草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

晴れて良かったね

2024-10-31 07:21:22 | 草むしりの子守歌

晴れてよかったね。

 今日は朝から晴れて、絶好の洗濯日和ですね。刷毛で薄く掃いたような雲が、青い空に浮かんでいます。絶好の洗濯日和ですね。我が家の洗濯機も、朝から休む間もなく廻っています。そろそろ三度目の洗濯が終わるころです。

 今日は穏やかな秋晴れの所が多くなるとか。関西に住む息子の所もお日さまマークでした。今日は孫たちの通っている幼稚園の遠足の日です。とは申しましても年少組の弟の方は既に一昨日済ませているので、年長組の兄の方の遠足です。

 晴れて良かったね。リュックサック中のお弁当は何かな?おやつのお菓子、みんなで食べるんだよ。嬉しそうな孫の顔が目に浮かびます。

 虫や魚が大好きな子です。きっと遠足に行っても、草むらでバッタ捕ってばかりでしょうね。園の中の誰よりも虫取りが上手だとか。素手でバッタも蝶々も捕まえちゃいます。網で捕るよりたくさん捕ります。お土産はバッタかな?それともダンゴムシ?

 晴れて良かったね。

 


木が倒れるぞ!

2024-10-29 07:10:20 | 草むしりの子守歌

木が倒れるぞ!

 私の父は子煩悩な人でした。寝る前にはよく昔ばなしをしてくれました。それから布団の上に寝転がって遊んでもくれました。

 向こう脛の上に子供を乗せてギッタンバッコンをしたり、足の裏に子供を乗せそのまま高く足を上に伸ばして、飛行機という遊びもしました。父の伸ばした足の上からは布団が遙か下に見えて、本当に空を飛んでいるようでした。

 そんな布団の上での遊びの中に「木が倒れるぞ!」という遊びがありました。布団の上に仰向けに寝転がった父が突然片足をピンと上げ、太ももの付け根の辺りを斧や鋸で切る真似をするのです。

「カーンカーン(斧の音)ギコギコ(鋸の音)。木が倒れるぞ!子供は除け除け!」

 横に寝ている私たち姉妹の上に足が倒れかかります。キャアキャア言いながら逃げる私たち。足は逃げる私たちを追いかけて、倒れ掛かろうとするのです。子どもの頃の楽しい思い出です。父は本当に子煩悩な人でした。そして孫煩悩な人でもありました。

 父にとっての孫は、私の三人の子供たちだけです。三人の孫を父は隔て無くかわいがってくれました。そしてよく遊んでもくれました。中でもこの「木が倒れるぞ!」は横に寝ている子供たちがキャアキャア言って逃げていたのを思い出します。

 そこで私も孫たちと布団に寝転んで「木が倒れるぞ!」をやってみました。ところが祖母ちゃんの足が短くて(太さはあるが)大木には見えないのか、逃げようともしません。それどころか逆に足の下に潜りこんだり、倒れる方向を変えよとしたり……。はたまた、自分の片足を立てて「カーンカーンギコギコ。木が倒れるぞ!祖母ちゃん除け除け」とやってみたり、もう滅茶無茶でした。

 考えてみれば「木が(足)が倒れてきたら逃げる」というルールを教えなかったからでしょうね。それでも「木が倒れるぞ!」は子供の家に泊まりに行った時の、寝る前のルーティンになりました。布団の上で「木が倒れるぞ!」と言う度に子煩悩だった父を。否、孫煩悩だった祖父ちゃんを思い出します。

 だた断念なことに父は、子供たちが小学生の時に亡くなってしまいました。そのせいか子供たちもあまり父(祖父ちゃん)のことは覚えていないようです。あんなに可愛がってくれたのに。残念です。やはり長生きはしなくては駄目ですね。

 健康。健康。健康第一で行(生)きましょうね!


夕暮れ

2024-10-25 07:26:41 | 草むしりの子守歌

夕暮れ

 一時期に比べると涼しくなったものの、平年に比べるまだまだ暑いですね。東海から九州にかけては今日も真夏日になるとか。いつになったら本格的な秋になるのでしょうか?ただこんな気まぐれな気温に比べて、お日さまの方は確実に秋を伝えていますね。暑かろうと寒かろうと日を追うごとに、日の出は遅くなり夕暮れは早くなりますね。(当たり前ですが)

 東京都では昨日の日の出は05時57分、日の入りは16時54分でした。「夕焼け小焼」のチャイムが16時15分に鳴っていました。公園で遊ぶ子供たちもすぐに暗くなるので、遊び足りないのではないでしょうか?

 さて昨日は長女の所に行ってきました。お兄ちゃんの方が風邪のため保育園をお休みするので、看病兼留守番を仰せつかりました。成長するに従い体も丈夫になり、長女からSOSが入るのも一年ぶりのことです。イソイソと満員電車に乗って出かけて行きました。

 孫とは三ヶ月ぶりでした。下の前歯が動き出したそうで、舌で歯を動かして見せてくれました。もう歯が抜ける年頃になったなんて、子供の成長は早いですね。幼児から児童になっていくのですね。婆ちゃんとしてはちょっと寂しい気がしますが、いつまでも赤ちゃんという訳にはいけませんね。

 そんな子供の看病と言っても、別にたいしたことはしません。時々熱を測ったり、熱さまシートやアイスノンを取り替えたりするだけです。一緒にテレビを見て、眠ったら一緒にお昼寝です。小さい頃から保育園に通っているので、親の後を追ったりもしません。

 ただ今回は吐き気を伴っていたので、水分補給には気をつかいました。おかげで吐き気のほうはすぐに収まったのですが、熱がなかなか下がりません。おもちゃで遊ぶ気もしないようで、横になってテレビを見ていたのですが、子供にとっては長い一日だったのでしょう。

「ママまだ帰って来ないなぁ」とテレビを見ながらポツリと呟きました。気がつくと窓の外が薄暗くなっていました。慌ててカーテンを締めて手を握りました。また熱が出たようで、握った手がとても熱かったです。きっと心細くなったのでしょうね。

 秋の夕暮れは大人でも心細くなってしまいます。ましてや病気の子供です。どんなに心細かったことでしょう。

「大丈夫祖母ちゃんいるから」と声をかけたのですが、こんな場合には早くにカーテンを閉めてるべきだったと反省しました。

 


再投稿「決戦は日曜日」

2024-10-21 07:39:08 | 日記

再投稿「決戦は日曜日」

「光る君へ」毎週楽しみに見ています。あのお美しい一条天皇が崩御されましたね。中宮の彰子ちゃんがしっかりしてきましたね。一条天皇第一皇子淳康親王と中宮彰子ちゃんの仲をし心配する道長おやじが面白かったですね。

「敦康様は光る君に被れておいでだ」と二人の仲を心配する道長に、「自分が一番被れているじゃない」なんて突っ込みを入れてしまいました。さて次回はとのような展開になるのか。来週が待ち遠しいですね……。ああ、でも来週は選挙の投票日なので、お休みになるでしょうね。

 選挙結果も気になるけれど「光る君へ」も気になるところです。ただ今回は仕方ないですね。さて、選挙と言えば以前見た映画「決戦は日曜日」を思い出します。再投稿いたしますので、よろしければご覧下さい。

「決戦は日曜日」23.6.1投稿

 昨日は朝からテレビのニュースが騒がしかった。

 第一報は、北朝鮮がかねてより国際機関に通知していた衛星を打ち上げたと伝えた。列島に緊張が走りJアラートが沖縄県に発令された。その後衛星の打ち上げは失敗したと伝えられ、Jアラートも解除されたが……。

 私は第一報を聞いた時、前日にみた映画と現実の出来事の区別がつかずに、ちょっと錯乱してしまった。

 前日の見た映画の題名は「決戦は日曜場」という社会派コメディである。2021年1月7日公開の日本映画であり、監督坂下雄一郎。窪田正孝と宮沢りえが共演している。ことなかれ主義の議員秘書と政界に無知な熱意空回り候補が、日本を変えるため落選を目指す!?と紹介されている。

 さてこの二世候補、ことあるごとに問題発言や問題行動を繰り返す。そのたびに担当秘書は頭を抱えるのだ。

 しかしこのお嬢さん。態度や口の割にはピュアである。選挙戦の最中に、父親にミサイル開発の口利きの事実があること知ってしまった。公然の秘密を知らなかったのは自分だけだ。おまけに周りは秘書のやったこととして済まそうとしているのだ。そんなことでいいのか。

 その上自分が後継者に選ばれたのは父の意向ではなく、地方議員の策略だった。彼らにとっては何も知らない素人の方が、都合がいいからなのだ。

 令嬢は大いに傷つき立候補を辞めると言い出したのだが、すでにお膳立てはできており、もう手遅れだ。こうなれば落選するしかない。そこで秘書と二人で落選のための選挙運動を開始した。

 これ見よがしに問題行動や差別発言を繰り返し、秘書はその動画を炎上目的でSNS上にアップする。その極めつきが、父親代議士がミサイル開発企業から賄賂を受け取っている証拠写真のアップである。

 まずいことになったと支持者たちが気色ばんだとき、臨時ニュースで「北朝鮮が人工衛星を打ち上げると各国に通告」と伝えた。こんな大ニュースが出れば、口利きのスキャンダルなんて吹っ飛んでしまう。

 みんなで「万歳、万歳」なんてやって喜んでいる動画が、またまたSNS上に。ところがそのとたん北朝鮮が打ち上げの中止を通知してきた。まるで中止を喜んでいるような動画で、支持率を上げてしまった。

 これ以上書くとネタバレになってしまうので、この辺でやめておこう。ただ最後に年かさの秘書の言葉に考えさせられた。

「低い投票率でしたね。無党派が投票しないと、党の組織票で持っていけちゃうんですよね。それにミサイルみたいなことがあると、やっぱり右よりになっちゃうんですよね」

うーん。本来は宮沢りえさんの演技を誉めちぎるはずで書いたのだがなぁ……。


母の白和え 2

2024-10-18 08:37:11 | 草むしりの得意料理

母の白和え 2

 昨日の続です……。

 さて当ブログに度々登場いたします、生家の古民家。昭和四年まれの父がまだ幼い頃、父の祖父に当たる人が建てました。頭が良くてとても力持ちで,、その上働き者だったと聞いております。まずこの家を建てる前に隠居と呼んでいた離れを建て、その後母屋と呼んでいる今の古民家を建てたそうです。所有する山の木の伐採から製材まで一人で行ったと、今でも語り継がれております。

 祖父の話を自慢げにする、生前の父を思い出します。家を建てた時のことはおぼろげに覚えていると申しておりました。父が今生きていれば九十五歳になります。その年から四、五歳差し引いて築九十年前後といった所でしょう。「たった九十年で、古民家だと。十年早い!」と怒られてしまいそうですね。

 しかし、たかが九十年、されど九十年です。九十年の間何も手を入れなければ、きっとおんぼろ屋敷になっていたでしょう。でも我が家の古民家は、おんぼろではありません。むしろ見た目は私が子どもの時よりも、新しく見えます。

 これは古民が脱皮を繰り返しているのではありません。すべて父と母のおかげです。私が子どもの頃から二人が家の修復や改築を、繰り返し行ってきた賜です。屋根の瓦も二度吹き替えましたし、縁側の板戸をガラス戸にしてその後アルミサッシにしました。二階の窓など木製のガラス製から白いアルミサッシに、その後茶色のサッシにと都合三度も付け替えております。

 また台所も二度リホームしております。最初のリホームは私が小学校の中学年のときでした。北側の二間をひとつにして、今で言うダイニングキッチンにしたのです。ピカピカの流しや調理台、ガスコンロが備え付けられ、床も板張りになりテーブルが置かれました。

 テレビのドラマに出てくるようなおしゃれなキッチンになったので、これからはテレビに出てくるようなご馳走が食べられるのだと期待しておりました。忘れもしません。その記念すべき第一日目の夕食に出てきたのが「白和え」だったのです。

「なんだ白和えか」とは申しませんでした。子ども心に現実を直視し、黙っていただきました。いつもの「白和え」よりちょっと複雑な味がしたのは、私だけだったのでしょうか。みんな黙って食べていました。

 やはり我が家にとって「白和え」は、特別な日に食べる料理だったのですね。