たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

9月25日

2022年09月25日 20時58分25秒 | 暮らしの記録

時の過ぎ行く速さに愕然としてしまう。
なんだかんだ言ってる内に、もう、9月も残すところ5日に・・・。
当地、昨夜まで、断続的に強く弱く降っていた雨が、
朝方には止んでおり、久し振りに青空が広がった。
午後にはまた雲が出てきて、曇天になってしまったが、
昼過ぎ、やおら重い腰を上げ、
気になっていた、雑草で埋まった猫額庭の草取り(草抜き)に、取り掛かった。
2時間余り、
隣家の奥さんが、ひょこり出てきて、
「さっぱりしましたね」・・・?のご挨拶・・・、
トホホ・・である。

フェンス際で大きくなり過ぎて、困り者?のキウイだが、
見上げると、今年も、結構実を付けており、
収穫は、楽しみとなる。
収穫は、葉が枯れて、カサコソ落ちる頃と決めており、
まだまだ・・ではあるが。

 

汚れついでに、畑へ、Go!、
台風の影響による断続的豪雨強風が続いていた当地、
野菜に被害が無いか?、確認に・・。
大丈夫そう・・・。
ヤヤヤヤヤ・・!、
畑地の外に積んであった雑草の山が崩されいる。
こりゃ、人間の仕業では無い。
もしかして、イノシシの仕業?
あの強力な鼻で、大好物のミミズを探して、穿りまわしたのではないかと推定される。

でも、不思議?、
幸いなるかな、畑地の中へ侵入した形跡が、今のところ全く無く、
野菜の被害はゼロ。
領海外?で暴れてるだけなら許せる?
でも、これから冬に向って、食料事情?がどんどん悪くなってくると、
侵攻手段?選ばず・・・畑地を走り回ったりするに違いない。
3年前まで出没していたイノシシは、どうやら捕獲されたらしく、
この2年間、平和?が続いた畑地だったが、
新たなイノシシが、侵攻?を企てているような気がする。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その25(3)

2022年09月25日 17時08分53秒 | 山歩記

「燧岳から燧裏林道」

かれこれ25年前1997年(平成9年)10月5日~7日に、妻と二人で、燧岳から燧裏林道を訪ねたことが有った。もちろん、初めての燧岳で、不安と期待いっぱいの山旅だったと思うが、結果は、天候に恵まれ、絶景、紅葉を堪能出来、最高の山旅の一つだったと思っている。
それまで、尾瀬ヶ原や尾瀬沼から仰ぎ見ていただけの燧岳、東北地方の最高峰、やはり一度は登ってみたい山と思いながらも、なかなか機会が無かったものだったが、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になり、思い切っって訪れたものだった。いろいろな山行コースが考えられたが、かなり強行に、福島県檜枝岐村の尾瀬御池を基点に、燧岳、見晴十字路、そして、「紅葉が見事・・」と聞いていた燧裏林道を巡る、周回コースを選んだのだった。
「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいたことが分かったが、なんとなく懐かしくなってしまい、改めて、コピペ・リメイクしてみた。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その25
「燧岳から燧裏林道」
(3)紅葉黄葉満喫、燧裏林道


下田代十字路(見晴十字路)の山小屋、尾瀬小屋で一夜を明かし、
日の出時刻、朝日に映える尾瀬ヶ原、草紅葉の情景を期待して、周辺を散策したが、
雨雲が垂れ込めていて、残念ながら、お目当ての写真は撮れなかったようだ。

 

霧雨模様の6時30分頃、雨具着用で尾瀬小屋を出発、
三条ノ滝、燧裏林道へ向った。

東電小屋、ヨッピ橋方面への分岐                 アカミノイヌツゲ?

 

急激に雨雲は消え、時々、薄日も射し始めて・・、
ラッキー!

 

「温泉小屋」前を通過。
息子達が小さかった頃、家族4人で、宿泊したことがあった山小屋、
風情は変わっておらず、おお、懐かしい!

平滑ノ滝

8時頃、三条ノ滝に到着
階段、ロープで急降下、展望台へ、

 

「三条ノ滝」は、落差100m、幅30m、日本一水量が多い滝と言われている。
尾瀬ヶ原から流れ落ちる大量の水、只見川の源流になるが、
その水は、やがて会津盆地で、阿賀野川と名前を変え、日本海に注ぐ。
「三条ノ滝」から「尾瀬御池」までの「燧裏林道」には、

兎田代、天神田代、西田代、横田代、上田代、ノメリ田代、御池田代等の
湿地帯、池塘が、次々、連なっている。
兎田代?

 

渋沢温泉小屋方面への分岐?付近で、小休憩

お目当ての、紅葉黄葉の「燧裏林道」歩き・・、

 

 

 

 

あともう一息・・、小休憩、

11時45分頃、車を置いていた尾瀬御池ロッジ前の無料駐車場に帰還。
皮肉にも、最高の秋晴れになっており・・。
着替えを済ませ、駐車場で、昼食。

 

前々日、宿泊した尾瀬御池ロッジ前、

こんな好天に、来た道を引き返すだけでは、もったいない?、
「下田代十字路(見晴十字路)から、「尾瀬御池(おぜみいけ)までは、
高低差がさほど無く、バテる程ではなかったこともあり、

急遽予定を変更し、
奥只見湖、銀山平、シルバーライン・・、
奥只見経由で、小出ICから関越自動車に入るという、
初めて車で走るルートで、帰途についた。
山間道路、結構な長距離ドライブだったが、
当時はまだ、そんなことが平気で出来たのだなあーと、つくづく思ってしまう。

 

「燧岳(ひうちがたけ)」もまた、今となっては、もう二度と登ること叶わない、遠い思い出の山となってしまっているのである。

(おわり)

 

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爺さんの備忘録的昆虫図鑑 No.08 「ショウリョウバッタ(精霊蝗虫)」

2022年09月25日 09時01分42秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、数年前までは、まるで興味も関心も無く、しっかりと昆虫の写真を撮るなんてこと等、ほとんど無かったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、散歩・ウオーキングの途中や畑地や猫額庭等で見掛けると、やたら写真を撮るようになっている。もちろん、そのほとんどが、初めて見掛けるような昆虫ばかりで、名前も知らず分からずで、「君の名は?」。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫の図鑑」で調べたり、ネットで確認したりしている次第。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。せっかくネット等から得た情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。昆虫に詳しい方からは、「なーんだ、そんな昆虫も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報。自分のための「備忘録的昆虫図鑑」だと思っている。


7月頃から9月頃、畑地に行くと、足元の叢から飛び立ったり、キュウリやゴーヤの茎に取り付いている「ショウリョウバッタ」を見掛けることが多い。子供の頃から見慣れていて、珍しくもなく、ほとんど、無視するムシ!、だが、これまで、気まぐれに撮っていた写真が残っており、引っ張り出し、今更になって、ネットで調べてみた。

2013年8月31日、畑地で撮っていた「ショウリョウバッタ」
ゴーヤを収穫する際、横に止まっていたようだ。
メス?・・かな?

 

2016年8月5日に、畑地で撮っていた「ショウリョウバッタ」

2017年7月28日、畑地で撮っていた「ショウリョウバッタ」

 

2018年7月26日、畑地で撮っていた「ショウリョウバッタ」

2022年7月25日、畑地で撮っていた「ショウリョウバッタ」
メス?・・かな?


ショウリョウバッタ(精霊蝗虫・精霊飛蝗)

バッタ目、バッタ科、ショウリョウバッタ属、
   別名「ショウジョウバッタ(霄壤蝗虫・霄壤飛蝗)」
   和名「精霊蝗虫・精霊飛蝗」は、8月の旧盆(精霊祭)の時季になると姿を見せ、
   精霊流しの精霊船の形に似ていることから付けられたと言われている。
   日本に生息するバッタ類の中では、最大種、
   斜めに尖って頭部が、特徴。
分布 ユーラシア大陸の熱帯から温帯に生息、
   日本では、北海道、本州、四国、九州、沖縄等、全国的に見られる。
   草原、都市部の公園、芝生、河川敷等に生息、
生態 体長(翅の先端まで) オス 4cm~5cm
              メス 7cm~9cm
   オスとメスの大きさが、極端に違う。
   体色は、緑色だが、茶褐色の個体も有る。
   頭部は、円錐形で斜めに尖り、反り返り、
   その先端に触角が2本付いている。
   メスの成虫には、体に黒白の縦帯模様が入っている個体もある。
   オスが飛ぶ時、「チキチキチキ・・・」と声を発することから、
   「チキチキバッタ」と呼ばれている。
   捕らえやすく、後ろ脚を揃えて持つと、体を縦に振る動作をすることから
   「コメツキバッタ(米搗きバッタ)」あるいは、
   「ハタオリバッタ(機織りバッタ)」とも呼ばれている。
成虫が見られる時期 7月頃~11月頃、


(蛇足)

類似種に、「オンブバッタ」「ショウリョウバッタモドキ」が有り、素人目には、なかなか見分けが付かないので、もしかしたら、間違って同定しているかも知れない。


「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」

2022年09月24日 14時57分25秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日も朝から、断続的に強く弱く、雨が降り続いている。
まだまだ、しばらくは、不安定な天候が続きそうで、
スッキリ、爽やか、天高い秋の空を望めるのは、もう少し後になりそうだ。
なんとも冴えない、家籠もりの1日。
昼食後、ふっと、久し振りに、ビートルズ(The Beatles)を聴きたい気分になり、古いCDを引っ張り出している。ビートルズの古いLPレコード盤も2枚有り、未だに廃棄処分出来ずに仕舞い込んであるが、いずれも、長男か次男かが学生の頃、どこかで入手して中古品?で、置いていったものだ。ビートルズ最盛期と青春時代とは、若干ずれていたことも有り、熱狂的でも無く、馴染みの曲も少なく、あまり詳しい方ではないが、やはり、嫌いではなく、すっかり、爺さんの所有物と化し、楽しんでいる次第である。

              

その中の1曲、「ヘイ・ジュード」

今更になってネットで調べてみると
「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」は、1968年(昭和43年)8月に発売された、ビートルズ(The Beatles)の楽曲。
作詞・作曲、レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)となっているが、実際は、ポール・マッカートニーによる作品。
ジョン・レノンが、オノ・ヨーコと不倫交際を始めたことで、ジョンとシンシア夫妻の離婚が決定的となり、精神的に不安定な状態にあったジョンとシンシア夫妻の子供、ジュリアン・レノン(当時5歳)を慰めるために書いたバラードだった。ジュリアンの愛称が、「ジュールズ(Jules)」で、当初の曲名は、「ヘイ・ジュールズ(Hey Jules)」だったのだそうだ。

「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」 (YouTubeから共有)

「ヘイ・ジュード(Hey Jude」 
作詞・作曲 レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

なあジュード 悪く考えないで
悲しい歌も 良く感じてみて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

Hey Jude, don't be afraid
You were made to go out and get her
The minute you let her under your skin
Then you begin to make it better

なあジュード 怖がらないで
彼女に会いに行って 理解してあげて
彼女を受け入れたその時から
君はうまく行き始めるから

And anytime you feel the pain
hey Jude, refrain
Don't carry the world
upon your shoulders

辛いときはいつでも
なあジュード 控えておくんだ
すべてを一人で
背負い込んだりしないで

For well you know
that it's a fool
who plays it cool
By making his world a little colder

Nah nah nah nah nah
nah nah nah nah

よく知ってるだろう
クールに振る舞うのは
愚か者だって
少し冷淡に世界を眺めてるんだ

Hey Jude, don't let me down
You have found her, now go and get her
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

なあジュード がっかりさせないで
彼女を知った今 行って理解してあげて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

So let it out and let it in
Hey Jude, begin
You're waiting for someone
To perform with

だから あるがままに受け入れて
なあジュード やってみよう
今君は頼ろうとしてる
一緒にやってくれる誰かに

And don't you know
that it's just you,
hey Jude, you'll do
The movement you need
is on your shoulder

Nah nah nah nah nah
nah nah nah nah yeah

分かるだろう 君なんだよ
なあジュード 君がやるんだよ
やるべきことは
君自身にかかってるんだ

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her under your skin
Then you'll begin to make it better
Better better better better better, oh

なあジュード 悪く考えないで
悲しい歌も 良く感じてみて
彼女を心の中に受け入れて
そうすれば うまく行き始めるから

(出典・「世界の民謡・童謡」 worldfolksong.com)

 

 

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その25(2)

2022年09月24日 08時27分46秒 | 山歩記

「燧岳から燧裏林道」

かれこれ25年前1997年(平成9年)10月5日~7日に、妻と二人で、燧岳から燧裏林道を訪ねたことが有った。もちろん、初めての燧岳で、不安と期待いっぱいの山旅だったと思うが、結果は、天候に恵まれ、絶景、紅葉を堪能出来、最高の山旅の一つだったと思っている。
それまで、尾瀬ヶ原や尾瀬沼から仰ぎ見ていただけの燧岳、東北地方の最高峰、やはり一度は登ってみたい山と思いながらも、なかなか機会が無かったものだったが、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になり、思い切っって訪れたものだった。いろいろな山行コースが考えられたが、かなり強行に、福島県檜枝岐村の尾瀬御池を基点に、燧岳、見晴十字路、そして、「紅葉が見事・・」と聞いていた燧裏林道を巡る、周回コースを選んだのだった。
「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいたことが分かったが、なんとなく懐かしくなってしまい、改めて、コピペ・リメイクしてみた。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その25
「燧岳から燧裏林道」
(2)展望堪能、燧岳山頂


燧岳(ひうちがたけ)・俎嵒(まないたぐら)山頂(標高2,346m)」に到着したのは、11時15分頃だったようだ。
燧岳は、5つのピークが山頂を形成しているが、俎嵒(まないたぐら)、柴安嵒(しばやすぐら)が主峰、柴安嵒の方が、俎嵒より、10m標高が高く、東北地方の最高峰となる。
それにしても、「熊沢田代」から「山頂」までの間に撮った写真が1枚も無いとは?
写真等撮ってる体力的余裕が無く、ひたすら登っただけだったのかも知れない。

すでに、山頂には、尾瀬沼や尾瀬ヶ原から登ってきたハイカー等が大勢いて、
好天の下、一期一会、居合わせて、大展望を共有出来た喜びを分かち合う光景が印象的だった。

俎嵒山頂から眺めた、「尾瀬沼」

 

大展望を堪能しながら、早目の昼食、至福の時・・・、

 

俎嵒山頂から望む、燧岳・柴安嵒山頂(標高 2,356m)。指呼の間。

俎嵒山頂から、わずか15分程、
12時頃、燧岳・柴安嵒山頂に到着したようだ。
ここでまた小休憩、
晴れ渡り、360℃大パノラマを堪能、最高!、

 

柴安嵒山頂から眺めた、「尾瀬ヶ原」「至仏山」

振り返り見る、燧岳・俎嵒山頂

小休憩後、いよいよ見晴十字路へ下る、長い急下降路、「見晴新道」へ。
岩稜帯から樹林帯へ、
次第に、膝が笑い始める・・・。

15時頃、宿泊先の下田代十字路(見晴十字路)の「尾瀬小屋」に到着したようだ。
先ずは、小屋前のベンチで、安堵の小休憩。

夕暮れ間近の時間帯、尾瀬ヶ原を少し散策、
夕照風景、斜光に映える草紅葉の写真等
なんとか、1枚でもいいから、傑作?を撮りたい望み有り有りだったが、
バカチョンカメラ、オートフォーカス、手持ち撮影では、土台、無理な話。
ザンネン!

仰ぎ見る、燧岳・俎嵒、柴安嵒

山小屋の灯♫

17時からの山小屋の夕食は、入れ替え制だったため、ゆっくりは出来なかったようだが、
鳩待峠から至仏山、山ノ鼻、尾瀬ヶ原を歩いてきて、翌日は、尾瀬沼から三平峠を越えて大清水へ下るという中年夫婦と同席。しばし、歓談したようだ。
我々と同じく「マイカー登山派」だったが、鳩待峠に置いてきた車は、業者に大清水の方へ回送してもらうのだという話を聞き、そういう手も有ったのかと、うなったものだった。
記録、メモは残っていないが、夕食後は、疲れと1杯のビールの酔いで、早々、布団に潜り込んだような気がする。
山小屋の夜は、静かに、深々と更けて・・・。

(つづく)

 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その25(1)

2022年09月23日 17時17分20秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真がブログから消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


「燧岳から燧裏林道」

かれこれ25年前1997年(平成9年)10月5日~7日に、妻と二人で、燧岳から燧裏林道を訪ねたことが有った。もちろん、初めての燧岳で、不安と期待いっぱいの山旅だったと思うが、結果は、天候に恵まれ、絶景、紅葉を堪能出来、最高の山旅の一つだったと思っている。
それまで、尾瀬ヶ原や尾瀬沼から仰ぎ見ていただけの燧岳、東北地方の最高峰、やはり一度は登ってみたい山と思いながらも、なかなか機会が無かったものだったが、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になり、思い切っって訪れたものだった。いろいろな山行コースが考えられたが、かなり強行に、福島県檜枝岐村の尾瀬御池を基点に、燧岳、見晴十字路、そして、「紅葉が見事・・」と聞いていた燧裏林道を巡る、周回コースを選んだのだった。
「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいたことが分かったが、なんとなく懐かしくなってしまい、改めて、コピペ・リメイクしてみた。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。


深田久弥著 「日本百名山」
   「燧岳(ひうちがたけ)」
(一部抜粋)

広大な尾瀬ヶ原を差し挟んで東西に対立している燧岳(ひうちがたけ)と至仏山(しぶつさん)。燧の颯爽として威厳のある形を厳父とすれば、至仏の悠揚とした軟らかのある姿は、慈母にたとえられようか。原の中央に立ってかれを仰ぎ、これを眺めると、対照の妙を得た造化に感嘆せざるを得ない。
尾瀬沼から燧岳をなくしたら、山中の平凡な一小湖に化してしまうだろう。昔、関東と奥州をつなぐ道の一つがこの沼のふちを通っていた。沼田街道と呼ばれるもので、上州の戸倉を最後として、会津の檜枝岐に出るまで、全くの深い山の中の道であった。その心細い山道の途中で、山と沼と両々映発した美しい風景にめぐりあった旅人の心持は、いかばかりであっただろう。
(中略)
尾瀬という名の由来については、木暮理太郎氏の委しい考証がある。寛文六年(1666年)に編纂された「会津風土記」に小瀬沼とあるのが文献の最初だそうである。それより約二十年前の正保図には、「さかひ沼」と記されていたという。
尾瀬沼は、会津と上州の国境線が湖上を通過しているので「さかひ沼」の称があったのであろうが、燧岳は、全く会津領内にある。福島県南会津郡檜枝岐村の地籍で、地理的に言えば、那須火山脈日光火山群の一峰である。頂上は二峰に分かれ、三角点のある方を俎嵒(まないたぐら)と呼び、他を柴安嵒(しばやすくら)と呼ぶ。後者が二十メートルあまり高い。クラは、岩の意で、マナイタグラは、俎のような岩の形によるものであるが、シバヤスクラのシバヤスは何かまだわからない。
燧という名前は、そのマナイタグラの東北面に鍛冶鋏の形した残雪が現れるからだという。鍛冶すなわち火打である。
(中略)
この山を開いたのは、檜枝岐村の平野長蔵氏で、二十歳の明治二十二年(1888年)八月二十九日、燧岳に登り、さらに九月二十四日頂上に石祠を建設した。その後沼畔に長蔵小屋を建て、尾瀬沼山人と名乗って、その一生を尾瀬の開発と擁護に捧げた。
(中略)
戦前私は数回尾瀬へ行った。十月半ば雪に降られながら三平峠を越えたこともあれば、初夏の富士見峠を越えたこともあった。この峠の近くのアヤメ平から、広い原の向こうの果てに、遮るものもなく燧岳の全容を望んだ時は、天下一品という気がした。おそらく燧の示す最も美しい姿だろう。
(中略)
燧に登った日は快晴に恵まれて、四周の山々を残りなく見渡すことが出来た。
(中略)
長蔵翁のあとは、御子息の長英さんが継ぎ、尾瀬のために尽くしている。長英さん夫婦は短歌をよくし、左のような作がある。
    この朝も 燧の高嶺 雪降りぬ 
        いよいよみ冬 近づきにけり       平野長英
    燧岳の 祭を客も うべなひて 
        赤の飯を食す(おす) けさの安けさ   平野靖子
尾瀬が日光国立公園に入れられてから、非常に賑わうようになった。尾瀬沼のほとりに真っ白な水芭蕉の咲き充つ頃が一番のシーズンで、尾瀬のすべての小屋が満員になるそうである。


山行コース・歩程等

(1日目)尾瀬御池駐車場→広沢田代→熊沢田代→燧岳・俎嵒山頂(標高2,346m)→
     燧岳・柴安嵒山頂(標高2,356m)→(見晴新道)→
     下田代十字路(見晴十字路)・尾瀬小屋 (泊)
     (標準歩行所要時間=約6時間30分)
(2日目)下田代十字路(見晴十字路)・尾瀬小屋→温泉小屋→平滑ノ滝→
     三条ノ滝→兎田代→(燧裏林道)→天神田代→西田代→横田代→
     上田代→田代坂→ノメリ田代→御池田代→尾瀬御池駐車場
     (標準歩行所要時間=約4時間15分)

(朝日新聞社の「週刊・日本百名山」から拝借)


前日の10月5日、14時30分頃には、福島県檜枝岐村の尾瀬御池に到着したようだ。当時はまだ、東北自動車道に入るまでの一般道の渋滞も心配だったが、予想した程でもなく、西那須野塩原ICから国道400号、国道121号、国道352号、国道353号、檜枝岐村も、快走、予定時刻よりかなり早く到着したようだ。宿泊先の檜枝岐村営国民宿舎・尾瀬御池ロッジには、特別早目にチェックインさせてもらい、周辺でゆっくり、のんびり、長距離ドライブの疲れを癒やしたような気がする。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その25
(1)登山靴泥んこの記憶


車を、尾瀬御池ロッジ前の無料駐車場に移動し、
午前7時30分頃、駐車場西端の「燧裏林道入口」から出発している。
程無く、左に、「燧岳登山口」が有る。
「燧岳登山口」を入ると直ぐ、樹林帯の中、前日までの雨で泥濘んで、ズブズブ、
滑りやすい急登が数か所。登山靴も泥んこになり、悪戦苦戦・・。
8時30分頃、木道の有る「広沢田代」に出て、やれやれ・・・。
木道歩き。
濃いガスの覆われでいたが、時々、途切れ池塘風景が見え隠れ・・、

広沢田代から熊沢田代への登山道も泥濘んでいたが、
色付いたナナカマド等を目の保養にし・・・、

 

高度を上げると、ダケカンバと、歩いて来た広沢田代が、眼下に・・、

ガスが消え、展望も良くなり・・、ラッキー!

9時30分頃、「熊沢田代」に到着。
広々、爽快な湿原、どうやら、天気は回復の兆し・・、

小休憩、しばし、池塘風景、堪能

草紅葉の池塘の、見飽きない風景

 

振り返り見る「熊沢田代」

行く手には、「燧岳・俎嵒山頂」の姿が見え始める。

9時45分頃、「熊沢田代」を通過し、
いよいよ、樹林帯から、山頂直下の岩礫帯の急登に取り付く・・・、

(つづく)

 


一度や二度教えてもらってもそのそばから忘れてしまう老脳

2022年09月23日 10時03分45秒 | 暮らしの記録

雨が降り始めた昨日の午後、数ヶ月振りに、車で30~40分の丘陵住宅地に住んでいる義姉宅を訪ねた。畑で採れた野菜を届けながらの、お互いの機嫌伺いだったが、その庭に黄色の花を咲かせていた小さな木が2本有り、花名を尋ねたが、知人から譲り受けたもので、分からない・・ということから、しばし、あーだ、こーだ、花談義。
早速、写真を撮り、スマホ・アプリ「GreenSnap」に「教えて!」したところ、瞬時に、草木に詳しい方々数人から回答が有り、「ハナセンナ、カッシア、アンデスの乙女」であることが分かった。そう言われれば、なんとなくどこかで見た記憶がある花姿・・。

帰ってきてから、「ブログ内検索」してみると、
「なーんだ、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、ちゃーんと書き込んでいた花ではないか」
一度や二度教えてもらってもそのそばから忘れる老脳・・・・・、
トホホ・・・である。


爺さんの備忘録的花図鑑「アンデスの乙女(ハナセンナ、カッシア)」
👇
こちら


 

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爺さんの備忘録的セミ図鑑 「アブラゼミ」

2022年09月22日 11時08分35秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、数年前までは、まるで興味も関心も無く、しっかりと昆虫の写真を撮るなんてこと等、ほとんど無かったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、散歩・ウオーキングの途中や畑地や猫額庭等で見掛けると、やたら写真を撮るようになっている。もちろん、そのほとんどが、初めて見掛けるような昆虫ばかりで、名前も知らず分からずで、「君の名は?」。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫の図鑑」で調べたり、ネットで確認したりしている次第。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。せっかくネット等から得た情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「鳥・昆虫」に 書き留め置こう等と思っているところだ。昆虫に詳しい方からは、「なーんだ、そんな昆虫も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報。自分のための「備忘録的昆虫図鑑」だと思っている。


昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さん、当時は、毎年、夏の間中、早朝から夕暮れまで、庭木や裏山からセミの大合唱が絶えず、まるで耳鳴りのごとしだったような気がしている。夏休み等には、セミ取りをして遊んだことも有ったが、記憶に残っているセミと言えば、「アブラゼミ」、「ニイニイゼミ」、「ヒグラシ」位だったと思う。
数十年前に引っ越してきた関東南部の山沿いの当地でも、毎年、夏になると盛んにセミの大合唱が聞かれるが、つい最近までは、ほとんど無関心で過ごしてきた。それが、ブログを始めてからのこと、チョウ、トンボ、セミ等、昆虫をも、意識して写真を撮ったりするようになっているから我ながら、その変わり様に驚きである。
子供の頃から最もよく見掛けていた「アブラゼミ」、誰でも知っている、最もポピュラーなセミ「アブラゼミ」、当地でも、散歩・ウオーキングの途中や畑地でよく見掛けられ、時々、コンデジで、カシャ、カシャ 撮ってきたものだが、外付けHDに残っている数枚を引っ張り出してみた。
今年の夏は、どういう分けか、セミの鳴き声、全体的に、少なかったような気がするが、気のせいだろうか・・・。

2016年8月5日、畑地の横で撮っていた「アブラゼミ」

 

2018年7月18日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「アブラゼミ」

 

2019年8月1日、畑地の横で撮っていた「アブラゼミ」

 

2021年7月28日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「アブラゼミ」


アブラゼミ(油蝉)

カメムシ目、セミ科、アブラゼミ属、
   和名「油蝉」は、「ジー・・・」「ジリジリジリ・・・」「ジジジジジジ・・・」という
   鳴き声が、油を熱した時に発する音に似ていることから名付けられたという説、
   翅が油紙を連想させることから名付けられた説等が有る。
分布 日本、中国北部、朝鮮半島、等
   日本では、北海道南部から九州で生息。
   全国的に最も多いセミだったが、ヒートアイランド現象の進行等で、
   特に一部都市部では、激減している。
生態 体長 3.3cm~3.5cm、(翅を入れた全長 5.5cm~6cm)
   「ミンミンゼミ」と、ほぼ同じ大きさ。
   体色は、黒褐色。
   翅の色が、前後共、不透明な茶褐色をしていることで見分けがつく。
   「夜鳴き」するセミとしても知られている。
成虫が見られる時期 7月頃~9月上旬、        


アブラゼミの鳴き声 (YouTubeから共有)


君の名は?

2022年09月22日 09時20分14秒 | 暮らしの記録

昨日、放ったらかしの我が家の猫額庭のプランタで、
黄色い花が咲いているのを見付けた。
「花と庭の係」の妻に、花名を尋ねたが、「???」。
球根性の花のようだが、「植えた覚えが無い・・」と言う。
「クロッカス」に似ているけど・・・・、
「クロッカス」は、春先に咲く植物だし・・・・?
ネットで調べてみると、よく似ている黄色い花で、秋に咲く「キバナタマスダレ(黄花玉簾)」が有るが、どうも、それともちょっと違うみたいだし・・・?
結局、「わからん!」で、おしまいに。

「君の名は?」
秋咲き?のクロッカス?


爺さんの備忘録的花図鑑 「クロッカス」
👇
こちら


雑草や他の植物に圧倒され、絶える寸前になっている「シュウメイギク(秋明菊)」
生き残っている2~3本が、花を咲かせ始めている。

 


白菜の苗植え付け、他

2022年09月21日 18時32分38秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

九州、中国、四国等、西日本を中心に、洪水、土砂崩れ等、大きな被害を齎した台風14号が、足早に、東北から東海上に抜け、温帯低気圧に変わったが、当地、今回は、「台風一過の快晴!」・・・という具合にはならず、今日は、時々薄日が射したものの曇天、明日以降も、雨マークが付いている。
今日、やるっきゃないか・・・、
朝方は、まだ雨っぽくて、とても、畑仕事は無理、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。

(1)白菜の苗植え付け、
   ポットに種蒔きし、育苗していた白菜が、
   なんとか植え付け出来る状態になっており、
   先日、下準備しておいた畝に、牛糞混入、元肥施し、植え付けた。

(2)大根、
   雑草だらけになっており、先ずは、草取り(草抜き)から・・。
   1回目の間引き(2本立ち)、つまみ菜ごっそり、
   追肥を施し、土寄せ

雑草の原と化している畑地、草取り(草抜き)にも取り掛かったが、
体力限界、時間切れ、
中止、
次回にすることにして、今日は、これまで・・



(3)収穫
   大根、1回目のつまみ菜、ちょっと、大きくなり過ぎ? 

地這いキュウリ、長ナス、ナス、ゴーヤ、ピーマン、シシトウ

畑地横の道端に、ヒガンバナ、

 

最高気温が24℃前後と涼しく、汗だくにはならなかったが、
結構時間が掛かってしまい、約3時間、
脚、腰、痛!、痛!で 引き上げてきた。