たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

逃げる月 追い掛けるよに 爺散歩

2017年02月28日 14時42分33秒 | 散歩・ウオーキング

あっという間に 2月も末日、加齢と共に 時の過ぎ行く速さが どんどん加速しているように感じるのは 私だけなんでしょうか。
光陰矢の如しです。
昼過ぎに 図書館に行って、その足で 高尾方面に回り 南浅川遊歩道を 少し歩いてきました。
春の陽射しを浴びて ウオーキング、散歩には 最適な日です。
梅が 満開になっています。

今冬 ほとんど まとまった雨が降っていない当地 川の水は枯渇し 川床が見えています。

老体とて 1月~2月の厳寒期、余り無理せず ウオーキングは ほどほどに、ほとんど休止状態でしたが 久し振りに歩くと かなり 脚力落ちていること 実感します。
明日から 弥生3月、そろそろ スイッチを切り替えて・・・、

 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.08 「かまける」

2017年02月28日 09時06分08秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて 50年以上、
子供の頃 使ったり 聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。
その内 ふっと思い出すことも語ることも出来なくなってしまうはずで そんな「恍惚の人」になってしまわない内に 書き留めてみよう等と 思っているところです。

No.08 「かまける」
「気を取られる」「夢中になる」「一生懸命になる」等という意味で 使っていたように思います。

例えば

「アソビニ カマケテ シュクダイ ワスレタン ナイカネ」
(遊びに夢中になっていて 宿題を忘れたのでは ないですか)

「イクジニ カマケテ シンブンモ ヨメンヨ」
(育児に一生懸命で 新聞も読めませんよ)

「ソンナコトニ カマケテル ヒマ ナイワネ」
(そんな事に 一生懸命になる時間 ありませんよ)

昭和30年頃の故郷の春先

No.07 「やばしい」 → こちら
No.06 「こわい」
No.05 「あせくらしい」
No.04 「しょうしい」
No.03 「~くんない」
No.02 「またじ」
No.01 「おぞい」

 


古い写真から蘇る山の思い出 その2 「初めての尾瀬」

2017年02月27日 15時20分21秒 | 山歩記

古いアルバム、写真の類は 第三者には ゴミのような存在なのかも知れませんが 当人にとっては 思い出が詰まっていたりして なかなか簡単に ポイ出来なくなってしまう ある意味、宝物のような存在でもあると思います。
先日も 雑物整理中に 1冊の古いアルバムが目に止まってしまい その中の 家族で 尾瀬沼から尾瀬ヶ原を歩いた時の写真を 見返してしまいました。

30年以上も前の話
長男が11才、次男が7才の年
昭和59年8月の写真です

息子達の夏休み直前に たまたま 地元旅行代理店の「尾瀬ハイクバスツアー」参加募集の新聞折込チラシが目に止まり 思い切って申し込んでいた山旅だったのです。(現在のように 大手旅行代理店が 広範囲に 大々的に 山歩きツアーを 企画募集するというような時代ではありませんでしたから)
職業柄、まとまった休みが取れなかったり、経済的な理由、息子達の年齢等も有って せいぜい 休日に 家族で 奥多摩や高尾山周辺の山歩きをするのが精一杯だった我が家でしたが 抒情歌 「夏の思い出」を聴いては 「はるかな尾瀬」に 想いを馳せていた頃でもあったのです。

「Youtube」を クリックして 視聴出来ます。
   ↓
「夏の思い出」~ 東京ソフィア女声合唱団

もちろん 代金が魅力で 申し込んだようなものですが その分 ツアー参加経験の無かったわが家族には かなりの強行軍のツアーでした。
午後10時に 東京都立川駅北口に集合し 夜行で 尾瀬に向かう企画だったのです。
登山口の 大清水には 深夜3時頃到着、中型バスとて 車内で仮眠等 出来たものではなく 睡眠不足のまま 早朝 ヘッドランプを点けて出発です。

出発地、大清水

山の知識情報も経験も乏しかった我が家、靴だけは なんとか 親戚から譲り受けたり、借りたりして揃えたものの ザックも、雨具も、衣類も ほとんどが 間に合わせでした。
ツアー参加者のほとんどは 山慣れしていそうな中高年や OL風、学生風の人達、子供連れは わが家族だけで 多分 「この人達 大丈夫なの?」っていう目で 見られていたのかも知れません。旅行代理店の随行員も ずっと わが家族をマークしていたことに気がついていました。

三平峠から下って 尾瀬沼が見え始めた時の 「はるかな尾瀬に 来たぞー!」という感動が 思い出されます。

尾瀬沼山荘から 大江湿原、沼尻に掛けては 水芭蕉のお化け(巨大化した葉)にびっくりしたり、ニッコウキスゲの群落に歓声を 上げたりしながら・・・。
ルン、ルン ♪

宿泊は 温泉小屋でした。
夏山シーズン最盛期でしたので、1畳に 2人、3人の大混雑でしたが 山小屋泊まり初体験のわが家族、そんなもんかと思ってしまったか それ程の苦痛もなく なんとか 睡眠が取れたような気がします。

翌朝 温泉小屋出発前

好天の下、鳩待峠まで 自由行動ということで ゆっくりのんびり 尾瀬ヶ原を堪能しました。

この「尾瀬ハイクバスツアー」参加が きっかけとなって とりあえずは 「毎年 夏には 家族で 登山しよう」ということになり 翌年以降 八ヶ岳、木曽駒、白馬、仙丈、北岳・・・等に 登ることに なっていったのです。
子供達が巣立った後は しばらく 山歩きも途絶えましたが 平成になった頃からは 力量をわきまえながら 夫婦だけのおいらく山歩きをしているという具合です。
その後 尾瀬には 至仏、燧、アヤメ平等 季節や コースを変えて 5回 訪れていますが 何回 訪れても また 訪れたくなります。

 

 

 

 

 

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八朔の皮も

2017年02月26日 14時27分25秒 | 暮らしの記録

2月に入って 買い置きのみかんが尽きてからは 八朔に切替て 毎度 半分っこして 食している老夫婦です。
先日 義姉宅を訪れた際 お茶請けに みかんの皮で作った「砂糖煮」が 出されました。
我が家でも 以前は良く 自家製に拘る妻が 夏みかんの皮等を 「砂糖煮」や「マーマレード」にしていましたが 最近しばらくは 作っていませんでした。
急に思い立った様子で 先日から 八朔の皮をため込んでいて 今日 半日掛けて 八朔の皮の「砂糖煮」を 作り上げました。
自画自賛、上出来のようです。
義姉にも お裾分けするんでしょうが しばらくは 八朔の皮の砂糖煮が出てきそうです。
果物と言っても 相当 糖分有りそう・・・。
食べ過ぎないようにしないと・・・。

八朔の皮まで 生ゴミにしない妻なんです。

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畑日誌 2017.02.25 そろり 始動

2017年02月25日 16時09分43秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

平地より 平均して 3~4℃気温が低い当地 花の開花も 野菜作りも 若干遅目になります。
老夫婦の野菜作りとて 厳寒期は 休眠と決め込んでいますが そろそろ 今年も始動する時期に なってきました。
今日も 最高気温が 8℃前後 寒い1日でしたが 午前中 陽射しが有り やおら 畑に向かいました。

(1)イチゴの草取り
寒冷対策でネットを被せていましたが その分 雑草の繁茂も凄く、時間が掛かってしまいました。

(2)イチゴの追肥と土寄せ
芽を隠さないよう、1株1株 手で土寄せ、これが大変、

(3)イチゴの水遣り
当地 ずっと まとまった雨が降っておらず 畑は カリカリ、たっぷり 水を与えます。

イチゴ・・今のところ まずまず 育っていますが どうなりますやら。

(4)タマネギの補植
枯れている箇所が有り、予備の苗を 補植、

(5)タマネギの水遣り

大根・・まだ 10本程 残っています。
そろそろ限界で 収穫しなければなりませんが 今日は お裾分け用に 2本収穫。

遅蒔きのホウレンソウが いい具合に育ってきました。

無理せず お昼過ぎには 引き上げましたが 久し振りの労働で 疲れ果てました。
筋肉痛、腰痛 指攣り、発症 必至です。

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藤沢周平著 「夜の橋」

2017年02月25日 08時31分05秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著「夜の橋」(中央公論社)を、読み終えた。本書には、江戸時代の人々の哀歓を描いた、武家もの、市井もの等、バラエティーに富んだ短編7篇が収録されている。

「鬼気」
藤沢作品に多い 東北の小藩が舞台だと思う。城勤めの徳丸弥一郎、鳶田勇蔵、部屋住みの平野作之丞は 噂で評判の細谷久太夫の力量に半信半疑、しかし興味深深、仕掛けるが 思い知る結果に。

「夜の橋」
江戸の町、民次は 博奕にのめりこんだことが原因で 女房 おきくと別れ 一人暮らしだったが その おきくが 再婚の相談で訪ねてきた。おきくの再婚相手 駿河屋の番頭 兼吉の正体は とんでもない?、民次は 体を張って阻止。賭場を抜け出した民次は 半殺しにされたが そこに おきくが現れ 元の鞘に収まる?ところで 終わる。
「提灯のひかりに浮かび上がった二人の影は 二ノ橋を渡ると 人気のない相生町の町並みをゆっくり遠ざかって行った」

「裏切り」
やはり 舞台は 江戸の町。研師である 幸吉の女房 おつやが 何者かに殺された。突き詰めていくと 犯人は 幸吉の幼馴染の長次郎だった。幸吉が 長次郎を殺そうとしたところに 岡っぴきの千蔵が現れる

「一夢の敗北」
舞台は 米沢藩。一刀流の達人 吉田次左衛門一夢は 藩が招聘した 細井平洲に 一計を企てたが・・・。

「冬の足音」
江戸の町、お市は 以前 家で働いていて 突然辞めた 職人 時次郎のことが忘れられず 叔母の およしが持ってくる縁談を断り続けていた。時次郎を探す内 様々な状況を知ることになる。 

「梅薫る」
藤沢作品の多くのように 東北の小藩が舞台と考えられる。奥津兵左衛門の娘 志津は 保科節蔵に嫁いでいながら 度々 実家に戻ってきていた。それには 誤解や拘りがあったのだが 最後には 解けて 保科の元へ 帰って行く。
「これを 保科に 持ってまいれ」・・兵左衛門が 庭の梅の枝を折り 志津に渡すところで終わる。

「孫十の逆襲」
舞台は 岐阜県との県境に近い福井県の山奥の村に設定さてれいるようだ。関が原の戦いで敗れ 逃げて逃げて 生き残り 村に帰ってきた 孫十が 暴れまわる野伏せりの来襲を目前にして 戦争経験者?として頼られてしまい 野伏せりに挑戦、討ち取りを果たすという物語。

「泣くな けい」
やはり 東北の小藩は舞台と思われる。御納戸奉行配下の 相良波十郎は 藩の倉に有るはずの宝剣が行方不明となり 腹切りも覚悟したが 波十郎の奉公人の けい(女性)が 宝剣の行方を追って 江戸まで上がって 買い戻してきてくれ 1件落着する。

「暗い鏡」
江戸の鏡職人 政五郎と 姪 おきみとの関わりを中心に 描かれている。

「あとがき」で 著者は 「時代小説といっても 短編の場合のヒントは 必ずしもむかしあったことから得るわけではなく 案外にいまの世の、ことに身辺に見聞きすることから材を取ることが多いようである」と 述べています。

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.07 「やばしい」

2017年02月24日 11時31分48秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて50年以上、子供の頃 使ったり 聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり 忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。
その内 ふっと思い出すことも 語ることも出来なくなるはずで 完全に忘れてしまわない内に 書き留めてみよう等と 思っているところです。

No.07  「やばしい」
「散らかっている」「片付けて無い」「汚くしている」「掃除して無い」等という意味で 使っていたような気がします。

例えば

「チャノマ ヤバシイケド アガッテクンナイ」
(茶の間 散らかっていますが お上がり下さい)

「ヤバシイニワデ ショウシイワネ」
(整理整頓もしてなく 汚くしている庭で 恥ずかしいですよ)

昭和30年頃の故郷の風景

No.06 「こわい」 → こちら
No.05 「あせくらしい」 → こちら
No.04 「しょうしい」 → こちら
No.03 「~くんない」 → こちら
No.02 「またじ」 → こちら
No.01 「おぞい → こちら

 

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「トワイライト・タイム(Twilight Time)」

2017年02月23日 20時37分43秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代の後半、貧乏学生だったM男は 週1回か2回、家庭教師のアルバイトをして 学生寮費や生活費に充てていたが ある年に 同じ寮の先輩に誘われて 寮から程近い丘陵の公園内で営業していたレストランで アルバイトをしたことがあった。
レストランは段差の有る広い敷地を利用して 建物の外にも テーブルが配置されているという 当時としては かなりおしゃれな雰囲気のレストランだった。
M男達学生アルバイトの仕事は 段差のある敷地の各テーブルを回り 注文を受け カウンターから 食べ物や飲み物を運び また 片付けるという、上ったり下ったり、独楽鼠の如く 動き回る仕事だった。
多分 交代で 週2日か3日だったと思うが 土曜、日曜等は 特に忙しく くたくたになったものだ。
夕刻 客数が減って 公園が静まりかえる頃 M男達も ホッと一息つき、カウンター内から マスターがコーヒーを炒れてくれるような時間が有った。時として 良く晴れた日の山の上からの夕焼け空の眺望は見事だった。
そんな時間、日中 あまり 感じていなかった レストランが拡声器で流し続けていたBGMが 公園全体に響き渡るような情景となり 感動したものだ。
レコードをかけていた時代、その日、その時間によって 曲も違ったはずであるが そんな情景と重なって M男の脳裏に焼きついてしまったのは The Platters(ザ・プラターズ)なのである。
「オンリ・ユー」、「夕日に赤い帆」、「煙が眼にしみる」、「ザ・グレート・プリテンダー」・・
その後 M男は 就職してからまもなくのこと、薄給にもかかわらず どうしても欲しくて ザ・プラターズの LPレコードを 買ってしまい どれだけ聴いたことか分からない。そのレコード盤、溝がかなり磨り減って雑音だらけであるが 未だに健在なのである。

  

その中の1曲 「Twilight Time(トワイライム・タイム)」も 今では Youtubeで 聴ける時代だ。

The Platters - Twilight Time Remastered

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春が来た、どこに来た、

2017年02月23日 14時47分13秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

当地 真冬並みに寒かった昨日とは 打って変わって 今日は ポカポカ陽気。コートを脱ぎたくなるくらいの 温かい1日となりました。
平地より 平均して 3~4℃気温が低い山沿いにあり まだまだ 花っ気の無い庭ですが 良く見ると ちょこ、ちょこ、春の色が 見つかります。

やばしい庭で (あっ! また 思い出してしまいました。片付いていない ごちゃごちゃな状態を 故郷では 「やばしい」と 言っていました)
クリスマスローズが 一輪だけ 開花しています。

プランタ植えの サクラソウも ボチボチ 開花し始めています。

三寒四温、
今年も もう直ぐ 次々と 春の花が 咲く時期になってきました。

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真冬に戻ったような

2017年02月22日 22時31分27秒 | スイミング

今日の当地 日中の気温は 8℃前後まで 上がったようですが 1日中 冷たい風が吹き 体感温度は 真冬並みでした。
夕方にはまた どんどん 冷え込んできて 出掛ける勇気?が 萎えそうになりましたが 気合を入れて スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席してきました。
2月の最終水曜日のレッスン、前半 バタフライ、後半 クロールでした。
今日の指導員は 若いS氏ですが クロールで しばらくやってなかった げんこつで泳ぐ、1本指で泳ぐ、2本指で泳ぐ、3本指で泳ぐ、4本指で泳ぐ 普通に泳ぐ、各25m、を 取り入れて ざわざわ。 
レッスン終了後 居残った 前向きな Kさん、Tさんと フリーコースで 500m泳いて 先程 帰ってきました。
泳いで帰ってからの遅い夕食には こんな寒い日でも やっぱり ビ・・。
程良い疲労感とほろ酔いで いい気分になっているところです。

先日 ブログ友のuripapa様が 「片倉城址公園の セツブンソウが咲き出しましたよ」と 情報を発信されていました。
お昼頃 所用で出掛けたついでに ちょこっと 車で立ち寄って 探してみましたが 散策路から見られるセツブンソウは まだ わずかでしたが 確認出来ました。

今日は はす池に カワセミの姿は見えませんでしたが アオサギが 日向ぼっこでしょうか。

 

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