たけじいの気まぐれブログ

スローライフ人の日記風雑記録&フォト

ゆく年くる年 雑感

2012年12月31日 17時57分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

2012年も 残すところ 数時間となってきました。今日は 朝早くから 普段 滅多にやったことのない 網戸の掃除、換気扇の掃除、窓ガラス磨き、棚の上の埃取り、風呂場のタイル磨き、・・・等々 大車輪で働きました。年末の大掃除。そして 今 一段落。全てを終わらせたような気分、このひとときが 1年で 最もくつろげる時のような気がします。

大晦日から元日、考えて見れば いつもと変わらぬ自然の営み、日が変わるだけとも言えますが 我々人間は 毎年 特別な思いを持って その日を送り、迎えることが出来るから不思議です。

今年も、個人的に 世界的に、社会的に 本当に いろいろ有りましたが 改めて 来る2013年、全て 前向きに スタートさせたいものです。

ゆく年くる年、この時間帯を 静かに 堪能したいと思っているところです。

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あの日あの頃・・原点の「住所録」

2012年12月29日 22時01分40秒 | あの日あの頃(the good old days)

確か M男が 中学1年の頃(昭和30年頃)のことである。当時 隣町の小さな文房具店兼印刷所に勤めていた父親から 多分 勤務先の売れ残り品だったのだろうか、今で言う B5版位の 横型の「住所録」を M男は もらった。M男自身が 先生や友達、叔父叔母等親戚に 年賀状を出すようになって その宛先の 住所、氏名を認め、整理管理せよとのメッセージだったのだろうと思う。堅いボール紙で出来た青い表紙、表紙を開けると 中は 縦書きの「住所録」まるで 香典の受付帳のような感じで 子供にとっては なんとも厳めしく思えたものだ。せっかく 「住所録」を与えられても 北陸の片田舎の中学生とて 叔父叔母等親戚、指で数えられる程の知人、友人位しか 書き込み対象はいない訳けで 最初の内は 2~3ページの後は 空白だった。しかし M男は 何故か この「住所録」を 大事な物(宝物)と思い込んでしまった節があり かなり後年になるまで 使っていくことになったのだ。1年、1年 少しづつ 増えていく 住所、氏名。裏表紙には 「自分の一生の間に 果たして 何人の人と出会い 知人、友人として この「住所録」に記載出来るのだろうか」 等と 気負って書いていたことが 思い出される。それは 地球上には 何十億の人がいるが どんなに努めても 自分と関わる人の数は 限られるはずだから、ひとりひとり 大事にしたいなというような気持ちだったと思う。以来 M男は これまでずっと 「袖すり合うも他生の縁」を 座右の銘としてきたように思っている。

その原点となった 縦書き、手書きの「住所録」は 住所変更等が有ると 訂正、修正で 汚くなり 記載人数が増えるに従って 整理管理がしにくくなり いつの日か 手帳型、横書き、アイウエオ見出し付き「住所録」に転記して、またまた 長い年月 使っていた。

時代が変わり パソコン時代がくると いち早く、「住所録」も パソコン(エクセル)に移転し 今に至っているが プライベート、ビジネスで 自分と関わった人、ひとりひとりが 自分の人生の財産だ等と 今でも思い込んでいるM男である。ただ 最近では 年末に届く 喪中はがきで 毎年 何人かの 旧い知人、友人が逝ってしまったことを知り 愕然。「住所録」から 一人欠け、二人欠け・・・・、老いの寂しさを 感じているM男でもある。

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仕事納め、餅搗き、辛味餅

2012年12月28日 23時04分24秒 | 日記・エッセイ・コラム

12月28日(金。年末に拘わらず なかなか けりをつけれないのが自営業の弱みですが 少々の残務に目をつぶり 今日 仕事納めとしました。午前中に 片付ける予定だった事務処理作業も 結局 夕方まで掛かってしまい 昨年より1日早い 餅搗きは 妻任せ。餅搗き機「もちっ子」で2臼、鏡餅を作り、残りは伸餅。毎度のことですが、昼食は 辛味餅。自家製大根の ものすごく辛い大根おろしに汗をかきながらの 立ち食いです。明日は 伸餅切り作業、畑の白菜、大根の収穫、事務所の大掃除・・と いろいろ予定してるんですが 当地 今夜の天気予報は 雪マーク。どうなりますことやら。

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今年も メジロがやってきた

2012年12月28日 20時19分04秒 | 鳥・昆虫

当地 このところ 朝の気温が 氷点下になる日が続いています。7~8年位前から 毎年 この時期になると 決まって 我が家の庭に メジロのつがいがやってきてますが 今年も現れました。チッ、チッ、チュル、チュル、まるで 餌を催促しているが如くの鳴き声に 出窓越しに庭を見ると モクレン、サルスベリ、ベニカナメ等の枝から枝に 忙しく動き回るメジロのつがいが来ていました。メジロの寿命が 何年なのかも知りませんし 昨年のつがいが やってきたのかどうかも分かりません。北側に広がっている山に生息しているメジロが 冬期 餌となる虫や 木の実が無くなると 山から里に下りてきて、民家の庭先に現れるんだろうとは思っていますが。

昨年までの餌台は 朽ちて 片付けてしまっていたため 今日 急遽 剪定した後のサルスベリの枝部に 餌台を作り 蜜柑と柿を置いてやりました。つがいは 近くに 待機して こっちの動向を見ていたんでしょうか、すぐさま 寄ってきて 代わる代わる 啄み始めました。ひとしきり 啄むと つがいは ベニカナメの茂みの中で 並んで 体を真ん丸にして静止します。しばらくすると 再び 代わる代わる 啄むという行動の繰り返し。この光景を いち早く 見付けた ヒヨドリが1羽、やっぱりやってきて メジロを追いやり 餌台を占拠しました。そんな時は ヒヨドリには 酷ですが どうしても メジロの味方になってしまい 脅かして 立ち去らせています。

メジロをずっと眺めている程 暇はないのですが その愛くるしい動きは 飽きません。ガラス越しに なんとか 何枚か 撮ってみました。我が家の冬の風物詩。

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しきりに 辺りを警戒しながら・・・・・・

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無理な体勢で・・・

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柿の方が うまいかな?・・

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並んで 寒い!、まーんまる・・・

 

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2012年 泳ぎ納め

2012年12月27日 00時24分50秒 | スイミング

今年もいよいよ 年の瀬が押し迫ってきました。「シニア会員」として 毎週 成人クラスレッスンを受けている スイミングクラブも 明日27日から 3日までは 年末年始の休館となります。今日 今年最後の成人クラスレッスンに出席してきました。2012年の泳ぎ納めです。今日は 特別メニュー、指導員も 通常の 細かい指導をせず 45分間、最初から最後まで ほとんど休み無し、泳ぎに徹するという日でした。

キック&バタ足                                                バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール 各 25メートル 4本、

スイム                                                     バラフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール 各 25メートル 4本

仕上げ                                                       クロール 100メートル

屋外は 氷点下?、「寒いね」で 始まったレッスンでしたが 途中から プールの中で汗をかいている感じになりました。レッスン終了後 ゆっくり ダウン、200メートル泳いでから 帰りましたが 夕食は 妻がじっくり煮込んだ「鰤大根」で 食が進み、せっかく プールで体内脂肪燃焼してきた分 あっさり 補充?してしまった感じです。

かくして 今年も またまた 「ややメタボ」解消ならず、目標は 来年に持ち越しとなりました。

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今年の白菜は いまいち!

2012年12月24日 15時57分02秒 | 野菜作り・畑日誌

振替休日の今日 朝の内は 快晴。放射冷却で 当地の気温は 1~2℃。午後からは 雲も広がって かなり冷たい一日となりました。毎度のことながら なんだかんだ有って もう 2週間以上 ほったらかしにしていた畑に 今日こそ 行かなければと 気合をいれて 午前中 行ってきました。冬の日射しの下 大根、白菜、ノラボーが 目立つ位で 閑散とした風景です。大根は まずまずの出来ですが 白菜は いまいち。巻が弱く 軽い感じがします。

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とりあえず 白菜漬用に 数個収穫。大根も おでん、煮物、大根おろし等用に 3本収穫。年末までには もう一度行って 正月用を収穫するということにしました。

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山歩き記・三ツ峠山・・2012.12.16

2012年12月17日 20時20分42秒 | 山歩記

年の瀬も押し迫って なんとなく 気忙しいところですが、S氏から 「忘年山行・三ツ峠」は どうか?と 誘われ 思い切って 行ってきました。S氏とは もともと 20年前 公的水泳教室の初級クラスで一緒だったことから始まった長い付き合い。お互い 今は 別々の水泳教室に通っていますが 彼は 最近 山歩きにも はまって 年中無休のような仕事柄、思うように山歩きも出来ない私等をしり目に どんどん山行数を伸ばしている様子。今回は そんなS氏の友人知人山行グループに 加えてもらう形で参加しました。

コース・歩程等                                                  清八林道・三ツ峠登山口~三ツ峠山荘~開運山山頂~三ツ峠山荘~木無山~母の白滝~河口浅間神社・河口局前バス停 (標準歩行時間=約4時間)

午前7時30分に 前日宿泊(忘年会)の 「三ツ峠グリーンセンター」を出発、グループのK氏の自家用車で 清八林道・三ツ峠登山口駐車スペースに運んでもらいました。前日の雨雲が 100%消え去り 快晴。風も弱く 日差しが暑く感じられるような好天気に 全員 気を良くして 午前8時45分 「三ツ峠登山口」を 出発しました。

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天下茶屋前からの 河口湖と富士山。

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登山道に 10数㎝の霜柱

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三ツ峠山荘前

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南アルプスの峰々

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雲一つ無い 澄み切った青空の下、甲斐駒、鳳凰三山、北岳、間ノ岳、農鳥、八ケ岳、金峰山、北アルプス(穂高、槍、常念等)、360度 大展望、山座同定、

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開運山山頂(標高 1,786m)                                    開運山、御巣鷹山、木無山の三山を合わせて 三ツ峠山と呼ぶ説が知られていますが 一般的には その内の 最も標高の高い開運山が 三ツ峠山山頂と 呼ばれているようです。

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府戸尾根・天上山方面への分岐

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母の白滝

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午後2時頃 河口浅間神社着。

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「河口局前バス停」 午後2時38分発の富士急山梨バスに乗車し 富士急河口湖駅へ向かいました。路線バスの本数が極めて少ないため 下山時刻に注意しないとなりません。

 

 

 

 

 

 

 

                                      

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実家の跡地に 積もる白雪・・

2012年12月10日 21時05分53秒 | 日記・エッセイ・コラム

このところ 西高東低の気圧配置が続き、強い寒気が居座って 北海道、東北、北陸等の日本海側では 12月中旬としては 珍しい 大雪となっているようです。

すでに 空き家になって久しかった 北陸の実家の解体工事が かねてより 打ち合わせ通り この雪が降る前に 地元の業者によって施工され 昨日 業者から 解体工事完了の通知と 工事完了後の写真が送られてきました。

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その写真、当然のことながら 戦後60数年 そこに建っていた実家は消えており ただの 更地、見たことの無い風景と化しています。なんとも 言えない風景です。多分 今日あたりは 30~50㎝の雪が積もり 全てを覆い隠して きれいな雪景色になっているんだろうと思いますが・・・。

高校3年まで 祖父母、父母、弟妹と暮らした実家の残像も 冬中、白い雪に埋もれ、さらされて 春には ゼロに リセットされるような気がしています。

全国的に 空き家が増えていて 多種多様の問題が発生していると伝えられていますが いろいろ難渋しながら 何とか 所有者側の立場で 始末出来たことに 一応の安堵を覚えているところです。知人友人の中にも 特に地方出身者で 同じような問題、悩みを抱えておられる方が ずいぶん多いように思います。「故郷」「思い出」「近隣に対する迷惑」「解体費用」「所有者」「相続」「税金」「決断」・・なかなか 難しい問題、悩みです。

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あの日あの頃・・書き初め

2012年12月08日 09時46分53秒 | あの日あの頃(the good old days)

「書初め(かきぞめ)」とは 新年になって 初めて 毛筆で 詩句等を書くこと、または その書いたものをいい 古来 1月2日行われる習わしと 辞書には 有る。

昭和20年代、30年代、M男が通った O小中学校では 毎年 冬休みの宿題に 必ず 「書き初め」が有り たのしい正月気分に 水をさされるような思いをしていた。しかも 3学期初めに 提出した「書き初め」全員分が 各学年、各教室の壁に 貼りだされ 出来栄えの良い順に 金色、銀色、銅色の短冊が付けられ 全校生朝礼の場で 表彰状授与までするという学校だった。

「習字」「書道」という授業科目があったかどうか曖昧だが その都度 重い硯箱を 登下校運んだ記憶が有る。しかし 大概は 半紙に 4文字とか6文字を書き 文化祭等に展示する程度のものであった。半紙3枚をつなぎ合わせたような用紙に 「初日の出」とか「希望の光」等と 大書きする「書き初め」については 小さな「お手本」を渡されるだけで 各自 思い思いに書いて良し という指示だったと思う。他の子供達が 各家で どのように書いていたのかは 知る由もないが M男の場合は 父親が教師役であった。正月早々、弟や妹、近所の子供達が寄り集まってかるたやすごろくで盛り上がる炬燵の有る茶の間から離されて 火鉢1個の寒々しい座敷に連れて行かれ 畳の上に 茣蓙を敷き 先ずは 硯で 墨摺り。多分 小学校高学年になった頃からか 墨汁なるものが出回ってきて 墨摺りは 省略したように思うが 墨摺りは 精神統一をするための所作等と諭されていたように思う。

M男の父親は 厳格なイメージ等 全くない人だったが 何故か 子供の「書き初め」に対してだけは 真剣だったような気がする。手がかじかむような冷え切った座敷で 正座させられ 何枚も書かされた。「そこで トメル!」、「ハネル」 凛とした座敷で 父親の声だけが大きく響いていた。最初は 新聞紙を 縦長に切って 練習し いざ 本番となるが 子供とて 最後まで 集中するのは 難しい。仕上げて 最後に 左横に 学年と 名前を 小筆で書き入れるところで 失敗することもたびたび。10数枚 仕上げても 一長一短有り 「良し」というものには なかなか成らないが 座敷にズラリ並べて もっとも良さそうなものを 学校提出用に、次々 良さそうなものは 近所の子供のいる家に 配って歩くのが常だった。その頃 子供達が書いた「書き初め」を お互い配り合い 茶の間の壁等に並べて貼り 年始回りで行き来する人が 炬燵で歓談する時 品評するといった正月風景もあった。父親にしたら 自慢気なのだろうが M男には 恥ずかしくて仕方のないことで お世辞、おべっかを言われることが大の苦手であった。

M男の父親は 特に「書道」の素養が有った訳ではなかったが 「書き初め」に限らず 「字」に対しては 異常な程 こだわっていたように思う。戦前 一時 海軍の印刷局で働いたこともあったという父親、戦後 郷里に戻り 隣町の小さな印刷店に勤め 当時は 活版印刷が主で 活字拾い、校正等の仕事をしていたようで そのことと関係が有ったのかも知れない。

M男が小学生で 漢字を習い始めた頃は まだ ノート(帳面)も ふんだんには 買ってもらえない時代だったが 父親は 勤務先の印刷店兼文房具店から 売れ残りと思われる大量のノートをもらってきて M男は 使い放題、毎日 漢字書き取りをさせられた。M男は 後年ずっと 楷書でしか 文字を書けなくなったのは 子供時代 「トメル!」「ハネル!」と 楷書で いやという程 漢字を書かされたことと無関係ではないように思っている。

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残りのサトイモを収穫

2012年12月06日 16時54分27秒 | 野菜作り・畑日誌

当地 今日は ポカポカ 小春日和。陽気に誘われ 午後になって 妻は 畑に出掛けていきました。すでに 10月位から 少しづつ 掘り起こして 食している サトイモ,、残っている分を 全部 収穫し 帰ってきました。毎年 同じような感じの 貧弱な葉や茎を見る限り 余り 期待もしてませんでしたが 意外と沢山採れて 気を良くしているところです。豚汁、おでん、煮っ転がし・・、しばらくは 間に合いそうです。

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