たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「故郷にかえりたい(Take Me Home, Country Roads)」(再)

2022年07月31日 22時23分14秒 | 懐かしいあの曲

なんだかんだ言ってる内に7月も終わり・・・、
「8月」という響きからは、夏休み、帰省、お盆等が、思い浮かんでくるが、全国的に、新型コロナウイルス新規感染数拡大が止まらず、第7波は過去最高の大波になっており、帰省、旅行、海、山、行楽・・、どうする?、どうなる?、記録的猛暑酷暑と、ダブルパンチを食らってしまっている感有りだ。
   第七波またもや故郷遠くする
ふっと、思い浮かんだ曲、「故郷(ふるさと)にかえりたい(カントリー・ロード)」、
今更になってネットで調べてみると、
邦題「故郷にかえりたい」「カントリー・ロード」、英題「Take Me Home、Country Roeds」は、1971年(昭和46年)に、ジョン・デンバー(Jone Denver)が、作詞、作曲、歌唱で発売、大ヒットしたカントリーフォークだった。レイ・チャールズ、オリビア・ニュートン・ジョン、ブレンダ・リー、尾崎紀世彦、チェリッシュ、キャンディーズ、等、数多の歌手にカヴァーされ、当時、日本でも、良く流れていたように思う。
ギター伴奏で、歌い出したくなるような曲調であり、ハーモニカ演奏にも コーラスにも、うたごえ等にも、合う曲のような気がする。

ジョン・デンバーの「Take Me Home、Country Roads)」 (YouTubeから共有)

ハーモニカ演奏の「カントリー・ロード」 (YouTubeから共有)

(追記)

スタジオジブリ制作の映画「耳をすませば」では、
歌唱本名陽子、日本語訳の「カントリー・ロード」が、
主題歌になっていた。

本名陽子の「カントリー・ロード」 (YouTubeから共有)

 


ミヤマコゴメグサ(深山小米草)

2022年07月31日 14時32分52秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まったものを引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き留め置くことにしている。


「古い写真から蘇る思い出の山旅」を、リメイクしていて、再三、気がつくことだが、その当時、花名等、珍紛漢紛だったはずの高山植物で、後年になって調べる等して、花名が分かったものが多い。ふっと思い出した、「ミヤマコゴメグサ」もその一つであるが、またすっかり忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き留め置くことにする。

今から22年前、2000年9月5日~6日、五竜岳・唐松岳を訪ねたことがあったが、
その時、遠見尾根で撮っていた「ミヤマコゴメグサ」
当時は、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っておらず、
プリントしてアルバムに貼ってあったものを、後年、スキャナーで取り込んだもの。

2002年7月27日、長野県の天狗岳を訪ねたことが有ったが、
その時、西尾根で撮っていた「ミヤマコゴメグサ」

2004年7月17日に、金峰山を訪れたことが有ったが、
その時に撮っていた「ミヤマコゴメグサ」

2012年8月21日~22日、白山を訪れたことが有ったが
その時、観光新道で撮っていた「ミヤマコゴメグサ」


ミヤマコゴメグサ(深山小米草)

ゴマノハグサ科、コゴメグサ属、1年草、高山植物、
   別名 「ヒナコゴメグサ」
   和名「深山小米草」は、高山に群生して、小さな花を咲かせるが、
   遠くから見ると、米粒が散らばって見えることから付けられた花名。
原産地・分布 日本固有種、
       本州、東北地方から近畿地方の高山、亜高山の草地に
       自生している。
草丈 6cm~20cm
花色 白色
   花冠に、紫色の筋が有り、下唇内側には、黄色い丸斑が有る。
開花時期 7月頃~9月頃
花言葉 「献身」


 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その18(3)

2022年07月31日 05時59分48秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その18(3)


「蝶ヶ岳から常念岳」(3日目)

常念小屋の一夜は、6人部屋に4人、のびのび就寝、熟睡出来て、
2日分の睡眠不足が解消、妻の体調もほぼ平常に戻り・・・、
4時頃には起床、常念乗越で、ご来光を迎えた。

ご来光、

西方、槍ヶ岳から大キレットには、滝雲が流れ掛かり・・

やはり、朝食は、前組、後組 2組入れ替え制だったようで、
後組、「5時45分から」・・と記録メモがある。
ゆっくり、出発準備、
6時30分頃、常念小屋を出発。
「さらば、常念小屋・・・・・・」

常念岳山頂に向かう主コースから左に折れ、常念岳を巻いて、前常念岳に向かう。

ハクサンシャクナゲ群落                 ダケカンバ

 

途中、お花畑が点在・・・、

タカネグンナイフウロ?             ミヤマダイコンソウ?   

 

チングルマ                    チングルマの花柱

 

 

7時30分頃、前常念岳から常念岳への登山道に合流、

再び、前穂、奥穂、涸沢が望めるようになり・・、
しばし、休憩、

前日歩いた、常念岳の尾根筋と、その後方に、前穂、奥穂、北穂、涸沢・・・

8時頃、前常念岳山頂(標高2,661.8m)に到着、

岩稜の前常念岳山頂でたっぷり休憩、絶景を堪能後、
大きなゴロゴロした岩の急下降を、慎重に下る。

オットットー、

岩稜帯を下り終わって、樹林帯に入ると、一気に下界の暑さとなり、バテバテ、膝も笑い出し、ペースダウンしたような気がする。樹林帯の途中で、そんな我々よりも、もっとペースダウンの老夫婦を追い越したが、声が掛かった。「三股にタクシーを待たせているが、ちょっと遅れること、伝えて欲しい」というもの、我々もスローペース、とても役に立つとは思えなかったが引き受けたものだった。

13時頃、三股駐車スペースに到着、案の定、待ち構えていたタクシー運転者が、我々を予約者と思ってか、近づいてきた。伝言を伝えると、快く了解、人の良さそうな運転手だった気がする。車で着替えたりしていた、ものの30分もしない内に、かの老夫婦も到着、我々より先に、タクシーで去ってしまわれたような気がする。
お昼時ではあったが、下山後の昼食は、信州の蕎麦と決めており、山から出て、豊科町(現安曇野市)の蕎麦屋に立ち寄り、遅い昼食となった。その日、中央自動車道に大渋滞も無く、途中、頻繁に休憩しながら、無理せずのんびり、17時頃、帰着したようだ。
3日間、いろいろ、ハプニングも有ったが、天気に恵まれ、お目当ての、槍、穂高の大パノラマも堪能出来、また一つ、心に残る山旅が出来たのだった。かれこれ27年前の話である。

あの頃はまだ、「また来る時にも、笑っておくれ♪」的気分だったが、結局、「蝶ヶ岳、常念岳」も、最初で最後の、もう二度と訪れること叶わない、遠い思い出の山となってしまっている。

(おわり)


(補記)

2012年11月19日、法事のため、北陸の実家に出掛けた際、
その帰りに、長野県の安曇野で撮っていた常念岳


爺さんの備忘録的昆虫図鑑 No.03 「アオカナブン(青金蚤)」

2022年07月30日 14時23分05秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

昆虫にも疎い爺さん、散歩・ウオーキングの途中や畑地や山歩き等で昆虫を見掛けても、おおかたは、「君の名は?」・・である。観察力も無く、じっくり写真を撮ったこともほとんどないが、今朝、玄関で、ひっくり返って仰向けになり、もがいている昆虫を見付けた。起こして放してやったが、なんとなく珍しい昆虫に見えてしまい、カシャ、カシャ。
息子達が子供の頃使っていた小学館の「昆虫の図鑑」やネットで調べてみたが、どうも「アオカナブン」という昆虫のようだ。一度や二度、教えてもらっても、自分で調べても、そのそばから忘れてしまう老脳、とりあえず、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に、書き留め置くことにする。


ひっくり返って起き上がれず、もがいていた「アオカナブン」

「カナブン(金蚤、金蚊、金亀虫)」は、カブトムシ亜科、コガネムシ科の昆虫で、頭部が四角く、体長2cm~3cm、緑銅色、黄褐色、茶褐色、赤褐色、濃藍色等、色彩多種有るのだそうだが、
「アオカナブン(青金蚤、青金蚊、青金亀虫)」は、大きさや生態等は、ほとんど変わらないものの、「カナブン」に比べて、やや胴が細く、濃青緑色をしているという。
ただ、「カナブン」にも、濃青緑色のものも有るというから、素人が見分けるのは難しい。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その18(2)

2022年07月30日 08時03分30秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その18(2)


「蝶ヶ岳から常念岳」(2日目)

蝶ヶ岳ヒュッテでの一夜、夏山シーズン真っ盛り、ぎゅうぎゅう詰めの雑魚寝状態は、覚悟していたものの、眠りにつこうかという時間帯から、隣り合わせた男性の豪快な鼾が始まり出し、断続的に収まるところ無しで、安眠妨害?され、参ってしまったことが思い出される。特に、妻は、全く熟睡出来ないまま明け方を迎えてしまったようで、睡眠不足、体調不良を訴える始末。出発時間を遅らせ、体調調整することになったのだった。当時は、まだ山小屋泊の経験も少なく、油断していたことを反省、あの時以後、山小屋泊には、必ず耳栓を携行するようになった気がする。
妻の睡眠不足、体調不良騒ぎ対応で右往左往、ご来光の写真や朝日に映える槍、穂高の写真を撮るタイミングも外してしまい、残念!、 

朝日に映える、槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、大キレット・・・、

北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、涸沢カール

天気は、最高!、6時30分頃、蝶ヶ岳ヒュッテを出発したようだ。               

 

前穂、奥穂、涸沢、北穂、大キレット、槍・・・、
左手、大パノラマを堪能しながら、快適な稜線歩き・

横尾への分岐(標高2,625m)

 

二重山稜の蝶ヶ岳山頂(標高2,664.3m)通過、
奥穂高、涸沢岳、北穂高に、笠雲みたいな雲が・・・。
涸沢カールを、ズームアップ。

蝶ヶ岳山頂を過ぎてしばらくすると、樹林帯の中を急下降、
下り切ってから登る途中には、お花畑が広がり・・、
お花畑の上部で大休憩、ガスコンロで湯沸かし、コーヒータイム、
妻の体調も次第に良くなり、安堵。

ニッコウキスゲ

テガタチドリ?                     クルマユリ?

 

イワギキョウ?                      コイワカガミ?

 

 樹林帯を抜け、2,512mピークヘ、

前方、どっしり威圧的な常念岳が、大きく現れる、
あの稜線を辿るのか・・・、
あと一踏ん張り・・・、

南方、蝶ヶ岳から歩いてきた稜線を振り返り見る・・・、

13時頃、常念岳山頂(標高2,857m)に到着、
西方、槍ヶ岳から穂高連峰の大パノラマを堪能、
天候に恵まれ、至福のひととき

常念岳山頂からは、眼下の常念乗越・常念小屋に向けて、
ガレ道を急下降、膝が笑い出す。
その先、北方には、横道岳や東天井岳、大天井岳等が連なっている。

14時頃、常念小屋に到着したようだ。
早速、宿泊手続きし、6人部屋(和室)に落ち着いた。
まずは寛ぎ、周辺を逍遥したり、ゆったり時間を過ごした気がする。
もちろん、初めて宿泊する山小屋だったが、いただいた栞で
1919年(大正8年)に開設された、
北アルプスでは最も古い山小屋の一つであることを知った。

西方、槍ヶ岳の右に沈む夕景写真にも挑んだものの、
所詮、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)、上手く撮れず、
タイミングをも逃してしまい、残念・・・、

常念小屋の夕食は、前組、後組、2組入れ替え制だったのだろうか、
記録メモには、後組で、17時45分からだったと書いてある。
肉料理で、デザート付きだったとも書いてあるが、記憶まるで無し。「へー!、そうだったかなー」である。
まんまる月夜だったとも、書いてあるが、月を撮る術(すべ)等無しで、写真は残っていない。
6人部屋(和室)は、横浜と埼玉の義兄弟と我々の4人だけで、
消灯時間の20時頃までは、和やかに談笑したような気がする。
のびのびと就床、熟睡、2日分の睡眠不足が一気に解消出来たのだった。

バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮った、ピンボケ、拙劣写真ばかりではあるが、写真や記録メモを見ると、すっかり記憶から喪失していたような、あの時、あの場所の情景が蘇ってくるから不思議なものだ。
3日目、常念小屋から三股への下山の写真を、引っ張り出しながら・・・。

(つづく)

コメント (2)

「スウイート・レイラニ(Sweet Leilani)」

2022年07月29日 16時24分38秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日は、文句無し?、夏真っ盛りの天気になっている。
朝から晴れ上がり、入道雲(積乱雲)モクモク、
日中、屋外の寒暖計は、36℃、
カーッとする暑さ、じっとしていても汗が吹き出す。
天候不順、変わりやすい天気が続いているが、
7月下旬、そろそろ、本来の夏が戻った感じがする。
朝方、猫額庭の一画の草取りに取り掛かったが、あっという間に全身汗ダク、
熱中症警戒、ストップ!、ストップ、
シャワーを浴びてすっきり、
午後は、扇風機フル活動、ウツラウツラ・・・・。

(ネットから拝借画像)

こんな「盛夏」になると、若い頃から、必ず、「ハワイアン」が聴きたくなる類で、またまた、古いLPレコードに針を落としているところだ。
その中の1曲、「スウイート・レイラニ(Sweet Leilani)」
今更になってネットで調べてみると、元々は、1934年(昭和9年)、アメリカのハリー・オーウエンスが、自分の娘の誕生祝いのため作詞・作曲した楽曲なのだそうだ。その翌年、1935年(昭和10年)に、ハワイアン・ギタリストのソル・フーピーにより、「ハワイアン・ハネムーン」のB面で「レイラニ」として発表されことで、ハワイアンのスタンダードになったことのようだ。日本でも、戦後一時期、ハワイアンブームが有り、日野てる子三島敏夫等が歌っていたが、「麗しのレイラニ」という邦題で、大橋節夫石原裕次郎等もカヴァーしていたようだ。
「レイラニ」は、ハワイ語で「美しい娘」の意味が有る。

「スウイート・レイラニ」・マントヴァーニ楽団演奏 (YouTubeから共有) 

コメント (2)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その18(1)

2022年07月29日 05時43分12秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃の話、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が有っても、今度は気力体力減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となっては、あの日あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真を引っ張り出して、「デジブック」にしたりして懐かしんでいたものだが、「デジブック」が終了してしまったこともあり、改めて、過去の記事を、コピペ、リメイクしてみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


その18 「蝶ヶ岳から常念岳」(1日目)

かれこれ27年前の1995年8月のこと、妻と二人で、蝶ヶ岳から常念岳を歩いたことが有った。(長男、次男は、それぞれ受験勉強中等々で、不参加)。蝶ヶ岳から常念岳への尾根縦走路は、穂高連峰、槍ヶ岳等の絶好の展望台、大パノラマが堪能出来るコースとあって、登山者に大人気のコースだが、日程、体力等を考慮して、三股から蝶ヶ岳へ上がり、蝶ヶ岳から常念岳、常念岳から三股に戻る、周回ルートとし、何分、体力に自信の無い夫婦二人だけの山行、山小屋2泊、余裕を持たせた、ゆっくり、のんびりの山行にしたのだった。
若い頃から北陸の実家に帰省する際、毎度、松本平や安曇野で、ひときわ目立って聳える常念岳を車窓から眺めており、いつかは一度、登ってみたいと思いながらも、なかなかその機会がなかったものだが、その内いつか等と言ってられない歳になり、その年、意を決して敢行したものだった。常念岳は、常念山脈の盟主、安曇野の風景には無くてはならない シンボル的存在の山である。
「蝶ヶ岳・常念岳」は、「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んでいることが分かったが、今年も夏山シーズンを迎え、なんだか懐かしくなり、改めて、コピペ・リメイクしてみることにした。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出した。どんどん記憶曖昧になってきているが、写真や記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景が蘇ってくるから不思議だと思う。


深田久弥著 「日本百名山」
「常念岳」 
(一部抜粋)  

評論家臼井吉見氏が書いていた。松本の氏の小学校の校長はいつも窓から外を指して「常念を見よ」と言ったが、その言葉だけが今も強く記憶に残っている、と。また松本に数年住みながら、いっこう山登りに興味を持たなかった男だったが、ただ常念だけは一度登ってみたかった、と洩らした友人がいた。松本平から見た常念岳を知っている人にはその気持がわかるだろう。
それはわが友人だけではない。六十年も前にウエストンが言っている。「松本付近から仰ぐすべての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど、見る者に印象を与えるものはない」と。ウエストンもやはりその美しい金字塔に惹かれて登ったのだろう。彼がその頂上に立ったのは、明治二十七年(1894年)の夏だった。金字塔と呼ばれるにふさわしい山はわが国に幾つも数えられるが、その最も代表的な一つとして常念岳が挙げられよう。(中略)
松本から大町へ向かって安曇野(あずみの)を走る電車の窓から、もしそれが冬であれば、前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通るごとに、いつもその美しい峰から眼を離さない。そして今年こそ登ろうと決心を新たにするのが常である。


山行コース・歩程等

(1日目)三股駐車スペース(標高1,350m)→水場→大滝山への分岐→
     蝶ヶ岳ヒュッテ(標高2,677m)(泊)

     (標準歩行所要時間=約4時間50分)
(2日目)蝶ヶ岳ヒュッテ→瞑想の丘→横尾への分岐→蝶ヶ岳山頂(標高2,664.3m)→
     2,512mピーク→常念岳山頂(
標高2,857m)→
     常念乗越・常念小屋(標高2,466m)(泊)

     (標準歩行所要時間=約5時間)
(3日目)常念小屋→(常念岳巻き道)→前常念岳(標高2,662m)→三股駐車スペース
     (標準歩行所要時間=4時間40分)

(朝日新聞社の週刊「日本百名山」から拝借)


(1日目)

前日、仕事を早めに切り上げ仮眠、やはり、真夜中に自宅を出発し、午前5時30頃には、三股に到着したようだ。すでに、20台程の駐車スペースは、ほぼ満車状態だったが、なんとか駐車出来て安堵。午前6時頃、「登山計画書」を投函し、三股を出発したとある。
最初は沢伝い、樹林帯を進み、そろそろ尾根筋への急登に差し掛かろうかというあたりで、足元の小さな白い花の群落に目が止まり、覗き込んでいた時、かなり早いペースで追い付いてきた、後続の単独行の男性から、「これは、ゴゼンタチバナという花ですね」と、声が掛かった。男性は、富山県から来て、日帰りで蝶ケ岳をピストンして帰るという、健脚、ベテラン登山者だったのだろう、一言二言話をしただけで、あっという間に後姿が見えなくなってしまったが、その時、初めて、「ゴゼンタチバナ」という花名の高山植物を知ったのだった。その頃までは、まるで花等に興味も関心も無く、まして高山植物等、チンプンカンプン、山歩きをしても せいぜい、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で、記念に人物を入れてスナップ写真を撮るくらいが関の山、花の写真等を撮ろう等とも思わなかった類だったのだが、「ゴゼンタチバナ」という花名の響きが、妙に脳裏に焼き付いてしまい、「バカのひとつ覚え」、あの時以来、俄然、高山植物に興味関心を覚えるようになり、毎度、山歩きの途中は、積極的に花を探したり、撮ったり、帰ってから調べたりするようになった気がする。
高山植物のみならず、野の花、庭の花にも、興味関心を持つようになり、花の写真をカシャ、カシャ撮るようになったのも、もしかしたらあの時がきっかけだったのかも知れない等と、思ったりしている。
ただ、その時、確かに撮ったはずの「ゴゼンタチバナ」の写真が残っていない。もしかしたら、薄暗い場所だったため、ピンボケで、プリントしなかったのかもしれないし、どうだったのかの記憶は無くなっている。

振り返り記事「ゴゼンタチバナ(御前橘)」 ⇨ こちら

キヌガサソウ?          カラマツソウ?

 

尾根に取り付いたあたりから、、
暑さと睡眠不足で、次第にペースダウン、
一歩一歩、ゆっくり登った気がする。
登り詰めると、右方が開け、
目指す常念岳が見え、
ようやく、ヤッホー!な気分になり・・・・、

やっとの思いで、主稜線の「大滝山への分岐」に辿り付き・・・

お花畑に癒やされる

ハクサンフウロ?             クルマユリ?

 

ミヤマキンポウゲ?

13時30分頃には、蝶ヶ岳ヒュッテに到着したようだ。

さっそく、宿泊手続きをしたが、
かいこ棚?、布団1枚に3人?、ザックの置き場も無しの超過密状態?
ギョ!、ギョ!、ギョ!
小屋の外を逍遥、のんびり、ゆっくり過ごした気がする。
穂高連峰、槍ヶ岳の稜線に沈む太陽、
もっとマシな夕景を撮りたい願望も有ったが、
所詮、バカチョンカメラ(小型フォルムカメラ)

蝶ヶ岳ヒュッテと月、

夕食は、17時からだったが、山小屋の常、女性グループ等の昂揚した賑やかなおしゃべりが果てしなく続いていたような気がする。とても就眠出来そうになかったが、睡眠不足と疲労でぐったり、19時頃には、布団に潜りこんだようだ。
ただ、その後に、最悪事態発生?・・・・・

(つづく)

 

コメント (6)

急遽、ブルーベリー収獲、全身汗ダク、やれ、やれ

2022年07月28日 14時28分45秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

もう、3日間も行ってないし・・、
今日の当地、ムシムシ、ジトジト、
じっとしていても汗ばむような蒸し暑さで、
畑なんぞには、出掛けたくない日ではあったが・・・、
やおら、重い腰を上げ、午前中、Go To 畑! と相成った。

キュウリ、トマトは、そろそろ、ピークが過ぎた感じ?
ミニトマトが、元気、元気・・、
ゴーヤ、ナス、ピーマン、シシトウは、まずまず・・、

 

畑地の地主のFさんの奥さんが、自分の畑で草取りをしておられ、
声が掛かった。
「ブルーベリー、だいぶ、実ってきたので、欲しいだけ、採ってって・・・・」
毎年のこと、畑地の横の栗林の脇に、4~5本植樹されているFさんのブルーベリー、
収獲時期になると、声を掛けて下さるが、今年も・・・。

今日は、野菜収獲だけのつもりで、
作業衣に着替えてはいなかったが、
急遽、「ブルーベリー収獲仕事」と相成り、
わずか30分程度だったが、
暑い!、暑い!、
汗が、ポタポタ、全身汗ダク、ズボン、シャツ、ビショ、ビショ、

まだまだ、全体的には、成熟した実は、50%程度だったが、
採っても、採っても、切りが無く、
今日は、ここまで・・・、
やれ、やれ、
プロの農園のブルーベリーと比べれば、小粒ではあるが
量ってみたら、2.8kg


買えば、それなりの金額、
有難いことではある。
午後、妻は、早速、「ブルーベリージャム作り」に取り掛かっている。


タケニグサ(竹似草・竹煮草)

2022年07月28日 10時09分12秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まったものを引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き留め置くことにしている。


いつの頃からか、散歩・ウオーキングの途中や畑地等で、ちょくちょく見掛ける雑草等も、コンデジで、カシャ、カシャ撮るようになっているが、草木に疎い爺さん、大方は、花名を知らず、分からず、「君の名は?」・・である。
今朝の散歩・ウオーキングの途中で撮ってきた花の中にも、「君の名は?」が、有ったが、実は、5年前、2017年9月21日にも撮っており、その時、相互フォロワー登録しているmt77様に、「タケニグサ」という花名であることを教えてもらっていたことが分かった。毎度のこと、教えてもらっても、自分で調べても、そのそばから忘れてしまう老脳、また、すっかり思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き留め置くことにする。

2017年9月21日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた「タケニグサ」

今日、2022年7月18日、散歩・ウオーキングの途中で撮ってきた「タケニグサ」


タケニグサ(竹似草・竹煮草)

ケシ科、タケニグサ属、多年草、雑草
   別名 「チャンパギク(占城菊)」
   和名「竹似草」は、茎が中空で竹に似ていることから付けられたもの、
   「竹煮草」は、竹と一緒に煮ると竹が柔らかくなり加工しやすくなる
   ことから付けられたという説が一般的なのだそうだ。
   有毒で、かぶれることも有り、要注意植物。
原産地・分布 日本、中国、台湾、
       日本では、本州、四国、九州等の比較的日当たりの良い草原、荒れ地
       道端等で自生している。
草丈 1m~2m
   葉は、切れ込みが有り、菊の葉に似ているが大型で、葉裏は、白っぽい。
花色 白色
開花時期 6月頃~9月頃
花言葉 「素直」「隠れた悪」


 


早朝からムシムシ、

2022年07月28日 08時06分26秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「曇時々晴」」、最高気温=34℃、湿度=70%台~80%台、
となっているが
早朝から、どーんより、ムシムシ・・・、
ちょこっと、近くを歩いてきただけで、汗ダク、
体調イマイチ、足、腰、痛!、痛!・・も有り、
早々に、引き上げてきた。
スマホの歩数計で、約3,900歩。

赤色のヒマワリ

君の名は?
タケニグサ

 

ヤマユリ

 

コメント (2)