たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

啄木歌碑めぐり(59)

2020年07月15日 | 啄木歌碑

            

①  釧路米町三丁目の歌碑

啄木は家族を小樽に残し釧路に来ましたが、寂しかったのでしょう。上京したい、という「東京病」が始まりました。啄木は函館に行って、家族を小樽から函館の借家に迎え入れ、単身東京に行く決心をし、明治41年4月5日、石炭運搬船「酒田丸」にて、釧路を離れ函館に向かいます。

 

                    釧路米町三丁目の歌碑 

   

     酒のめば

  悲しみ一時に

  湧き来るを

  寝て夢みぬを

  うれしとはせし 

       啄 木

 

 

② 「石川啄木離釧の地」案内板の歌(釧路市港)

 

     啄木が釧路を離れた当時の波止場跡の案内板

 

神のごと

遠く姿をあらはせる

阿寒のやまの雪のあけぼ 

 

冬の磯氷れる砂をふみゆけば

千鳥なくなり月落つる時

 

浪淘沙               

ながくも聲をふるはせて

うたふがごとき旅なりしかな

 

③ 阿寒湖畔の歌碑(釧路市阿寒町)

啄木の釧路での生活は76日でした。釧路を離れる日の日記には「後には雄阿寒雌阿寒の両山、朝日に映えた雪の姿も長く忘られぬであろう」と阿寒の山のすばらしさを書いています。現在、阿寒湖に行くには、釧路市内からは路線バス、観光バスが運行されており、観光バスに乗ると、国立公園の摩周湖、硫黄山、屈斜路湖に立ち寄り釧路湿原を通って、2時間ほどで着きます。

 

                                   阿寒湖畔の歌碑

 

 啄木のよめる釧路のう多 

 

神のこと遠くす可多を阿ら者世る

阿寒のやまの雪能希本の