昭和20年代から30年代、M男は高校卒業まで 北陸の山村で 祖父母、父母、弟、妹、7人家族で暮らした。
当時は ラジオしか無い時代、特に冬期の夕食時等には 家族全員が茶の間の炬燵の周りに集まり、茶箪笥の上に鎮座していた 中古の真空管ラジオから雑音混じりで聞こえてくる NHKラジオ第一放送の番組を 楽しみにしていたものだ。
先日の記事→(2019年12月18日の記事「今週の明星」)にも 同じことを書き込んでいるため、
以下同文として 省略する。
NHKラジオ第一放送が かろうじて聞こえる地域、地形だったため、
毎日、毎週、同じ放送番組を聞いており、否が応でも脳裏に焼き付いてしまい
いまだに懐かしく 思い浮かぶのである。
直ぐ思い浮かぶ限りでも 「ひるのいこい」「今週の明星」「三つの歌」「ラジオ歌謡」「民謡を訪ねて」「二十の扉」「新諸国物語、白鳥の騎士、笛吹童子、紅孔雀等」「お父さんはお人好し」「一丁目一番地」等々があるが、
先日の「今週の明星」で 作詞者 藤浦洸が出たところで 「とんち教室」を 思い出した。
青木一雄アナウンサーが 「青木先生」、「落第生」と呼ばれた「生徒」には 各界の個性豊かな出演者が多彩だった。
石黒敬七、長崎抜天、玉川一郎、春風亭柳橋、桂三木助、渋沢秀雄、初代西崎緑、柳家金語楼、等々、
1949年から1968年まで19年間放送されたバラエティ番組だったようだ。
「しりとり川柳」「やりとり都々逸」等、言葉遊びの番組だったが 番組の冒頭で流されていた テーマソングの「むすんでひらいて」が 特に印象に残っているのである。
参照 ⇒ NHKアーカイブス「NHK名作選みのがしなつかし」「とんち教室」
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ところで 「むすんでひらいて」、
誰でも知っている童謡の中の童謡だが
今更になって ネットで調べてみると
意外や意外・・・、
原曲は 作詞者は不詳、作曲者は フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーなのである。
1952年に ルイ15世の前で公演されたオペラ「村の占い師」の一場面で用いられた曲だという。
同じメロディーに 幾たびも異なる歌詞が付けられてことで知られている曲なのだそうだ。
「ルソーの夢」というラブソングだったり、「グリーンヴィル」という賛美歌だったり、アメリカでは 「大事にしていたガチョウが死んだってローディーに教えなよ」という歌詞の民謡だったりのようだ。
日本では 1874年前後に バプテスト教会が賛美歌「グリーンヴィル」を紹介、
「キミノミチビキ」という歌詞が付けられ 明治時代、大正時代に歌われたようだ。
その7年後の1881年には 同じメロディーに また新しい歌詞が付けられ、
題名「見渡せば」で 「小学唱歌集」に掲載されたようだ。
しかし歌詞が 小学生には 余りにも格調高すぎたことも有り 広まる前に消えてしまったという。
「見渡せば」 作詞 柴田清熙、稲垣千頴、作曲 ジャン・ジャック・ルソー
(YouTubeから共有)
その後 軍事色が濃くなった日本では 風流を歌った「見渡せば」は 歌われることが無くなり
1885年には 同じメロディーに 鳥居枕作詞の歌詞で 題名「戦闘歌」が 軍歌集「大東軍歌」に掲載され、もてはやされる時代となったという。
「戦闘歌」 作詞 鳥居枕、作曲 ジャン・ジャック・ルソー
(YouTubeから共有)
第二次世界大戦終戦から2年後の1947年(昭和22年)、
小学1年生向けの音楽の教科書に 同じメロディーに 新しい歌詞が付けられた 題名「むすんでひらいて」が登場、
以後 今日まで すっかり日本の童謡、唱歌として定着している。
「むすんでひらいて」は 2007年に「日本の歌百選」にも 選ばれている。
「むすんでひらいて」 作詞 不詳、作曲 ジャン・ジャック・ルソー
(YouTubeから)
ちっとも知らなかった「むすんでひらいて」のルーツ、
目から鱗・・・である。
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