いきなり写真を貼りつけますが、、、、
20歳を過ぎたばかりのタカ長(右端)です。場所は先日も登った可部冠山の山頂です。
注目してほしいのはイケメンタカ長ではありません。その背後の風景です。
背後の山は笹山であることは何とか分かりますね。
向うの稜線を左に登ったところに大掛山があります。
その可部冠山山頂から見下ろした風景です。
古い写真ですがその雰囲気だけはご理解いただけるはずです。
このような写真を紹介するつもりなら、古い写真と同じ方向にカメラを向ければ良かったですね。
でも、カメラの向きは多少違っても、そこに写された風景の違いだけはお分かり頂けますね。
可部峠の近くから撮った可部冠山です。
細かいカメラ位置は特定できませんが、要するに、このように可部冠山がかつては笹山であったことだけご理解いただければ良いのです。
撮影は昭和35年の2月です。市街地に近い低山なので2月でも積雪は多くありません。
しかし、昭和38年は別でした。サンパチ豪雪の年です。
その年は全山深い雪にとざされ、笹はすべて雪の下にかくれ一面の雪山が出現しました。
日帰りで白い山、文字通りの雪山を楽しむことが出来ました。
その時も写真は撮っているのですが、、、、、その写真を探しても見つからなかったので、今日のところはタカ長20歳のころの可部冠山を紹介しているわけです。
可部冠山から西冠山への縦走です。
この山がかつては笹山であったことを知る人は少なくなったようです。相棒はタカ長よりひとまわり若いウサギ年ですが、、、、そして彼も若いころから登山をしていますが、可部冠山が笹山であったことは知らないようでした。
タカ長の登山は同じ山に何度でも行く登り方です。この尾根も何度も歩きました。手前から向うへ、向うから手前へ、、、、、。
冬の季節風が強い日に縦走すると風上側の頬は寒くてしびれそうで、、、、反対に風下側は暑さにほてっていて、、、
これだと左頬と右頬の温度差を利用して顔面発電ができそう、、、などとバカなことを考えたことも記憶しています。
いまの縦走路はこのような木立の中の縦走路です。
このようなところを歩いている人に、上の写真のような、、、、明るい縦走路だったことを想像してもらうのは不可能ですね。
でもまぁ、上の写真を見れば、誰もが納得せざるを得ないでしょう。
堂床山から可部冠山方面を撮った写真、とアルバムには書いていますが、この写真のことはまったく記憶がありません。
先月、相棒と堂床山から可部冠山に行きましたが、その時も自分がかつて堂床山に登ったことがあるのかどうか???
登ったことがあるような、、、、ないような、、、、そのような思いでした。
しかし、動かぬ証拠が出てきましたから、その時登っていたことは間違いありません。
いま登れば結構きつい山で、そのような山に登れば記憶にも残るはずですが、、、、
そのような記憶がまったくないということは、そのころのタカ長には堂床山も楽勝の山だったのでしょうか?
古い写真を見るのは楽しいことですね。他にも話題がありますが、それは後日のお楽しみ、、、、です。
この写真に白トビしたところがありますが、あそこだけ陽が当たり、その風景を上手に写せなかっただけです。
これらの写真をパソコンでセピア色にしたのは古いイメージを出すためです。元の写真は色はうすめですが変色はしていませんでした。
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