たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

八十路過ぎ

2022年09月21日 09時12分24秒 | 暮らしの記録

「全国社会福祉協議会」のサイトを見ると、「2022年(令和4年)の「老人の日・老人週間」は、9月15日(木)の「老人の日」から、今日9月21日(水)までの7日間」であることが分かる。その標語は、「みんなで築こう安心活力ある健康長寿社会」となっている。

ところで、「老人」とは、何歳から?

これまで、NHK等の放送では、「65歳以上のお年寄り」等という表現が一般的だったような気がするが、100歳以上が、全国に2万数千人もいるという時代、「老人・お年寄り」という言葉の捉え方も、大きく変わってくるのではないかと思われる。

全国各自治体等で行われる敬老行事対象者も、かっては「60才以上」だったものが、「65才以上」になり、さらに、「70才以上」、「75才以上」に変わってきているようだ。
最近では、75才未満は「准高齢者」等と呼ぼうという提言も有るという。

八十路過ぎの後期高齢者。確かに、80歳も超えていれば、白髪、薄毛、歯は欠け、背は縮み、耳も遠く、目は霞み、顔や身体にはシミが出来、頬は垂み、子供や若者から見れば、明々白々老人に見えるだろうと思うが、とりあえず日常生活を過ごせる今、かっては大往生と言われる歳にも拘わらず、「まだ、若い方?」と、錯覚してしまいそうだから怖い気がする。

北陸の山村で子供だった頃は、童謡の「船頭さん」の歌詞、「今年、60のおじいさん・・♫」が、「老人(おじいちゃん、おばあちゃん)」の漠然としたイメージだったような気がしている。当時の田舎の農村では、確かに腰が曲がったお年寄りが多く、着る物も地味な色合いだったことも有り、その言動が、いかにも、おじいちゃん、おばあちゃんという感じがしたものだったが、今の時代、60代で、そんな人は皆無であり、仕事、趣味、多種多彩に活動、溌剌としている。特に、女性は、70代、80代でも、若々しい。隔世の感有りだ。

「船頭さん」 (YouTubeから共有)

 


爺さんの備忘録的昆虫図鑑 No.07 「サトクダマキモドキ(里擬管巻)」

2022年09月20日 09時15分24秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、数年前までは、まるで興味も関心も無く、しっかりと昆虫の写真を撮るなんてこと等、ほとんど無かったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、散歩・ウオーキングの途中や畑地や猫額庭等で見掛けると、やたら写真を撮るようになっている。もちろん、そのほとんどが、初めて見掛けるような昆虫ばかりで、名前も知らず分からずで、「君の名は?」。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫の図鑑」で調べたり、ネットで確認したりしている次第。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。せっかくネット等から得た情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。昆虫に詳しい方からは、「なーんだ、そんな昆虫も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報。自分のための「備忘録的昆虫図鑑」だと思っている。


先日、相互フォロワー登録しているある方のブログを拝見していて、「アッ!、この昆虫、見たことある!」・・・。
早速、「ブログ内検索」してみると、5年前、2017年10月18日に、畑地で撮っていたことが分かった。やはり、その時、初めて見掛けた昆虫であり、図鑑やネットで調べ、なんとも、舌噛みそうな名、「サトクダマキモドキ」らしい?ことが分かったが、虫名同定に自信がなかったような気がする。
その後は、全く見掛けていないが、どうも、「サトクダマキモドキ」で間違いなさそうであり、また、すっかり忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に、書き留め置くことにする。

2017年10月18日に、畑地で撮っていた「サトクダマキモドキ」


サトクダマキモドキ(里擬管巻)

ツユムシ科、クダマキモドキ属、
   和名「サトクダマキモドキ」は、里に棲んでいて、
   「クツワムシ(別称=クダマキ)に似ていることから付いたもの。
   別名「クダマキモドキ」
   同じクダマキモドキの仲間「ヤマクダマキモドキ」と混生することが多い。
分布 日本(本州、四国、九州)、
   主に 平地から低山の樹上等に生息する。
生態 体長(翅の先端まで) オス 4cm~4.5cm
              メス 6cm~7cm
   全身、きれいな緑色で、翅は、葉の形をしている。
   前脚腿節は、通常緑色だが、黄褐色の個体も有る。触覚は、淡褐色。
   「ヤマクダマキモドキ」の前脚腿節は、赤紫色をしている。
   飛翔力が高く、樹間を飛び回る。
   鳴き声 オス「チリッ、チリッ・・・」
       メス「タタタタタ・・、パチパチパチ・・、チッ・・」
成虫が見られる時期 8月頃~11月頃、


 


今年4回目のサクララン開花ショー、開演?

2022年09月19日 13時42分39秒 | 暮らしの記録

春先から晩秋まで、ベランダに置いている鉢植えのサクララン(桜蘭)
台風14号対策で、昨日から室内に退避させてあるが、見ると、一輪が満開、一輪が開花し始め、一輪はまだ蕾だががそろそろ開花しそうな状態である。
昨年までは、5月頃?から9月頃?までの長い期間、一輪、二輪、ボチボチと順番に咲いていたものだが、今年は、昨年までの咲き方とはまるで違い、3月頃から一斉に蕾が付き始め、4月中旬から5月初旬には、11個の花が一気に開花し、あっという間に散ってしまった。「エッ!、今年は、これでおしまい?」と思っていたものだが、6月も中旬になってからのこと、春咲いた同じ場所に再び、10数個の蕾が出来、一斉に開花し始め、7月初旬まで咲き、また全て散ってしまった。
サクラランの性質等、良くは知らない老夫婦、天候不順な今年、もしかしたら、秋口に、今年3回目開花ショーって、有るかもしれない?、等と、勝手に期待したりしていたものだが、それが現実となって、8月に、前回咲いた同じ場所や新しい場所に、11個の花を咲かせ、8月下旬にはすっかり散ってしまった。今年は、もうこれでお終いでしょうと思っていたものだが、ビックリポン、先日、8月に咲いた同じ場所に、また4~5個、蕾が出来始めていることに気付き、見守っていたものだが、咲き始めた。
2022年、サクララン開花ショー第4幕、開演?・・である。
毎年、咲いた同じ場所から、何回も何回も花を咲かせる・・、
なんとも不思議な植物である。

1号

2号

3号


爺さんの備忘録的花図鑑「サクララン(桜欄)」
👇
こちら


 

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「敬老の日」と「シルバー川柳」

2022年09月19日 06時19分05秒 | 川柳・俳句・五七五

「今日は何の日?」、
今日、9月19日(月)は、国民の祝日「敬老の日」である。毎日が休日の後期高齢者には、ピンとこないが、世の中、三連休の最終日だ。今年は、意地悪い大型強力台風14号が、あたかも狙い定めるごとく?、日本列島を襲来、予定変更、中止でがっかりされた方も多かったのでは無いかと思われるが・・・。
「敬老の日」は、1966年(昭和41年)の「国民の祝日に関する法律」改正により、「建国記念日」「体育の日」と共に、追加された「国民の祝日」だったが、2003年(平成15年)の「国民の祝日に関する法律」改正で、「9月15日」から,「9月第3月曜日」に変更されたものだ
変更されてから、すでにかなりの歳月が経っているにも拘らず、頭の切り替えがなかなか出来ない爺さん、毎年のように、この時期、「今日は何の日?」を、繰り返している。
さらに、「敬老の日」が「9月第3月曜日」になったのに伴って、従来の「敬老の日」を記念日に残す意味も有って、2002年に改正された「老人福祉法」により、「9月15日」は、「老人の日」と定められたというから、ややこしくなる。趣旨は、「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し、自らの生活の向上に努める意欲を促す日」なのだそうだ。さらにさらに、「9月15日から9月21日」までは、「老人週間」と定められているというから、こんがらがってくる。

ところで、「老人」とは、何歳から?、

最近になってからのこと、「敬老の日」という言葉から直ぐ連想してしまうものに、公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」が、2001年(平成13年)に、設立20周年を記念してスタートさせた「シルバー川柳」がある。毎年、「敬老の日」に向けて公募し、その年の9月には、応募された作品の中から選ばれた「入選作品」を同協会のホームページ上で発表しているからで、22回目の今年も、先日発表された。
毎年、その「入選作品発表」を楽しみにしている類で、これまでも順次 当ブログでもご紹介してきたが、
「何度でも笑えてしまうシルバー川柳」、
改めて、過去の「入選作品」の中から、ほんの一部抜き出して、ご紹介させていただくことにする。(過去の記事をコピペ)

五七五、わずか17文字に、作者の人柄や夫婦、家族の情景、世相までが詰まった川柳、
作者それぞれの鋭い着眼点、ユーモアセンスに感じ入りながら、思わず吹き出してしまったり
有る、有る・・・頷いてしまったり、うまいなぁー、膝を打ったりしている。
ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、川柳の才まるで無しの爺さん、もっぱら、川柳の達人達の傑作を楽しませてもらっているという風である。
老い、病気、コロナ禍の閉塞感、問題だらけの暮らしではあるが、束の間、川柳で笑い飛ばして、気持ちだけでも明るく、今日も、明日も・・・。


(注)「シルバー川柳入選作品」を 当ブログ上でご紹介することについては
同協会のご承認をいただいている。


目には蚊を耳には蝉を飼っている (男性・67歳)
有る、有る、・・加齢と共に 飛蚊症、耳鳴り・・・・、

歩こう会アルコール会と聞き違え (男性・66歳)
聞き違えるなんて お元気な証拠、歩こう会=アルコール会・・・いいね、いいね、

入場料顔見て即座に割り引かれ (男性・71歳)
生年月日を証明するもの・・必要無しってか。疑われないのも サビシーッ!

これも大事あれも大事とゴミの部屋 (女性・67歳)
います、います。実家の母親もそうだった。解体工事前、苦労したぜ・・。

万歩計半分以上は探しもの (男性・68歳)
そんな気もしないではないが、とりあえず 歩くことはいいことダー!

お迎えはどこから来るのと孫が聞く (女性・73歳)
いいな、いいな、孫との会話・・・、

三時間待って病名「加齢です」 (女性・65歳)
病名を言われるよりはるかに有難いはずなのに、何故かガッカリ??、

改札を通れずよく見りゃ診察券 (女性・46歳)
有りそうな話・・、別の病院の診察券を受付機に挿入、受付不可、文句を言って恥を掻いた経験有り・・、

アイドルの還暦を見て老いを知る (男性・54歳)
あの女性のピチピチのイメージだけは永久にもち続けたいなあ・・・

紙とペン探してる間に句を忘れ (男性・73歳)
せっかく閃いた川柳なのに・・・、うーん、思い出せない???、

ガガよりも派手だぞウチのレディーババ (男性・31歳)
そう言えば レディーガガ、一時話題になっていたなあ・・、

女子会と言って出掛けるデイケアー (男性・74歳)
そんなおばあちゃんだったら 大丈夫だー・・・、

起きたけど寝るまでとくに用もなし (男性・73歳)
「キョウヨウ無し」「キョウイク無し」は 良くないかもね・・、


「シルバー川柳傑作50選」 (YouTubeから共有)

(ネットから拝借イラスト)

 

 

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爺さんの備忘録的セミ図鑑 「ミンミンゼミ」

2022年09月18日 16時39分53秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、数年前までは、まるで興味も関心も無く、しっかりと昆虫の写真を撮るなんてこと等、ほとんど無かったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、散歩・ウオーキングの途中や畑地や猫額庭等で見掛けると、やたら写真を撮るようになっている。もちろん、そのほとんどが、初めて見掛けるような昆虫ばかりで、名前も知らず分からずで、「君の名は?」。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫の図鑑」で調べたり、ネットで確認したりしている次第。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。せっかくネット等から得た情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「鳥・昆虫」に 書き留め置こう等と思っているところだ。昆虫に詳しい方からは、「なーんだ、そんな昆虫も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報。自分のための「備忘録的昆虫図鑑」だと思っている。


昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さん、当時は、毎年、夏の間中、早朝から夕暮れまで、庭木や裏山からセミの大合唱が絶えず、まるで耳鳴りのごとしだったような気がしている。夏休み等には、セミ取りをして遊んだことも有ったが、記憶に残っているセミと言えば、「アブラゼミ」「ニイニイゼミ」「ヒグラシ」位だったような気がする。
数十年前に引っ越してきた当地でも、毎年、夏になると盛んにセミの大合唱が聞かれるが、つい最近までは、ほとんど無関心で過ごしてきたような気がする。それが、ブログを始めてからのこと、昆虫等をも意識して写真を撮ったりするようになっているから我ながら驚きである。
そして、つい最近になってから、当地の周辺で最も多く見掛けられるセミ、最もよく鳴いているセミが、「ミンミンゼミ」であることを知ったのだった。確かに、子供の頃、よく聞いた「ジー・・・・」という「アブラゼミ」とは、まるで違う鳴き声の「ミンミンゼミ」、
なんで、聞いた記憶も無ければ、見掛けたことも無かったのだろう?。今更になってネットで調べてみると、「ミンミンゼミ」は、北陸等日本海側や西日本等では、主に標高の高い山地等で生息していると有り、「へー!、そうだったのか」、納得である。
これまで、庭木や畑地や散歩・ウオーキングの途中等で撮っていた「ミンミンゼミ」の写真が外付けHDに残っており、数枚を引っ張り出してみた。ちょっと見は、「アブラゼミ」とよく似ているが、今更になって、「アブラゼミ」との違いが分かり、「なんだかなー」である。

2018年7月29日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「ミンミンゼミ」

 

2019年8月13日                 2020年8月26日

 

2021年7月27日、畑地の横で撮っていた「ミンミンゼミ」

 


ミンミンゼミ(みんみん蝉)

カメムシ目、セミ科、ミンミンゼミ属、
   和名「みんみん蝉」は、「ミーン、ミーン、ミーン・・・」という鳴き声から
   付けられたもの。
分布 日本、中国北部、朝鮮半島、等
   日本では、北海道南部から九州で生息。
   「アブラゼミ」に比べると暑さに弱く、北陸等日本海側や西日本等では
   標高の高い山間部等を好んで生息している。
生態 体長 3.3cm~3.5cm、
   「アブラゼミ」と、ほぼ同じ大きさ。
   翅の色が、「アブラゼミ」が茶褐色系で、「ミンミンゼミ」は、透明に近い。
成虫が見られる時期 7月頃~9月上旬、        


ミンミンゼミの鳴き声 (YouTubeから共有)

 


台風14号襲来と三連休

2022年09月17日 21時52分25秒 | スイミング

(スマホ 「NHK・ニュース・防災」より)

世の中、今日は、3連休の初日、
・・・ではあるが、
毎日が休日の後期高齢者には、ピンとこない。
朝の内、清々しく晴れていた当地、
午後から次第に雲が厚くなり、
ムシムシ、ムシムシ、鬱陶しい天気になっている。
過去最強クラス?の台風14号が、九州に接近中、
進路に当たる地方はもちろん、広い範囲で警戒が必要、
明日明後日には、当地も風雨が強くなると予想されている。
午後、ウツラウツラ、1時間程、居眠ってしまったが、
こんな日こそ、泳いでくるべし・・・、
やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席して
先程、帰ってきたところだ。
若い頃からの持病の腰痛対策、リハビリ的運動と決め込んで
続けているスイミング、 

今日は、9月第3土曜日、
ベテランのE指導員と若手H指導員2人による
平泳ぎ中心のレッスンだったが
毎度のこと 基本、基本の繰り返し、
スカーリング、ストロークの姿勢、手の位置、等をチェックされた。
M4グループ、今日は、女性8人、男性4人だったが、
2レーンを使い、ゆったり。
レッスン終了後、例によって居残り、
疲れを知らない?、60代?、70代?の女性陣の後ろにくっついて
5秒間隔スタート、 
クロール、50m✕5本、4種目、25m✕4本、
なんとか泳ぎ切って引き上げてきた。
泳いで帰ってからの遅い夕食、
毎度のことだが、程よい疲労感と それなりのすっきり感、
1杯のビールで、いい気分になっているところだ。


爽やかな朝

2022年09月17日 09時41分09秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今朝も、やや雲が多かったものの、朝焼けが見られ、爽やかだった。
台風の影響も有って、明日明後日から、風雨が強まるとの予報も有り、
嵐の前の静けさ?、
日中は、また暑くなりそうだし・・・・、
早朝、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約4,600歩。

マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)

 

ツルボ(蔓穂)

 

 

 

オシロイバナ(白粉花)

 

ヒガンバナ(彼岸花)

君の名は?

 

今朝も、カワセミ メッケ!、
メス?・・かな。

おまけ

 

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藤沢周平著 「天保悪党伝」

2022年09月17日 05時21分39秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著「天保悪党伝」(角川文庫)を、読み終えた。本書は、江戸時代、二代目松林伯円の講談で人気を博し、明治時代以降は、河竹黙阿弥が脚色し、歌舞伎等で頻繁に演じられたきたという「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」を、著者が、本歌取り的に描きだした、連作長編時代小説である。講談にも、歌舞伎にも疎く、これまで、「天保六花撰」自体を知る由もなかった爺さん、「へー!、そういう物語だったのか」、目から鱗・・である。

▢目次
 蚊喰鳥(かくいどり) 天保六花撰ノ内・直侍
 闇のつぶて 天保六花撰ノ内・金子市
 赤い狐 天保六花撰ノ内・森田屋
 泣き虫小僧 天保六花撰ノ内・くらやみの丑松
 三千歳(みちとせ)たそがれ 天保六花撰ノ内・三千歳
 悪党の秋 天保六花撰ノ内・河内山宗俊
 (解説)

▢主な登場人物
 片岡直次郎(直侍)、金子市之丞(金子市)、森田屋清蔵、
 くらやみの丑松、三千歳(みちとせ)、河内山宗俊、
 三次郎(三次)、大川鉄蔵(馬の沓)、五斗米市、政次郎(蝮の政)、
 しづ、三之助、お玉、りく、
 小保内主膳、比企東左衛門、帳場、
 磯村宗阿弥、中野磧翁(中野播磨守清茂)、徳川斉修(水戸藩藩主)

平和が続き、爛熟極まる江戸の天保年間、闇に生き、悪に駆け回る、極めつけのワルがいた。お鳥見役の御家人でありながら博打好きの片岡直次郎、金のためには辻斬りもする剣客金子市之丞、抜荷等悪事の才右に出る者無しの献残屋(けんざんや)の森田屋清蔵、元料理人の悪党くらやみの丑松、ゆすりたかりの大名人として世に知られた御城坊主河内山宗俊、吉原の花魁三千歳、ひょんなきっかけで知り合った6人の悪党が、大胆にも挑む悪事の数々・・・。最後の相手はなんと徳川御三家の水戸藩。悪党ゆえの悲哀をあますところなく描いた傑作。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その24

2022年09月16日 15時17分34秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真がブログから消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その24
「初めての木曽駒ヶ岳」


かれこれ34年前1988年(昭和63年)7月31日に、妻と、長男(当時高校1年生)と、次男(当時小学5年生)と、家族4人で木曽駒ヶ岳を訪ねたことが有った。もちろん、初めての木曽駒ヶ岳で、不安と期待いっぱいの山旅だったと思うが、結果は、天候に恵まれ、絶景を堪能出来、最高の山旅の一つだったと思っている。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいたことが分かったが、なんとなく懐かしくなってしまい、改めて、コピペ・リメイクしてみた。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。それにしても、高山植物の写真が1枚も無く、当時はまだ、花を写真を撮る・・という意識がまるで無かったことが分かる。


深田久弥著 「日本百名山」
   「木曽駒ヶ岳」  
(一部抜粋)

同じ信州の木曽谷と伊那谷の間を仕切って、蜿々(えんえん)と連なった山脈、普通これを中央アルプスと呼んでいる。その主稜は、北の茶臼山から南の越百山までの長い間、二千五百メートル以下に下ることがない。全くの屏風(びょうぶ)である。その中の最高峰が駒ヶ岳で、それと相対して東のかた伊那谷を距てて(へだてて)真向かいにある南アルプスの駒ヶ岳と区別するため、前者を木曽駒(西駒)、後者を甲斐駒(東駒)と呼び慣わしている。
(中略)
木曽谷・伊那谷の両側から登山道がついているが、どちらが山の表か裏かは決めがたい。もし信仰登山を主とすれば木曽側であろう。登山口の上松から頂上まで、何々請中の建造物がやたらに立っている。そして最後の頂には、花崗岩の玉垣をめぐらした立派な祠がある。
天文元年(1532年)七月、木曽の徳原長太夫春安が頂上に保食(うけもち)大神をお祀りした。その後本社を山麓に移して、これが産土神(うぶすなかみ)となった。木曽は昔からよい農耕馬を産したので、駒ヶ岳は古い時代から崇められたのであろう。徳川時代に行者登山が盛んになって、この山は木曽谷をはさんで御岳(おんたけ)とともにますます栄えた。
(中略)
駒ヶ岳が多くの登山者を見るのは、伊那谷側にせよ、木曽側にせよ、里に近いからでも有る。近い代わりに登りが急である。両側とも里のある所は標高六、七百メートルくらいで、そこから三千メートルに近い高さまで登るのだから、急なのは当たり前である。
(中略)
私はこの山頂に二度立った。いずれも戦争前で、最初は伊那から登って木曽へ下り、その次は南の越百山から主稜を縦走してこの山頂に来た。その時はすばらしい天気に恵まれて、四周の眺望をほしいままにした。何よりも立派なのは西方に大きく裾を拡げて泰然とそびえた御岳で、東の方には南アルプスと八ヶ岳、南に眼を移すと、鋭い岩峰の宝剣岳の右に空木岳(うつぎだけ)と南駒ヶ岳の二つが背比べをするように並んで立っている。頂上(本岳と呼ぶ)と中岳の中間はお庭と称する広々した美しい原で、そこをブラブラさまよっていると、時のたつのも忘れた。


山行コース・歩程等

駒ヶ岳ロープウエイ千畳敷駅→(千畳敷)→乗越浄土→宝剣山荘→中岳山頂→
木曽駒ヶ岳山頂(標高2,956m)→(往路を戻る)→
中岳(巻き道)→乗越浄土→
(千畳敷)→駒ヶ岳ロープウエイ千畳敷駅 
(標準歩行所要時間=約3時間30分)

(朝日新聞社の「週刊・日本百名山」から拝借)

やはり、前日、早目に仕事を切り上げて仮眠し、自宅を真夜中に出発したものと思われる。詳しい記録やメモが残っておらず、駒ヶ根高原駐車場に何時頃到着したのか、何時頃のバスに乗車したのか等は、記憶も無く、不明だが、早朝に、駒ヶ岳ロープウエイ「しらび平駅」に到着したのは確かで、林の中で、朝食をとっている写真がある。

駒ヶ岳ロープウエイ「しらび平駅」で朝食

「しらび平駅」から、駒ヶ岳ロープウエイで、数分、
一気に、標高2,650mの「千畳敷駅」まで運んでくれる。

快晴の千畳敷山荘前で、パチリ、

千畳敷カールを横断、暑い、暑い、水分補給

いよいよ、乗越浄土への急登へ

乗越浄土

 

宝剣岳をバックに、パチリ、

中岳山頂(標高2,925m)

暑さで、バテバテ? 
だったような・・・、

木曽駒ヶ岳山頂(標高2,956m)に到着、

 

しばし、絶景を堪能した後、往路を戻る。
中岳は、山頂の南側の巻き道を通過。
乗越浄土から千畳敷へ。
この時期、千畳敷には、高山植物が咲き誇っていたはずだが、
花の写真が、1枚も無い。
当時はまだ、花に対して、まるで興味関心が無く、
花の写真を撮ろうという意識が全く無かったことが分かる。

 

千畳敷をぶらつき、駒ヶ岳ロープウエイ千畳敷駅に、何時に戻り着いたのかの記録、メモも残っていないが、その時間、地元の中学生の学校登山の大集団が下山してきていて、延々と並んでおり、ギョッとなってしまった。行列の後ろに付いたんでは、ロープウエイ乗車、何時間待ちになるのかも知れず、既に、夕刻も間近。思い切って、係員に、なんとかならないか交渉、意外とすんなり、団体とは別の行列に並ばされ、納得する待ち時間で、ロープウエイに乗車することが出来、ホッとしたことが思い出される。

その山旅から25年後の2013年8月には、親しい老いらく仲間2人と3人で、再び、同じコースを、ゆっくりのんびり辿ったことが有ったが、今となっては、木曽駒ヶ岳も、遠い思い出の山となってしまっている。


久し振りに、早朝散歩・ウオーキング

2022年09月16日 12時36分08秒 | 散歩・ウオーキング

このところずっと、最高気温30℃超の日が続いている当地、
日中は、真夏に戻ったような暑さだが、
さすがに、朝夕は、秋の気配が漂い、体感的には涼しい。
今朝も、妻が散歩・ウオーキングへ出掛ける玄関の音で目が覚めたが、
朝焼けが見られ、爽やか・・・。


当地、今日の日の出時刻は、5時26分頃、
因みに、日の入時刻は、17時49分頃、日長時間は、約12時間23分となっており、
昼間時間、夜間時間が、ほぼ同じの季節になっている。
足、腰、痛!、痛!、体調イマイチ、
15分~20分、腰痛体操、猫体操をし、
なんとか、大丈夫そう?
久しぶりに、早朝散歩・ウオーキングに出掛けてみた。
途中、頻繁に、屈伸、背伸び、伸脚・・しながら・・。
ゆっくり、
スマホの歩数計で、約6,400歩。

お久し振り!、アシナガジイサン、

クズ(葛)の花             君の名は?

 

センダン(栴檀)の実                ニラ(韮)

 

ダイサギ

 

セグロセキレイ                 アオサギ

 

カワセミ(翡翠)が2羽?、つがい?、親子?
肉眼では、不明なまま、
コンデジ、望遠域、オートフォーカスで、カシャ、カシャ、
帰ってきてから、よく見ると、
もしかして、カワセミのヒナ?、頭部がまだ、褐色?
これまで1度も見掛けたことが無く、半信半疑、

親の嘴の中から餌をゲットするヒナ?

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