梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之京都日記2の10『京都観光に…』

2007年12月06日 | 芝居
合間の時間で三十三間堂に行ってきました。
『三十三間堂棟木由来』でも描かれておりますように、紀州熊野から棟木に使う柳を曵いてきたという伝説もあるお寺でございますが、今回初めてお邪魔いたしましてその堂宇の立派さにまずびっくり。
そして内陣に足を踏み入れますと約1000体の観音様!(一部は東京国立博物館へ)整然と鎮座まします姿には、静かな迫力と申しましょうか、ある意味<異空間>の不思議で尊い空気。湛慶作の本尊のお顔の、なんと穏やかなことでしょう。
<通し矢>でも知られるお寺ですが、表からお堂を拝見しましても、この長い長い外縁の端から端までを射抜くという光景が、なかなか想像できません。往時はどんな強弓たちが挑んできたのでしょうか。



続いてすぐそばの養源院に参りました。
淀君が父の浅井長政の菩提を弔うため建てたお寺で、今の建物は、徳川秀忠の時代に、伏見城の遺構を移築して作り直したものだそうです。徳川家代々の菩提寺でもあり、15代将軍慶喜の位牌も祀られておりまして、全然そんなことは知らずに伺ったのですが、おりしも『将軍江戸を去る』上演中です。偶然に驚きました。
左甚五郎作の<鶯張りの床>、俵屋宗達の筆による、杉戸に描かれた白象や獅子、力強く大らかに枝を伸ばした松の襖絵、狩野山楽の牡丹の襖絵など、見どころはいっぱい。それらをカセットテープに録音された解説が案内してくれるんですが、受け付けのおばさまが、小型デッキを手動で操作してくださるのがなんともいい味でして…。
驚きましたのは<血天井>で、伏見城落城の際、城内で自刃した鳥居元忠をはじめとする多くの武将たちの血がしみ込んだ床板をお堂の天井にしているのだそうで、よくみると黒ずんだ手形やら体の形などが見えるのです。ここだけは先ほどのおばさま直々の生解説でしたが、なんとも奇怪、不思議なものですね~。

2、3時間の空き時間でも、じっくり拝見することができました。こんなかんじであちこちめぐってみたいですね。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三条木屋町 (カトウ)
2007-12-07 05:45:22
京都には年に4.5回ゆきますが三条木屋町あたりは幕末の志士達の活躍の場ですので碑を見て感慨にふけることもあります。国立博物館や各美術館もいいですね。南座向のお団子も好きですし。19日が待ちきれません。
返信する