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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その89(2)

2025年05月03日 15時13分08秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その89(2)
「初めての甲斐駒ヶ岳・仙丈岳・残念登山」(再)


2日目、
前日に続き、この日も猛暑酷暑の1日だったようだ。
深夜までのキャンプ場の騒音と同室宿泊者の大いびきに悩まされ、
日の出前の早出組のガサガサ音で目が覚めてしまい、
睡眠不足気味の三人、体調やや悪しだったが、
予定通り、仙丈岳に向かうことにし、
午前6時30分頃、北沢長衛小屋を出発、
いきなり急登の連続に、喘ぎながら・・・、

バテバテ・・、

藪沢への分岐

8時頃、大滝ノ頭(標高2,519m)

北沢峠から登ってきたコースを、振り返り見る。
対面には、甲斐駒ヶ岳、魔利支天が・・・、

10時頃、ようやく、小仙丈岳山頂(標高2,855m)に到着、

北岳、間ノ岳、農鳥」岳の峰々

360度、大展望、

「南アルプスの女王」等と呼ばれる仙丈岳の山頂方面・美しい小仙丈岳カールを望む

睡眠不足と猛暑で体力消耗、ぺースダウン、
当時、北沢峠発、広河原行き、村営バスの最終発車時刻が、
15時だったこともあり、。
それに間に合わせるためには、仙丈岳往復は、ちょっと厳しいと判断。
仙丈岳登頂は断念し、その分、小仙丈岳山頂で、たっぷり休憩し、
北沢峠に引き返すことにしたのだった。

また来る時にも、笑っておくれ・・・♬

小仙丈岳山頂から北沢峠へは、往路をひたすら下るのみ・・・、
意外や、13時頃には、戻り着いてしまい、
広河原行き最終バスの1本前のバスに乗車出来てしまったようだ。

14時頃、無事、広河原に戻り着き、ホッと一息。

予定した、甲斐駒ヶ岳登頂、仙丈岳登頂が出来なかった、中途半端な山行ではあったが、「必ず、また来るぞ」と誓って、帰路についたのだった。

(おわり)

そして、その8年後の1999年に、再び三人でトライ、
甲斐駒ヶ岳、仙丈岳の2座山頂に立つことが出来、夢が叶ったのだった。


振り返り記事
「降る写真から蘇る思い出の山旅」・「2回目の甲斐駒ヶ岳・仙丈岳」
👇
(1)
(2)


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(ネットから拝借フリーイラストGIF)


追記

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「設定」→「コメントの許可」→「誰でもコメントを書き投稿出来る」、
に、しています。
先日、HatenaBlogユーザー以外の方に、
テストしていただきましたところ、

特に問題無く、コメントすることが出来たようです。


 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その89(1)

2025年04月29日 21時03分42秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その89(1)
「初めての甲斐駒ヶ岳・仙丈岳・残念登山」(再)


もう34年前にもなる、1991年8月17日~18日に、妻と次男と3人で、(長男は受検勉強中で不参加)、初めて、「甲斐駒ヶ岳・仙丈岳」を訪れたことが有った。
当時はまだ、時間的、経済的、精神的余裕等、さらさら無い自営業をしていた頃で、家族で旅行等、ほとんど出来なかった頃だったが、海派?、山派?、と問われれば、山派ではあったことから、せめて年1回位は、なんとか都合をつけて、家族で思い出になる山に登ろう・・、等と決めて続けていた頃だった。
その年は、無謀にも、思い切って、「甲斐駒ヶ岳・仙丈岳」にしたのだったが、結果は、2座共、登頂出来ずの残念な登山となってしまい、後年になってリベンジし、思いを叶えたという、記憶に残る山歩きの一つになっている。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃だったが、プリントした拙劣写真がアルバムに貼ってあり、「OCNブログ人」で、初めてブログを開設したばかりの頃に1度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有る。
昔のことを懐かしがるのは老人の最も老人たるところと、自嘲しながらも、コピペ、リメイクして、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、付け加えることにした。


山行コース(予定)・歩程等

1日目・北沢峠→仙水峠→駒津峰→魔利支天→甲斐駒ヶ岳山頂→駒津峰→双児山→
    北沢峠・北沢長兵衛小屋(泊)
    (標準歩行所要時間=約7時間30分)、
2日目・北沢峠・北沢長兵衛小屋→大滝ノ頭→小仙丈岳山頂→仙丈岳山頂→
    馬ノ背ヒュッテ→北沢峠、
    (標準歩行所要時間=約8時間30分)、

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

1日目
毎度のこと、深夜に自宅を出発、渋滞無しの中央自動車道を走り、
甲府昭和ICからは、芦安村、南アルプス林道、夜叉神トンネル経由で、
広河原の駐車場には、午前8時頃到着したようだ。
当時は、広河原まで、マイカーで乗り入れることが出来た時代で、
無料の広い駐車場は、ほぼ満車状態だった気がする。
広河原発北沢峠行き、リムジンバス(芦安村営バス)の始発は、午前9時、
待機中に、軽い朝食をとり、長蛇の列に並んだような気がする。
増車された数台の超満員の村営バスに揺られ、
南アルプス林道をぐんぐん高度を上げて行き 
標高2,032mの北沢峠には、9時30分頃到着したようだ。

北沢峠、9時30分頃出発は、夏山登山としては、遅過ぎ、
甲斐駒ヶ岳ピストンは、登山初級者にとって、体力的、時間的に
ちょっと厳し過ぎること、自明の理だったが、
中途で無理な場合は、引き返すこと覚悟して出発、
仙水峠へ向かったのだった。

猛烈な暑さでバテバテ、

11時頃、仙水峠(標高2,264m)に到着、
眼前にそそり立つ魔利支天、甲斐駒ヶ岳、

仙水峠から駒津峰への急登、
ジリジリ太陽に照り付けられて大汗、体力消耗、

右方に、甲斐駒ヶ岳山頂、摩利支天を眺めながら、
気ははやるものの、頻繁休憩、ペースダウン、

13時30分頃、駒津峰(標高2,752m)に到着。


大休憩後、いったん、甲斐駒ヶ岳山頂目指して出発したが、
途中で、体力的、時間的に、山頂往復は、無理と判断・・、
翌日の仙丈岳のことも考慮し、登頂を断念、
指呼の間の甲斐駒ヶ岳の雄姿を目に焼き付け、
いつかまた、リベンジすることを誓い、
無理をせず・・・、引き返すことにしたのだった。

14時30分頃、駒津峰に戻り、双児山方面へ下山開始、

15時40分頃、双児山(標高2,649m)

南方には、翌日に登る予定の仙丈岳が・・・・、

16時頃、北沢峠に戻り着き、
16時30分頃、宿泊先の北沢長衛小屋に入ったようだ。

北沢長衛小屋前には、キャンプ指定地が有り、
19時消灯・・ではあったが、深夜まで騒がしく、
なかなか寝付かれず・・・、だった気がする。

(つづく)


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古い写真から蘇る思い出の山旅・その88

2025年04月13日 12時24分24秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その88
「初めての武川岳、山頂で山の歌数曲」


かれこれ27年前の1998年9月に、当時一時所属していた山の会の仲間に誘われて、埼玉県西部、秩父の「武川岳(むかわだけ)を訪ねたことがあった。当時はまだ自営業を続けていた頃であり、「家族で山歩きを楽しむ」レベルだったが、思い立って参加したものだった。その頃まではまだ、秩父方面の山は、ほとんど訪れたことがなくて、「初めての武川岳」だった気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、わずかに撮っていた証拠写真、プリントしてアルバムに貼ってある。
「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃に、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有ったが、改めて、コピペ、リメイク、「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

西武鉄道秩父線芦ヶ久保駅→岳ノ沢→二子山雌岳山頂→二子山雄山山頂→
焼山山頂→鳶岩山→武川岳山頂→前武川岳山頂→天狗岩→名郷バス停
(標準歩行所要時間=約5時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

前日から夜半まで、かなり風雨強く、天候が心配されたが、
一夜明けると「晴」。「ラッキー!」
自宅を早朝に出発、JR線、西武線を乗り継ぎ、
集合場所の西武芦ヶ久保駅には、9時15分頃、到着したようだ。
9時30分に駅前に集合、
なんと、参加者のほとんどが女性で、びっくりした気がする。
9時40分頃、西武芦ヶ久保駅を出発。
岳ノ沢沿いから次第に樹林帯の急登に・・・。
10時40分頃、尾根筋に出たようだ。
二子山雌山山頂を経て、
11時30分頃、二子山雄山山頂(標高882.7m)に到着。
西方が少し開けている程度で、展望さほど良く無しだったが、
ここで、昼食。
12時頃、二子山雄山山頂を出発。
昨日の強い風雨の影響か、登山道、一面に、団栗(どんぐり)が散らばっており・・、
12時50分頃に、焼山山頂(標高850m)を経て、
かなりのアップ、ダウンを繰り返し、
14時20分頃、武川岳山頂(標高1,051.7m)に到着したようだ。
およそ山頂らしくなく、広場の感じ。
他のハイカーの姿もなく、貸し切り状態で、休憩。

ここで、リーダーのU氏が、
なにやら、おもむろに、紙を取り出し、
「たまには、いいと思って・・・」等と
参加者一人一人に配り出した。
???、
それは、山の歌数曲の歌詞をプリントしたものだった。
女性参加者が多かったことで、サービス精神?
そんな経験、初めてだったが、
静かな武川岳山頂に、唄声が流れて・・、
何を歌ったか等、まったく覚えていないが、
多分、「山小屋の灯」?、「山のロザリア」?、「雪山讃歌」?、
等だったかも知れない。

武川岳山頂からはまた、急下降、天狗岩コースへ、
15時頃、前武川岳山頂(標高1,003m)を経て、
急下降、岩場、梯子場、等、結構、厳しい箇所も有り、
15時40分頃、天狗岩(730m)、
天狗岩からは、樹林帯の中の急下降、
16時40分頃、名郷バス停に到着、
難所で若干遅れた人も有って待機、
先着組数人で、早速ビールにありつき、
汗ダクになった分、至福の一杯となった気がする。
バス発車時刻16時57分には、全員揃い乗車、
途中のバス停で、続々、ハイカーが乗り込んできて、
東飯能駅に到着するまで、車内はぎゅうぎゅう詰めだった気がする。
東飯能駅到着後、リーダーのU氏と男性組3人は、駅前の食堂で、「反省会?」
生ビールで乾杯、
19時30分頃発車のJR八高線で帰途についたのだった。

当時はまだ、「武川岳」は、季節を変えて、何度でも訪れてみたい山だ等と思ったものだったが、
結局、後年になって、1度だけ、妻と二人で再訪したに留まり、足、腰、痛!、痛!の今となっては、「武川岳」もまた、遠い思い出の山となってしまっている。


振り返り記事・「武川岳」
👇
こちら


 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その87

2025年04月07日 08時59分47秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その87
「初めての金峰山・瑞牆山」(再)


かれこれ28年前にもなる、1997年6月に、当時一時所属していた山の会の仲間に誘われて、「金峰山(きんぷさん)・瑞牆山(みずがきやま)を訪ねたことがあった。当時はまだ自営業を続けていた頃であり、時間的、精神的、余裕等無く、「家族で山歩きを楽しむ」レベルで、「金峰山」、「瑞牆山」等、一度も訪れたことが無い山だった。ただ、各種の山情報から、是非とも訪れてみたい山には入っていて、思い切って参加したのだった。
自分にとっては、「初めての金峰山・瑞牆山」、山小屋1泊の山旅だったが、1日目は、不安定な天気で時々霙(みぞれ)混じりの雨、お目当ての大展望も叶わずだったが、幸いにも、2日目は、絶好の山歩き日和となり、素晴らしい景観の感動を仲間と分かち合え、大満足の山旅だった気がしている。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、ほんの数枚の写真がプリントしてアルバムに貼って有る。
「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有ったが、コピペ、リメイクし、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


深田久弥著 「日本百名山」
「金峰山(きんぷさん)
(一部転載)

われわれ山岳党の大先輩小暮理太郎氏に次のような言葉がある。
「金峰山は実に立派な山だ。独り秩父山脈中に嶄然(ざんぜん)頭角を抜いて居る許り(ばかり)でなく、日本の山の中でも第二流を下る山では無い。世に男の中の男を称えて裸百貫という諺があるが、金峰山も何処へ放り出しても百貫の貫禄を具えた山の中の山である」
金峰山に対してこれ以上の讃辞はあるまい。私もそれに賛同する。秩父の最高点はこれよりわずか数メートル高い北奥千丈岳に譲るにしても、その山容の秀麗高雅な点では、やはり秩父山群の王者である。一般に奥秩父の山々はこれという特徴がなく、しかも複雑に重なり合っているので、遠くから眺めて、いちいちの山を指摘するのがむずかしい。そんな時私はまず金峰山に眼をつける。この山も漠然と見ただけでは、特に他と区別するような山相は持っていないけれど、ただその頂上の五丈石(御像石)が目じるしになる。
五丈石は、高さ十五メートルもあろうか。近寄れば突兀(とつこつ)とした大岩だが、遠望では、眇たる一突起で、左右にゆったりと稜線を引いた美しい山容の均衡を破るほどのものではない。
(中略)
金峰山は私の長い山歴の中で、ごく初期に登った山の一つである。関東大震災の年の秋で、まだ私は一高の生徒だった。その時つけておいた手帳を見ると、当時の中央線の始発点飯田町駅を夜九時四十分の汽車に乗って、翌朝四時半に甲府に着いている。今なら、松本へ行くにもそんなにはかからない。もちろんバスなど無い頃だから、歩いて昇仙峡へ行った。そのどんづまり御岳(みたけ)の金桜神社で昼弁当を食べて、さらに奥の黒平村へ向かった。それが、金峰山登拝の表参道である。
(後略)


山行コース・歩程等

第1日目 大弛峠→三繋平→国師ケ岳山頂→三繋平→北奥千丈岳山頂→三繋平→
     (夢の庭園)→大弛峠~朝日峠山頂→朝日岳山頂→金峰山山頂→金峰山小屋(泊)
     (標準歩行所要時間=約5時間30分)
第2日目 金峰山小屋→千代ノ吹上→砂払ノ頭→大日岩→大日小屋→
     富士見平・富士見小屋→天鳥川源頭→桃太郎岩→瑞牆山山頂→
     富士見平・富士見小屋→瑞牆山登山口・瑞牆山荘
     (標準歩行所要時間=約7時間30分)


1日目、
8時30分、JR中央線塩山駅に集合した10数名、タクシーに分乗し、
「大弛峠(おおだるみとうげ)」に向かった。
9時50分頃、大弛峠に到着。
「大弛峠」は、標高2,370m、日本有数の高所峠。
先ずは、「大弛小屋」前にザックをデポし、サブザックで、
10時頃、「北奥千丈岳」へ向かって出発した。

「前国師」の先、「三繋平(みつなぎだいら)」は、「国師ヶ岳」と「北奥千丈岳」の分岐で
最初に、「国師ヶ岳山頂」をピストン。

  国師ヶ岳山頂(標高2,592m)        北奥千丈岳を望む

 

引き返し、「三繋平」から、「北奥千丈岳山頂」をピストン。
「北奥千丈岳」(標高2,601m)は、奥秩父の最高峰、
厚い雨雲に覆われて、お目当ての大展望は、残念ながら叶わず、写真も無し。
再び「三繋平」に戻り、「夢の庭園」を下り、
12時15分頃、「大弛峠」に戻ったようだ。
「大弛小屋」前で、昼食、休憩、
12時45分頃、金峰山目指し、大弛峠を再出発、
しばらくは、樹林帯の中、2~3のピークを越えて、
13時頃、「朝日峠」、
13時45分頃、「朝日岳山頂」(標高2,579m)に到着、小休憩。
天気不安定、雨雲が激しく動き、雨が降り出し、雨具装着


次第に、雨が、霙(みぞれ)に変わり、風も強まり、冷え込み厳しく、
「鉄山」(標高2,595m)の北側を巻き、ひたすら歩くのみ、
15時頃、「金峰山山頂」(標高2,595m)に到着、小休憩。
小雨、気温低下、天気回復見込み無し。
お目当ての、秩父第2高峰金峰山のシンボル五丈岩景観や360度展望は、
翌朝にお預けとして、山頂直下の「金峰山小屋」に向かった。
15時45分頃、「金峰山小屋」に到着、
石油ストーブで暖かな室内で、ずぶ濡れの雨具等を乾燥、
夕食までの2時間は、和気藹々の懇親会となった。
19時30分消灯、翌日の晴天を願いながら就寝。

2日目、
打ち合せ通り、3時30分に起床、
前日の悪天候がウソのような快晴?、東の空が赤く焼けており・・・、
ラッキー!、
金峰山山頂でご来光を迎えるべく、有志数人で、4時に、金峰山小屋を出発、

     ご来光           映える「五丈岩」

 

「富士山」、ばっちり・・、

「八ヶ岳」を望む

五丈岩によじ登る登山者

4時50分には、金峰山小屋に戻り、朝食。
6時に、金峰山小屋を出発、
金峰山山頂の北側の巻き道を「大日岩」方面へ向かった。

「千代ノ吹上」、「砂払ノ頭」(標高2,317m)・・・、
素晴らしい展望を楽しみながら・・、
7時30分頃、「大日岩」(標高2,201m)に到着。
全員、ザックを置いて、岩をよじ登り、至福のひととき、

目指す「瑞牆山」が指呼の間、

8時、「大日岩」を出発、
振り返ると、「大日岩」と「富士山」、
あの尾根を辿ってきたんだ・・・・。

9時20分頃、「富士見平・富士見小屋」に到着、小休憩。
いよいよ、最後の踏ん張り、「瑞牆山」へ向かう。

「天鳥川源頭」

11

「瑞牆山」は、花崗岩の岩山。
山頂直下は、登るというより、よじ登る感じの急登。
喘ぎ、喘ぎ、見ごろのアズマシャクナゲに癒され・・・

 

11時20分頃、「瑞牆山山頂」(標高2,230m)に到着したようだ。
大展望に歓声が上げ、何枚も写真を撮ったはずだが、
1枚も写真が残っていない。撮影失敗?、フィルム切れ?、
40分程、展望を楽しみながら昼食、休憩。
至福のひと時を過ごし・・、
12時、瑞牆山山頂を後にして、往路を下山。
「富士見平」を経て、「瑞牆山登山口・瑞牆山荘前」には、
14時頃、到着だったようだ。
15時、あらかじめ予約していたタクシーが到着、分乗して、JR中央線韮崎駅へ。
16時頃、JR中央線韮崎駅に到着。
食堂で、反省会?、和気藹々の懇親会、
17時39分発、普通列車立川行きで、家路に付いたのだった。
「金峰山」、「瑞牆山」共、その数年後に、妻と二人、一座づつ、日帰りで訪れて、
思いを新たにし、当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ」的な気分だったはずだが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「金峰山」も「瑞牆山」も、遠い思い出の山となって
しまっている。


振り返り記事
古い写真から蘇る思い出の山旅・その56
「瑞牆山」
👇
こちら




 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その86

2025年03月26日 10時29分15秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その86
「五感の森・八重山」


7年前2018年月5月、すでに気力体力減退で、遠出の予定も無しのゴールデンウイークだったが、好天に促され、その日の朝になってから急に思い立ち、簡単に行けて、軽度な山歩きが出来そうな所に出掛けたい気分になり、妻が友達から聞いていた、山梨県上野原市の「八重山」を訪ねることにしたのだった。
すでに、ブログ・カテゴリー「山歩記」」に、書き留めていたが、コピペ、リメイクし、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

八重山ハイキングコース入り口駐車場→大堀→新井→山風呂虎丸山登山口→能岳(向風山)山頂→
八重山山頂→(五感の森)→八重山ハイキングコース入り口駐車場
(標準歩行所要時間=約2時間20分)

(山梨県上野原市観光協会パンフレットより拝借)

朝食後、ゆっくり自宅を出発したため、
八重山ハイキングコース入口駐車場に到着したのは、10時頃だったような気がする。
閑散としており、10台程の駐車スペースに5~6台が駐車していた位だったと思う。
トイレも有り、目の前には、上野原中学校が有り、街中の公園風。
「歩く」ことが主目的、「五感の森」を周回するつもりで、
車道を歩き、山風呂(やんぶろ)地区の登山口へ向かった。

 

10時30頃、山風呂(やんぶろ)虎丸山登山口。

 

馬頭観音菩薩

 

夫婦岩、

 

キンラン

  

11時30分頃、能岳(向風山(むかぜやま))山頂(標高542.7m)、

 

ヤマツツジ

西方には、富士山、

 

 

11時50分頃、八重山山頂(標高530.7m)に到着。
あづま屋が有り、ここで昼食タイム。

 

能岳(向風山山頂)から八重山へ尾根歩き中、
あちこちで、クマバチが近寄ってきて、
こちらの様子を観察しているかの如く、目の前でホバリング、
歓迎されているような気分に・・・。
おとなしい蜂なんだそうだ。
何回も、シャッター押したが、焦点合わず、ピンボケに・・・・。
下記、YouTubeから共有させていただいた。

「八重山」についての石碑有り。

「水越八重さんの心が息づく八重山」

この山は、1929年(昭和4年)に、地元の水越八重さんが、
「お世話になったふるさとと子供たちのために役立って欲しい」との思いから
30ヘクタールの山林を寄附されたことにちなんで、
「八重山」と名づけられました。
今では、上野原小学校の学校林として、また、市民に愛される山として、
八重さんへの想いを後世に伝え続けています。

「ふるさと櫻讃歌」
みはるかす甲相の峯に、
巡りくるその春毎に、
いただきの櫻開きて、
さながらに雲海ならん、
繚乱の櫻仰ぎて、
偲ぶらんもろ人達は、
先人の熱き思いを、
先人の努力のあとを、
くる春のその度毎に、
八重山に咲けよ匂へ、
ふるさとよ美しくあれ、
ふるさとよとはに栄えよ、

展望台

 

標高は低いものの、丹沢山塊、道志山塊、富士山、扇山、権現山、三頭山、陣馬山等、
大展望が出来る。

 

「みる」「きく」「かぐ」「さわる」「あじわう」・・・・、五感を楽しむ森。

ハナイカダ

 

コバノタツナミ

 

ジュウニヒトエ

 

     ホウチャクソウ?           ?

 

13時30分頃、八重山ハイキングコース入口駐車場に、戻り着いたようだ。
途中、何組かのハイカーと行き交ったが、静かで、ゆっくり、のんびりと山歩きが出来、癒されたものだった。
その頃はまだ、「いつでも、気軽に訪れることが出来る山」と思っていたが、その後は訪れる機会も無く、足、腰、痛!、痛!、になった今となっては、「八重山」もまた、思い出の山となってしまった。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その85

2025年03月17日 19時42分37秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その85
「森林に包まれた静かな秩父の山・熊倉山」


かれこれ26年前にもなる、1999年3月28日、妻と二人で、埼玉県の西部、秩父の山「熊倉山」を訪れたことが有った。
当時はまだ、時間的、精神的余裕の無い自営業を続けていた頃だったが、忙中敢えて閑を作り、出掛けたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていない頃で、証拠写真的拙劣写真ばかりだが、数枚プリントしてアルバムに貼ってあり、ブログを始めたばかりの頃に、スキャナーで取り込み、一度、ブログに書き込み、その写真が外付けHDに保管してある。
久し振り引っ張り、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

秩父鉄道白久駅→谷津川ビレッジ→(谷津川林道)→営林署小屋跡→三門の広場→
熊倉山山頂→笹平→三又→一ノ橋→山の神祠→山翠荘(ザゼンソウ自生地)→
秩父鉄道武州日野駅
(標準歩行所要時間=約6時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を早朝に出発、JR線、西武鉄道線、秩父鉄道線を乗り継ぎ、
秩父鉄道白久駅に、8時頃到着したようだ。
白久駅からは、しばらく谷津川沿いの車道を歩き、秩父観音霊場30番法雲寺入口、谷津川館、谷津川ビレッジを通過、谷津川林道を辿った。

 

山頂直下の三門の広場からは、急登、
12時頃、熊倉山山頂(標高1426.5m)に到着したようだ。
まるで展望の無い山頂、
女性2人組や男性グループ等が、昼食中、

気温が下がり、小雪がチラつき出し、
長居は無用、そそくさと昼食を済ませ、下山へ・・・・。
薄暗い樹林帯に、カタクリが、チラホラ、咲いており・・・。

 

      ハシリドコロ?        テンナンショウ?

 

   ハハネコノメソウ?

 

キケマン?



15時頃、山翠荘に到着、
「寺沢の座禅草」の道標を見掛け、ちょこっと寄り道、・・・、
「ザゼンソウ」が群生しており、
直に見たのは、初めてのことで感激、
何枚か写真を撮ったはずだが、
薄暗さ、遠さで、
ピンボケばかりだったようで、1枚だけ、なんとかプリントして残っている。

16時頃、秩父鉄道武州日野駅に到着。
秩父鉄道線、西武線、JR線を乗り継いで、帰ったのだった。
あの頃はまだ、「また来る時には、笑っておくれ・・・♬」的な気分だったはずだが、
その後は訪れる機会は無く、足、腰、痛!、痛!、になった今となっては、
「熊倉山」もまた、遠い思い出の山となってしまっている。

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その84

2025年03月05日 10時10分52秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その84
「水泳教室で知り合った仲間と歩いた三頭山」


かれこれ30年前位にもなる、1996年7月に、東京都の最西部、山梨県との県境の山、「三頭山(みとうさん)」を、水泳教室で知り合った仲間数人と訪れたことが有った。
その当時は、365日のほとんどを、車で営業していたこともあって、頻繁に腰痛に悩まされていて、病院、整骨院等を転々としていたが、なかなか根本的に治るに至らず、ある時、ある背骨矯正師に、「歩くこと」「泳ぐこと」を始めるように、アドバイスされ、思い立って、地元の公的施設の水泳教室に通い始めた頃だった。
昭和20年代、30年代、北陸の山村で育った人間、夏、川で「水浴び」をしたことはあったが、それまでプールで泳ぐ等の経験は全くゼロ、泳ぎといえば、抜き手?、犬かき?、クロールも、平泳ぎも、とにかく泳ぎ方等習ったことも無しで、全くの水泳初心者。けのび、バタ足、水に慣れるところからスタートした水泳教室だったが、そこで知り合った、同じく水泳初心者数人と意気投合、誘い誘われ、ハイキングをすることになり、「三頭山山歩き」となったものだった。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていない頃で、拙劣写真ばかりだが、数枚、プリントし、アルバムに貼ってあり、ブログを始めたばかりの頃に、スキャナーで取り込み、一度、ブログに書き込んだことが有った。その写真が外付けHDに保管してあり、久し振り引っ張り、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

都民の森駐車場→(山菜の路)→(ひぐらしの路)→鞘口峠→(ブナの路)→
見晴し小屋→三頭山山頂→(深山の路)→大沢山山頂→(石山の路)→三頭大橋→
都民の森駐車場
(標準歩行所要時間=約3時間)

「都民の森」ガイドマップ

梅雨の真っ最中、連日雨模様で、雨天中止も念頭において打ち合わていたようだが、
当日は、梅雨の合間の好天、
「ラッキー!」と、喜び合ったような気がする。
水泳教室で知り合った、Wさん夫婦、Hさん、Oさん、
居住地もバラバラで、JRの駅で待ち合わせで合流、
車で、都民の森に向かったのだった。
都民の森駐車場には、9時30分頃、到着したようだ。

鞘口峠

  

とにかく、ゆっくり、のんびりと・・・、
頻繁、休憩しながら・・・、

 

12時頃、三頭山山頂(標高1527.5m)に到着。
青空が次第に隠れて、残念ながら、展望は叶わず・・、

14時頃、三頭大滝で、しばし休憩

15時30分頃、都民の森駐車場に戻り着いたようだ。
山歩きというよりハイキング、
平地では、30℃を超す夏日の1日だったようだが、
まずまずの天気で、和気藹々、ゆっくり、のんびり・・・・、
結局は、最初で最後とはなったが、
水泳教室仲間と楽しんだ「三頭山」だった。
ほんの数年間の付き合いで、その後は、バラバラになり、
それぞれが、ご健在なのかどうかも不明。
思い出だけが、残っている。
あの頃はまだ、わずか数時間の「閑」でも出来れば、
「三頭山にでも行ってみるか」等と、出掛けたものだが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「三頭山」もまた、
遠い思い出の山になってしまっている。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その83

2025年03月03日 08時53分52秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その83
「夏の三頭山」


かれこれ20年前2005年7月に、東京都の最西部、山梨県との県境の山、「三頭山(みとうさん)」を訪れたことが有った。
当時はまだ、時間的、精神的余裕の無い自営業を続けていた頃だったが、忙中敢えて数時間の閑を作り、出掛けたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていない頃で、拙劣写真ばかりだが、数枚、プリントし、アルバムに貼ってあり、ブログを始めたばかりの頃に、スキャナーで取り込み、一度、ブログに書き込んだことが有った。その写真が外付けHDに保管してあり、久し振り引っ張り、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

都民の森駐車場→三頭大滝→(ブナの路)→ムシカリ峠→三頭山山頂→見晴し小屋→
(ブナの路)→鞘口峠→都民の森駐車場
(標準歩行所要時間=約2時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

早朝に、車で自宅を出発、
「都民の森」の駐車場には、8時15分頃、到着したようだ。
日曜日で、駐車場満車を想定しながら向かったが、
その時間帯はまだガラガラで、安堵した気がする。

「都民の森」ガイドマップ

山座同定表示板


その日は、早朝から、暑く、セミの大合唱を聞きながら、
8時30分頃、出発。
ホタルブクロの群落、斜面には、ヤマアジサイの白色が目立ち・・・、

    ヤマアジサイ              アブラチャン?

 

9時頃、「三頭大滝」

木の香がする真新しいベンチが有り・・・、

ひんやり冷気漂う沢沿いの登山道を、
4~5人のグループ、単独男性等と前後しながら、ゆっくりと登る。

                        キツリフネソウ?

 

   ギンリョウソウ?

 

10時頃、「ムシカリ峠」に到着、
西側の谷から吹き上げてくる風が心地良く、小休憩

10時20分頃、「三頭山(中峰)山頂」(標高2627.4m)に到着、
グループ、夫婦連れ、単独行、数組のハイカーが休憩中、
後続組も続々到着、
北側からガスが吹き上げてきて、
富士山、雲取山等の展望、まったく叶わず、
長居は無用、直ぐ、下山にかかった気がする。

11時15分頃、「鞘口峠」(標高1,142m)
11時30分頃には、「都民の森」駐車場に帰還したようだ。
出発時、ガラガラだった駐車場は、満車状態で、
入り口付近には、待機中の車両が数台、係員が誘導していた。
長居は無用、そそくさと駐車場を後にして帰途についたのだった。
猛暑の低山山歩きは敬遠したいところだったが、足慣らし・・・、
全身汗だくになった後の爽快感もまた良し。
午後には帰宅し、仕事をしたような気がする。
あの頃は、わずか数時間の山歩きを、「たまには気晴らしに」と、
頻繁に出来たものだが、足、腰、痛!、痛!の今となっては、
それも遠い思い出になってしまった。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その82

2025年02月27日 21時48分59秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その82
「初めての三頭山」


かれこれ30年前1995年10月に、東京都の最西部、山梨県との県境の山、「三頭山(みとうさん)」を訪れたことが有った。
記憶定かでないが、新聞だかテレビだかの紅葉情報の中で、「三頭山」も紹介され、それまでは、日々、遠方から眺めていただけの山だったが、一度は訪れてみようと思い立ち、当時はまだ、時間的、精神的余裕の無い自営業を続けていた頃だったが、忙中敢えて数時間の閑を作り、出掛けたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていない頃で、拙劣写真ばかりだが、数枚、プリントし、アルバムに貼ってあり、ブログを始めたばかりの頃に、スキャナーで取り込み、一度、ブログに書き込んだものだが、その写真が外付けHDに保管してある。久し振り引っ張り、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。

三頭山、雲取山、大岳 等 奥多摩方面の山並み


山行コース・歩程等

都民の森駐車場→鞘口峠→三頭山山頂→三頭山避難小屋→大沢山山頂→三頭大滝→都民の森駐車場
(標準歩行所要時間=約2時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

奥多摩周遊道路をひた走り、どんどん高度を上げると、「都民の森」が有る。
その無料駐車場に駐車し、下調べも何もせずだったが、とりあえず案内地図に従って、
周回することにし、出発。
山歩きとしては、快適な天候だっが、紅葉には、ちょっと早過ぎた感じで、
期待外れ?・・・感が、有ったような気がする。

 

鞘口峠から三頭山山頂に向かう尾根?
紅葉?、イマイチ、

三頭山山頂の写真が、残っていない。
もしかしたら、失敗して、プリントしなかったのかも知れない。

三頭大橋

 

メモも、全く残っておらず、記憶も曖昧になっており、
写真により、ただ単に訪れたことは分かるだけだが、
「三頭山」は、簡単に車で行けて、数時間の山歩きが出来る山であることを知って、
その後、5~6回は、訪れている気がする。
2回目以降の「三頭山」の記録や写真も整理し、
「古い写真から蘇る思い出の山旅」に加えようと思っているところだ。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その81

2025年02月19日 11時07分02秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その81
「編笠山」(再)


かれこれ21年前2004年8月に、妻と二人で、「編笠山」を訪れたことが有った。
「編笠山」は、八ヶ岳連峰の一番南に有り、中央自動車道の小淵沢付近を走行中には、目の前に見られる山である。丸い頭の山で、山容は優しいが、標高は、2,523.7m、登山口の観音平駐車場からでも標高差は、約1,000mあり、決して侮れない山でもある。
まだまだ、時間的、精神的余裕の無い自営業を続けていた頃だったが、忙中閑を敢えて作り、「たまには気晴らしに・・」等と思い立ち、出掛けたような気がする。
数年前に一度、ブログに書き込んでいたが、コピペ、リメイクし、改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

観音平駐車場→雲海展望台→押出川→(編笠山巻き道)→青年小屋→編笠山山頂→押出川→雲海展望台→紅葉台展望台→観音平駐車場
(標準歩行所要時間=約6時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

毎度のこと、夜明け前に自宅を出発。
観音平駐車場(標高1,560m)に到着のは、6時30分頃だったようだ。
50台程駐車可能とされる駐車場も、すでにほぼ満車状態。
なんとか駐車出来、安堵。
続々到着する後続車は、路端縦列駐車になること必至だった。

コンビニで調達したパン、牛乳で軽く朝食をとり、
6時50分頃、観音平駐車場を出発、
笹で覆われたカラマツ林の緩い登り、
爽やかなの高原の雰囲気、快適、
7時40分頃、雲海展望台(標高1,880m)着、
ベンチ有り、展望良好?となっていたが、あまり展望は良く無く、通過。
ツガ等の樹林帯を進む。

8時15分頃、押手川(標高2,200m)に着き、小休憩。
あたり一帯は、苔むした岩石と薄暗い樹林帯、
夫婦連れ等、2、3組のハイカーが休憩だった気がする。

 押出川からは、右方向、緩やかな登りの、編笠山巻き道へ進む。
シャクナゲの群落有り、
タカネマツムシソウ、アキノキリンソウ、オヤマリンドウの蕾、コケモモの実、
ゴゼンタチバナの実、ブルーベリーの実・・・等々が見られたようだが、
写真は,あまり残っていない。

 

樹林帯を抜けると、左手に編笠山、正面に、権現山が、見え隠れ、
ゴツゴツした岩石の急登となり・・・、

9時30分頃、青年小屋(標高2,380m)に到着したようだ。
その数年前に、西岳・権現岳・三ツ頭縦走山行した折に、
一度宿泊したことの有る山小屋で、
入口の赤提灯が、懐かしかった。

周辺には、高山植物、

西側から、ガスが吹き上げてきて、あっという間に青空が見えなくなり・・・、
目指す編笠山、

30分間程、青年小屋周辺の雰囲気を楽しんだ後、編笠山山頂に向かう。
ゴロゴロした岩石の急登、途中で振り返り見た青年小屋。

10時30分頃、編笠山山頂(標高2523.7m)着。
すっかりガスに覆われてしまい、
時折、ガスが途切れて、一瞬、清里方面、小淵沢方面、西岳方面、権現岳方面が
見え隠れしたが、お目当ての大展望は叶わず・・・。

強風で、汗だくの体は冷え、長袖シャツを着込み・・・・、
持参した煮込みうどんで、早めの昼食。
ゆったり、熱々のコーヒーで、至福のひとときを過ごし、
11時30分頃、編笠山山頂を出発、下山にかかったようだ。
ゴロゴロした岩場の直線的急下降登山路周辺には、
ウメバチソウ、シナノオトギリ、アキノキリンソウ、タカネヤハズハハコ、
ミネウスユキソウ等の高山植物が次々見られ・・、

 

 

押手川、雲海展望台を経て
13時頃、紅葉台展望台(標高1,649m)で小休憩。
鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、富士山の眺望良好とされているが、
霞んでいて、展望叶わず。

 

 

13時45分頃、観音平駐車場に帰還、
お盆過ぎの週末ではあったが、行楽客等の帰りの時間帯の中央自動車道上りは
大渋滞が予想されていて、
早めに帰途についたのだった。
あの頃はまだ、「また来る時には、笑っておくれ・・・♬」的な気分だったはずだが、
その後は訪れる機会は無く、足、腰、痛!、痛!、になった今となっては、
「編笠山」もまた、遠い思い出の山となってしまっている。