タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

成君寺山に登る

2020年10月17日 | タカの渡り
昨、10月16日に成君寺山(じょうくんじやま)に登りました。今は岩国市の山になっているようです。

出発地は本郷村宇塚地区。これは昔の表記です。

その宇塚地区へカーナビの案内で行きましたが、山越えの道は狭くて、「帰りのあの道を通るのは嫌」と助手席のタカカノが言っていました。

ドライバーとして不安を感じるようなことはありませんでしたが、離合のことなど考えると好き好んで通る道ではありません。

余談ですが、、、、

昔は広島県の津田から宇塚地区の手前になる秋掛まで路線バスがありました。そのバスで秋掛に行き、そこから羅漢山を登って広島県側の羅漢温泉に下りていました。

昨日、秋掛を通りましたが当時の記憶はナシ。どこをどう歩いたのか記憶にないのですが、いずれにしても相当な距離になっているような気がします。

そのような山歩きを平気で出来たのですから、若いっていいですね。

     

少しモタモタしたところもありますが、無事に宇塚地区のバス停のところに到着。

ここに車を置いて出発です。前方の山が成君寺山です。

    

最初は車道歩きと言うか、成君寺までずっと車道歩きみたいなものです。しかし、出遭った車はゼロ。

今では過疎地の寺になっているようです。

    

一般の車道から鋭角に曲がり成君寺への道に入ります。車でも問題なく登って行ける道です。

その道をしばらく登って行くと前方に赤い屋根の建物が、、、、

    

これが国隠寺でした。ここで戸惑いの始まりです。

お寺と言っても一般の家のような、、、。タカ長宅よりは立派ですが、タカカノの実家より小さいような、、、、。

それに屋根の瓦。石州瓦でしょうが、あの色はタカ長の感覚に合わないのです。

国隠寺が1478年建立の古刹だと言われても、タカ長には普通の民家にしか見えないのです。

    

そこからしばらくの登り。

カーブを大きく回ると前方にまた赤い屋根の建物。これが成君寺でした。

    

    

これが成君寺の全貌です。

田舎にはこれより立派な民家がゴロゴロあります。その面でも戸惑いを感じるのです。

左下に仁王門がありました。

道が大きく左にカーブする前に、左側に小さな階段がありました。それが山道だったようです。

地図を見れば済む話ですが、その階段の先には廃屋みたいなものがあり、お寺の山道とは思えなかったのです。

タカ長が悪いのですが、でも、不親切ですね。「かまぼこ板に手書き」の案内板があっても良いはずです。

    

成君寺山から下りてきて再び成君寺へ。

寺の西側には防長検地に反対して山代一揆を首謀した庄屋11名の記念碑がありました。

    

その先には首塚があり、そこに行くつもりで山道に入ったのですが、落ち葉が厚く積もった下り道が現れたので、すぐにひき返しました。

このような道の下りは、高齢者には厳しいことを裏山でシッカリ体験していますから、、、、。

チョットでも危険を感じたら逃げるが勝ちです。

    

仁王門に下りて行きます。

傷んではいますが、なかなか立派な階段道です。

  

    

下から見上げた仁王門ですが、こうして見ると由緒あるお寺に見えてきます。

ここを登らなかったので感動が薄いのですが、お寺はやはり山門から入るべきですね。

    

先ほどの道に下りてきました。よく見ると、足もとに、、、、

    

このような、小さな石仏がありました。登るときは気づきませんでした。

写真には写していませんが、この階段のすぐ上に廃屋みたいなものがありました。

廃屋を見ても仕方ないと思って広い道を行ったのですが、、、、、、

女々しいようですが、ここにかまぼこ板1枚の大きさで良いから、成君寺山門を示す案内板が欲しかったです。

細い道を山麓まで走り、成君寺山に登って昼食、再び成君寺に下りてゆっくり観光、同じ道を歩いて車に帰ったのが12時48分。

色々あったようですが、まだその時間でした。

初めての山を歩くと時間がゆっくりと流れるようです。



    

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