たけじいの気まぐれブログ

スローライフ人の日記風雑記録&フォト

改めて読む その3 「夏草冬濤」(上)(下)

2018年02月26日 16時32分44秒 | 読書記

本棚や押入れ、天袋等には 数十年間、詰まったままになっている本の類が結構有るもので、いずれは整理処分しなくては と 思っていながら なかなか進みません。時々は その気になり 取り掛かっては見るものの 過去に 1度も読んだ記憶がなかったり 読んだ記憶が有っても 改めてまた読んでみたくなってしまう本が続出、手が止まってしまいます。
結局 そんな本が また 机の横に山積みになってしまい、
「どうするの?・・・」と 自分に問うている始末。
読みたいと思った本を 図書館から借りてきて読むのが一番ですが、先ずは 家に有る本を 改めて読むのもいいんじゃないか等と 自分に言い聞かせている今日この頃です。

記憶曖昧ですが 10数年前に 井上靖著 「氷壁」を読みましたが それをきっかけにして 井上靖作品を 立て続けに 読んだことが有りました。
その中で 特に 井上靖氏の自伝的長編小説 3部作 「しろばんば」、「夏草冬濤」、「北の海」は 時代、舞台は異なるものの 北陸の山村で育った人間にとっては 随所に描かれている 田舎の素朴な風景、そこに暮らす人々の情景、幼少時代から少年時代、青春に目覚めていく日々の心情等が 懐かしく 共鳴したものです。

「しろばんば」は 主人公 伊上洪作 (作者 井上靖氏本人がモデル)が 静岡県伊豆湯ヶ島の祖父母の家に預けられ 曽祖父の妾だった ぬい婆さんに養育され、多感な幼少年期を過しますが 小学校卒業までが 描かれています。
「夏草冬濤」は 浜松中学(旧制中学)に進んだ後、軍医だった父親が 浜松連隊から台北師団に転任したことから 2年生の初めに 沼津中学(旧制中学)に転校、三島の叔母 間門むめの家に預けられ、沼津まで 5kmを徒歩通学することになりますが、同級生や 1学年上級の不良がかった文学グループとの 自由奔放な日々の暮らしが描かれています。成績は下がっていきますが 一方で 関わる女性達とのかすかな性の目覚めも 随所に描かれています。
「北の海」は 沼津中学(旧制中学)卒業後 沼津での浪人生活の1年近く、、高専柔道に明け暮れする主人公の生き生きした姿が描かれています。

   

「しろばんば」、「夏草冬濤」(上)、「夏草冬濤」(下)、「冬の海」
確か 古本屋で 買ってきたような気がする文庫本が 未だに残っていました。
今回は 井上靖氏の自伝的長編小説 3部作の 第2作目 「夏草冬濤」(上)(下) (新潮文庫)を 改めて 読み切りました。

洪作は 夏季休暇に入り 静浦海岸(沼津御用邸の付近)の中学の水泳場(学校毎に区切られた浜辺)に出掛けますが、海の泳ぎに自信が無く、飛込台まで泳げないところ 強引に飛込台に連れてゆかれ、後に交流することになる上級生と 関わることになります。
2学期最初の日、三島から沼津まで 一緒に徒歩通学していた同級生 増田、小林と 途中で鞄を隠して登校したところ、下校時、鞄が無くなっていることが分り、すったもんだが起こります。
沼津には 母方の親戚 かみきの家があり 挨拶に行きますが、そこで 美人だと評判の娘蘭子と出会い 少年達の間で たちまち話題になってしまいます。時代は異なっても 思春期の頃には、良く有ることで その情景が浮かんできます。
友達とつるんで 狩野川河口や千本浜、沼津の街中を たむろ、どこかのんびりした おくての自然児、洪作の日々の暮らしが描かれています。 
湯ヶ島から 祖父がやってきて 洪作の成績が下がったことが 三島の叔母宅から通学していることが原因とする 実母七重の思惑も有り 沼津の寺に下宿させる話になっていきます。
一方で 洪作は 三島から一緒に徒歩通学していた同級生 増田、小林とは 確執有り絶交、1学年上級の金枝、藤尾、木部等の不良がかった文学グループとの交流を 深めていきます。
洪作は 正月、久し振りに故郷湯ヶ島に帰省しますが 地元の人の迎え入れの様子、子供達を引き連れて山川で遊びますが、郷愁と複雑な心情、餅つき、凧揚げ、どんどん焼き、山滑り、鳥の巣取り・・・・、
若かりし頃 北陸の山村に帰省する度に感じた 懐かしい情景、複雑な心情、おおいに共鳴してしまいます。
下宿することになった寺には 快活、姉御肌の娘郁子がおり 洪作達は こき使わされますが 「美しきものもて 頬を打たれたような感じがする・・・」と 好感を持つに至ります。
洪作は 金枝、木部、藤尾、餅田のグループと 歌を作ると称して 伊豆の西海岸へ1泊の旅行に出掛けますが 2日目、土肥に到着した船の甲板で 木部から差し出されたノートには、
「長く長く、汽笛は鳴りて、いざ 土肥と、まなこ上げし空に 白き雲有り」
洪作は 綿をちぎったような白い雲が浮かんでいる空を仰ぎ見て、なるほど、うまいことを書くものだと思い 心が爽やかで 大きく膨らんで来るのを感じます。

昭和25年に 芥川賞受賞、昭和51年には 文化勲章を受章している 作家 井上靖氏は 「私が小説を書くようになったのは 沼津の町のお陰であり その頃一緒に遊び惚けていた何人かの友人のお陰である」と 述懐されていたようです。
日本百景、日本の白砂青松100選になっている 千本浜公園には 沼津市の名誉市民にもなっている 井上靖氏の文学碑が有るようです。

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改めて読んでみるべし その2 「最後の将軍」

2018年02月12日 14時55分51秒 | 読書記

本棚や押入れ、天袋に 数十年 詰まったままになっている本の類、いずれは整理処分しなくてはと思っていながら なかなか進みません。時々は その気になって 取り掛かっては見るものの 過去に 1度も読んだ記憶の無い本だったり 読んだ記憶が有ってもすっかり内容を忘れてしまっている本だったりして 改めて読んでみたくなってしまう本が続出、手が止まってしまいます。
結局 そんな本が また 机の横に山積みになっており 「どうするの?」・・・と 自分に問うている始末。
「なにも わざわざ図書館まで出掛けて 借りてきた本を読まなくても 先ずは 家に有る本を 改めて 読んだら・・・」等と もう一人の自分が言っている昨今。

そんな本の1冊、文庫本ですが 司馬遼太郎著 「最後の将軍」を 読み終えました。
いつごろ買ったのか、1度は読んだのか・・まるで 記憶が有りませんが 好きな歴史時代小説の分野の本、改めて読んでみました。

冒頭の1節に、「人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある徳川十五代将軍慶喜というひとほど、世の期待をうけつづけて、その前半生を生きた人物は、類がまれであろう。そのことが かれの主題をなした」 と 著者 司馬遼太郎は 述べています。

徳川将軍家の分家、御三家のひとつ水戸家に生まれた徳川慶喜が、ペリー来航以来、開港か攘夷か、佐幕か倒幕か、最悪の政治混乱の江戸時代末期、優れた行動力、智謀力を持って 敵味方から恐れと期待を一身に受けながらも 紆余曲折を経て 徳川十五代将軍につくものの、歴史の大きな流れに抗すること叶わず、大政奉還、江戸城明け渡し、徳川幕府の終焉を 自ら演じることになり、さらに 明治の代になっても ひそやかに暮らし 大正2年に 77歳で その生涯を閉じるまでを描いた作品。数多の歴史時代小説同様、幅広い歴史考証を踏まえた 読み応えの有る作品です。

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改めて読んでみるべし その1 「信玄戦旗」

2018年02月01日 09時04分30秒 | 読書記

本棚や 押入れ、天袋に 数十年、詰まったままになっている本の類、いずれは 整理処分しなくてはと思っていながら なかなか重い腰が 上がりません。
時々 その気になって 取り掛かっては見るものの 過去に1度も読んだ記憶にない本だったり、読んだ記憶が有ってもすっかり内容を忘れてしまっている本だったり 改めて読んでみたくなってしまう本が続出、手が止まってしまいます。
結局 そんな本が 机の横に山積みなってしまい 「どうするの?」・・と 自分に問うている始末。
最近になって なにも 図書館に出掛けて 借りてきた本を読まなくても 先ずは 家に有る本から 「改めて読むべし」・・・等と 自分に言い聞かせているところです。

そんな本の1冊 文庫本ですが 松本清張著 「信玄戦旗」を 先日 読んでみました。

自分で買った記憶無く 息子達が置いていったものなのか、実家の片付けの際に持ち帰ったものなのかも 定かではなく 当然 読んだ記憶もありません。
推理小説の分野では第一人者とされる 松本清張氏ですが 実は 歴史時代小説の分野でも優れた作品が沢山有ります。
昨年 「無宿人別帳」を 図書館から借りて 読んだばかりでしたが 本格歴史時代小説 「信玄戦旗」に興味深深、いざ 読み始めたら 最後まで一気に読み通してしまいました。

第1章「山峡の源氏」から 第10章「伊那に堕つ」まで 全10章の構成、戦国時代の雄、武田信玄の生涯を描いた作品です。小説としての面白さに合わせて 改めて歴史の勉強にもなり 引き込まれます。
作者の 幅広く、深い歴史考察が織り込まれていて 随所に 解説図や参考図も挿入されているので なるほど、なるほど・・・、

   

甲斐、信濃、越後、上野、武蔵、駿河・・・、
現在も残っている 各地の多くの史跡、城址が 戦国時代には 有名無名の武将達の血で染まっていたことに 思いを馳せてしまいます。

歴史時代小説の面白さを 改めて感じさせてもらいました。 

 

 

 

 

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改めて読む 「風の又三郎」

2017年10月24日 13時23分03秒 | 読書記

本棚や押入れの奥に詰まったままになっている本類の整理処分に取り掛かって久しいのですが 正直なかなか捗っていません。
引っ張り出しては見るものの 何十年ぶりかに目にし 懐かしくなってしまったり もう1度読んでみたくなったりして 手が止まったりしてしまうからです。

宮沢賢治著 「風の又三郎」(ポプラ社文庫)が 出てきました。
いつ、どこで 手に入れた本なのか、1度は読んだ本なのか さっぱり記憶が有りませんが 「おお 懐かしい!」という思いの方が先です。

表題作 「風の又三郎」の他に 6編が収録されています。

「雪渡り(ゆきわたり)」
その1 子ぎつね紺三郎
その2 きつね小学校の幻燈会

「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」
「雪渡り」・・懐かしい言葉です。子供の頃 北陸の山村では 「凍み渡り」等と 言っていたような気がします。

「とっこべとら子」
さて 昔 とっこべとら子は 大きな川の岸に住んでいて・・・。

「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」
どこかで ざわっさわっと ほうきの音が聞える・・・・。


「よだかの星」
よだかは 実にみにくい鳥です。


「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」
賢治は この文の最後で 「まったく誰が賢くて誰が賢くないかは分らない」と、博士に言わせています。

「なめとこ山のくま」
くまとりの名人 淵沢小十郎が 熊をうたなくては暮していけない その悲しさから物語が始まります。

「風の又三郎」
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくゎりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

教室がたったひとつの小さな小学校に 一人の転校生 高田三郎がやってきました。
三郎を 村の子供達は 伝説の風の子 「又三郎」だと信じていく 心の揺れ動きが、親しみ深く描かれています。

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改めて読む 多湖輝著 「曖昧力」

2017年10月22日 14時54分55秒 | 読書記

本棚や押入れに詰まったままになっている本類の整理処分に取り掛かって久しいのですが 正直 なかなか捗っていません。
引っ張り出しては見るものの 1冊、1冊、過去に1度も読んだことが無い本だったり、読んだことがあってもすっかり忘れてしまっている本だったり、懐かしくなって もう1度読んでみたくなる本だったりして 手が止まってしまうからです。

そんな中、先日 心理学者 多湖輝著 日本人が育んだ”生きる知恵” 「曖昧力」 (学習研究社)が 出てきました。

2008年2月初版となっていますので 比較的新しい本です。記憶曖昧ですが 7~8年前 当時の新聞の広告かなにかで知り 珍しいことに 自分で書店に出向き 買い求めた本のような気がします。買った位ですから 1度は読んだはずですが 記憶力減退の爺さん、ページを捲ってみると 初めて読むような感覚になってしまい また読み始めてしまいました。

「プロローグ」・・曖昧力は 世界に誇れる”日本人力”

冒頭、先ず ジャーナリストの柳下要司郎の著書から引用した話で 興味がそそわれます。
海外在住のビジネスマン夫婦三組が 船上で海賊に襲われ 「有り金を出すか 妻を差し出せ」と脅かされた時 アメリカ人は 「有り金は 全部渡すから 妻も連れていってくれ」と言った。中国人華僑は 「有り金全部より妻の方が高い。妻を渡したらいくらくれる?」と言った。さて 日本人は 何と言ったか?。
日本人は 「本国に聞いてみる」と答えたという 例え話です。

日本人の主体性の無さ、付和雷同性、優柔不断、人の目を気にする他人志向性、等を皮肉る 日本人の本質を突いたジョークとして取り上げた話ではありますが この話を柳下要司郎氏に紹介した 元「フォーブス」アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード氏は 一見 主体性の無く、優柔不断に見える日本人の本質は 実は 世界に類を見ない 包容力と柔軟性の賜物であり 行き詰った難問を自然に解きほぐしていく したたかな問題解決力を持った資質であると 評価していたものだという話です。

多湖輝氏は その日本人の本質 曰く言いがたい力のことを 「曖昧力」と呼び その「曖昧力」について この書で語っています。
一見 「曖昧」に 見えて 「曖昧力」が 有る 両面性について 著者独特のインパクト有るフレーズが 並んでいます。

「ぼんやり」 に 見えて 「以心伝心」「あうんの呼吸」
「適当なあんばい」 に 見えて 「本能的な勘」「第六感」「直観力」
「いい加減」 に 見えて 「融通無碍」
「あやふや」 に 見えて 「柔軟なしたたかさ」
「優柔不断」 に 見えて 「悠々の自然体」
「宙ぶらりん」 に 見えて 「よりよい結論を導く段取り」
「成り行き任せ」 に 見えて 「高度な戦略性」
「中途半端」 に 見えて 「慎重な様子見」
「不徹底」 に 見えて 「逃げ道の温存」
「当てずっぽう」 に 見えて 「神業的暗黙知(職人芸)」
「玉虫色」 に 見えて 「絶妙な適応力」
「行き当たりばったり」 に 見えて 「臨機応変」
「とりあえず」 に 見えて 「行き詰まりの突破口」
「八方美人」 に 見えて 「絶妙なバランス感覚」

西欧的な 二元論、二者択一、白か黒かはっきりしなければ気がすまない論理、曖昧を良しとしない発想、自分の信ずるもの以外を断固拒否、排除する原理主義は 果てしない紛争を巻き起こす原因になりますが そこに 「曖昧力」が有れば 切り抜けられることが多いのではないかと 氏は述べています。
日本も 次第に欧米の考え方が中心となって 日本人の生きる知恵だった「曖昧力」は 働かなくなり 失われてきていますが 意識して取り戻せば 柔軟でしなやかな強さを持った生き方が出来るのではないか等と 著者は プロローグを締めくくっています。

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「・・雨読」の日

2017年05月26日 18時28分42秒 | 読書記

当地 今日は 1日中 雨が降り続いていました。これほど まとまった雨が降ったのは 久し振りのことです。
散歩も、畑仕事も 取り止めし 「・・雨読」の日と 相成りました。

通っているスイミングクラブの仲間TU氏から 2週間も前に借りていながら 「晴耕・・」、「晴耕・・」で なかなか 読むことが出来なかった本が有り 今日 一気に 読み終えました。 
同じスイミングクラブの仲間 井田 素(いだ もとより)氏が 幻冬舎から自費出版された 長編青春小説 「翼ある太陽」です。

市立高校のクラスで浮いた存在の優子は ひょんなことから文化祭で演奏するバンドのボーカルに選ばれてしまう。バンド結成で集まったのは プロデューサーの、マネージャー役の、ギターの拓也、キーボードのリカ、等 心に傷を抱える同級生ばかり。バラバラだった彼らが やがて 音楽という絆で固く結ばれてゆく。若さ、悩み、青春物語。それぞれが社会に羽ばたいて15年、メンバーが集結し 感動のコンサートを催すところで終わる。

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雨読、串田孫一著 「星への手紙」

2017年05月13日 22時33分05秒 | 読書記

当地 ずっとまとまった雨が降らず 庭も畑も乾き切っていましたが 今日は 本当に久し振りに 1日中 ザーザー降りの雨で 草花や野菜には 恵みの雨になったはずです。
「晴耕・・」、「晴耕・・」と 畑仕事が続いていましたが 今日は 休息日、「・・雨読」と 相成りました。
図書館から借りていた 串田孫一著 「星への手紙」(大活字本)を 読み終えました。

 (大活字本)

著者が 夜更けにきらめく星達に語りかけながら綴った手紙 40通が 収録されています。
北国からの四季折々の便りだったり、幼い頃の思い出や戦時下の日記にふれたもの、自然や暮らしに対しての優しい眼差しに溢れたもの、ふっと笑ったり、ほろりと涙し、人生を考えさせられるもの だったりします。
「星への手紙」となっていますが 星とは その手紙を読む読者一人一人であること明らかで、一文一文、著者から 手紙を貰って 読んでいる風に感じさせられてしまいます。
著者の 丁寧で優しい言葉、きれいで、文学的、しかも簡潔な文章に 惹きこまれていき 一気に読み終えてしまいました。

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松本清張著 「無宿人別帳」

2017年05月08日 08時54分08秒 | 読書記

ゴールデンウイーク前に 図書館から借りていた 松本清張著 「無宿人別帳」 (大活字本)を やっと読み終えました。
当地 ずっと 雨降りの日が無く 専ら 「晴耕・・」、「晴耕・・」、なかなか 「・・雨読」が出来ず 返却日が迫ってきて 慌ててしまいました。

  (大活字本)

松本清張の 時代小説 短編集です。
江戸時代、一定の住居や正業が無く 身分制度では 最下層、戸籍帳簿にも名前が記載されなかった 「無宿」と呼ばれる者を主人公とした 10作品が 収録されています。
「無宿」の境遇、処遇は 過酷で 就職も出来ず、無実で有っても牢に入れられたり、島流しにされてしまったりしたようですが、無宿のほとんどは 飢饉や天災等で 地方から江戸に流れ込んだ人達であったとされており 松本清張は そんな最下層の人間にスポットをあて 描いています。
「人別帳」とは 当時の身分証明台帳のようなものだったようです。

「町の島帰り」
「海嘯(つなみ)」
「おのれの顔」
「逃亡」
「俺は知らない」
「夜の足音」
「流人騒ぎ」
「赤猫」
「左の腕」
「雨と川の音」

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藤沢周平著 「麦屋町昼下がり」

2017年04月22日 10時06分12秒 | 読書記

図書館から借りていた 藤沢周平著 「麦屋町昼下がり」(大活字本)を 読み終えました。
短編小説が多い藤沢周平作品の中にあって 比較的長い作品(中編小説とでも言えるんでしょうか)、4作品が収録されている書です。

  (大活字本)

目次

「麦屋町昼下がり」
片桐敬助は 深夜 抜刀して女を追いかけてくる男を斬ってしまった。それが 偏執的な剣士 弓削新次郎の 隠居した父親であることを知り 愕然とする。弓削新次郎とは いづれ 一悶着は避けられないとして 大塚七十郎に 剣術の教えを乞うた。
弓削新次郎は 妻と密会相手、料理茶屋使用人、逮捕に向かった徒目付を 斬殺して 麦屋町の茶屋に立て籠もった。
弓削新次郎の討手の命を受けたのは 片桐敬助。凄まじい斬り合いの末 これを討ったが それを見守っていた娘がおり それは 縁談を断られていた 寺内瑞江であった。

「三ノ丸広場下城どき」
次席家老臼井内蔵助は 江戸の側用人三谷甚十郎から 中老新宮小左衛門宛ての密書を奪わないと 新海屋との繋がり等真相が明るみになってしまうため、新宮小左衛門の身辺に貼り付けていた腹心守屋市之進と策略し 使者の護衛に 過去の剣の名手、酒びたりの粒来重兵衛を 充てて これを襲い 使者田口庄蔵を斬り 密書を奪ってしまった。粒来重兵衛は 逃げ切り 真相を探っていく。
はめられたことが分り 怒りがつのり 酒を止め 剣術にみがきをかけた重兵衛。最後には 藩の査問の席で抜刀した 臼井内蔵助と斬り合うことになったが 重兵衛の剣が 臼井の脾腹を切り裂いた。重兵衛も 傷を負い 疲れ果てて 帰った家には 5年もの間 一度も触れることのなかった馬鹿力の 茂登が待っていた。

「山姥橋夜五ツ」
男と密会したといううわさが立ったことで 妻 瑞江と離縁していた 柘植孫四郎は 藩士 野々村新蔵が言ったことから 先代の藩主が病死ではなく謀殺されたのではないか、それに絡んだ一連の事件にも 疑念をもった。
最後には 恩田中老の刺客となって現れた野々村新蔵を 孫四郎は倒し 大目付に引渡し 大目付から 真相が語られる。
妻 瑞江の不義の疑いも晴れ 帰ってきた家に 瑞江が待っており 抱き寄せるシーンで終わる。「事情は大目付に聞いた。苦労をかけた」

「榎屋敷宵の春月」
家老の急死により 後任執政の候補とうわさされる人物の一人 寺井織之助の妻、田鶴の 気丈な活躍を中心に 描かれいる。
競争相手の一人、宗方惣兵衛の妻 三弥は お理江と共に、田鶴にとって古い女友達であったが 次第に敵対意識(女の戦い)が高まってしまう。現代社会にも通じるような 人間模様が描かれている。

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「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」

2017年04月18日 15時13分54秒 | 読書記

数年前のことですが 朝日新聞の「天声人語」で 心理学者 多湖輝の著書の中で紹介されたという 「教養と教育の話」を知り そのことについて 書き込んだことが 有りました。

★教養(?)と教育(?)のある人 → 2015年3月13日の記事
★手帳が頼りの日々 → 2015年5月16日の記事

その著書とは 「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」ボケる頭の使い方、ボケない頭の使い方)日文新書)でした。
1度読んでみようと ずっと思っていながら なかなか読めず 先日やっと 図書館から借りてきて 読んだところです。

目次

プロローグ(百歳でも笑い笑わせサクサク頭脳)
「教養」と「教育」のある人はボケない?
〇ワンパターンの生活は 頭もワンパターンにする
〇独居老人は なぜボケやすいか
 ・・・・・・等々

第1章 「ボケ防止」に「笑い」はつきもの
〇「笑い」こそ人類が編み出した老化防止の知恵
〇長寿記録保持者と、ユーモアの関係
〇自分の失敗談は、話す人も聞く人も頭が若返る
〇料理する男はボケない
〇ジョギングより散歩のほうが頭にはいい
 ・・・・・・等々

第2章 今すぐ始められる脳のトレーニング
〇同じ頭でもボケる使い方、ボケない使い方がある
〇やらなかった後悔より、やった後悔の方が脳にはいい
〇計画は「いい加減」なほうが いい「加減」になる
 ・・・・・・等々

第3章 脳を若返らせる生活習慣
〇ものの名まえも 「あれ」「それ」をやめる
〇出かけなくても服装は毎日変える
〇星や花の美しさに感動したら、その名を調べてみる
 ・・・・・・等々

第4章 ボケない頭を作る「食事術」
〇食事は出来るだけ大勢でしたほうが体にも頭にもいい
〇食べるのが面倒なものを意図的に食べる
〇酒は話や歌の「潤滑剤」として飲む
 ・・・・・等々

第5章 脳にいいこと、脳に悪いこと
〇前頭葉、側頭葉に血が流れるとボケない
〇側頭葉に血を送るには 「記憶」を文書化する
〇認知症は ふだんの頭の使い方で防げる
 認知機能予備力を高める要件、
 ①有酸素運動をする(少し息が切れる程度の運動、例えば早歩きの散歩等)
 ②野菜をたくさん食べる食生活をする。
 ③自分の趣味に合わせた知的活動をする(楽しい会話をするとか、コーラスに参加する等)
 三要素を満たしている 社交ダンスが もっとも効果があるのではないか・・・・。
 ・・・・・等々

朝日新聞の「天声人語」で 紹介されたのは プロローグの1文からでした。

 

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