梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之京都日記2の29『お別れとなりました』

2007年12月26日 | 芝居
本日、京都南座「當ル子歳 吉例顔見世」千穐楽。
京都日記も最後のページとなりました。

『将軍江戸を去る』での美濃部の母は、本興行での初の老け役でございました。思えば19歳のときに第1回<音の会>の『引窓』でお幸を勉強させて頂きましたときは、<老け>ということを考える余裕もないままに突っ走ってしまいましたが、今回は、すこしでもその役<らしい>仕草や声音になるよう気をつけるくらいの余裕はできました。
とは申せ、形ばかりになってしまうことなく、心の底から美濃部金之助の母になってひと言の台詞と言うということ…。難かしゅうございました!
数日前に、いつも鬘をかけてもらっている床山さんから、『すっかり(胡麻の鬘が)馴染んじゃいましたね~』なんて言われてしまいましたが、無理して作らなくても、自然にその役の雰囲気が出せるようになるまでは、まだまだ遠き道のりを歩まねばなりません。しかし、今回この舞台で、そういう修行の第一歩が踏み出せましたことは、本当に有難く思います。分不相応なお役を勉強させて頂きました幸せ、そしてそんなお役ともお別れとなった寂しさ、いつも以上に感慨ひとしおの最後の舞台でした。

快適だったマンション、ノビノビできた<団栗湯>、たくさん巡ることができたお寺お社。今回の京都生活は、これまでで一番エンジョイできました。楽しい思い出をお土産に明日帰京いたしますが、さっそく昼過ぎから来月のお稽古…。
気持ちを切り替えて頑張りましょう!



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1 コメント

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まさかとは (梅ごよみ)
2007-12-27 11:58:07
思いますが、いつぞや読んだ志ん生の本に、志ん生の本名は美濃部で、それはそれは由緒ある御旗本だった家である、とありました。

まさか、その美濃部さんの母君ではないかと…。

なにわともあれお疲れ様でした。

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