タカ長の山仲間のお嬢様がベトナムのハノイで生活されています。
ベトナムに旅行したときにはお世話になっているのですが、そのお嬢様と最近始めたFacebookでリアルタイムの交流が続いているのですが、、、、
彼女からの情報には私たちにはとても珍しいものがあります。

それはベトナムのバイク文化ともいえるもので、、、、
なんでもバイクで運んでしまうベトナム人のたくましさを感じる情報です。
これなど、、、、どのようにして積み込み、、、、どのようにして運転してゆくのか、、、、、
ハノイで生活している日本人でもチョッと目につくものだったので写真に撮ったのだと思われます。

とにかく何でもバイクに積んで運ぶのがベトナム流で、、、、
それは私たち日本人には真似の出来ない、これはこれで文化と言えるものだと思っています。
彼女がFacebookで紹介した写真を紹介しますが、これを見てどのように感じられますか?



このようにバイクに積むだけでも大変なものが多いのに、、、、、、

それを積んで車の洪水の中を移動してゆくのですから、バイクを乗りこなすテクニックも大変なものですね。

これからの3枚はタカ長が2009年にハノイを旅行したときに撮ったものですが、、、、、
このような交通環境の中をここに紹介したようなものを運んでいるのです。

これなど彼らにとっては簡単なもので、、、、、
タカ長は子牛を積んで走ってくるバイクと行き違ったことがあります。バイクの上で紐みたいなものが上下しているのを見たのですが、近づいてみたら子牛の尻尾でした。

そのような、、、、私たちの目を疑うようなものを何度も見たのですが、、、、
自分たちも車で移動中なので写真に撮れたのはほんの一部だけなのです。
日本でこのような運び方をしたら即おまわりさんに呼び止められることでしょうが、ベトナムでは交通文化の一つとして定着しているのです。
以上の写真で物足りない人はここをクリックして下さい。ベトナム人のたくましさを見ることが出来ますよ。
ベトナムに旅行したときにはお世話になっているのですが、そのお嬢様と最近始めたFacebookでリアルタイムの交流が続いているのですが、、、、
彼女からの情報には私たちにはとても珍しいものがあります。

それはベトナムのバイク文化ともいえるもので、、、、
なんでもバイクで運んでしまうベトナム人のたくましさを感じる情報です。
これなど、、、、どのようにして積み込み、、、、どのようにして運転してゆくのか、、、、、
ハノイで生活している日本人でもチョッと目につくものだったので写真に撮ったのだと思われます。

とにかく何でもバイクに積んで運ぶのがベトナム流で、、、、
それは私たち日本人には真似の出来ない、これはこれで文化と言えるものだと思っています。
彼女がFacebookで紹介した写真を紹介しますが、これを見てどのように感じられますか?



このようにバイクに積むだけでも大変なものが多いのに、、、、、、

それを積んで車の洪水の中を移動してゆくのですから、バイクを乗りこなすテクニックも大変なものですね。

これからの3枚はタカ長が2009年にハノイを旅行したときに撮ったものですが、、、、、
このような交通環境の中をここに紹介したようなものを運んでいるのです。

これなど彼らにとっては簡単なもので、、、、、
タカ長は子牛を積んで走ってくるバイクと行き違ったことがあります。バイクの上で紐みたいなものが上下しているのを見たのですが、近づいてみたら子牛の尻尾でした。

そのような、、、、私たちの目を疑うようなものを何度も見たのですが、、、、
自分たちも車で移動中なので写真に撮れたのはほんの一部だけなのです。
日本でこのような運び方をしたら即おまわりさんに呼び止められることでしょうが、ベトナムでは交通文化の一つとして定着しているのです。
以上の写真で物足りない人はここをクリックして下さい。ベトナム人のたくましさを見ることが出来ますよ。
朝からきれいに晴れています。
昨日は、、、、今日は山に行くつもりでいたのですが、、、
明日も山予定なので、その上明日は夜の予定もあり、3連チャンのあとの夜の予定はつらいかなぁ、、、、
ということで今日の山は中止しました。師走を前に年賀状づくりをしています。

さて今日の話題です。
私たちの山グループは来年北海道のニセコの山を歩くことになりましたが、、、、
そのニセコに個人的に何度も言っている仲間が「これ、私のバイブル」と言って貸してくれたのがこの「なまら蝦夷」の第6号でした。
ぼろぼろになるほど読みこまれた本ですが、、、、、
実際に読んでみるとなかなか有用な本で、この本のことを一口で言ったら「地元情報満載の本」でした。
そこでアマゾンで調べてみたら8号が手に入るようだったので即注文、ご覧の本がすぐに届きました。

この8号は2012年4月20日の発行ですから、、、、
タカ長が北海道を長期旅行した2013年には手にすることが出来たはずなのです。しかし、先日仲間に見せてもらうまで「なまら蝦夷」という本があること自体を知らなかったので、、、
タカ長が地元情報を持って北海道へ行くことができなかったのです。

たとえばこの摩周湖。このときはご覧のように最高の天気でした。何年か前に行ったときは「霧の摩周湖」で何も見えなかったので、、
摩周湖のこのような風景を身分の目で見るのは初体験でした。しかし、この本によると、、、、、
「中島を右に見る(中略)ここを訪れて未だ人に会っていない」という撮影ポイントが紹介されています。
あの時もしこの本を読んでいたら、多くの観光客が行く、普通のポイントからの普通の写真ではなく、別なアングルからの摩周湖を撮ることができたはずなのです。
いまさら言っても仕方ないのですが、残念と言えば残念なことです。

このことはほんの一例で、この本には普通の旅行ガイドにはない情報がたくさんあります。
北海道旅行をする人、特に個人旅行で、、、、、そして長期旅行をする人は絶対に読むべき本だと言えます。
仲間から見せてもらった第6号とこの第8号、掲載されている情報がまったく同じではないので、タカ長も第6号と、ついでに第4号を追加注文しました。
あわせて三冊の「なまら蝦夷」からいろいろの情報をひき出し、、、、
もし、来年北海道長期旅行をすることがあれば、2013年のときより、より充実した旅をしたいと考えているのです。
それにしても、あの時この本を知っていたら、、、、と考えるとかえすがえす残念です。
昨日は、、、、今日は山に行くつもりでいたのですが、、、
明日も山予定なので、その上明日は夜の予定もあり、3連チャンのあとの夜の予定はつらいかなぁ、、、、
ということで今日の山は中止しました。師走を前に年賀状づくりをしています。

さて今日の話題です。
私たちの山グループは来年北海道のニセコの山を歩くことになりましたが、、、、
そのニセコに個人的に何度も言っている仲間が「これ、私のバイブル」と言って貸してくれたのがこの「なまら蝦夷」の第6号でした。
ぼろぼろになるほど読みこまれた本ですが、、、、、
実際に読んでみるとなかなか有用な本で、この本のことを一口で言ったら「地元情報満載の本」でした。
そこでアマゾンで調べてみたら8号が手に入るようだったので即注文、ご覧の本がすぐに届きました。

この8号は2012年4月20日の発行ですから、、、、
タカ長が北海道を長期旅行した2013年には手にすることが出来たはずなのです。しかし、先日仲間に見せてもらうまで「なまら蝦夷」という本があること自体を知らなかったので、、、
タカ長が地元情報を持って北海道へ行くことができなかったのです。

たとえばこの摩周湖。このときはご覧のように最高の天気でした。何年か前に行ったときは「霧の摩周湖」で何も見えなかったので、、
摩周湖のこのような風景を身分の目で見るのは初体験でした。しかし、この本によると、、、、、
「中島を右に見る(中略)ここを訪れて未だ人に会っていない」という撮影ポイントが紹介されています。
あの時もしこの本を読んでいたら、多くの観光客が行く、普通のポイントからの普通の写真ではなく、別なアングルからの摩周湖を撮ることができたはずなのです。
いまさら言っても仕方ないのですが、残念と言えば残念なことです。

このことはほんの一例で、この本には普通の旅行ガイドにはない情報がたくさんあります。
北海道旅行をする人、特に個人旅行で、、、、、そして長期旅行をする人は絶対に読むべき本だと言えます。
仲間から見せてもらった第6号とこの第8号、掲載されている情報がまったく同じではないので、タカ長も第6号と、ついでに第4号を追加注文しました。
あわせて三冊の「なまら蝦夷」からいろいろの情報をひき出し、、、、
もし、来年北海道長期旅行をすることがあれば、2013年のときより、より充実した旅をしたいと考えているのです。
それにしても、あの時この本を知っていたら、、、、と考えるとかえすがえす残念です。
旅を終わって

ジャワ島の旅が終わりました。
一日の行動時間が永くて「旅レコ」の電池が消耗してしまい、正確な記録が取れない日もありましたが、、、、、、
これを見るとジャワ島の東半分を旅したことがよく分かります。
ジャワ島は思った以上に大きな島で、今回のような短期の旅ではジャワ島を見たといえないようです。しかし、現地に行って見ないとわからない事もあるので、忙しい旅だったといいながら、はやり行ってよかったというのが素直な感想です。

今回の旅には学生も参加しており、、、、、そのことも関係してFacebookなるものを始めることになりました。
今回の旅の世話をして頂いたAdamさんやHeruさんともFacebookでも友だちになり、細々とですが交流を続けています。
上の写真はHeruさんの撮影したシマベニアオゲラですが、この写真を見てすぐに問い合わせたらド・珍鳥だということでした。

これはAdamさんの撮影したものです。
美味しい果物ですか、という問いに、、、
Sapphire Showersという美味しくないもので、マラリヤ用の薬用植物だと言うことでした。
しかし、更なる研究が必要だと思う、と彼はコメントをくれました。
その二人を通じて他にも友だちができ、小さなことでもインドネシアから情報が入るようになりました。
しかし、タカ長の欲しいKondang Merakの情報にはまだ触れていません。
今回の旅を通じて知合ったインドネシアの若者たちとも、ささやかな交流を続けてゆきたいと考えています。
2015年8月のジャワ島旅行のこと、キリのいい40回で一応終わりとさせていただきます。
ご覧頂いた皆さま、ありがとうございました。

ジャワ島の旅が終わりました。
一日の行動時間が永くて「旅レコ」の電池が消耗してしまい、正確な記録が取れない日もありましたが、、、、、、
これを見るとジャワ島の東半分を旅したことがよく分かります。
ジャワ島は思った以上に大きな島で、今回のような短期の旅ではジャワ島を見たといえないようです。しかし、現地に行って見ないとわからない事もあるので、忙しい旅だったといいながら、はやり行ってよかったというのが素直な感想です。

今回の旅には学生も参加しており、、、、、そのことも関係してFacebookなるものを始めることになりました。
今回の旅の世話をして頂いたAdamさんやHeruさんともFacebookでも友だちになり、細々とですが交流を続けています。
上の写真はHeruさんの撮影したシマベニアオゲラですが、この写真を見てすぐに問い合わせたらド・珍鳥だということでした。

これはAdamさんの撮影したものです。
美味しい果物ですか、という問いに、、、
Sapphire Showersという美味しくないもので、マラリヤ用の薬用植物だと言うことでした。
しかし、更なる研究が必要だと思う、と彼はコメントをくれました。
その二人を通じて他にも友だちができ、小さなことでもインドネシアから情報が入るようになりました。
しかし、タカ長の欲しいKondang Merakの情報にはまだ触れていません。
今回の旅を通じて知合ったインドネシアの若者たちとも、ささやかな交流を続けてゆきたいと考えています。
2015年8月のジャワ島旅行のこと、キリのいい40回で一応終わりとさせていただきます。
ご覧頂いた皆さま、ありがとうございました。
あ~ぁ、騒音、、、
デンバサール空港で飛行機に座ったとたん睡眠導入剤を飲んだタカ長、これぞ爆睡、、、、
飛行機が飛び上がったのも知らず、、、、気がついたら沖縄の東のほうを飛んでいました。
この爆睡があってからか、関空についてから帰宅まできつい思いをしないですみました。

タカ長がいまさらいうことではありませんが、日本に帰ったとたん騒音の洪水。
ここでいう「騒音」とはいろいろなアナウンスのことですが、たとえ短期間でも海外に行って帰国すると、とにかくアナウンスが多いのに閉口します。

アナウンスしている人は一生懸命しているのでしょうが、、、、
果たしてどれだけの人がそのアナウンスの内容を理解しながら聞いているのだろうか?
といつも思うのですが、、、、、日本では幼児相手に案内しているような、、、普通の大人なら不要のことをあれこれアナウンス、、、
というようなことが多すぎると思うのです。

作家の椎名誠の本で読んだ記憶があるのですが、、、、人は多いものは見えないそうです。
満天の星空の下で育ったモンゴルの子は星に興味を示さないそうです。星空に感動ということはないのでしょう。
そのような例を他にも書かれた後、東京のように人が多いと人が見えなくなり、そのため電車の中で平気で化粧が出来る、、、、
というようなことが書かれていました。

というようなことを感じながら新幹線に乗っていたら、、、、、、
車内アナウンスを聞いていたタカカノが「○祭を売っている」といって車内販売を探して席を立ちました。
山口県のお酒で、いまは有名になった○祭という日本酒、それが今は手に入らなくなっていたのですが、それを新幹線の車内販売で手に入れることが出来ることを目ざとく、、、、、いや耳ざとく聞いたタカカノが即行動したわけです。
タカ長には騒音にしか思えないアナウンスを聞いている人もいるようですね。
デンバサール空港で飛行機に座ったとたん睡眠導入剤を飲んだタカ長、これぞ爆睡、、、、
飛行機が飛び上がったのも知らず、、、、気がついたら沖縄の東のほうを飛んでいました。
この爆睡があってからか、関空についてから帰宅まできつい思いをしないですみました。

タカ長がいまさらいうことではありませんが、日本に帰ったとたん騒音の洪水。
ここでいう「騒音」とはいろいろなアナウンスのことですが、たとえ短期間でも海外に行って帰国すると、とにかくアナウンスが多いのに閉口します。

アナウンスしている人は一生懸命しているのでしょうが、、、、
果たしてどれだけの人がそのアナウンスの内容を理解しながら聞いているのだろうか?
といつも思うのですが、、、、、日本では幼児相手に案内しているような、、、普通の大人なら不要のことをあれこれアナウンス、、、
というようなことが多すぎると思うのです。

作家の椎名誠の本で読んだ記憶があるのですが、、、、人は多いものは見えないそうです。
満天の星空の下で育ったモンゴルの子は星に興味を示さないそうです。星空に感動ということはないのでしょう。
そのような例を他にも書かれた後、東京のように人が多いと人が見えなくなり、そのため電車の中で平気で化粧が出来る、、、、
というようなことが書かれていました。

というようなことを感じながら新幹線に乗っていたら、、、、、、
車内アナウンスを聞いていたタカカノが「○祭を売っている」といって車内販売を探して席を立ちました。
山口県のお酒で、いまは有名になった○祭という日本酒、それが今は手に入らなくなっていたのですが、それを新幹線の車内販売で手に入れることが出来ることを目ざとく、、、、、いや耳ざとく聞いたタカカノが即行動したわけです。
タカ長には騒音にしか思えないアナウンスを聞いている人もいるようですね。
お手洗いのこと
海外旅行に限ったことではありませんが、家を出れば必ずどこかの「お手洗い」のお世話になります。
そのお手洗いは日本と同じとは限りません。
昨日の記事にも書きましたが、私たちの帰国の日、火山の噴火の影響でジョグジャカルタの空港で7時間過ごすことになりました。
そのとき、帰国したらお手洗いのこともブログの話題にする気になり、空港のトイレを写真に撮りました。

これがその写真です。
左に水道の蛇口が見えていますが、この水をバケツにためておき、用たしが終わるとその水をひしゃくに汲んで便器に流します。
ということで一応水洗トイレ、ということになります。
トイレの中をカメラを持ってウロウロしていたら不審者と間違われそうなので、このトイレしか写真に撮っていませんが、、、、
もちろん様式の便器もあります。
この場合は水道水の出るノズルつきのホースが設置されていることが多く、それがウォシュレットのように使うことが出来ます。
もちろん湯が出るわけでは、そこは南の国なので湯など不必要というわけです。
日本のようなウォシュレットの普及率はまだ高くないようですが、、、、、
タカ長たちは五つ星ホテルなどには縁がないので、南の国のトイレ事情を語るほどの資格はありません。

それでも何度か南の国を旅しているので、それなりの「トイレ経験」は持っているのですが、、、、、
あまり詳しく紹介するのははばかられることもあるので、詳しいことは書かないようにします。
いずれにしても海外旅行を楽しくするためには、、、、
何でも食べる、、、、どこででも寝る、、、そしてどんなところでも用たしが出来る、、、、
ということが必須条件だと思うのですが、いかがですか?

話題が話題だったので南の国の青い海を消化して終わることにします。
ここはすでに紹介したKongang Merakの海ですが、、
この海を見ることが出来るのなら上記の3条件など問題ないタカ長ですが、、、、、、
先立つものに問題があるので、もうこの海を見ることはないのかなぁ???

今回の旅もいい仲間に恵まれて楽しい旅が出来たので、、、、、、
このような旅なら何度でもしたいのですが、さてさてどうなるでしょうか?
海外旅行に限ったことではありませんが、家を出れば必ずどこかの「お手洗い」のお世話になります。
そのお手洗いは日本と同じとは限りません。
昨日の記事にも書きましたが、私たちの帰国の日、火山の噴火の影響でジョグジャカルタの空港で7時間過ごすことになりました。
そのとき、帰国したらお手洗いのこともブログの話題にする気になり、空港のトイレを写真に撮りました。

これがその写真です。
左に水道の蛇口が見えていますが、この水をバケツにためておき、用たしが終わるとその水をひしゃくに汲んで便器に流します。
ということで一応水洗トイレ、ということになります。
トイレの中をカメラを持ってウロウロしていたら不審者と間違われそうなので、このトイレしか写真に撮っていませんが、、、、
もちろん様式の便器もあります。
この場合は水道水の出るノズルつきのホースが設置されていることが多く、それがウォシュレットのように使うことが出来ます。
もちろん湯が出るわけでは、そこは南の国なので湯など不必要というわけです。
日本のようなウォシュレットの普及率はまだ高くないようですが、、、、、
タカ長たちは五つ星ホテルなどには縁がないので、南の国のトイレ事情を語るほどの資格はありません。

それでも何度か南の国を旅しているので、それなりの「トイレ経験」は持っているのですが、、、、、
あまり詳しく紹介するのははばかられることもあるので、詳しいことは書かないようにします。
いずれにしても海外旅行を楽しくするためには、、、、
何でも食べる、、、、どこででも寝る、、、そしてどんなところでも用たしが出来る、、、、
ということが必須条件だと思うのですが、いかがですか?

話題が話題だったので南の国の青い海を消化して終わることにします。
ここはすでに紹介したKongang Merakの海ですが、、
この海を見ることが出来るのなら上記の3条件など問題ないタカ長ですが、、、、、、
先立つものに問題があるので、もうこの海を見ることはないのかなぁ???

今回の旅もいい仲間に恵まれて楽しい旅が出来たので、、、、、、
このような旅なら何度でもしたいのですが、さてさてどうなるでしょうか?
言葉が出来ると
忙しさにまぎれて(?)ジャワ島旅行のことがお休み状態になっています。
本当はもう少しお話したいのです。

8月8日ボロブドォールの観光を終えた私たちはいったんホテルに帰って昼食をとり、帰国に向けて早々にホテルをあとにしました。
ジョグジャカルタの空港に14時頃到着したい私たちは、その前に店により大急ぎで買い物をし、ほぼ予定通りの時間に空港に着きました。
空港に着いてみると何やら雰囲気がおかしくて、、、、
聞くところによると私たちが旅行中にラウン山が噴火して、噴煙のため三つの空港が閉鎖になったことがあったとか、、、、
その日はジョグジャカルタ空港もバリ島の空港も閉鎖にはなっていないが、運行ダイヤは滅茶苦茶な状態で、多くのお客さんは航空券を発券してもらえないということでした。
困った状態ですが、ここでわが隊長さんが大活躍されました。
私たちを空港ビルの外においてから、航空会社の責任者のところに行き、いろいろ話をして、、、、
その責任者から「私は日本が好きだ。お前たち14名分の発券はしてやるが、発券しても飛行機が実際に飛ぶかどうかは不明だ」という言葉を引き出して私たちの前に帰ってきました。

その言葉を頂いたことで私たちは冷房の聞いた空港ビルの中に入ることを許されました。
中に入ってみると空港ビルは人であふれていました。
このように旅行が予定通り進行しなくなると、言葉の出来ないタカ長だとお手上げになります。ここは隊長さんの語学力に救われた感じで、、、、、、結果からいうとこの隊長さんがいたから私たちは予定通り帰国できたのです。

発券されたとは言っても実際に飛行機が飛ぶかどうかは不明、火山の状態を見ながら運行を決めているのです。
私たちのフライトは16時だったの14時頃空港に行ったのですが、バリ島に行く飛行機がいつ飛ぶかは分からないので、とにかく待つしか方法がないのです。
大変混雑している空港でしたが、ラウンジは空いていたのでそこに席を取り、まだ空腹を感じていないので何も食べたくない状態でしたが、、、、
このような軽食を頼んで長時間休ませてもらいました。

フライト時間になっても飛ぶ気配もなく、、、ラウンジでねばるといっても限りがあり、、、
待合室に席を取りただただ待つだけ。その間に書店に行って図鑑を買ったり、小さな店に行ってお土産を買ったりしながら、、、
ひたすら待つだけでした。

そのようにして待っていると、、、、やっとこのような表示が、、、、、、
予定より5時間遅れの表示でした。

その時間になっても空港内は混雑したまま、、、予定通り飛べない状態がつづいていました。
当初の予定ではジャワ島についてからいったん空港を出て、バリダンスを見ながら夕食を楽しむ予定だったようですが、、、、、
火山の噴火のためそのようなことはできませんでした。

現地時間の9時頃離陸した飛行機は北方向に飛び、スラバヤの灯を右下に見ながら東に向きを変え、ラウン山を大きく迂回して北側からデンバサールに飛びました。
そのコースはおそらくいつものコースとは違うはずです。普通に考えると最短距離を飛ぶはずですから、、、、、。

でもまぁ何とかデンバサール空港に着き、、、、、関空行きの夜行便に余裕で乗ることができました。
いろいろあって疲れ、そのうえの寝不足、、、、、飛行機に乗るとすぐに睡眠導入剤を飲んだらすぐに寝込み、、、
飛行機が離陸したのはまったく分かりませんでした。
このような経験は初めてのことです。よほど疲れていたのでしょうね。
忙しさにまぎれて(?)ジャワ島旅行のことがお休み状態になっています。
本当はもう少しお話したいのです。

8月8日ボロブドォールの観光を終えた私たちはいったんホテルに帰って昼食をとり、帰国に向けて早々にホテルをあとにしました。
ジョグジャカルタの空港に14時頃到着したい私たちは、その前に店により大急ぎで買い物をし、ほぼ予定通りの時間に空港に着きました。
空港に着いてみると何やら雰囲気がおかしくて、、、、
聞くところによると私たちが旅行中にラウン山が噴火して、噴煙のため三つの空港が閉鎖になったことがあったとか、、、、
その日はジョグジャカルタ空港もバリ島の空港も閉鎖にはなっていないが、運行ダイヤは滅茶苦茶な状態で、多くのお客さんは航空券を発券してもらえないということでした。
困った状態ですが、ここでわが隊長さんが大活躍されました。
私たちを空港ビルの外においてから、航空会社の責任者のところに行き、いろいろ話をして、、、、
その責任者から「私は日本が好きだ。お前たち14名分の発券はしてやるが、発券しても飛行機が実際に飛ぶかどうかは不明だ」という言葉を引き出して私たちの前に帰ってきました。

その言葉を頂いたことで私たちは冷房の聞いた空港ビルの中に入ることを許されました。
中に入ってみると空港ビルは人であふれていました。
このように旅行が予定通り進行しなくなると、言葉の出来ないタカ長だとお手上げになります。ここは隊長さんの語学力に救われた感じで、、、、、、結果からいうとこの隊長さんがいたから私たちは予定通り帰国できたのです。

発券されたとは言っても実際に飛行機が飛ぶかどうかは不明、火山の状態を見ながら運行を決めているのです。
私たちのフライトは16時だったの14時頃空港に行ったのですが、バリ島に行く飛行機がいつ飛ぶかは分からないので、とにかく待つしか方法がないのです。
大変混雑している空港でしたが、ラウンジは空いていたのでそこに席を取り、まだ空腹を感じていないので何も食べたくない状態でしたが、、、、
このような軽食を頼んで長時間休ませてもらいました。

フライト時間になっても飛ぶ気配もなく、、、ラウンジでねばるといっても限りがあり、、、
待合室に席を取りただただ待つだけ。その間に書店に行って図鑑を買ったり、小さな店に行ってお土産を買ったりしながら、、、
ひたすら待つだけでした。

そのようにして待っていると、、、、やっとこのような表示が、、、、、、
予定より5時間遅れの表示でした。

その時間になっても空港内は混雑したまま、、、予定通り飛べない状態がつづいていました。
当初の予定ではジャワ島についてからいったん空港を出て、バリダンスを見ながら夕食を楽しむ予定だったようですが、、、、、
火山の噴火のためそのようなことはできませんでした。

現地時間の9時頃離陸した飛行機は北方向に飛び、スラバヤの灯を右下に見ながら東に向きを変え、ラウン山を大きく迂回して北側からデンバサールに飛びました。
そのコースはおそらくいつものコースとは違うはずです。普通に考えると最短距離を飛ぶはずですから、、、、、。

でもまぁ何とかデンバサール空港に着き、、、、、関空行きの夜行便に余裕で乗ることができました。
いろいろあって疲れ、そのうえの寝不足、、、、、飛行機に乗るとすぐに睡眠導入剤を飲んだらすぐに寝込み、、、
飛行機が離陸したのはまったく分かりませんでした。
このような経験は初めてのことです。よほど疲れていたのでしょうね。
コンダン・メラクにて~6
記念撮影をするなどして海辺でくつろいだ時間を過ごした後はアンディさんらをまじえて昼食となりました。

はっきりいうと粗末な建物の中の粗末なテーブル、ということでしょうが、、、、中身は絶品でした。
料理についていえば、ひょっとしたら今回のジャワ島旅行で食べた食事の中で一番おいしかったかも分かりません。
また、ここで話されたことは、、、、、ヘルさんや村人たちの活動やアンディさんたちの思いを聞いたのですが、、、
その話を聞くためにわざわざジャワ島に来たといってもよいくらい内容のあるものでした。
しかし、タカ長がここで理解したのはその一部だけ、、、、、、
その理解を補うために何かの資料に触れることを願っているのですが、いまのところその願いはかなっていません。
ということで、今回の旅の一番大切なことでありながら断片的なことしか書くことが出来ないのです。

テーブルの上にはローソクが、、、、このようなところにも村人の心づかいがみえます。
ここで7年前からのヘルさんたちの活動のことが話され、2年前から村人の意識が劇的に変わったことも聞きましたが、、、、

この場に実際に密漁していた青年も同席して、、、、
1時間にイルカ7頭と海亀3頭をとった話を聞きました。それだけ豊かな海であることの証なのです。
その青年もいまは完全に意識を変え、、、、自分が何とおろかなことをしてきたか、どれほど悪いことをしてきたか懺悔していました。
その青年が語ったことをすべて通訳するのがはばかられるのか、わが隊長さんもことばにつまったと言うか、、、、、
そのようなことで彼が語ったことのすべては理解できていないのですが、、、、、、
彼が言っていましたが、自然を壊すのは簡単だけどそれを再生するにはどれほど多くの時間と労力がいるか、、、、そのことばには実感がこもっていました。
壊した人が再生の努力をしているのですから、彼らのことばには机上の空論にはない実感があります。

人が人を変えることができる教育の大切さも語られました。その思いが子どものときからの教育、感性を育てることの大切さに気づき、、、、この小さな村には似つかわしくないような図書をそろえ、村の長老が子どもたちの教育に当たっているのです。

リーダーのアンディさんは、環境保全の研究といっても、研究のための研究ではだめで、地元住民をまきこんで、地元住民と協力して改善してゆくことが大切だと力説されていました。この村の活動はその事例だということです。
このような活動は時間がかかることですが、住民を鼓舞し、教育啓発をする活動は今後も続けてゆくと話されていました。

このような活動はまだまだ道半ばで、アンディさんの話から、、、、山登りにたとえたらまだ2号目か3号目くらいかなぁ、とタカ長は感じたのですが、、、、
アンディさんの思いがすべて実現したとき、、、、つまり山頂に立ったとき、、、、そこでどのような風景が見えるのか、そのことを聞き出すことが出来なかったのが残念です。

彼らのこのような活動に対してARRCNもサポートしていて、そのため今回のエコツアーでこの村を訪問することになったのでしょう。
写真でも紹介しているように村の中で活動資金の贈呈式???みたいな事が行われていたようですが、、、、
豪華な会場での華やいだ式典より、素足の村人たちと交流しながらの質素な、式典ともいえないような式典がいいですね。
ヘルさんたちの活動は彼の後輩たちにも受け継がれ、この場にマラン大学の学生も来ていました。その学生たちもこの活動に熱心に取り組んでいて、、、、
先輩のヘルさんのしりを後輩の女学生がたたいているような風景が見られたとか、何処の国も女性の力はすごいですね。

いろいろな行事が終わっても住民たちとの交流は続き、、、、、


何時までも去りがたい気持ちでした。
日本を出発するときは、、、、コンダン・メラクに行くことだけは分かっていたのですが、、、、、
ここでこのような経験をするとはまったく予測していませんでした。そのためタカ長にはとても感動的だったのですが、、、、
何しろ取材らしい取材もできていませんし、資料らしい資料はまったくないので、タカ長の気持ちだけが先行した内容のない報告になったのが残念です。
この話題、その後のことを報告できることがありましたら、あらためてレポートさせていただきます。
記念撮影をするなどして海辺でくつろいだ時間を過ごした後はアンディさんらをまじえて昼食となりました。

はっきりいうと粗末な建物の中の粗末なテーブル、ということでしょうが、、、、中身は絶品でした。
料理についていえば、ひょっとしたら今回のジャワ島旅行で食べた食事の中で一番おいしかったかも分かりません。
また、ここで話されたことは、、、、、ヘルさんや村人たちの活動やアンディさんたちの思いを聞いたのですが、、、
その話を聞くためにわざわざジャワ島に来たといってもよいくらい内容のあるものでした。
しかし、タカ長がここで理解したのはその一部だけ、、、、、、
その理解を補うために何かの資料に触れることを願っているのですが、いまのところその願いはかなっていません。
ということで、今回の旅の一番大切なことでありながら断片的なことしか書くことが出来ないのです。

テーブルの上にはローソクが、、、、このようなところにも村人の心づかいがみえます。
ここで7年前からのヘルさんたちの活動のことが話され、2年前から村人の意識が劇的に変わったことも聞きましたが、、、、

この場に実際に密漁していた青年も同席して、、、、
1時間にイルカ7頭と海亀3頭をとった話を聞きました。それだけ豊かな海であることの証なのです。
その青年もいまは完全に意識を変え、、、、自分が何とおろかなことをしてきたか、どれほど悪いことをしてきたか懺悔していました。
その青年が語ったことをすべて通訳するのがはばかられるのか、わが隊長さんもことばにつまったと言うか、、、、、
そのようなことで彼が語ったことのすべては理解できていないのですが、、、、、、
彼が言っていましたが、自然を壊すのは簡単だけどそれを再生するにはどれほど多くの時間と労力がいるか、、、、そのことばには実感がこもっていました。
壊した人が再生の努力をしているのですから、彼らのことばには机上の空論にはない実感があります。

人が人を変えることができる教育の大切さも語られました。その思いが子どものときからの教育、感性を育てることの大切さに気づき、、、、この小さな村には似つかわしくないような図書をそろえ、村の長老が子どもたちの教育に当たっているのです。

リーダーのアンディさんは、環境保全の研究といっても、研究のための研究ではだめで、地元住民をまきこんで、地元住民と協力して改善してゆくことが大切だと力説されていました。この村の活動はその事例だということです。
このような活動は時間がかかることですが、住民を鼓舞し、教育啓発をする活動は今後も続けてゆくと話されていました。

このような活動はまだまだ道半ばで、アンディさんの話から、、、、山登りにたとえたらまだ2号目か3号目くらいかなぁ、とタカ長は感じたのですが、、、、
アンディさんの思いがすべて実現したとき、、、、つまり山頂に立ったとき、、、、そこでどのような風景が見えるのか、そのことを聞き出すことが出来なかったのが残念です。

彼らのこのような活動に対してARRCNもサポートしていて、そのため今回のエコツアーでこの村を訪問することになったのでしょう。
写真でも紹介しているように村の中で活動資金の贈呈式???みたいな事が行われていたようですが、、、、
豪華な会場での華やいだ式典より、素足の村人たちと交流しながらの質素な、式典ともいえないような式典がいいですね。
ヘルさんたちの活動は彼の後輩たちにも受け継がれ、この場にマラン大学の学生も来ていました。その学生たちもこの活動に熱心に取り組んでいて、、、、
先輩のヘルさんのしりを後輩の女学生がたたいているような風景が見られたとか、何処の国も女性の力はすごいですね。

いろいろな行事が終わっても住民たちとの交流は続き、、、、、


何時までも去りがたい気持ちでした。
日本を出発するときは、、、、コンダン・メラクに行くことだけは分かっていたのですが、、、、、
ここでこのような経験をするとはまったく予測していませんでした。そのためタカ長にはとても感動的だったのですが、、、、
何しろ取材らしい取材もできていませんし、資料らしい資料はまったくないので、タカ長の気持ちだけが先行した内容のない報告になったのが残念です。
この話題、その後のことを報告できることがありましたら、あらためてレポートさせていただきます。