たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「寄り合い家族」 No.018

2023年11月01日 12時26分42秒 | 物語「寄り合い家族」

第4章 「巣鴨の家」
(3)

千代子が、尋常小学校を卒業してからも、くには、千代子を連れて、駒込の松本邸に通っていたが、善蔵、良重夫婦は、そんな、くにと千代子母娘に、主人と使用人の関係を超えて、温かく接してくれた。
くにが、掃除、洗濯、食事の支度等、家事をこなしている間、善蔵、良重は、千代子を相手にすることが楽しみにもなっており、時々やってきた、良重の姪、日出典子も加わって、賑やかな時間を過ごせることに満足していたからだった。
すっかり、くにと気が合い、馴染みになった吾妻橋の典子も、くにとのおしゃべり目的で、駒込にやってくることが多くなっていたが、ある日、
「叔父さん、叔母さん、来週、親戚の法事で、福島へ出掛けるんだってね。2~3日、泊まってくるようだし、その間、くにさん、千代ちゃん連れて、ウチに来ない?」
「狭い家だけど、縫い子の部屋なら、2人位、寝泊まり出来るしさ・・・」
そう言えば、くには、千代子を連れて、他所様の家に泊まったこと等、それまでに無いことに気付き、たまには、千代子に、そんな経験をさせるのも、いいのかも知れないと思った。くには、早速、典子の好意に甘え、有難く受けたのだった。
典子に誘われるまま、まるで面識も無い日出家を初めて訪れるくに、そこは、気を遣った。出掛ける時には必ず着る和服にした。細身で、小顔なくには、和服がよく似合ったのだった。千代子にも他所行きの着物を着せ、市電に乗って、吾妻橋の典子の家に向かった。
表通りから、10数メール入り込んだ路地に有った典子の家に着くと、典子の夫詮三も、仕事場から出てきて、にこやかに迎え入れた。どうやら、詮三も、典子から、くにと千代子母娘の家庭事情を聞いていて、なにかしてやりたいという気持ちを持っていたようで、その日の夕食は、大変なもてなしを受けてしまった。
翌日、典子は、仕事を休み、くにに付き合ってくれた。吾妻橋の典子の家からが浅草は近い。
隅田川を渡れば、浅草雷門、浅草寺、松屋・・・・、
千代子にとっては、生まれて初めての浅草界隈、典子、くにと、逸れないようにしながらも、ウキウキ過ごした1日となった。
「せっかく、来てくれたんだから、もう1泊してってね」
典子は、初めからそのつもりでいて、さっさと決め込み、その夜も、大変なご馳走に預かった。
典子の家に、2泊させてもらい、巣鴨の家に戻ったくに、その翌日からはまた、千代子を連れて、駒込の松本邸に通った。
それからまた、半月過ぎた頃、典子が松本邸にやってきて
「くにさん、ちょっと話が有るんだけど・・・・」と、呼び止める。
「実は、主人が元居た会社で、見習いのような、下働きのような仕事をする女の子を、探しているっていうんだけど、千代ちゃん、どうかしら・・・」
話をよく聞いてみると、典子の夫、詮三は、元レナウンの社員で、中途退職し、墨田区吾妻橋の路地裏の現自宅兼作業場で、典子と共に、何人かの縫い子を使って、メリヤスの下着等のミシン仕上げ業を営んでいたのだった。出来上がった製品は、主にデパート等に納入する等し、結構、繁盛している風だった。
詮三は、典子と共に、尋常小学校を卒業したばかりの千代子を連れて、家政婦の仕事を続けているくにに、何か手を伸ばしてやりたいという思いが強く、千代子を、早く一人前の娘に育てたい一心のくにの心意気にも、感じるものが有ったのだろう。ただ、幼い千代子が出来る職業等、そう有るわけがなく、たまたま耳に入った話を、持ってきたのだった。
くには、くにで、どんな仕事でも、いろいろな体験をさせることは、千代子のためになるのではないかと考えていて、典子に、その口利きをお願いしたのだった。

詮三の口利きで、千代子は、目黒に有ったレナウンの工場のミシン部の「見習い、下働き」として採用された。ただ、幼い千代子が採用された言っても、ミシンをうまく踏めるはずもなく、せいぜい、掃除や雑用位しか出来ないことは、明白だった。最初から、そのような仕事と決まっていたのだと思われる。
会社で働く・・・、初めての体験の千代子にはつらい日々が続いたが、一方で、ほとんどが若い女性の職場であり、休み時間等、あの人が好きとか嫌いとか、恋愛の話、映画スターの話、華やかな流行の話、等々、わいわいがやがや賑やかで、それまで世間を全く知らない千代子には なにもかも新鮮で、うきうき楽しくてしかたなかったと、晩年になって述懐している。

因みに、くにと親交を深めた、詮三、典子夫婦は、第二次大戦後も縫製業を続け、その後、娘百合子と入婿康雄夫婦が事業を継承し、昭和40年頃まで、営業していた。家族全員が、温和で、人情に厚く、お節介焼き、典型的な東京下町の気さくな人達で、戦後、北陸の山村に移住した、くに、千代子にとって、かけがえのない、親戚のような存在となり、深い付き合いを続けたのだった。

千代子が、レナウンの工場で「見習い、下働き」として働いたと言っても それ程長く勤めた訳ではなかった。今で言う 「短期的な学生アルバイト」程度に過ぎなかったのだろうと思われる。
レナウンの工場をやめた千代子は、再び、巣鴨の家で、家事手伝いをしながら過ごすことになった。

(つづく)

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「寄り合い家族」 No.017

2023年10月21日 18時29分46秒 | 物語「寄り合い家族」

第4章 「巣鴨の家」
(2)

正月気分もおさまり、よく晴れて風も無く、陽射しが温かく感じる日だった。くには、盥(たらい)に汲んだ井戸水で、せっせと洗濯に精を出していたところだったが、通りの板塀から、ひょっこり顔を覗かせた入江綾子が、
「くにさん、ちょっと、いい?」と、言いながら入ってきた。
千代子と同い歳の女の子がいたこともあって、ここ、巣鴨に引っ越してきてから直ぐに親しくなり、互いに行き来するようになっていた、近所の資産家の入江淳一郎の妻である。
くにより、2~3歳は若く、気さくで、誰とでもおしゃべりする女性だったが、人当たりの良いくにとは、特に馬が合ったようで、お互いに、「くにさん」「綾子さん」と呼び合う仲になっていたのだ。
「今日は、だいぶ、あったかくて、助かるねー、」
「何しろ、洗濯物、たまってしまってさあ・・・」
「玄関の横の梅、ちょっと、蕾、膨らんできたんじゃなーい」
洗濯は、まだ終わってはいなかったが、くには、手を休め、綾子を家の中へ招き入れ、いつものように茶を入れると・・・、
「実はねえ、くにさん、ウチの人がさー、知り合いから聞いてきた話なんだけどさー、掃除とか、洗濯とか、食事の世話とかしてくれるおばさん、探しているっていう人、いるんだってさー・・・」
「詳しいことは分かんないけど、どうも、金物問屋のご隠居の家でねえ、駒込らしんだよ。駒込なら、近いしさー・・・」
「住み込みでなくってもいいって、言ってるようだしさー、くにさん、どうかしらねー、・・・」
くには、前の年の秋に、この巣鴨の家に引っ越してきてから直ぐにも、本格的に仕事を探し始めていて、あちらこちらに声を掛けていたのだった。くにと千代子、母娘の事情を知って、いろいろ心配してくれる人がいたが、尋常小学校高学年の千代子を一人、放っておく分けにはいかず、やはり、限られた時間の仕事となると、なかなか難しく、千代子が、学校を卒業するまでは、無理かなあ等と思い始めていたのだった。
「わたしなんかでも、務まりそうなのかしらね」
綾子がもってきてくれた話に、なんとなく気乗りしてしまったくに、
「せっかく、旦那さんが心配して、もってきてくれた話、うかがってみようかしらん」
「綾子さん、旦那さんに、その方の住所とか名前、聞いてもらうよう、お願いして下さいな」等と応じ、綾子は綾子で、くに、千代子、母娘には、なんとしてもお節介を焼く気になっていた。
その数日後の昼過ぎ、綾子が、夫の淳一郎が知り合いから聞き込んできた、家事手伝いをするおばさんを探しているというお宅の情報を知らせにやってきた。そのお宅は、松本善蔵、良重という老夫婦の家で、駒込の駅から歩いて5~6分に有るのだという。善蔵は、2年前まで、浅草で金物問屋を営んでいたが息子に譲り、隠居暮らしをしていたが、今年の正月、妻の良重が足を悪くし、思うように家事を熟せなくなってしまい、急遽、お手伝いさんを探しているということのようだった。
「ウチの人、くにさんのこと、知り合いに話したんで、多分、その松本さんの方に連絡してくれていると思うよ」、
綾子から急かされたくには、その翌日、早速、駒込の松本善蔵邸を訪ねたのだった。
どっしりした造りの邸宅で、訪いをいれると妻の良重が玄関に出てきた。足を引きずっていたが、品の良いおっとりした女性で、くには 第一印象、好感を抱いたのだった。予め、話が通じていたのだろう、すんなり迎え入れられ、座敷に通され、夫の善蔵とも型通りの挨拶を交わしたが、細かいことに拘らない鷹揚な人柄のように見え、くには、たちまち、この家の家事手伝いを、やる気になってしまったのだった。
さらに、働く時間も、きっちり定めること無しで、食事の支度、片付け、掃除、洗濯等さえ、きっちりしてもらえれば、それで良いこと、くにと千代子の事情も聞き知っていて、子連れで通ってもらっても一向に構わない等、くににとっては、願っても無い条件が揃っていて、くには、一も二もなく、「よろしくお願いします」と、頭を下げるのだった。善蔵・良重夫婦も、くにの人柄を感じ取ってくれ、大いに好感を持ったようで、
「明日からでも、お願いしますよ」と、歓迎されたのだった。
特別、準備するものも無く、くには、その翌日から、駒込に通い始めた。他人様の暮らしの中に入り込み、家事をするには、気遣いも必要、馴れるまでは、相当な時間は掛かるものだが、若い頃から、女中奉公等していたくににとっては、その辺の心得は十分に有り、料理の腕も素人とは言えず、善蔵、良重夫婦は、くにの働き振りに感心するばかりだった。
千代子を、出来るだけ一人にしたくないくには、千代子の登校時間、下校時間、休日、朝、昼、夕、時間を調節しながら、時々は、千代子を連れて、松本邸へ通ったのだが、善蔵、良重夫婦にとっては、女の子が時々家に居る暮らしが楽しみになり、千代子を孫のように可愛がってくれるのだった。
ある日、くにが千代子を連れて、松本邸で出向き、家事をしていた時、良重の姪だという日出典子という来客が有り、くには、引き合わされた。典子は、くにより1歳歳上で、夫と共に、吾妻橋の近くでメリヤス下着等の縫製業を営んでいるという、サバサバ、如才ない、江戸っ子気質の女性だった。
情に厚い典子は、年齢もほとんど同じくにが、養女の千代子を連れて、叔母の家で、家事手伝いの仕事に通っていることに、すごく同情を感じたようで、積極的に話掛け、打ち解けて、旧知の友達のように、接してくれたのだった。月に3度は、松本邸に立ち寄っているという典子、くにと顔を合わす度に、親しくおしゃべりするようになり、
「今度、ウチに、遊びに来なさいよ」等と 言われる仲になった。
善蔵、良重夫婦には、そんな、くにと典子の関係が、仲の良い娘姉妹のようにも見え、温かく見守る風であった。
やがて、3月になり、千代子は、転校してわずか数ヶ月の尋常小学校を卒業することになったが、担任の先生や同級生と馴染む間もな無しで、感慨は薄いものだった。千代子は、晩年になって、その卒業した小学校のことが、ほとんど記憶に無いことに気がつくのだった。

(つづく)

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「寄り合い家族」 No.016

2023年10月06日 18時46分39秒 | 物語「寄り合い家族」

第4章 「巣鴨の家」
(1)

くにと千代子は、引っ越してきた巣鴨の家で、昭和10年の正月を迎えた。内縁の夫源吉を亡くしてから、1年が過ぎたばかりだったが、くににとっては、初めて自分の家を持った感慨が有って、晴れがましく、玄関にお飾りを設え、近所のお宅にも、新年の挨拶をするのだった。
千代子もまた、そんなくににくっついて回り、突然亡くなってしまった養父への思いを引き摺ってはいなかった。物心ついてから、2階の有る家に住むことが初めてだった千代子にとっては、階段を昇り降りすることさえも、うれしくて仕方なかったのだ。
その家は、1階に、小部屋を入れて3間有り、2階には、2間と簡単なお勝手も有り、2世帯が暮らせる構造なっていたのだ。玄関先には狭い庭が有り、目隠し用の粗末な板塀で囲まれており、庭の西側の隅には、井戸が有った。当時は、井戸の有る家も少なく無かったのかも知れない。
くにが、井戸水を汲み上げ、洗濯をする時は、いつも千代子が側にいて、その手伝いをするのだった。便所は、母屋の廊下の一番奥に有り、夜は暗がりとなり、最初の内、千代子は怖がって、くにが付いていってやるしかなかった。
表通りには、八百屋、菓子屋、床屋、不動産屋等が並び、人当たりの良いくにのこと、町内の住人の誰とも解け入って、「みんな、いい人ばっかりで良かったわ・・」が、いつしか、くにの口癖になっていた。
お茶目で、人見知りしない千代子も、そんな町内の人気者となり、父親のいない可哀想な子としてもみられ、「チヨちゃん」「チヨちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。
特に、千代子と同い歳の女の子がいた、資産家の「入江さん」や、不動産屋の「土屋さん」のお宅とは、直ぐに懇意となり、家族ぐるみの付き合いが始まっていた。
昭和10年頃前後、まだまだ、古き東京の人情味あふれる暮らしが、そこには有ったのだ。

(つづく)

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「寄り合い家族」 No.015

2023年10月01日 20時21分15秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(6)

内縁の夫源吉を不慮の事故で亡くしてしまったくには、これからどうしたものか、思案に暮れながら、過ごしていたが、それから半年も過ぎた頃になって、ようやく、千代子をしっかり育て上げるためには、働くしかなく、いろいろな伝手を頼り始めていた。
くには、ほとんど毎日、働き先を探し歩くようになっていたが、ある日、思わぬところで、東京市豊島区西巣鴨、とげぬき地蔵通りから細い路地を少し入ったところに、42坪の借地権付きの2階建て中古住宅の売り出しが有ることが耳に入った。千代子を落ち着いて育てるためには、仕事を探す前に、まずは、ちゃんとした家に定住した方が良いと考え始めていたくには、なんとなく気をそそられ、早速下見に出掛けたのだった
古い板塀で囲まれ、狭いながらも庭が有り、井戸も有り、建物はかなり古いものの、1階、2階、部屋数も多く、落ち着いた雰囲気が有り、何よりも売値が安いことで、くには、すっかり気にいってしまった。建物の売り主は、商売はうまくいかず、すでに郷里に帰ってしまい空き家になっていて、捨て値で売りに出しているようで、相場より随分安い物件だったのだ。地主は、地元の大地主の未亡人で、中井嘉子という女性であることも分かった。信用出来る物件なのかどうか、一抹の不安も有り、くには、その地主宅をも訪れている。訪いを入れると、60歳くらいの福々しく柔和な感じの中井嘉子は、初対面にも拘わらず、くにを座敷にまで通してくれ、打ち解けて、くにの身の上話、家庭事情までもよく聞いてくれ、信頼出来る人柄であることも分かった。
「それは、それは・・・、貴女も、辛い目に遭ってこられたんですね。あそこなら、暮らすにも、仕事をするにも、便利ですし、是非、長く住んで、娘さんを育て上げてやって下さいな」
どうしても、その家を手に入れたくなってしまったくに、締まり屋で、若い頃から、しっかり貯め込んではいたが、自己資金だけでは足らず、埼玉の実家の兄にも泣きつき、夢中になって金策に走り、なんとか、購入契約手続きにこぎ着けたのだった。かくして、くには、借地権付きではあるが、長年の念願だった、家持ちになったのだ。
尋常小学校高学年の千代子には、まだその辺の事情を理解出来るはずもなかったが、くにが、なみならぬ決意で引っ越しを決めていることだけは分かった。
「ねーえ、おかあさん、引っ越しするの、来年の春にすること出来ないの?」
「それがね、相手さんが急いでいて、待てないんだよ。ごめんね」
そして、昭和9年(1934年)の秋、くにと千代子は、目黒油面から、巣鴨へ引っ越しをしたのだった。あと数ヶ月で、渋谷猿楽尋常小学校で卒業するはずだった千代子は、残念ながら転校せざるを得なくなり、それまでの沢山の友達をいっぺんに失うことになり、そのショックはかなり大きかったようで、晩年になってから、渋谷猿楽尋常小学校の同窓会同級会の名簿もアルバムももらえず、仲の良かった同級生の誰一人とも、それっきり音信が途絶えてしまったことが、生涯に渡り、最も悔しいことだったと、繰り返し語っていたものだ。

(つづく)

 

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「寄り合い家族」 No.014

2023年09月24日 17時54分23秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(5)

張作霖爆殺事件、柳条湖事件・・・・、関東軍の自作自演の事件をきっかけに、昭和7年(1932年)、傀儡国家に反対していた犬養毅内閣総理大臣が殺害される「五一五事件」が発生、昭和8年(1933年)には、日本は、国際連盟を脱退し、国際社会から孤立、次第に日中戦争に向かい始めていた時代だったが、くに、源吉の暮らしには、まだまだ、大きな変化は無く、平穏だった。
40代に入ったくには、内縁の夫源吉と、養女千代子と、このまま、安寧な暮らしが続いてくれれば、それでいいと思うようになっていた。
だがしかし、そんな暮らしがあっという間に崩れる運命が、待ち構えていた。
目黒油面の家に引っ越して2年目の年の暮のこと、晴天の霹靂、くににも、千代子にも、良き夫、良き父親を演じてくれていた源吉が、急死してしまったのだ。
その日、鳶職だった源吉は、町内の歳末年始の飾り付けに動員されていた。主に高所の作業を引き受けていたに違いない。その飾り付けも大方、終わろうとしていた頃に、源吉が梯子から降りようとした時、誤って頭から転落したというのだ。直ぐに病院へ運び込まれたが、知らせを受け、くにが病院に駆けつけた時には、すでに帰らぬ人になっていたのだ。付き添っていた町内の世話役も
「それ程高い所からの落っこちた分けじゃなかったんですが、・・・、打ち所が悪かったようで、・・・、まさか、こんなことになるなんて・・・、」、言葉を失っている。
学校にも知らせが届き、早退けしてきた千代子も、その現実が飲み込めず、くににすがり付くだけだった。
「なんで・・・、なんで・・・、」
くにと千代子は、源吉の枕元で、悲しむことさえも忘れ、ただ呆然とするばかりだったが、くにには、泣いてばかりいられない緊急事態であり、気を取り直し、身内が居ない内縁の夫源吉の葬儀の手配をし、気丈なところ見せなければならなかった。その時はまだ、これから先、内縁ではあったが頼りにしていた夫源吉を失い、千代子と二人で、どうやって生きていくのか等、新たな試練に思いを巡らす余裕等、くにには無かった。

(つづく)

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「寄り合い家族」 No.013

2023年09月20日 09時10分21秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(4)

くにの食堂は、開店してから順調に客足が伸び、学生や若い勤め人等の客常客も付き、外目からは、繁盛しているように見えたが、わずか3年で、突然、閉店することになった。
閉店した表向きの理由は、採算が合わなかったということだったが、実は、他にも理由が有ったようだ。華奢で姿かたち良く、和服が良く似合う、どこか男好きするくにが、若い客に愛想を振りまき、「オカミサン」、「ネエサン」、「オバチャン」等と慕われていたのを、日々垣間見ていた、無口な内縁の夫源吉が、面白くなくて、強引にやめさせたのだというものらしかった。もしかしたら、何か、源吉が許せない問題が生じたのかも知れなかったし、家主とのトラブルも有ったようだ。少女の千代子には、その辺の事情が分かるはずも無く、「どうして、お店、やめるの?・・・」と、なんども、くにに、食い下がったが、くには、はっきり答えることをしなかった。千代子が、その訳を理解したのは、後年、成人してからのことだったのだ。

食堂をやめて直ぐ、くに、源吉、千代子の家族は、目黒油面(現在の東京都目黒区)に引っ越しをした。和室2間と台所、3坪程の庭付きの木造、平屋の狭い借家だったが、親子3人で暮らすには、不自由しない家だった。ただ、尋常小学校高学年になっていた千代子は、区外通学となり、東横線を利用することになった。学校に行くには、主に、東横線の「中目黒」「代官山」で電車を乗り降りしたが、子供には、かなりの距離を歩くことにもなった。ただ、そのことは、千代子にとって、すべて新鮮で、ウキウキ通学しているようにも見え、くにも安堵したのだった。
くに、源吉も、直ぐに町内のつきあいにも溶け込み、居心地良い暮らしが始まったのだった。人付き合いの良いくには、仲良くなった隣り近所のオカミサン連中とあっちこっちに出掛けることが多くなった。当時、代官山界隈には、おしゃれなアパートが沢山有り、「今日、水ノ江滝子を、近くで見たよ!」等と、帰宅したくにが、興奮気味に、源吉に話していた様子を、千代子は、晩年になってまで覚えていた。千代子にとっても、代官山界隈は、同級生等と遊び回った町、我が町となった分けだが、戦後、晩年になって、遠い北陸の山村から、すっかり変貌を遂げた代官山界隈の映像や話題を見聞きする度に、懐かしい当時の風景を思い出しながら、そのことを語ったものだった。

(つづく)

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「寄り合い家族」 No.012

2023年09月19日 09時42分06秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(3)

千代子が尋常小学校へ通い始めて、1年が過ぎ、2年が過ぎた。くににとっては、夢にまで見ていた、子供を中心にした、賑やかで平穏な家庭が実現出来て、充実した日々になっていたが、それまで、千代子を自分の娘として育て上げることに、心身、一生懸命で、頭の片隅の追いやられていた、もう一つの夢を、再び見るようになっていた。
それは、源吉と暮らすようになった頃から、源吉にもずっと話していた夢で、家庭料理を出す食堂、今で言う定食屋のような、小さな食堂を営んでみたいという夢だった。
「ねえ、あんた、あたし、昼間、ぶらぶらしててもしょうがないし、前から言ってるように、食堂、やろうと思うんだけど・・・」
幼い頃に小料理店に奉公に出され、仕込まれ、若い頃には、居酒屋等、水商売を経験したらしいくには、料理が得意だった。働き者で器用だったくに。
日々の料理の腕を知っている内縁の夫源吉も、
「そうか、やっぱり、やりたいか。だったら、おれも、あっちこっち、あたってみることにするけど、・・・」
二人は、それぞれ、伝手を頼って物件を探し回ったが、なかなか条件に合う物件、有るものでなく、それからまた、半年、1年が過ぎた。
千代子が、尋常小学校3年に上がった春のある日、源吉が、帰ってくるなり、
「今日、昔の友達にばったり会ってよ。アレの話、したんだけどよ、なんでも、惣菜屋やってた叔父さんってのが、この冬、突然倒れて、商売出来なくなってよ、田舎に帰ってしまったらしいんだ。その惣菜屋の店ってのが、そのまま空き家になってるらしいんだ。家主がいる、借家らしいんだけどよ、2階屋で、家族3人位だったら、住める家なんだってよ」
「一度、見に行ったらどうかって、言ってるけどよ」
「もし、気に入ったら、家主を知ってるから、掛け合ってやってもいい、言ってくれてるしよ」
場所は、今住んでいる町からは、少し離れているが、引っ越しても、千代子の通学には、支障なさそうな町だと言う。
早速、くにと源は、その物件の下見に出掛けたのだった。
中目黒の商店街の路地の奥に有り、間口2間、1階が店、2階が住まいの木造に古い建物ではあったが、くには、いっぺんに気に入ってしまい、源吉も同感し、そこに引っ越すことを決心したのだった。
家主との契約もスムーズに行き、早速、向こう隣りの大工の棟梁木下松蔵に、
「松つぁん、大した仕事で無くて悪いんだけどねえ、そういうわけで、引っ越すことになってさ、店の部分の改装工事、お願い出来ないかしらねえ」
「くにさんの頼みじゃ、断れないやね。今の仕事、今月で終わるしさ、来月にや掛かれまさ」
それから、2ヶ月後、すっかり模様替えされ、カウンター中心の小さな食堂が完成、初夏の爽やかな晴天の日、開店にこぎつけた。店の名は、「昭和食堂」として、小さな看板も出した。
かくして、かれこれ、10年近く住み、近隣の人達とも馴染んだ、渋谷八幡通りの路地の奥の家から、くに、源吉、千代子、家族は、大勢の町民から名残惜しまれながら、中目黒の商店街の路地の奥の家に引っ越しをしたのだった。
くにが、目指したのは、あくまでも、一般の家庭料理を提供する食堂、今で言う「定食屋」のような食堂で、安価で、美味い料理が売りだった。客層は、やはり、学生や若い勤め人等で、人伝ても有り、客足も伸び、次第に常連客が増えてきた。
キビキビと働くくに、愛想が良く、気前が良いくに、痩せ型でどこか男好きするくに、「オカミサン」、「ネエサン」、「オバチャン」等と呼ばれ、くには、若者達から慕われたのだった。
千代子も、学校から帰ると、店に顔を出しては、くにの手伝いをしたり、邪魔がられたりしていたが、常連客には人気者となり、「チヨちゃん」、「おたふくちゃん」、「おかめ」等と、からかわれたり、可愛がられたりしたのだった。
暇な時間帯、千代子は、店で学校の宿題をやってることが多かったが、そんな時に、ぶらっとやってきた学生等は、どれどれ・・と覗き込み、教えてくれたりすることも有った。そんな光景をくには、店の奥から、目を細めて眺め、これ以上無い幸せを感じていたのだった。
が・・・。

(つづく

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「寄り合い家族」 No.011

2023年09月13日 21時00分57秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(2)

明治24年、埼玉県の農家の次女として生まれ、幼くして、東京の小料理店に奉公に出された石澤くには、三十路前後から、渋谷で、鳶職の阿藤源吉と同棲し、人並みの安定した暮らしに入っていたが、自分の生い立ちや、その間の遍歴を、生涯語ることをしなかった。人に知られたく無い数多の辛酸が有ったに違いない。内縁の夫源吉が、どこまで、くにの遍歴を知っていたのかも、不明だったが、女一人、東京で生きるためには、男運、金運、数多の遍歴を重ねたことが想像される。少なくとも、結婚、出産、家庭を持つという、定石通りでは無かったことは確かであり、訳有りの女だったはずだ。周りからは、「どうも、水商売をしていたらしい?」という風にとられていたくにだったが、それ以上を追求されなかったのは、品の良さや人当たりの良さ、面倒見の良さ、親しみやすい人柄だったことによるのだろう。
源吉と同棲した後も、子供は出来ず、どうしても自分の子供が欲しいという悲願を持ったのも、生い立ちや、遍歴から生まれたことだったのかも知れない。それは、軽い思い立ち等ではなく、くにの生涯を掛けたものだった。千代子を養女にしてからは、実の母娘以上の深い絆を築き、ひたすら千代子のために生き、戦後、異国とも言える北陸の山村に移住してからも、78歳の生涯を閉じるまで、千代子に寄り添って生きたのだ。細身で和服が良く似合い、一見、弱々しく見えたくに、まさに、明治、大正、昭和を生き抜いた、働き者で献身的な女性だった。

(つづく

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「寄り合い家族」 No.010

2023年09月11日 19時52分14秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(1)

3歳の時に実母と死別し、実父とは4歳で離別した千代子は、5歳の時、運命的な出会いで、自分の子供がどうしても欲しかった石澤くにの養女となった。くにには、内縁の夫、鳶職の阿藤源吉がいたが、源吉もまた、大の子供好きで、千代子は、二人にとって宝物を授かったかのように歓迎されたのだった。千代子は、初めてくにに出会ってまもなくから、二人を、「おじちゃん」「おばちゃん」と呼んで懐いていたが、物心付いてから初めて、「おとうさん」「おかあさん」と呼べる家族と暮らすことになったのだ。
源吉は、一見、無口で無愛想な男だったが、千代子に対しては、いつも目を細めて可愛がった。収入が不安定な職業であったはずだが、千代子を、あちらこちらに連れて行ったり、欲しがるものは、何でも買ってやったり、やさしい父親を演じていた。
くににとっては、自分の子供がどうしても欲しいという念願が叶い、これ以上ない幸せな日々だったに違いない。
1ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎ、2年が過ぎ、千代子も、いつしか、つらい目にあっていたことも忘れ去り、やさしい養父母の愛に包まれて、伸び伸びと、明るいお茶目な女の子に育ち、すっかりその家の子供に成りきったのだった。面倒見が良く、人当たりの良いくにの娘として、近所の人達からも可愛がられ、人気者となり、同じ年頃の友達も出来、元気に遊び回る少女になっていたのだ。
ただ、くには、千代子を、甘やかしてばかりで育てる気は毛頭無く、掃除や洗濯、台所や縫い物の手伝いをさせたり、行儀等、躾には、かなり厳しく、叱りもし、しっかりした人間に育てることこそ、養女にした自分の責任、役割だと考えていた。それだけに、中身の濃い母子関係がどんどん深まっていくのだった。
やがて、千代子は、くにと源吉を父母として、普通の家庭の子供と変わりなく、東京府豊多摩郡渋谷町立猿楽尋常小学校に入学することになった。
千代子の寝顔を覗き込む、くにと源吉、
「よっぽど、学校に行くの、嬉しいんだろうな。いつもなかなか寝ないのに、さっさと自分で寝ちまってよー・・・」
「そりゃそうだよ。もう何ヶ月も前から、楽しみにしてたんだもん」
くには、源吉を見やり、
「ここまでこれたのも、あんたのお陰だよ。ありがとね」
「何言ってんだい。おまえが、しっかり育てたからじゃないか」
「まあ、ここまで来たら、一安心よね。学校へ行けば、また新しい友達も出来るだろうしさ・・・。この子、案外、人見知りしないしさ・・・、」
くには、台所から、お銚子を1本つけてきて、源吉にお酌、
「おまえも、1杯どうだ」、「そうね。いただこうかしら・・・」
くには、しみじみと今の幸せを味わうように、盃を口に運ぶのだった。
くに、39歳、源吉、40歳の春だったが、その先、自分達にどんな運命が待ち構えているのか等、その時はまだ、全く考えもせず、穏やかなものだったのだ。

(つづく

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「寄り合い家族」 No.009

2023年09月04日 09時05分36秒 | 物語「寄り合い家族」

第2章 「出自」
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千代子が、17歳になった頃、実の兄徹郎が千代子に打ち明けた話が有る。実の父木村甚一郎は、千代子を、くにの養女にしてまもなくの昭和6年2月に、松本の甚一郎の実家の遠戚に当たる柳萬善太の養女、柳萬キクと再婚して、東京市豊多摩郡渋谷町丹後(現渋谷区)に所帯を構え、徹郎、千代子の義妹となる子供(異母妹)が生まれていたという話だった。千代子は、大きな衝撃を受け、その話を、養母くににも話した。それまで知っていて話してくれなかったのではないかと、詰め寄ったりもしたが、くにからは、お互いに深い事情が有ってのこと、どうすることも出来ないこと、今は、お互いに、行き来しない方が良いことを諭されて、頷くしかなかったのだ。おそらく、絶縁、離別した実の父ではあったが、長男である徹郎と、長女千代子の養母であるくにには、手紙等で、近況等をある程度知らせていたに違いない。
ただ、千代子には、心の内を語れる、良き相談相手、実の兄徹郎が現れたことで、心が浮き立っていて、何事も徹郎の言う事にも従い、そのことで、余り悩んだり苦しんだりもせず、明るく天真爛漫に暮らすことが出来たのだった。それでも、心の奥底には、実の父親が身勝手で薄情な人だとの思い、恨みは、消えることなく、戦後、昭和30年代、晩年になってから、お互いに落ち着き、実の父娘再会を果たす頃まで、くすぶっていたのだった。

(つづく)


これまでの主な登場人物

千代子(木村甚一郎の長女、石澤くにの養女)(主人公)
石澤くに(千代子の養母)
阿藤源吉(石澤くにの内縁の夫、鳶職)
木村甚一郎(千代子の実父)
木村徹郎(木村甚一郎の長男、千代子の実兄)
木村助三郎(木村甚一郎の従兄弟)
木下松蔵(大工、松つぁん)
市和田春治(町内会世話役、土建業)


 

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