昭和43年のことである。
M男は 当時 勤めていた製造会社K社を中途退職し 営業会社H社に 転職を果たしている。
K社は 実に居心地良く、家族的雰囲気が漂う社風、何の不満も無かったが、逆に まるで温床の中で ぬるま湯につかっている風に M男は感じ出してしまい、これではいかん、もっと波風激しい世界で 人生を歩みたい等と 若気の至り、気負ってしまったのである。
しかも 技術系職場から いきなり 性格的にも 向いていないはずの営業系職場へ。
順風満帆、社内的にも信頼されていたM男が 突然 退職を切り出した際の上司や同僚は 青天の霹靂、唖然とし 全く理解出来ない、裏切られたという風に 受け取ったに違いない。
しかし M男の意思が強固であること、すでに 転職先の入社段取りが為されていたこと等から 契約違反にもかかわらず 退職を認めざるを得なかったのだと思う。
退職日が迫ったある日、所属課の全員出席で そんなM男のために 送別会が開かれた。
M男にすれば こんな気のいい仲間達から 抜け出そうとしている申し訳け無さ、寂しさもあり また 本音を披露することも出来ない苦痛が有ったが 彼らは そんなことを抜きにして あったかく送り出してくれたのである。
そんな彼らの何人かとは 40年以上経た今でも尚 心が繋がっている。
その送別会で M男は 彼らの総意の送別記念品として クラシックギターを プレゼントされた。
そのギターのボディーの表板には 所属課全員だけでなく 職場で関わった多くの仲間達が
一人一人 いかにも ・・らしい 励まし、友情、の一言が 隙間無く びっちり 寄せ書きされていた。
当時 ほんの一時期、M男は ギターを愛好し 「禁じられた遊び」等に 挑戦していたが それを知っていた 同僚のアイディアだったのである。
転職後からは ほとんど ギターを弾くことも無くなり 押入れや 物置で 埃を被っていることが多くなったギターだが、40年以上の時が過ぎ去った今も 未だに健在なのである。
表板の寄せ書きを 眺めると 当時のK社の仲間達の 若い顔、顔が 浮かんでくる。
M男にとっては 宝物のひとつではある。
宝物とは 書画、骨董、美術品、宝石等、高価鑑定されるような物品を指すのであろうが 人によっては 「思い出」が宝物、「友情」が宝物等と 目に見えない、形の無いものが 宝物であったりする。
M男の古びたギターのように 第三者から見たら ゴミのような代物であっても 当事者には 宝物であるということもある。
当時 挑戦し 弾けるまでに至らなかった 「禁じられた遊び」
禁じられた遊び Romance de Amor