① 釧路米町三丁目の歌碑
啄木は家族を小樽に残し釧路に来ましたが、寂しかったのでしょう。上京したい、という「東京病」が始まりました。啄木は函館に行って、家族を小樽から函館の借家に迎え入れ、単身東京に行く決心をし、明治41年4月5日、石炭運搬船「酒田丸」にて、釧路を離れ函館に向かいます。
釧路米町三丁目の歌碑
酒のめば
悲しみ一時に
湧き来るを
寝て夢みぬを
うれしとはせし
啄 木
② 「石川啄木離釧の地」案内板の歌(釧路市港)
啄木が釧路を離れた当時の波止場跡の案内板
神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒のやまの雪のあけぼ
冬の磯氷れる砂をふみゆけば
千鳥なくなり月落つる時
浪淘沙
ながくも聲をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな
③ 阿寒湖畔の歌碑(釧路市阿寒町)
啄木の釧路での生活は76日でした。釧路を離れる日の日記には「後には雄阿寒雌阿寒の両山、朝日に映えた雪の姿も長く忘られぬであろう」と阿寒の山のすばらしさを書いています。現在、阿寒湖に行くには、釧路市内からは路線バス、観光バスが運行されており、観光バスに乗ると、国立公園の摩周湖、硫黄山、屈斜路湖に立ち寄り釧路湿原を通って、2時間ほどで着きます。
阿寒湖畔の歌碑
啄木のよめる釧路のう多
神のこと遠くす可多を阿ら者世る
阿寒のやまの雪能希本の