩山の山腹にたたずむ古代の寺院の景観は、遠い過去の時代の文明を思い出させる。寺院の中には、キリスト教世界で最も古い聖画像が収められている。岩山の洞窟に記された文字は、最も早い時期のキリスト教徒の教会があったことを示している。

(参考)  <http://en.wikipedia.org/wiki/Ma'loula>

 


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