『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

始まりでもあり終わりでもあり… 『2015.5 宗像・長門見参』

2015-06-01 | 神社おそうじ隊 2015
『神社おそうじ隊 見参!』

2011年2月相模国(神奈川県)でその産声を挙げ、震災直後の4月、『伊勢見参!』にて本格的な活動を開始しました。

上記『伊勢見参!』の当時の記事にもあるように、「この日本の根底に流れる『想い』『祈り』を原点…」とし、敬意と感謝という「心」を持ち、巡拝を重ねてきました。
また、隊長、副長の二名は神職資格も持っていることもあり、現在神社で行われている「作法」を取り入れ、参加者の皆様にその都度ご指導させていただきつつエネルギーワーク、つまり「カミ」と「ヒト」の仲取持ちを行ってもきました。
それは、何も特別で特殊で見栄えのする「セレモニー」である必要もなく、粛々と、なんとなく行われるため実感し難いこともあるでしょうけれど、しかし確実に意識の深層に影響を及ぼすものであることは確認していました。

まあ、しかし。
こういう解説も何もなくとも、すべては必然として起きること。
「私」という自我意識が、いかに「わからない」「起きていない」と言おうとも。




『松陰神社』


これまでの、いわば集大成ともいえる『宗像・長門見参!』
女人禁制を固く守ってきた「宗像大社・沖ノ島」でのご神事には抽選で漏れたものの、そこに向かう男性200名余りが一夜を過ごす「大島(中津宮)」に見参(大島には女性も入れます)。
島での雰囲気、および島民の方々のご神事への想いなどを現場で体感してきました。

また、北九州(門司)では、まさに転換期となる今回ならではのサプライズ
私も、全身に海水を浴びるなど、なかなかに忘れがたき地となりました。

長門国(山口)では、上記「松陰神社」はじめ、幕末・維新の志士の方々の墓参。
「なぜ、ここまで…」という思いが、スッとアタマをよぎるほど、墓参。



始まりでもあり終わりでもあり…

「神社」というと、「神様を祀る社(やしろ)」であり、願いを叶えてくれる場所、と思われている方が、現代では最も多いのではないだろうか?
車のお祓いや七五三で行くくらいで、あとは参拝しに行くことなんてない、というくらいが、一般的かもしれない。
パワースポット的な認識の方も、増えているのだろうけれど…。

少し詳しくなってくると、祀られている「神様」について考えるようになる。
人も祀れば、蛇も祀れば、岩や石、あるいは何もない空間ですら祀る。
「なぜ、人やモノに対して拝しなければいけないのか?」
…理性的に考えれば、こういう疑問も出てきて当然だろう。
かつては、私もそう考えたこともある。


ある瞬間にクルッと、視点、見ているもの、みえるものが変わる。
そうすると、そこに何が祀られているのかなど、実は全く関係ないことに、気づく。

ごく当たり前のことに、気づく。


始まりでもあり終わりでもあり…

『神社おそうじ隊 見参!』は、秋以降、活動再開いたします。
それまで、しばしの休眠タイム…。



2015年6月22日
『夏越 清祓ノ儀』
こちらのページを参照後、お申し込みください。

休眠前、節目となる清祓。
よろしく、お願いいたします。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメントありがとうございます。 (田村)
2015-06-02 17:45:07
あさださま

はい、懐かしいです

休眠しますが、寝言はあるかもしれません…

ともあれ、秋以降に。

いつもありがとうございます
返信する
全体。部分が全体へ。ある部分が、違うある部分へ。すべては繋がっている。 (あさだ)
2015-06-02 11:36:32
ながながと、タイトルを、うちながら、
伊勢参り。
懐かしいです。
いつも、有難うございます(^○^)
返信する

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