4月に九州へ行き、英彦山と古処山に登ったことは紹介しました。
その他にも近くを観光したり、潮が悪いことを承知で有明海に行ってみたり、プライベートな野暮用を済ませたり、、、、
3拍4日の旅にしては内容が濃いものだったのです。
そのすべてを紹介するつもりはないのですが、ここだけは、というところがあり、あれから一ヶ月以上が過ぎて、やっと記事にする気になりました。

その場所はここです。飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」です。
タカカノは時間があれば行ってみたいと思っていたようですが、タカ長がそのことを知らされたのは2日目に望雲台を下りてからのことです。
望雲台を下りて、今回の英彦山登山を終えて近くの道の駅で昼食を済ませるころには雨になり、、、、、
それならば、これからは観光時間、というわけです。
それは良いのですが、その道の駅には欲しい観光資料はなくて、あるのは車の中にある「SAでもらった地図」だけです。
それだけの資料で、事前に調べていない所に行けるわけがなく、とりあえず飯塚に向けて走り、、、
途中の道の駅によって、そこで観光案内の人に無理を言って、関係資料をコピーしてもらい、、、、
人さまに迷惑をかけてからやっとのことで、、、、、

目的地に着きました。この書は麻生副総理によるものです。
タカ長が筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門のことを知ったのはNHKの朝ドラを見てからですが、だからと言ってそれ以上のことを調べたわけではありません。
だから、あの朝ドラの舞台になったところに来たのかぁ、という程度の思いしかありませんでした。

それは仕方ないとしても、旧伊藤伝右衛門邸のことを紹介するつもりで、九州で撮影してパソコンに取り込んだままの画像を見たら、、、、
国指定名勝の庭園の写真と、そこから先の4月14日の画像がまったくありませんでした。
何故そのようなことになったのか、今となっては分かりません。撮影した画像はすべてパソコンに取り込んだつもりなのですが、、、、、。

本座敷です。
現地で買ったパンフレットには何故か本座敷についての説明はありません。

次之間から見た庭園です。
この庭園も自由に見ることが出来、そこで何枚もの写真を撮ったのですが、あの写真はどこへ行ったのでしょうか?

朝ドラの影響でしょうか、柳原白蓮が使っていた2階の部屋はゆっくりと見ました。
白蓮を迎えると伝右衛門邸には大幅な増築が施されます。2階部分は大正2年~6年に行われたこの増築工事で整備されたとされ、白蓮の使用を前提に庭園の景観を意識し、随所に繊細な細工や装飾をちりばめて独特の風情を醸し出しています。天井を見上げても建具をつぶさに観察しても、さまざまな工夫や技に出会うことができます。
パンフレットにはこのように紹介されています。

タカカノも興味津々ですが、このパンフレットが売られていることを知ったのは伝右衛門邸を出るときです。
この種のものがあるのなら、事前に求めるべきですね。


と言って、山を下りてからの観光、それもこの旧伊藤伝右衛門邸だけでなく、炭鉱博物館も見たり、そのあと遠賀川の河口まで足を伸ばそうとしているのですから、あまり時間がなかったのです。
1日という限られた時間の中で山を歩いたり、観光したりしたいのですから、私たちは欲が深すぎるのです。

白蓮も2階の部屋からこのような庭園を見ていたのでしょう。
どのような気持ちで見ていたのか、タカ長にあるのは朝ドラに描かれたところが記憶に残っているだけです。
当日は雨模様の天気でしたが、あの庭を歩くときは雨は上がっていました。
その時の写真が行方不明なのは残念なのですが、今ころ気づいても遅いようです。
その他にも近くを観光したり、潮が悪いことを承知で有明海に行ってみたり、プライベートな野暮用を済ませたり、、、、
3拍4日の旅にしては内容が濃いものだったのです。
そのすべてを紹介するつもりはないのですが、ここだけは、というところがあり、あれから一ヶ月以上が過ぎて、やっと記事にする気になりました。

その場所はここです。飯塚市にある「旧伊藤伝右衛門邸」です。
タカカノは時間があれば行ってみたいと思っていたようですが、タカ長がそのことを知らされたのは2日目に望雲台を下りてからのことです。
望雲台を下りて、今回の英彦山登山を終えて近くの道の駅で昼食を済ませるころには雨になり、、、、、
それならば、これからは観光時間、というわけです。
それは良いのですが、その道の駅には欲しい観光資料はなくて、あるのは車の中にある「SAでもらった地図」だけです。
それだけの資料で、事前に調べていない所に行けるわけがなく、とりあえず飯塚に向けて走り、、、
途中の道の駅によって、そこで観光案内の人に無理を言って、関係資料をコピーしてもらい、、、、
人さまに迷惑をかけてからやっとのことで、、、、、

目的地に着きました。この書は麻生副総理によるものです。
タカ長が筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門のことを知ったのはNHKの朝ドラを見てからですが、だからと言ってそれ以上のことを調べたわけではありません。
だから、あの朝ドラの舞台になったところに来たのかぁ、という程度の思いしかありませんでした。

それは仕方ないとしても、旧伊藤伝右衛門邸のことを紹介するつもりで、九州で撮影してパソコンに取り込んだままの画像を見たら、、、、
国指定名勝の庭園の写真と、そこから先の4月14日の画像がまったくありませんでした。
何故そのようなことになったのか、今となっては分かりません。撮影した画像はすべてパソコンに取り込んだつもりなのですが、、、、、。

本座敷です。
現地で買ったパンフレットには何故か本座敷についての説明はありません。

次之間から見た庭園です。
この庭園も自由に見ることが出来、そこで何枚もの写真を撮ったのですが、あの写真はどこへ行ったのでしょうか?

朝ドラの影響でしょうか、柳原白蓮が使っていた2階の部屋はゆっくりと見ました。
白蓮を迎えると伝右衛門邸には大幅な増築が施されます。2階部分は大正2年~6年に行われたこの増築工事で整備されたとされ、白蓮の使用を前提に庭園の景観を意識し、随所に繊細な細工や装飾をちりばめて独特の風情を醸し出しています。天井を見上げても建具をつぶさに観察しても、さまざまな工夫や技に出会うことができます。
パンフレットにはこのように紹介されています。

タカカノも興味津々ですが、このパンフレットが売られていることを知ったのは伝右衛門邸を出るときです。
この種のものがあるのなら、事前に求めるべきですね。


と言って、山を下りてからの観光、それもこの旧伊藤伝右衛門邸だけでなく、炭鉱博物館も見たり、そのあと遠賀川の河口まで足を伸ばそうとしているのですから、あまり時間がなかったのです。
1日という限られた時間の中で山を歩いたり、観光したりしたいのですから、私たちは欲が深すぎるのです。

白蓮も2階の部屋からこのような庭園を見ていたのでしょう。
どのような気持ちで見ていたのか、タカ長にあるのは朝ドラに描かれたところが記憶に残っているだけです。
当日は雨模様の天気でしたが、あの庭を歩くときは雨は上がっていました。
その時の写真が行方不明なのは残念なのですが、今ころ気づいても遅いようです。