人間の心のしくみに目がいくようになったのは、実は開業前からだった。
23歳の時、当時プロのボクサーになりたいと毎日仕事と練習の日々を送っていた。
けれど、そういう日々を送りはじめて半年くらいだったか、腰痛に悩まされるようになった。
その腰痛が縁で“身体均整法”に出会い今に至るのだから、人生というのは何がどういう具合に作用してその先の未来へと続いていくのか、まあわからない。
当時は確かにプロのボクサーになりたかったが、その「なりたい」は本当の気持ちであったのか…。
24歳から学び始めた“身体均整法”。
ボクはこの流儀を称して、よく「手技療術の総合デパート」というのだけれど、いまでも最初にこの流儀に出会えたことをありがたく思っている。
ある専門誌で「日本における整体のひとつの極点」と評されていたこともあるが、手技療術に携わるうえで必要な要素がくまなく網羅されていたからだ。
範囲があまりに膨大なため、学ぶ側としてはともすれば煩雑になりまとまらないこともあるようだけれど、要は「歪み」をどう修復していくか、それを忘れなければいい。
いまは無くなってしまった「東京均整学院・均整指導教室」では、もともと東京の池尻大橋にかつてあった「姿勢保健均整専門学校」で教鞭をとられていた2名の先生が中心だった。
そのうちの1人の先生は、もともと心理療法(催眠)の先生でもあり、それもあって同校ではカリキュラムのなかに自己催眠など、他とは一線を画したユニークさが特徴だった。
1996年、26歳で独立開業。
その頃は1日24時間のうち、起きている16時間はほぼ手技療術や武術のことを考えていた。
ほどなくして、東京・西荻窪のとある本屋さんにて『人間の探求』という本を手に取る。
「…無意の願望の現われ方は体のリズムの特性によって各人異なる。その異なりを異なりと見ず、同じものの現われと見る為には、人間の表現に惑わされず、その裡なるたった一つの言葉を解するより他に道がない。之を解することが人間の探求の第一歩ではあるまいか。…」
多くの識者に天才と評される整体創始者・野口晴哉氏(故人)の本だが、その整体操法の卓越した技術と共に、時代の何歩も先をいっていたその心理指導は、催眠界の巨星、ミルトン・エリクソン(故人)やNLPが一般的に知られるようになった今でも、全く古びることはない。
この1冊の本は、現在でも折に触れ手に取る1冊であり、その表現の豊かさや巧みさに、そのつど驚かされる。
ここから、22年の歳月が流れた。
その時々を思い起こせば、紆余曲折もあれば、臥薪嘗胆ということもできる。
けれど、登山をして、目的の地点に到達したその瞬間に、それまでの大変さがウソのように無くなったり軽くなったりするのと同じく、過ぎ去った日々を懐かしく思う。
あれこれと逡巡を繰り返し、昨年、ようやく『セッション』という形にまとまった。
『セッション』には、“ベーシック”と“アドバンス”がある。
“ベーシック”は、主に体の問題、病気、症状を扱っている。
体に何か問題が起きると、ほとんどの場合、体は何かしらの運動制限を起こす。
運動制限というのは、たとえば首が前には動かしやすいけど後ろにはいかない、膝が伸ばしにくい、股関節が詰まった感じがするなど、関節の表情として現れる。
それは脊柱、背骨も関節構造になっているのだから、当然背骨にも制限が起きる。
その運動制限は、習慣化すると固定化する。
固定化すると、それはその方固有の「癖」として姿勢、体型に現れる。
この「癖」を、いわゆる個性の正体という見方もできるのだが、それはまたいづれ。
“ベーシック”では、いかなる場合でも、まずは運動制限の解除から入る。
それは、ひいてはその方固有の「癖」を理解することでもある。
問題、病気、症状というのは、どこまでいってもその個人に起きていることなのだから、本当の意味でその問題、病気、症状からの解放を望むのであれば、その「癖」に焦点を集めることは自然なのではないだろうか。
“アドバンス”は、複雑化した体の問題、病気、症状、および心の問題を扱っている。
問題といっても、それは多岐に亘る。
たとえば、各種のアレルギー、しつこい痛み、お腹の奥の重さなどの体の問題は、即その場で消失してしまうケースもある。
これは(野口先生の言葉を借りれば)「裡にあるたった一つの言葉を本人が解する」ことで、それまであったこれらの違和感が、キレイさっぱり無くなってしまうことで起きた現象だ。
そのほかにも、たとえば、本人にしかわからない、様々な苦しみを扱うこともある。
顔色や動作も普通、食欲もあれば話していても普通に話せる…はたから見れば、なぜそんなに苦しいのかわからないけれど、当の本人は毎日が地獄のように感じている。
あるいは、忘れたくても忘れられない過去、幼少時の記憶でがんじがらめになり、外出することすら苦痛で怖い。
あるいは、学校や会社での人間関係で、なぜか自分だけに攻撃してくる人がいる。
あるいは、隣近所から何かしらインネンをつけられる。
あるいは、恋人と会うヒマがないほど忙しく不安で、いつも不信感がある…などなど。
どのようなケースであれ共通しているのは、『セッション」が終われば本人がそれを忘れることだ。
いや、正確には、その出来事の記憶や、その時々に感じた感情、考えたことなどは消えることなく保存されている。
では、何を忘れるのか?
それは、その記憶にまつわる怒りや後悔、悲しみなどに「執着」することだ。
「執着」することを忘れると、延々と自分を縛り付けていた縄がほどけ、自由になる。
そうなるとその途端に、その直前まで自分自身があれほどまでにこだわり、囚われ悲嘆にくれていたにも関わらず、その事自体がどうでもよくなってしまう。
日常に戻っても、それは変わらない。
もちろん、多くの場合問題というのは重なり合い、多重多層に入り組んでいるので(これをボクは「箱根の寄せ木細工のよう」といっている)すべて一括削除というワケにはいかないこともある。
けれど、減った分だけ軽くなることは、例外がない。
その直前まであったアレコレが無くなるとどうなるか…というと、人間は「喉元過ぎれば…」という諺にあるように、その直前までの自分を、忘れてしまう。
あとになって「あの時は大変でしたね」というと「あ、そうでしたっけ」と返されることもあったりするから、人間の心のしくみはオモシロイ。
起きることは起きるべくして起きる。
ならば、消えるものも消えるべくして消えるのも、また必然。
ずっと固定して変わらないものなどないことを仏教の真理では「無常」というが、過ぎ去った過去というものも、また「無常」なのだろう。
『セッション』の醍醐味は、こういうところにある。
それもまた、「無常」。
TAMURATIC.
23歳の時、当時プロのボクサーになりたいと毎日仕事と練習の日々を送っていた。
けれど、そういう日々を送りはじめて半年くらいだったか、腰痛に悩まされるようになった。
その腰痛が縁で“身体均整法”に出会い今に至るのだから、人生というのは何がどういう具合に作用してその先の未来へと続いていくのか、まあわからない。
当時は確かにプロのボクサーになりたかったが、その「なりたい」は本当の気持ちであったのか…。
24歳から学び始めた“身体均整法”。
ボクはこの流儀を称して、よく「手技療術の総合デパート」というのだけれど、いまでも最初にこの流儀に出会えたことをありがたく思っている。
ある専門誌で「日本における整体のひとつの極点」と評されていたこともあるが、手技療術に携わるうえで必要な要素がくまなく網羅されていたからだ。
範囲があまりに膨大なため、学ぶ側としてはともすれば煩雑になりまとまらないこともあるようだけれど、要は「歪み」をどう修復していくか、それを忘れなければいい。
いまは無くなってしまった「東京均整学院・均整指導教室」では、もともと東京の池尻大橋にかつてあった「姿勢保健均整専門学校」で教鞭をとられていた2名の先生が中心だった。
そのうちの1人の先生は、もともと心理療法(催眠)の先生でもあり、それもあって同校ではカリキュラムのなかに自己催眠など、他とは一線を画したユニークさが特徴だった。
1996年、26歳で独立開業。
その頃は1日24時間のうち、起きている16時間はほぼ手技療術や武術のことを考えていた。
ほどなくして、東京・西荻窪のとある本屋さんにて『人間の探求』という本を手に取る。
「…無意の願望の現われ方は体のリズムの特性によって各人異なる。その異なりを異なりと見ず、同じものの現われと見る為には、人間の表現に惑わされず、その裡なるたった一つの言葉を解するより他に道がない。之を解することが人間の探求の第一歩ではあるまいか。…」
多くの識者に天才と評される整体創始者・野口晴哉氏(故人)の本だが、その整体操法の卓越した技術と共に、時代の何歩も先をいっていたその心理指導は、催眠界の巨星、ミルトン・エリクソン(故人)やNLPが一般的に知られるようになった今でも、全く古びることはない。
この1冊の本は、現在でも折に触れ手に取る1冊であり、その表現の豊かさや巧みさに、そのつど驚かされる。
ここから、22年の歳月が流れた。
その時々を思い起こせば、紆余曲折もあれば、臥薪嘗胆ということもできる。
けれど、登山をして、目的の地点に到達したその瞬間に、それまでの大変さがウソのように無くなったり軽くなったりするのと同じく、過ぎ去った日々を懐かしく思う。
あれこれと逡巡を繰り返し、昨年、ようやく『セッション』という形にまとまった。
『セッション』には、“ベーシック”と“アドバンス”がある。
“ベーシック”は、主に体の問題、病気、症状を扱っている。
体に何か問題が起きると、ほとんどの場合、体は何かしらの運動制限を起こす。
運動制限というのは、たとえば首が前には動かしやすいけど後ろにはいかない、膝が伸ばしにくい、股関節が詰まった感じがするなど、関節の表情として現れる。
それは脊柱、背骨も関節構造になっているのだから、当然背骨にも制限が起きる。
その運動制限は、習慣化すると固定化する。
固定化すると、それはその方固有の「癖」として姿勢、体型に現れる。
この「癖」を、いわゆる個性の正体という見方もできるのだが、それはまたいづれ。
“ベーシック”では、いかなる場合でも、まずは運動制限の解除から入る。
それは、ひいてはその方固有の「癖」を理解することでもある。
問題、病気、症状というのは、どこまでいってもその個人に起きていることなのだから、本当の意味でその問題、病気、症状からの解放を望むのであれば、その「癖」に焦点を集めることは自然なのではないだろうか。
“アドバンス”は、複雑化した体の問題、病気、症状、および心の問題を扱っている。
問題といっても、それは多岐に亘る。
たとえば、各種のアレルギー、しつこい痛み、お腹の奥の重さなどの体の問題は、即その場で消失してしまうケースもある。
これは(野口先生の言葉を借りれば)「裡にあるたった一つの言葉を本人が解する」ことで、それまであったこれらの違和感が、キレイさっぱり無くなってしまうことで起きた現象だ。
そのほかにも、たとえば、本人にしかわからない、様々な苦しみを扱うこともある。
顔色や動作も普通、食欲もあれば話していても普通に話せる…はたから見れば、なぜそんなに苦しいのかわからないけれど、当の本人は毎日が地獄のように感じている。
あるいは、忘れたくても忘れられない過去、幼少時の記憶でがんじがらめになり、外出することすら苦痛で怖い。
あるいは、学校や会社での人間関係で、なぜか自分だけに攻撃してくる人がいる。
あるいは、隣近所から何かしらインネンをつけられる。
あるいは、恋人と会うヒマがないほど忙しく不安で、いつも不信感がある…などなど。
どのようなケースであれ共通しているのは、『セッション」が終われば本人がそれを忘れることだ。
いや、正確には、その出来事の記憶や、その時々に感じた感情、考えたことなどは消えることなく保存されている。
では、何を忘れるのか?
それは、その記憶にまつわる怒りや後悔、悲しみなどに「執着」することだ。
「執着」することを忘れると、延々と自分を縛り付けていた縄がほどけ、自由になる。
そうなるとその途端に、その直前まで自分自身があれほどまでにこだわり、囚われ悲嘆にくれていたにも関わらず、その事自体がどうでもよくなってしまう。
日常に戻っても、それは変わらない。
もちろん、多くの場合問題というのは重なり合い、多重多層に入り組んでいるので(これをボクは「箱根の寄せ木細工のよう」といっている)すべて一括削除というワケにはいかないこともある。
けれど、減った分だけ軽くなることは、例外がない。
その直前まであったアレコレが無くなるとどうなるか…というと、人間は「喉元過ぎれば…」という諺にあるように、その直前までの自分を、忘れてしまう。
あとになって「あの時は大変でしたね」というと「あ、そうでしたっけ」と返されることもあったりするから、人間の心のしくみはオモシロイ。
起きることは起きるべくして起きる。
ならば、消えるものも消えるべくして消えるのも、また必然。
ずっと固定して変わらないものなどないことを仏教の真理では「無常」というが、過ぎ去った過去というものも、また「無常」なのだろう。
『セッション』の醍醐味は、こういうところにある。
それもまた、「無常」。
TAMURATIC.