たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

キヌサヤエンドウ、スナップエンドウの種蒔き他

2019年10月31日 17時21分51秒 | 野菜作り・畑日誌

当地 今日は 朝の内 晴れていたが 次第に曇り、どんよりの1日だった。最高気温は20度前後?、湿度は70%台?。
畑仕事には お誂え向きの天候。
今日 やるっきゃないか。
やおら重い腰を上げ 午前中から取り掛かった。

(1)キヌサヤエンドウ、スナップエンドウの種蒔き、
  先日 下準備しておいた2畝に カキガラ石灰散布、元肥を施し、種蒔き完了、

因みに 昨年は 10月28日に種蒔きをしていた。
2018年10月28日の記事 → 「キヌサヤエンドウ、スナップエンドウの種蒔き」

(2)ホウレンソウ(第2弾)の種蒔き、

(3)小カブ(第2弾)の種蒔き

(4)イチゴの苗植え付け、
  今年の春、絶不調だったイチゴだが、意外にも 子株、孫株が力強く育っており、
  約200株程の苗になった。
  先日 下準備した2畝に 牛糞混入、元肥を施し、移植、定植 完了。
  冬季間に 2回程 追肥を施してから マルチングする予定。
  手間も掛かるし 時間も掛かる イチゴ
  来年の4月下旬から5月中旬頃には、
  「採れ過ぎちゃって、困るのー♪」と 書き込みたいものだが・・・・・。

大根・・もうちょっとか。

白菜・・育苗失敗等して遅れた白菜、果たして球になるかどうか、
巻く、巻かない、巻く、巻かない・・・、

サトイモ(唐の芋)試し掘り
まずまずだが 収穫は 11月中旬以降がベターか?

今日は 休み休みながらも、あれやこれや、延べ5時間余り掛かってしまい、
しかも 中腰作業が多し、
ヘトヘト・・・・・、
明日、明後日の 筋肉痛腰痛発症必至。
今夜は 湯豆腐?、
1杯のビールで 早寝するに如かずか。

 

 


畠山健二著 「本所おけら長屋」(四)

2019年10月30日 19時48分47秒 | 読書記

図書館から借りていた 畠山健二著 「本所おけら長屋」(四) (PHP文芸文庫)を 読み終えた。
「本所おけら長屋」シリーズの第4弾の作品である。 

畠山健二著 「本所おけら長屋」(四)

(目次)
その壱 おいてけ・・・おいてけ堀の河童の捜索を始めた万造松吉が巻き込まれた事件とは?
その弐 あかいと・・・左官の八五郎の娘、お糸と文七の恋がすったもんだの末決着?
その参 すりきず・・・島田鉄斎と因縁を持つ女スリが再び彼の目の前に現れて・・・、
その四 よいよい・・・酒にだらしない浪人若芽錦之介とおけら長屋の住人との抱腹絶倒の関わり?
その五 あやかり・・・長屋で孤立無援になってしまった松吉を 相棒の万造、島田鉄斎達が救えるか?

お江戸、本所亀沢町にある「おけら長屋」には 貧しいくせにお節介で人情厚い住人達が
次々起きる騒動に 笑いと涙で体当たりし まーるくおさめて暮らしている。
まるで江戸落語さながらの小気味良いテンポの会話が飛び交い、
思わず笑いを堪えられなくなったり、涙を誘われたりしてしまう。
ことが有ろうと無かろうと まるで一つ家族のように関わり合い、繋がり合う、長屋の住人達、
人の優しさが心に染み込んでくる時代小説である。

その参 すりきず の文中の1節、万造、松吉、八五郎、八五郎の女房お里が 島田鉄斎の家を覗き込んでいる場面、
四人は忍び足で鉄斎の家に近づくと 少し開いている引き戸の隙間から 折り重なるようにして中を覗き込む。中では女が背を向けて畳を拭いている。「何を覗いているのかな」。後ろからの問いかけに驚いた四人は そのまま土間の中に倒れ込んだ。「いてて・・・・・。おい万松、早くどきゃがれ。お里が潰れちまう」。四人が振り返ると そこに立っていたのは島田鉄斎だ。

その五 あやかり の文中の1節、松井町の居酒屋に集まった万造、松吉、鉄斎が 磯吉から猫の行方を知らされて、
万造は 猪口の酒を飲み干した。「それだけじゃねえですよ。島田の旦那。お熊ばあさんは おれたちに挑んできゃがったんでえ。おけら長屋のお手並み拝見ってね。こいつあ、しくじることはできなくなったぜ。おけら長屋の底力を見せてやらなきゃならねえ」、「面白くなってきたな。これだから あんたたちと暮らすのはやめられない。さあ どうする万松」、鉄斎は大声で笑った。

ほぼ 1話完結なので 読み易い。
「本所おけら長屋」シリーズは 第13巻まで 発刊されているようでなので
続編も楽しみになってくる。


越後湯沢苗場紅葉バスツアー・その2

2019年10月30日 11時50分55秒 | 旅行記

二居湖から引き返し 田代ロープウエイ山麓駅バスターミナル(標高 802m)に到着。
時折強い雨が降る最悪の状態になってきて、山上での風雨に備えて雨具着用、
バスの中で待機、13時30分発のロープウエイに乗車出来た。

(4)田代ロープウエイ
田代ロープウエイは 91人乗り、田代ロープウエイ山頂駅(標高 1,413m)まで全長 2,175m、標高差 約610m、
所要時間約10分の空中散歩だが 途中 瞬間地上高さが日本一、230mが有り
ロープウエイ床面のシースルー小窓から 高度感、スリル感が体験出来る。

ロープウエイに打ち付ける雨粒で コンデジ撮影限界、

眼下に 直前 訪れた二居湖、
わずかに コバルト色?に見える、

晴れていれば 見事な紅葉に写るのだろうが・・・、

田代ロープウエイ山頂駅

田代ロープウエイ山頂駅から 苗場ドラゴンドラ山頂駅までは 
「田代高原・田代湖」の風景を眺めながら散策出来る遊歩道が整備されている。

(つづく)


大根菜お裾分け

2019年10月30日 10時01分30秒 | 野菜作り・畑日誌

どうも よりによって 日帰りバスツアーの昨日だけが 雨天だったと思うと悔しい。
今日はまた 朝から晴れ上がり 気持ちよい日になっている。

収穫係の妻、朝方 雨上がりの畑に出掛け 大根菜を採ってきた。
小分けにして 友人達にお裾分けするようだ。

まとまった雨が降った直後は トロトロになり しばらく雨が降らないと カチカチになってしまう土質の畑地、
今日は 良い天気なれど ドロンコになりたく無いため 畑仕事は無しとし、
明日、明後日にすることにした。いろいろ やること多し。


越後湯沢苗場紅葉バスツアー・その1

2019年10月29日 21時17分44秒 | 旅行記

1ヶ月以上前に申し込む旅行会社のバスツアーとて 当日が天候に恵まれるか否かの運、不運がある。
今日 日帰り越後湯沢苗場紅葉バスツアーに参加し 先程 帰ってきたところだが アンラッキーな旅の方だ。
昨日だったら 好天だったかも知れないが 残念ながら 1日違い、
今日の越後湯沢苗場方面は 終日 雨、
時々 強く降るという生憎な天候だった。
「長いトンネルを抜けると 晴れていた・・・」と 書きたかったところだが。

(1)まず訪れたのは 関越自動車道・湯沢ICから数分に有る地産品土産店 「レストハウス越後・湯沢錦鯉ランド」
  

店内は 買い物する観光客で大賑わい、
店先の水槽では エサを強請る錦鯉

「ワテラも 欲しいんやけど・・・」
羨ましそうなアヒル、

(2)次に訪れたのは 「大源太湖(だいげんたこ)」
大源太川を 日本初のアーチ式ダムで堰き止めて作ったダム湖、

大源太湖の周りには遊歩道が設けられており、紅葉や新緑の時期等に人気が有るようだ。
揺れる吊り橋が有ったり 急な階段が有ったり 雨の日等は しっかりした履物が必要。
現在 砂防ダム老朽化に伴う補強工事が行われている。
紅葉を楽しみながら周遊する・・・となっていたが、
小雨降る中、傘をさして そそくさと約30分、紅葉にはちょっと早過ぎた感も有り、
アンラッキー。
晴れていれば まだましな写真になるところ、雨天では イマイチ、

大源太湖と その下流に有る四十八滝、上流に有る青少年旅行村等を含めて
「大源太キャニオン」と呼ばれているようだ。

大源太キャニオンの奥には 「東洋のマッターホルン」等と呼ばれる「大源太山(だいげんたさん)」(標高 1,598m)(別名 弥助ノ頭)が有り、中級登山者には人気が有るようだ。

(3)大源太湖から戻り、国道17号線(三国街道)を苗場方面へ。
  次に訪れたのは 「二居湖(ふたいこ)」。
    信濃川水系清津川に建設されたダムにより出来たダム湖、
  高さ87mのロックフィル式ダムだ。


天候等により 湖面がコバルトブルーに見えることで人気が有るようだ。

二居湖から眺める 地上からの高さ230mの 「田代ロープウエイ(91人乗り)」。

二居湖では 雨と風が強く 滞在時間は 10程度、
次に 「田代ロープウエイ」乗車するため バスは Uターンし 「田代ロープウエイ山麓駅」へ向かう。

(つづく)


シラサギとアオサギ

2019年10月28日 17時44分52秒 | ぶらり街巡り・爺散歩

日が傾き始めてから ちょこっと 近くの川沿いを歩いてきた。
台風19号通過時には 周辺の「浸水予想区域」に「避難命令」が発せられた河川である。
一部で溢水が有ったり、橋が流失したり、土手のあちこちが崩れたりしたが 
幸い大災害には 至らなかった。
未だに 爪跡が残っており 川辺の緑も失われ 荒々しい。

「ブログネタ探し探しの爺散歩」

なーんにもいないなあー
おっと、シラサギがいた。
しばらく 姿が見えなかったが 戻ってきたに違いない。
久し振りだ。今日のモデルは 君だ。
小魚を狙っているようだ。
1回、2回、失敗、

そこへ、アオサギが飛来してきて シラサギが居た場所へ着地、
他人の漁場を横取りする気?
シラサギは やむなく、場所を譲り・・、

シラサギを追いやったアオサギ、
「シメシメ、いるいる、小魚はワシがいただくのじゃ」

シラサギは 対岸へ、
「アーア、あそこに小魚、イッパイいたのになあ」


諸田玲子著 「炎天の雪」(上)(下)

2019年10月27日 20時04分50秒 | 読書記

図書館から借りていた 諸田玲子著 「炎天の雪」(上)(下) (集英社)を やっと、やっと 読み終えた。

諸田玲子著 「炎天の雪」(上)(下)

江戸時代、宝暦年間の加賀藩は 藩主が次々早死にし、頻繁に藩主交代劇が繰り返されていた。
加賀藩は 前田八家と呼ばれる重臣で運営されていたが 5代藩主前田綱紀は 祖父で戦国武将の前田利常の影響を受けて 藩主の主導権を確立し、名君と言われ、さらに 6代藩主前田吉徳は 広く人材を登用、足軽の三男に過ぎなかった大槻伝蔵の才を見出し、側近に重用、藩政改革、財政の悪化を食い止める等を成功させたが 加増され前田八家にも並び 藩政を握った大槻伝蔵に対して 反大槻派からは 憎しみ、嫉妬が向けられた。
6代藩主吉徳が死去するやいなや 反大槻派重臣達から 証拠も無い疑惑をかけられ、大槻伝蔵派粛正が行われた。
大槻伝蔵は 五箇山に流刑(後に自害)、連座制(罪を犯した者の家族や親類等を全て罰する)で罪も無い関係者も蟄居、閉門等に追い込んだ。
「加賀騒動」として史実に残っている事件である。
物語は 「加賀騒動」そのものを描いた作品ではなく 「加賀騒動」後、連座制で 苦難に陥っている人達の姿を描きつつ、
加賀の稀代の大泥棒 白銀屋与左衛門とその妻 多美等 数奇な運命に翻弄される人達に焦点を当てた人間ドラマ、
(上)(下)2巻の長編時代小説になっている。

(目次)
(上)巻 「人ちがい」「経王寺」「奇怪な話」「藩主の母」「襲撃事件」「悲運の子」「大火」「焼け跡」「五箇山」
(下)巻 「秘密」「妙成寺」「八十五郎」「蜉蝣」「急坂」「盗賊」「明暗」「煉獄」「拈華微笑」

冒頭から 登場人物の多さで 記憶力減退老人には なかなか先に読み進めず難渋する。
次々代わる藩主名、その側室も多く、子が藩主になると側室が藩主の母になり 前藩主との母との関係が生じる等、
しばらくは 関係図をメモしながらでないと こんがらがってしまう。
主な登場人物
白銀屋与左衛門(与一)(与左)・・銀細工師・多美の夫、
多美(前波多美)・・与左衛門の妻・前波忠隆の妹
当吉・・与左衛門・多美の息子・前田駿河守家臣・木村惣太夫奉公人
前波忠隆・・前田家御馬廻役・多美の兄
小松屋佐吉・・元小鳥商
小笠原文次郎・・元高畠郎党・預玄院の密偵
たみ・・大槻伝蔵の妻
ひさ・・大槻伝蔵の次女
猪三郎・・大槻伝蔵の三男、
預玄院・・前田家5代藩主前田綱紀の側室・6代藩主前田吉徳の母、
元吉(前波家下男)、富蔵(橋番、団子屋主)万千代(遊女)、高桑政右衛門、浅香三四郎(道場主)、熊坂長範(盗賊頭領)・・・、
等々

「加賀騒動」、「宝暦の大火」、「度重なる藩主交代劇」、「藩士に広がった博打等荒れた世相」、「藩札乱造等財政の悪化」等々、
史実に基づく話に 多美等多くの女性の恋の姿を細やかに描く等、作者のフィクションを織り込んだ 読み応え有る大作だと思う。
随所に 城下町金沢の情景描写が織り込まれていたり、終始 金沢弁?で 描かれていたり 諸田玲子氏の力量が伝わってくる。
これまで知り得ていた「加賀百万石」のイメージに無かった多くの史実、実態を知ることが出来、目から鱗にもなっている。

これまで読んだ 「狸穴あいあい坂シリーズ」や「お鳥見女房シリーズ」で見られた 諸田玲子氏独特の世界、女性が主人公のほんわか時代小説とは若干異なり、「加賀騒動」という歴史上事件を深く掘り下げた骨の有る作品だという印象を持った。


 


ほぼ予定通り終わった帰郷

2019年10月26日 21時40分57秒 | 暮らしの記録

台風19号の影響で 長野駅~上越妙高駅間が 運転見合わせとなっていた北陸新幹線だったが、
10月23日に JR東日本、JR西日本から 「10月25日より 東京~金沢間 全線で運転再開する」との
発表が有った。
折りしも 10月25日~26日、北陸の郷里の親戚の法要出席のため かなり前に切符(往復)を買っており
気をもんでいたが 絶妙なタイミングの運転再開、
ほぼ予定通り 行って、帰ってこれた。
運行情報によると 運転本数は 通常に8割~9割とされていたため 
予定した列車が 運行するのかどうか、
定刻通りに発車するのかどうか、
運転再開初日、超混雑するのではないか等の懸念も有り
少し早めに東京駅に到着。
様子を窺ったが 電光掲示板に列車名があり安堵、
自由席車両も予想した程の混雑はなく 空席もチラホラの有様だった。

北陸新幹線 「はくたか」

日本海を撮りたいと思っていたが 走行中の新幹線からではチャンスは少ない。

今日 10月26日、法要、移動、お斉(おとき)が終わって 北陸新幹線で帰途についたが
やはり土曜日、ほぼ満席。ただ 隣席は 終着東京駅まで空席だった。
もてなしを受け 満腹とほろ酔いで ほとんど ウツラウツラだったが
高崎付近通過中、異様な西の空が目に付き、コンデジで カシャ、



今はもう帰る家も無い北陸の郷里。
父方の叔父叔母の親戚関係が根強く残っているが、
すでに世帯が変わり 従兄弟の関係に入っている。
法要等出席も そろそろ 区切りをつけないと・・・、等と
毎度思いながらも 
会えば懐かしい人達、
今回もまた 出席してしまった。
法要は 亡くなった方の冥福を祈り、供養する儀式に違いないが
生き方、暮らし方が大きく変化している現代社会で
とかく疎遠になり勝ちな親戚縁者が一同に集うことで
改めて その「縁」を思い起こさせる機会、場なのかも知れない。
数十年前、夫々無縁だった二つの家系に接点が出来、姻戚関係が生まれ、
延々と繋がる。「縁」とは 不思議なものだ。
後期高齢者、正直 ぐったり疲れる。
それでも 出席して良かったなと 思えている。

 

 


「北帰行」

2019年10月24日 10時52分07秒 | 懐かしいあの曲

当地 今日はまた 雲が低く垂れ込めて 今にも降り出しそうな天候になっている。
午前中、手持ち無沙汰な時間帯、ふっと思い浮かんだ曲がある。
「北帰行(ほっきこう)」だ。
昭和30年代、40年代頃、歌声喫茶等で良く歌われたり、ボニー・ジャックス等のコーラス・グループが歌った「北帰行」が
ラジオ等からも良く流れていたように思う。
昭和36年には 小林旭が歌い、歌謡曲として大ヒットしたが 
それまでのイメージと違った「北帰行」に思えてしまい、当時は 少なからず違和感を感じたものだ。

今更になって ネットで調べてみると
元々は 旧制旅順高校で歌われていた愛唱歌だった楽曲。(広義の寮歌)。
1941年(昭和16年)に 開校したばかりの旧制旅順高校に入学した宇田博が 同校の第1回寮歌として作詞、作曲した楽曲なのだそうだ。
「へー!そーだったんだ」、目から鱗である。

宇田博作詞、宇田博作曲 「北帰行」

窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず

夢は空しく消えて 今日も闇をさすらう
遠き想いはかなき希望(のぞみ) 恩愛(おんない)我を去りぬ

今は黙してゆかん 何をまた語るべき
さらば祖国いとしき人よ 明日はいずこの町か

明日はいずこの町か

北帰行、(YouTubeから共有)


トライ

2019年10月23日 22時05分37秒 | スイミング

当地 朝の内 10日振りの快晴を喜んだが 
午後には やっぱり曇り出してきた。 
今日は 月1回の定期的経過観察検査有りで
病院に出掛けただけで、
余り動いていない。
いかん、いかん、
やおら 重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し
先程 帰ってきたところだ。

10月第4水曜日、
今日は N指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
これまでのレッスンには無かったメニュー
(1)バタフライのターンの練習
(2)50m バタフライ トライ
が 加わった。
バタフライで ターンし 50m泳ぐ 等 
これまで1度もしたことのない爺さん、
指導員から 「無理しないで下さい」等と 
注意されながらも 
一人、一人 泳ぎ 他の人が見ているとなると、
頑張ってしまう。
最初からスムーズにうまくいくはず無し、
徐々に出来るようになるものかどうか、
今のところ なんとも言えない。

バタフライのターン (YouTubeから共有)

今日も M4グループ、欠席者多く 
レッスン終了後 居残ったのも 
女性3人、男性1人、4人だけ。
5秒間隔スタート、
クロール 50m×10本、4種目 25m×4本、
終盤 右足脹脛が攣る寸前になってしまったが
なんとか 泳ぎ切って引き上げてきた。

泳いで帰ってきた後の遅い夕食、
毎度のこと、心地好い疲労感、すっきり感と
1杯のビール(格安缶ビールだが)で
いい気分になっているところだ。