西国海道散策倶楽部の歴史散歩に参加しました。
今日の舞台は広島市の西側、JR山陽本線の西広島駅一帯です。このあたりをゴチャゴチャ歩きました。
その軌跡の、今日は右上に飛び出しているところの話題です。
そこに「キリシタン殉教の碑」(緑の中)があるのですが、今日の話題はその前に道です。
今は舗装され風情も何もない、市街地の狭い道ですが、ここが旧西国海道です。
この道を手前から向こうへ向けて、かの秀吉も肥前名護屋城へ行ったのです。
それに付き従う徳川殿などの大名たちも通ったのはいうまでもないことです。
この道をもう少し向こうに行くと、、、、、上の画像では下に向けて歩くと、、、、
三叉路に出ます。向こうから手前に向けて、テレビカメラの前を歩いておられるのが今日の先生。
この画像の手前から向こうへ行くのが西国海道ですが、、、、、、
関が原のあと広島に入城した福島正則が西国海道を、いまの市街地の中心に移したのです。その道がこの画像の向こうから手前に来ている道で、、、
女子学生が歩いているのが秀吉が歩いた旧西国海道、ということになるようです。
このT字路からは右は福島正則以降の人も歩いた西国街道ということになります。
その道からふり返ると、、、、
横断歩道のところを右からはいってくるのが新しい西国海道で、、、
画像の奥から手前に向かっているのが秀吉も歩いた旧西国海道、ということになります。
というようなことを今日勉強しました。
この地区はタカ長にとってもめずらしいところではありませんが、今は歩いて通ることはまったくありませんから、、、
どちらを見てもめずらしいことばかり、今日はいい勉強をさせてもらいました。
そして、、、歩いた歩数が約1万歩で、距離は10kmくらい。運動面でもいい一日になりました。
「歩けば歴史が見えてくる」というのは講師の先生の名言ですが、その通りですね。
十分に歩きいい勉強にもなって参加したいものです。
たまには歩きながら来し方に思いをはせるのも良いですね。
その目で見ると、生まれ育った町も知らないことだらけです。