梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡礼に御報謝…

2006年11月12日 | 芝居
風の冷たい一日でしたね。皆様体調はいかがですか?
ただ今、秋葉原から帰ってまいりました。どこの店でも売切御免の任天堂DSが欲しくて、もしかしたら…と思い、アキバに詳しい後輩二人を案内人に十カ所以上のお店を巡ったのですが…。やっぱりダメでした。あるのは中古か海外版のみ、それが新品のものよりも高価なんですからいやになってしまいます。また後日、トライしましょうか。

さて、ここしばらくご無沙汰してしまいましたお芝居のお話を。
今月部屋子の梅丸が勤めております<伊勢詣り>。正式な役名は<お伊勢詣りおいぬ某>とありますが、私、この<おいぬ>というのは、少女の名前なのだと勝手に思い込んでおりました。ところが調べてみると、この<おいぬ>というのは、大奥での雑用のために無給で雇われていた少女たち(だいたいは15~22、3歳)のことをいう<御犬子供>という身分のことだそうで、なぜ犬なのかと言えば、自分たちの食事が、大奥での食べ残しだったことからきた…と申しますから、なんだか可哀想な気持ちになります。
たしかに<おいぬ>が人名だったら、わざわざ最後に<某>をつけることもありませんね。普段一生懸命雑事に汗を流す少女が、年に一度の晴れの日を、<道中ごと>で楽しんでいるのでしょう。…先ほど<御犬子供>の多くは15~22、3歳と申しましたが、そうでない場合も当然あったでしょう。真山青果氏の原作のト書きには、「8、9歳」と指定があります。
少女の役ですが、衣裳が<東からげ>になっていることからわかる通り、男の子に扮しているつもりなのです。鬘も、後頭部で束ねた毛先を、男の髷のように前へ返した形になっております。

…大奥の仕組みも、調べるとなかなか面白いですね。明日また、お伝えいたしたいと思います。
半蔵門駅近くの垣根に、ホトトギスが咲いていました。

晴れ渡る日も 雨の日も…

2006年11月11日 | 芝居
後輩に誘われて、遅ればせながら映画『涙そうそう』を観てきました。
沖縄を舞台に、妻夫木聡さん、長澤まさみさん扮する義理の兄妹の、いじらしくもまた切ない情愛が描かれます。妻夫木さんの朴訥さ不器用さ、長澤さんの純朴さ可愛らしさ。役者の魅力が十二分に発揮されておりました。ストーリー展開があまりにウェルメイドでは…とも思われましたが、お互いがお互いの幸せを気遣うあまりに、想いがすれ違い、悲しい結末になる…。(わかってやれよ~)と突っ込みながらも感情移入してしまいました。しかしラストはあまりにあっけないと思いません?(←ご覧になった方へ)

見終わったあとは、沖縄尽くしと洒落込んで、いつもの<竹富島>へ。写真は燃えるタコライスです。映画の劇中にも出てきましたね(燃えてませんでしたけど)…。

お断り

2006年11月11日 | 芝居
最近悪質なトラックバックが頻繁に行われておりますので、本日より、全てのトラックバックを受け付けないようにいたしました。
これまで素敵な記事をご紹介頂きました皆様には誠に申し訳ございませんが、あしからずご了解下さいませ。

亥年は歌舞伎座からです

2006年11月10日 | 芝居
気がつけば、平成19年の歌舞伎座正月興行の狂言も発表となり、どんどん先々の予定が埋まりつつあります。今年も残すところあと50日。あっという間ですね~。
本日で藤間御宗家のお稽古も終了。これから先の終演後の予定は、19日の友の会パーティー以外は全くフリー! せっかく午後4時には楽屋を出られる身。普段ではできないことをいっぱいしたいと思っております。
まずは美術館&博物館巡り。Bunkamula ミュージアムの『エッシャー展』は明日から開催ですし、すでに大好評の東京国立博物館の仏像展、江戸東京博物館での浮世絵展など、行きたい会場は十指にあまる、といったらオーバーですが、一つの手では足りません。また演劇も、渋谷、阿佐ヶ谷、下北沢、初台の新国立劇場…。各寄席の中席も巡りたいもの。
以前から念願だった谷中、根津、千駄木周辺の街角散歩も実現させたいですし、もちろん鷲神社の二の酉にも足を運びます。
体力が続くかな? 12月歌舞伎座公演にむけて、身体作りもしなくてはなりません。今はもっぱら舞台の合間に柔軟体操ですが、そろそろ筋トレも…。

ふた月の間ずっと一回公演という恵まれすぎた環境から、昼夜通しの生活に戻るには、ある意味<リハビリ>が必要です!

夜公演でした

2006年11月09日 | 芝居
今月一回目の夜公演。いつもより少し寝坊をして、昼過ぎに藤間御宗家での踊りの稽古。いつも伺っている時間は、今日だと公演中になってしまいますが、御宗家のお心遣いで、舞台に支障がない時間にずらして頂けたのです。お陰様で『浮かれ坊主』は幕切れまで到達いたしましたが、仕上げまではまだまだ踊らねば!

いつもならとっくに遊び回っている時間からはじまる夜公演。なんだか身体のサイクルが狂ってしまうようです。今も眠くて眠くて仕方がありません。今日はこれにて失礼いたします。

足下にも時代が

2006年11月08日 | 芝居
今月私が勤めている<若い者>大勢は、揃って緑色の足袋を履いております。
正確に言えば<革色(かわいろ)>という色なので<革足袋>と申しておりますが、この色の足袋をはいたお役は、『南部坂雪の別れ』の最終場にも出てまいります。
歌舞伎の扮装では、元禄時代を中心とする江戸初期を舞台にした演目では、この革色をはじめ、藤色や浅葱色、鴇色など、様々な色の足袋を履いた役がよく登場いたします。<白足袋>に対して、色みのあることから<色足袋>と呼ばれるこの一連のものは、おもに町人役の拵えで見られますが、伺いますと、元禄時代は町人文化が勃興し、衣裳、髪型、調度にいたるまで、華美を尽くした派手なものを好んだようで(浮世絵には大きな柄を大胆にあしらった着物も沢山描かれておりますね)、ちょうど庶民に浸透してきた布製足袋(それまで<たび>は革製で、しかも身分の高い者が身につけるものだったそうです)にも、オシャレを楽しんでいたようです。
その後、幕府からの贅沢禁止のお触れが出たことから、町人の足袋も白や紺など地味なものに制限されてしまいますが、一つの時代の特徴を表すアイテムとして、歌舞伎ではこの<色足袋>を、演目によって使用するというわけです。今回はまさしく<元禄>忠臣蔵ですので、色足袋を履くのですね。他には『曾根崎心中』も、元禄時代のはなしですので、序幕「生玉社境内」での群衆では、男、女、様々な色の足袋をみることができます。あとは『藤十郎の恋』『大経師昔暦』など…。
ただ、元禄でも、武士や武家の屋敷内で働く者のお役は白足袋が中心になります。今月では『御浜御殿綱豊卿』での諸役がそうですし、先月大勢登場した武士たちも、皆白足袋でしたでしょう?

とはいえ設定が元禄時代だからといって、必ず<色足袋>を履くというわけではありません。色みがかえってうるさく感じられるということもあります。古くからの<定式>にのっとった上で、使い分けられているとお考え下さいませ。

…友の会パーティーでやる落語の演題も決まり、ご宗家のお稽古が終わりましたら、本格始動です。さあどうなりますやら…?


御殿勤めの息抜きは

2006年11月07日 | 芝居
『御浜御殿綱豊卿』の幕開きは、春爛漫の御浜御殿内松の茶屋。年に一度の上下なしの大宴会<お浜遊び>の最中とて、音曲の調べも聞こえてまいります。庭内には数名の腰元たちが、花を摘んだり談笑したり、思い思いのときを過ごしていると、メインイベント<道中ごと>の開幕を告げる先触れが訪れ、一同心を躍らせながら支度に向かう…。
これからはじまる1時間40分余の大作を飾る、素敵な導入部です。

この場の腰元たちは、名題下からでるのがもっぱらですが、私も平成13年8月歌舞伎座での上演時に、このお役を勤めさせて頂きました。当時は演出家の真山美保先生もご健在でしたが、我々にも、事細かに演技指導をして下さいましたこと、懐かしく思い出されます。一番印象深く記憶しておりますのは、「とにかく『楽しそうに』してください」とのことで、年一度の、無礼講とはいかないまでも、多分に開放的な行事にウキウキはしゃいでいるという雰囲気を、強く出すようにとご指示がありました。笑い声もハッキリ大きく、花を摘むとか振り事の真似をするとか(私は三味線を弾く真似をするようにと仰せつかりました)いった仕草も、大人しすぎてはお客様に伝わらないので、しっかりと照れずに演じなくてはなりませんでしたが、普段から女方をしているわけではない身ですから、ちょっと恥ずかしかった記憶がございます。…そういえば、「笑い声が足りない」というダメ出しがあったので、次の日からもっと大きな声で、しかも何度も笑ったら、当時肌の具合がよくなく、白粉の付きが悪かったこともあり、引っ込んで来て鏡を見たら口のまわりだけすっかりはげ落ちてしまっていて、その異様な顔を見た楽屋のみんなから『顔面崩壊女形』とからかわれてしまったことも、今となってはよい思い出です。

ところでこの場の台詞にも度々出てくる<道中ごと>という余興は、腰元たちが銘々下世話の風俗に仮装して、茶番や芸尽くしなど見せながら練り歩くものだそうです。真山青果氏の原作を拝見しますと、中?お喜世と御祐筆江島のやりとり、あるいは綱豊卿とお喜世の会話の合間にも、槍持ち奴、茶屋女、馬子に侍、飛脚といった格好になった腰元たちが滑稽な演し物をしつつ行き過ぎてゆく様が描かれております。今では時間の関係もあり、原作通りの演出は珍しくなりましたが、以前は上演していたそうで、先輩に伺いましたら、<大津絵>の趣向で、藤娘や鷹匠などの拵えで出たこともあったそうです。
今回は近年の演出に倣い、綱豊卿にからむ伊勢参りに扮した子供の召使いしか出ませんが、このお役を、部屋子の梅丸が演じております。当人初めての女方でございます。

また、幕開きに腰元たちの<綱引き>を見せる演出もございます。中央に大きな鈴を下げた綱を大勢で引き合っていて、なかなか勝負がつかないところへ、太った大女の腰元が「ご加勢いたしまする」と片方に取っ付いたとたん、グイグイ引っ張られて大騒ぎ…なんて他愛もない光景ですが、これは師匠久々の綱豊卿だった平成14年5月京都南座では上演いたしました。

女っけが全然なかった先月に比べ、今月の、なんと女役の多いことでしょう。『伏見撞木町』の仲居たち、『御浜御殿~』、『南部坂雪の別れ』の腰元たち。楽屋も心なしか華やいだ雰囲気でございます。

ひとつの変更点

2006年11月06日 | 芝居
先月の『元禄忠臣蔵 第一部』でもそうだったんですが、今回この通し狂言では、鬘(かつら)の形式が、以前ご紹介した<アミ>の鬘になっております。
古典演目で見られる、銅の台金に、毛を植え付けた羽二重絹を貼付けて仕上げるものよりも、生え際がよりリアルになるので、青果作品をはじめ<新歌舞伎>ではよく見られるもので、一連の『元禄忠臣蔵』の個々の作品、今月も上演の『南部坂雪の別れ』や来月舞台にかかる『大石最後の一日』などを単独で上演するときも、<アミ>になるのがもっぱらですが、実は『御浜御殿綱豊卿』につきましては、<羽二重>の鬘で上演するのが通例になっております。その理由、事情は色々先輩に伺ってみましても判明せず、皆さん「自分が入ったころから<羽二重>だった」とのことで、だいぶ昔からのことのようですね。
もちろん師匠もずっと<羽二重>の鬘で綱豊卿を演じてこられたわけですが、今回、史上初の全編通し狂言を敢行するにあたり、これまで<アミ>の鬘を使用してきた他の幕との調和ということもあり、今月の『御浜御殿~』も、<アミ>の鬘になりました。全ての登場人物も同様です。微細なことかもしれませんが、やはりそれだけで雰囲気も変わるような気もいたします。すでに半分古典のようになった演目ながら、あらためて、昭和に誕生した<新歌舞伎>であることが、感ぜられるように思われました。皆様の印象は、いかがでしたか?
<アミ>の鬘は台金もアルミになり、とっても軽いのも特徴です。先月から引き続き、ふた月も<アミ>に慣れてしまいますと、12月の歌舞伎座公演で、<羽二重>の鬘を重く感じてしまうかも…。

今日から藤間の御宗家でのお稽古開始。渋谷はいつも賑やかですね。

大当たりの浅草

2006年11月05日 | 芝居
終演後、関西籍の後輩を誘って、浅草演芸ホールの上席夜の部に行ってきました。
つい先頃、<天満天神繁盛亭>がオープンしたばかりの大阪ですが、これまでは常打ちの<寄席>という存在がなかった関西。せっかく東京に来たのですから、東京の笑いをご紹介できればと思って声をかけたのですが、はたしてバラエティ-豊かな出演者にも恵まれ、楽しんでもらえました。
粋曲の柳家紫文師匠、漫才のホンキートンクさん、ロケット団さん、曲独楽の柳家とし松師匠、太神楽の翁家和楽・小楽・和助師匠、奇術のアサダ二世師匠…。落語以外の演し物に、これぞ寄席芸! という感のラインナップ。もちろん噺には柳亭小燕枝師匠、古今亭志ん駒師匠、金原亭伯楽師匠、柳家小里ん師匠、古今亭志ん橋師匠、トリの桂南喬師匠と、ベテラン勢揃い。中では伯楽師匠の『親子酒』がめっぽう面白かった! 枯れきらず、生にならず、酒好きの父と息子の両方のお役が無理なく描き出され、双方の酔いっぷりが品良く、そしてたっぷりと演じられておりまして、たびたび聴く演題ではございましたが、大笑いさせられました。
また太神楽では、私が研修生時代、一緒に研修を受けていた、第一期太神楽研修出身の翁家和助さんが、鮮やかに鞠と桴の曲どりを披露しており、ともに同じ劇場、同じ控え室で過ごした八年前の日々を思い出し、懐かしくもまた嬉しい気持ちで、その技に拍手を送りました。…寄席囃子にも、今は研修終了生の方々が活躍しているとのことで、本当に、色んな分野で、私たち国立劇場の出身者が頑張っている。みんな<舞台>という世界で繋がっているということを思いますと、私も大いに励まされます!

打ち出しのあとは、国際通りそばの、炉端焼きの<たぬき>で夕食。はじめてお邪魔しましたが、店の雰囲気、お客の賑わい、一品一品のネタの新鮮さ。これはおすすめです。気楽に楽しくお酒を楽しめますよ。

初日以来、お芝居の話を全然しておりませんね。申し訳ございません…。

酉の市! その壱

2006年11月04日 | 芝居
終演後、先輩方のお誘いで、新宿の花園神社のお酉様に行ってきました。
今日は一の酉。土曜日ということもあり、たいへんな賑わい。私は酉の市初体験でしたが、その人出には驚きました。整備員さんの誘導で行列を組み、順番に参拝し、神社で売られている熊手のお守りを買いました。露天で売っている豪華なものにも心ひかれましたが…。心ひかれるといえば、たこ焼き、串焼き、焼きそば、お好み焼きの屋台! あれもこれも食べたいこれも食べたい、もちろん片手にはキンキンに冷えた缶ビール…といきたいところを、お参り後みんなで夕食と思えばグッと我慢。おかげでお店に入ってからの生ビールの美味しかったこと!

私の自宅からも近い鷲神社には、16日の二の酉に伺う予定です。今度は屋台でいっぱい食べようっと!

平穏無事に、初日

2006年11月03日 | 芝居
『元禄忠臣蔵 第二部』の初日、無事終了!
おかげさまで十月に引き続いての盛況、有り難うございます。
『伏見撞木町』での自分の出番も、『御浜御殿綱豊卿』での仕事も、何事もなく勤まりました。良いスタートを切れたと思います。以前申し上げましたように、『御浜御殿~』での裏の仕事は、最後の<早ごしらえ>までは、私と弟弟子の梅秋さんとの二人だけの作業。私が<拵え場>に化粧道具を運ぶ間に、梅秋さんがおか持ちを持って師匠についたり、彼が<散り花>担当なら、私は<出道具確認>担当…と、役割を決めてやっております。有難いことに、兄弟子の梅蔵さんも出番を終えてから色々と手伝ってくださり、最後の<早ごしらえ>では、沢山アドバイスをして下さいます。能衣裳を短時間で着せるというのは初体験ですので、教わって、少しでも手早くこなせればと思います。
今日は初日ということもあり、バタバタしているうちに半日が過ぎてしまいました。師匠がお帰りになってから、みんなで話したんですが、「いつお昼食べればいいのかね」…。みんながみんな、今日は自分たちの楽屋での段取りもつかず、自分の出番と師匠の用事の合間を縫えずに、劇場では昼ご飯を食べ損なってしまいました。自分たちの空き時間は、今日でわかりましたから、明日からはうまく幕間など利用して、食事できるようにしませんとね。

終演後は、池袋に出かけまして、シアターグリーンでの舞台『一億円』を拝見いたしました。以前ご紹介しました、私ども家族みんなで応援している<劇団 偉人舞台>の公演。母と妹と三人で観劇です
昭和41年6月30日、ビートルズの来日コンサート初日に会社社長が誘拐される。その身代金は1億円! 刑事と犯人の息詰る攻防戦、そして意外な結末とは…?
4メートル四方ほどのごく狭い空間を客席で囲んだ形式でして、ごく身近に演者を観ることができ、いい意味での緊張感を味わいながら、2時間のサスペンスを堪能しました。今回で3演目ということもあり、ストーリー、演技ともに安定感があり、男性のみ7人のカンパニーの、それぞれの魅力をあらためて感じました。なかでは犯人役を演じた鹿島良太さんが素敵でしたが、この<偉人舞台>、少人数の劇団ですが、とても面白いので、皆さん是非一度ご覧下さいね(ブックマークに劇団のホームページを載せておきます)。



神楽月稽古場便り 土

2006年11月02日 | 芝居
扮装なしの<素>での舞台稽古。昨日は進行を止めてやり直したりする箇所もままございましたが、今日は基本的にノンストップでした。
『伏見撞木町』もトントンと進み、はじめて芝居の流れが掴めたような…。そのせいかあらぬか、<めんない千鳥>の段取りも至極スムーズに、いいテンションで演じることができました。この調子で、明日から楽しく勤めたいものです。

『御浜御殿綱豊卿』、師匠ももちろん稽古着でなさったので、二回の着替え作業はもちろんなし。ですので今日は、裏の仕事がだいぶ減ってしまいまして、ごくごく楽なものになってしまいましたが、油断すると明日えらい目に遭いますので、どこで何をするか、確認だけはしっかりいたしました。
…このお芝居でも、桜が登場いたします。最終場<能舞台の場>で、綱豊が『望月』の後シテを演じるため、控えの間から渡り廊下を歩んでいざ揚幕へ、というところに、吉良上野介と見誤った富森助右衛門が、その命を狙って槍で襲いかかり、立ち回りとなりますが、途中、助右衛門をかわして後じさった綱豊が、桜の大木にぶつかると、はずみでハラハラと花が散りかかる。緊迫した中にも、美しい場面です。
綺麗に花びらが散るように、いろいろ工夫をいたしておりますが、今日はうまく散ってくれました。偶然ではありましょうが、10月11月の師匠は、花に縁あるお役が続いております。

最後の『南部坂雪の別れ』まで、昨日は七時近くまでかかった稽古も、今日は五時ごろ終了。本番の予定終演時間は四時半ぐらいになるのでしょうか。
いよいよ明日から『元禄忠臣蔵 第二部』開幕です。ドキドキ緊張するようなお役ではございませんが、その場にふさわしい雰囲気を出せるよう、邪魔にならない程度にみんなと工夫しながらやってゆきたいです。

神楽月稽古場便り 金

2006年11月01日 | 芝居
正午より<舞台稽古>。本番と同じ上演順ですから、まず『伏見撞木町』からです。
装置の手直し、動きの段取り、改めて決めてゆくことが多うございましたので、ずいぶん時間がかかりました。とくに二場目、私たち<めんない千鳥>組が登場するところなどは、仲居、若い者の居所から、山城屋(藤十郎)さん演ずる内蔵助の動線、中盤行われる<道具がわり>の段取りなど、今日しか決められないことばかりでしたので、しっかりと打ち合わせをいたしましたし、稽古中も<小返し>を行ったりして不完全な部分を煮詰めてゆきました。一時間ちょっとの芝居が、二時間余もかかりましたが、久しぶりの上演にしては、むしろ早くすんだ方かも知れません。
肝心の<めんない千鳥>、稽古場よりも広くなったぶん、動きながら唄ってみると間が足りなくなったり、素になってしまう部分も出てきたりと、新たな課題も生まれましたが、先輩方の的確なご指示もあり、明日もう一度の舞台稽古では、きっと改善されると思います。
…夜桜と雪洞に囲まれた、素敵な装置にふさわしい、華やかな雰囲気をみんなで出してまいりたいです。

さて、続く『御浜御殿綱豊卿』は、黒衣に身を包んでの裏方舞台となりますが、師匠演じます徳川綱豊は、劇中二度着替えがありますし、出道具の確認、仕掛けのセットなど、することはけっこうございます。ことこのお芝居の前半では、兄弟子の梅蔵さんも、部屋子の梅丸もお役を勤めておりますので、この間師匠の用事は弟弟子と二人きりでの作業となりますが、今日はちょっとバタバタしてしまいました。…後半、一番忙しい二度目の着替え、すなわち着流し羽織姿から、能『望月』の後シテの装束に変わるところは、幸い一門みんなでとりかかれますので有難いです。能装束の着付けはどうしても時間がかかるものですが、それを舞台転換中の限られた時間内でしあげなくてはなりませんのでプレッシャーは大きいですが、今日で段取りは掴めましたので、あとはこちらが手慣れること。無駄のない作業を心がけます。

『御浜御殿~』は四時半頃終了。『南部坂雪の別れ』は、私は関係しておりませんので、今日はお先に失礼いたしました。

                    ☆

今日は歌舞伎座と演舞場の初日ですね。東京三座競演まではあと数日ございますが、お芝居はもとより各寄席でも、本日より十一月上席の開幕です。今月は仕事の終わりが早いので、あちこちで落語三昧といきたいものですが、さあまずはどこから参りましょうか…。