たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

三毛猫ノンノン・想い出の写真

2012年06月30日 09時43分39秒 | ペット

我が家の三毛猫ノンノンは 1昨日 2012年6月28日午後4時45分 満19歳で 天国に旅立ちました。19年間 最後まで 癒しを与え続けてくれたノンノン。想い出がいっぱいです。

1993年6月20日 動物病院の斡旋により 生後1ケ月半で 我が家にやってきたノンノン。(1993年5月6日生まれ)、初めての家を 恐る恐る偵察中。

1993061

01

1993年7月(生後2ヶ月目) すっかりリラックス、家族の一員、

1993071

1993072

1993073

1993年8月(生後3ヶ月目)、興味津々 どんなところにも、

1993083

199308102

スピーカーの上。どこだって 飛び乗ってしまう。

1993年10月(生後5ヶ月目)、まるまる太って 猫らしく。良く食べ、良く出し、良く遊び、良く眠る、健康優良児。昼間は 留守番。階段を昇ったり 降りたり、よく 2階和室の窓辺から 外を眺めていました。

19931010

1993年12月(生後7ヶ月目)、人の傍が好き。でも 抱くと 突っ張る 身勝手さ。性格が きつく 気に食わないと 歯をむき出して怒ることも しょっちゅう。

199312

テーブルで

Photo

カゴの中、狭いところ大好き、

Photo_2

ピアノの上、高いところが好き

1993

テレビの上

 

 

 

 

 

 

 


ノンノン旅立つ

2012年06月28日 22時40分10秒 | ペット

1週間前位から 急におかしくなって 動物病院で 点滴、注射等を受けてきた 我が家の三毛猫 ノンノン。今日 2012年6月28日 午後4時45分 ついに力尽き 天国に旅立ちました。19歳、人間の歳に換算すると 90歳位と言われており 天寿を全うしたと 言うしかありません。

1993年6月20日、生後1ケ月半で(1993年5月6日生まれ)、動物病院から斡旋されて 我が家の家族となってから 約7000日間、ずっと一緒に暮らしてきただけに しばらくは がっくり 落ち込みそうですが 長い間 癒しを与え続けてくれた ノンノンに感謝しつつ 前向きに暮らしていきたいと思います。

ノンノン さよなら。有難う。合掌。  


ジャガイモ収穫・・粉ふきいも

2012年06月28日 21時34分58秒 | 野菜作り・畑日誌

野菜作りの師匠、いつもお世話になっている 近所のOさんに 先日 「今年のジャガイモ、早く 取らないと 腐るぞ」等と 脅かされ 急遽 昨日 妻が 収穫してきました。Oさんのジャガイモ、かなり 腐っていたようです。

焦った妻は 夕方まで掛かって 必死になって 掘り起こしてきたようですが 確かに 若干 腐りかけたものが有ったものの ほとんどが正常で しかも 結構 大きいものが多く 量、質 共 むしろ 昨年より 出来が良いような感じでした。当初の予定より 収穫も早く完了し まずまずの出来っだったことで 安堵と満足。早速 新ジャガの 粉ふきいもで ビールと あいなりました。

054

055

ナスも ボチボチ採れ始め 糠味噌漬の調子も 徐々に良くなってきました。

046

トマトも やっと採れました。

 

 


X線検査で ショック

2012年06月27日 22時52分32秒 | 健康・病気

昨日 かかりつけの医院に 逆流性食道炎を抑える薬を もらいに行ってきました。7~8年前から ほぼ毎月1回通院し 必ず診察室で 医師の問診を受けた後に 薬を受け取れることになっているのですが 今回 2週間位前から 軽く咳が出るようになり なかなか 治らない話を出したところ 即 「胸部X線検査をしてみましょう」ということになりました。特に高齢者の 咳やは 肺炎等の恐れが有る とのことでした。胸部X線撮影ですので 正面撮影1枚のみ。結果は直ぐに出て、「異状は 無いようです。念のため 咳、痰を鎮める薬を 1週間分 出しておきましょう」ということになりました。

咳、痰の話は 1件落着だったのですが 写真画像を見ながら 医師曰く 「背骨が かなり曲がっていますね」 。確かに 左右に S字状に かなり曲がっていました。普段から スイミングやウオーキングをしたり 姿勢についても かなり注意している方だと思っていましたので まさかと 目を疑ってしまいました。

「高齢になると 大部分の皆さん 背骨は 曲がっていますよ」等と 慰められましたが この年齢から 背骨矯正等 不可能でしょうし 曲がった背骨と つきあっていかなくてはならないのかと かなりショックを受けました。胸部X線検査で 予期せぬ 隠れた自分の体の問題を 透かされてしまいましたが これはこれ、自覚していけるので 良かったのかなと思っているところです。  


ノンノンの危機

2012年06月25日 23時30分14秒 | ペット

今日の夕方 数時間留守にして 19時頃 家に戻ったのですが 我が家の三毛猫 ノンノンの様子が 異常に おかしくなっていました。人間の歳に換算すると 90歳前後になる老猫とて 毎度 観念していることではありますが あちこちに おもらし、嘔吐、頻繁にトイレに入ったり出たり、落ち着きなく ウロウロ。血尿らしきものも 数滴。

急遽 営業時間が20時までの かかりつけの動物病院に 連れていきました。車で移動中にも 口を大きく開け 息遣いも あえぐように 荒くなり 目もうつろ、今まで 見せたことない様態となり 一瞬 「やばい」と 思ってしまった程です。

最近 急に 痩せてきたことには 気が付いていましたが 結構 食欲は有り それ程 弱っている風には 見えなかっただけに その急変に あわててしまった訳です。

病院待合室でも 尚 瀕死の様相でしたが 直ぐ治療室に入ることが出来、点滴、皮下注射等の処置を受け なんとか落ち着きました。獣医師曰く、年令からして 当然 起こるべき症状、内臓全体を 病魔が蝕んでいることも有りうる と。また ここ数日の激しい気温の変化が 病状を悪化させたのでは と。 

しばらく 点滴等で 栄養を補給してやる方法しかなさそうです。これから先 次第に 良くなっていくということは 有り得ませんので ノンノンの危機は 繰り返し やってきそうです。 

 


横井戸、水汲み、風呂焚き

2012年06月24日 22時28分18秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和30年代後半まで M男の家には 水道は無く 飲料水、生活水は 全て 井戸水でやりくりしていた。井戸と言っても 通常の縦井戸ではなく 山際の崖を横に掘って 地下水を集めて 屋敷まで引いてくる形のもので 沢水を引いてくる類と大差ないものだった。その横井戸も 専門の業者に 水脈を調査してもらったり 機械で掘削してもらったものでなく 父親と数人の親戚の男衆が 人力で 何日もかけて 掘ったものだった。うまく 地下水脈に 当たらず 場所を変えて 掘り直していたような気がする。子供の目からすると かなり奥深くまで 掘り進めていたように感じていたが 実際は 数メートルだったのかも知れない。掘った後 周囲をコンクリートで固める等もせず ただ 内部に しみ出した水を溜めておく堰を作り そこから 鉄管で屋敷まで 引いてくるという簡単な工事であった。玄関から 7~8mの場所に 鉄管の先が出ており 常時 勢いよく流れ落ちていた。直ぐ脇の道路を通る人達が よく立ち寄って 柄杓(ひしゃく)で のどを潤し 「うまい水だ」と絶賛していたので かなり 良質な地下水だったのかも知れない。

問題は 台所の水瓶風呂桶(木製、大きな樽状浴槽)には 人力で その水を運搬しなければならないことだった。当時は ブリキのバケツを使っていたが 満杯にすると かなり重く 大変な作業だった。父母は 勤めや 農作業のため 暗くなるまで 家に居ないため 家事全般は 祖母が担っていたが その水汲み作業も 最初は 祖母がやっていたようだ。痩せて華奢な祖母には かなり重労働であり 見てはおれず 小学校高学年になった頃から M男が自ずとやるようになった。

台所の水瓶には 毎日 2~3回往復程度で良かったと思うが 風呂桶を満たすとなると 10数回往復しないとならず かなり つらい仕事ではあった。

風呂焚きも だいたい M男の役割だったような気がする。風呂釜に まず 紙屑と杉葉を入れて焚きつけ 野積み乾燥のを運んできて くべる(燃べる)。燃えにくく 頻繁にくすぶる。火吹き竹で 送風し 火の勢いをつける。家中 煙が充満する。茶の間の天井近くには 高窓があり 煙を排出させていたが 柱や梁は 黒光りしていた。 

台所の隅には 薪をくべる(燃べる)竈(へっつい、かまど)があり 朝夕 お釜(おかま)で ごはんを炊いていた。炊き上がると 御鉢(おはち)に移すが こげつき(おこげ)が出来ると 祖母は 醤油でまぶしておにぎりにしてくれた。腹ペコの M男達には 夕食前の うれしい おやつとなった。

台所には 囲炉裏もあり 吊るされた自在鉤(じざいかぎ)に 大きな鍋を掛け 味噌汁等の煮炊きをしていた。戦前 東京で 定食屋のような店をやっていたらしい祖母は 料理上手で 食材の少ない時代に いろんな工夫をしていたような気がする。

家族全員、それぞれ 自然と役割が決まって 日々こなしていた時代だったんだなと思っている。

 


梅の実 凶作

2012年06月24日 21時10分51秒 | 暮らしの記録

我が家の狭い庭の前と裏には でっかくなりすぎて 窮屈な感じの梅の木があります。毎年 今頃には 隣家の敷地や道路に張り出して 顰蹙を買っているに違いない枝を バッサリ 剪定しながら 梅の実を採取しています。

今日 まず 裏の梅の木の剪定をしましたが 今年は 全く 実が生っていませんでした。ほんの数個 確認しましたが 収穫は ゼロの状態です。こんな 状態は 珍しく、いつまでも 寒かった春、開花が 1ケ月近く遅れた今年の気候のせいなんでしょうか。昨年は かなり採れて 近所の方に 上げたりする位でしたが 今年は 残念の一言です。

実のついていない大量の枝を 一定の長さに揃えて束ねる むなしい作業が終わりました。市のごみ回収は 1回につき 2束までと決められているため 4回に渡って 出すことになります。

先日の台風4号で傾きかけて 引き起こした 山桜桃(ゆすらうめ)も 今年は 全く 実が生りませんでした。昨年は かなり採れて ジャムが作れた程でしたが 今年は ダメでした。

なかなか 重い腰が上がりませんが 表の梅の木、ハナモモ、、ピラカンサ、モクレンの剪定等 まだまだ 宿題がいっぱい残っている状態です。

 


山歩き記・茅ケ岳 2012.06.23

2012年06月23日 22時39分08秒 | 山歩記

コース・歩程等                                                    08.00深田記念公園駐車場~女岩(立入禁止)~深田久弥氏終焉の地碑~10.45茅ケ岳山頂(標高 1,704m)~南尾根道防火帯道~深田記念公園~13.50深田記念公園駐車場 (約4時間50分)

台風4号日本縦断に続き 前線を伴う低気圧の通過で 各地で大きな被害が出ていますが 今日 土曜日は 北から高気圧が張り出してきて 梅雨の中休み。各地で 晴または曇となりました。明日からは また 雨が降りやすい天気に戻るという天気予報。この ラッキーな土曜日、仕事の予定が無かったこともあり 急遽 山歩きに 出掛けてきました。

茅ケ岳は 登山口の深田記念公園駐車場まで 自宅から 車で 約1時間半で行ける山なので 特別 早出することも無いのですが 出来るだけ 早めに 帰着したかったため 午前5時半に出発しました。中央高速道談合坂SAで 朝食(雑炊定食)をとり ゆっくりし 7時半頃 深田記念公園に到着しましたが すでに かなりの車が駐車していました。

茅ケ岳山頂付近は 雲が巻き付いていて 切れそうになく 山頂での展望は 絶望的でしたが ともかく 出発しました。湿度は高いものの 雨の心配は無し。前日までの雨で ひんやりした空気の中 気持ち良い山歩きが 出来ました。

001

深田記念公園駐車場。中央高速道韮崎ICを出て 昇仙峡方面へ約6km、約10分で 着きます。

036

トイレ有り

駐車場を左手に見て 登山道が始まります。アカマツの林から ブナ、ナラ等広葉樹の林の中を進み 1時間15分で 女岩に着きました。水場として 利用したことのある女岩ですが 最近 落石が多いらしく 立入禁止となっていて 手前から 右手岩場へ 新ルートが出来ていました。

009

女岩から ジグザク急登をあえいで 約1時間、尾根上の 深田久弥氏終焉の地碑に 着きました。

011

花期を過ぎたツツジの群落。ちらほらと 花が 残っていましたが。

015

茅ケ岳山頂(標高 1,704m)、二等三角点

025

雲が無ければ 富士山、甲斐駒、鳳凰三山、八ヶ岳連峰、奥秩父連山、大菩薩嶺等の眺望が出来るはずでしたが 残念ながら 眺望は ゼロでした。

018

狭い山頂は 続々到着のハイカーで いっぱい。

021

金ケ岳だけが 見え隠れ。

026

南尾根道

028

031

深田記念公園

032

「百の頂に 百の喜びあり」 深田久弥氏

034

帰りの中央高速道も 渋滞無く ほぼ予定通り 15時半頃には 帰着出来ました。


あの日あの頃・・卵

2012年06月20日 18時15分58秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「アンチャ ドウダネ(おにいちゃん どうですか)」、「ハヨ ヨーナッテ モラワニャネ(早く 良くななってほしいですね)」。小学生の頃のM男は 風邪で寝込んだり 扁桃腺を腫らせて 熱を出したりして 良く 学校を休む子供だった。多分 となり近所では 体の弱い子供と 見られていたに違いない。

ある朝 急に 学校を休む羽目になった時には 電話も無かったので 父母が 近所の家の子供に 欠席する旨を 学校に伝えてもらう役を頼みに 行くことになる。すると たちまち となり近所の知るところとなり 入れ替わり立ち代わり やってきて 声掛けされるのだ。昼間は 当然 父母は おらず 大概 留守番役の祖母が 応対するのだが 誰もいない座敷で 水枕をあてがわれ 寝かされているM男には 玄関先の会話が 良く聞こえてきた。

なかには 「精を付けてやって クンナイ(元気になるようにして下さい)」等と言って みたてのニワトリの卵を数個 届けてくれたり なんだかんだ いろいろ 持ってきてくれるのだ。

卵は 今でこそ 大規模生産、大量流通、安定した価格で 販売されているが 当時は 貴重な食材だった。病気見舞いや 進物として 上げたり もらったりしていた時代だったのだ。自給自足、野菜が主だった 農村の食糧事情とて なかなか タンパク源となる食材が不足していた時代、卵は 有り難いものだった。ちなみに M男が 病気で寝込んだりした時の食事は 「おかゆ」と「梅干し」が 定番で 栄養のバランスとか カロリーとかを 考慮するような時代ではなかったと言える。

昭和20年代、当時 M男の村落では 屋敷内に 小さなニワトリ小屋を作って 数羽の鶏を飼っている農家が 多かったような気がするが 3世帯同居等 大家族では 自分の家でも なかなか 卵を 頻繁には 食することが出来なかったようだ。それでも 他人が困っていると 分けてやるという気持ちが 皆に有ったような気がする。

その 貴重な卵を産む ニワトリ自体でさえ 正月の料理や特別の客人のもてなし用の食材とされた時代だった。さすがに 子供には 見せなかったが 「ツブシテ(殺すとは言わなかった)」、羽をむしり 吊り下げて 血を滴り落とした後 料理する大人達の姿が 目に焼き付いている。人間 ぎりぎり 生きるために 出来そうなことを なんでもやっていたという時代だったように思う。

最近 中国の内陸奥深い地方を訪ねるテレビ番組等で 未だに 似たような暮らしぶりをしている映像を 見ることがあったが わずか60年位前の日本の農村での暮らしが 思い出されてしまうM男だった。


台風一過の朝、レンズ雲

2012年06月20日 06時42分03秒 | 暮らしの記録

韋駄天台風 4号が 昨夜 関東甲信越を通過していきました。暴風雨域に入った 22時前後には 我が家も 一時 強烈な風雨にさらされ 緊張しましたが 幸い大きな被害は 出ていないようです。室内に避難させた 鉢植え植物や 洗濯物に囲まれて なんとも 湿っぽく 寝苦しい夜を過ごしましたが 今朝は 台風一過の 青空。でも 湿度は高く 今日は 蒸し暑い1日になりそうです。

014_4

西の空に 巨大なレンズ雲。