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タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

ジャワ島の旅から~35

2015年09月14日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~5

チョッと重い内容がつづきましたので今日は軽い話題です。

    

時系列でいうと、私たちはメラク村について早々に、昨日紹介した寺子屋(ということにしておきます)案内されたのです。

おそらく彼らとしてもここが一番の自慢なのかも分かりません。

そのあと外に出てココナッツ・ジュースの接待を受けたわけです。その量は飲みきれないくらい、、、、、。

帰国して調べたら国内でもココナッツ・ジュースは買うことが出来ますが、けっこうな値がするようで、できるものなら土産にもらいたいものですが、、、

しかし、実際にもって帰るとなるといろいろ大変で、やはり日本で欲しいときは楽天かどこかで買ったほうが良さそうです。

    

そのあと浜辺で記念写真を撮ろうとしたら、、、僕も、、、、私もということになり、、、、

    

はい、この31番さんが「大使の料理番」です。とても小柄な人です。

そうこうしているとまたまた人が出てきて、、、、、

とにかく小さな村なのです。スピーカーで放送しなくても(そのようなものはなかったようですが、、、、、)大声をはれば村中に届くのですから、、、

何となく写真を撮ることが村中に広がり、、、

    

だんだん人が増えて、、、、

写真の準備が出来る前に住民同士の交流も始まり、、、、、

    

やっとのことでカメラのほうに顔を向け、、、、はい、準備完了です。

    

カメラマンはヘルさんですが、いつもは変に体をねじって片手撮りする彼ですが、このときはまじめに座り込んでカメラを操作していました。

そのようにして撮った写真がこれです。

ヘルさんがFacebookで送ってくれたものです。少し大きな画像で紹介します。



左のほうで両手を上げて目立っているのがタカ長です。

右前列に若い人が写っていますが、彼らはヘルさんの後輩です。彼らの活動をサポートしています。

この一枚を見ると当日の雰囲気を感じ取って頂けるでしょうが、とにかく和気藹々、楽しい滞在でした。

    

他にもヘルさんたちは写真を撮ってくれたはずですが、いま届いているのはこれだけです。

アダムさんからはバルラン国立公園の資料が届きましたが、残念ながらタカ長には手も足も出ないインドネシア語の資料です。

しかし、写真を見るだけでその鳥のいる場所も分かるので、バルランでの探鳥を思い出しながら楽しむことが出来ます。

そのほかの写真や資料が何時届くかどうか分かりませんが、、、、、タカ長としては気長に待つことにします。


ジャワ島の旅から~34

2015年09月13日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~4

このブログを書くために友だちの撮った写真を使わせてもらっていますが、コンダン・メラクでの記事では特に多く使わせてもらっています。

タカ長の写真でカバーできなかったところは彼の写真を使って、、、、ということになったいることを最初にお断りしておきます。

    

    

昨日紹介した私たちの軌跡図を見ていただくとお分かりでしょうが、この村のそばを小さな川が流れ込んでおり、その河口部分が池のようになっていました。

その池は子どもたちの格好の遊び場になっているようで、私たちが行ったときは5人の子どもたちがゴムボートを使って遊んでいました。

    

    

この村の子どもたちはこのようなあそびを通じて水に親しみ、やがて立派な漁師に育ってゆくのでしょう。

私たちがそのそばでのんびりしていたら、村の誰かが声をかけたのでしょうか、子どもたちが上がって来て私たち一人ひとりに挨拶をしてくれました。

    

握手した手を自分の頬につけるのがここの挨拶の方法なのでしょう、私たち一人ひとりに同じようにしてくれました。

    

この子たちにとってみれば、私たちは初めて見る日本人ですが、別に物おじする様子もなく普通に挨拶をしてくれたようです。

何処の誰とでも仲良くなれるのは子どもたちの特権かも分かりませんね。

    

    

そのあと子どもたちは海に出て、わが隊長さんとも交流していたようですが、、、、、、

このショットは友だちのもので、タカ長は見ていません。

何処に学校があるのか分からないような海辺の村の子どもたちにしてはよく教育されているように感じました。

    

実はこの村について早々にこのようなものがかかっている小さな建物に案内されたのですが、、、、、、

ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこれがまったく読めないのです。

しかし、ここに案内された意味はすぐに分かりました。

ここに案内してくれたのは村の長老で、彼は少し日本語を話すことが出来たのです。そのわけを聞いてみると、ジャカルタの日本大使館に勤めたことがるということでした。

今日の話題とは少しずれるのですが、実は彼は料理が上手で、村人たちに料理法を教えたともいっていましたから、ひょっとしたら彼は「大使の料理番」だったのかも分かりません。

というのはタカ長の単なる想像ですが、昼に食べた彼の料理は素人の味ではありませんでした。ひょっとしたら、今回のジャワ旅行で食べた料理の中で一番うまかったかもわかりません。

    

その彼が案内してくれた建物を入ると小さな本棚があり、子ども向けの本がたくさん並んでいました。

これが、、、、、例えば日本の都会の公民館とか、児童館とかいうところにこれだけの本があるのなら別に驚きもしませんが、、、、

ここはジャワ島の寒村、おそらく戸数は20戸くらい、多くても30戸くらいの村の、どうやら子どもたちを教育する寺子屋みたいなものらしいのです。

    

そのようなところにこのような本が並んでいる光景は、少しオーバーに言えば異様です。少なくともタカ長にはそのように感じられました。

この場合「異様」ということばは適切ではないのでしょうが、悪い意味ではなくいい意味でいったのですが、別のことばを使えば「感動モノ」でした。

    

昨日も紹介しましたように、ここはついこの前まで密漁者の村だったのです。ひょっとしたら「海賊村」といっても良かったのかも分からない村だったのです。

その村の住民の意識を変えるためにヘルさんたちが努力したことは昨日紹介しました。

いまは住民たちのリーダーになっているこの村のアンディさんたちのすごいところは、密漁を止めたばかりではなく、自分たちが傷つけた自然を修復する活動をはじめ、、、、

そしてその活動のことを考えるとき、これから先を担ってゆく子どもたちを教育することが何より大切だと気づき、子どもたちへの教育を実践しているのことだとタカ長には思えるのです。

小さな建物の壁には何処でどのように使ったものか分かりませんが、このようなポスターが貼られていました。

    

珊瑚礁を傷つけてしまった彼らはその再生に努めていますが、、、、、

このバケツの中のものはコンクリートブロックみたいなものに珊瑚を植えつけ(と言ったら良いのでしょうか?)ある程度成長するまで近くで管理し、、、

潮水に流されたないようになった状態になってから海に返すということでした。

    

その様子を紹介したポスターもありました。

このポスターひとつみても立派なもので、、、、、このような活動をしているのがつい先日まで密漁者だったなんてにわかには信じられませんね。

        

くどいようですが、ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこの字がまったく読めないのです。

そのような状態ですから、仮にここで取材をするとすれば、日本語なら数分で済むことが何時間も、、、、、もしかすると一日かかるかも分からないのですから、、、

いまのタカ長にはどんなにがんばってもこの程度のことしか書くことが出来ないのです。

しかし、彼らの活動の今日的な意味を考えたら、出来るものならもっと深く取材して、もっと立派なことを書きたいと考えるのはタカ長だけではないはずです。

コンダン・メラクの話題はまだまだ続きます。


ジャワ島の旅から~33

2015年09月12日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~3



友だちが作成した当日の軌跡です。これをもう少しズームすると、、、、、、

    

このようになります。軌跡が密集しているところが村の中心、タカ長たちが一番長く時間を費やしたところです。

これだけ見ると広さが分からないでしょうが、軌跡のそばに糸くずのように見えているのが小さなボートですから、とても狭い村であることを想像していただけるはずです。

    

ビーチに着いたところで車を下りて、徒歩でその村に向かいました。昨日も紹介したように人がほとんどいない浜辺の森の中を歩いてゆきます。

    

    

私たちが歩いてゆくそばにある木には何やら書いたプレートが打ちつけてあるのですが、ほとんどすべてインドネシア語で書かれているのでタカ長にはチンプンカンプン、、、、、、。

    

せめてこのように英語表記があると多少は理解できるのですが、ここを訪れた日本人は私たちが初めてで、、、、、

ということは日本人以外の外国人の訪問も少ないのでしょうか、英語表記の必要性が感じられないのかも分かりません。

    

    

村に入るところにはこのようなローカルレストランがありましたが、見たところ営業しているようにはみえませんでした。

    

    

村に入ってまず目についたのがこれです。魚の種類はタカ長には分からないのですが、アジの干物みたいなものをつくっているようでした。

これだけの量ですから自家消費? どこかに売りに行くほどの量にはみえませんね。

    

さて、そろそろ本題です。

私たちをここに案内してくれたのはインドネシアのヘルさんとアダムさんですが、、、、、、、

このコンダン・メラクの自然の豊かさに目をつけたのはヘルさん(写真左の人)なのでしょうか?

彼は7年前からここに通い始め、、、、そのころ密漁していた村人に、ここの自然の豊かさを説ききかせ、自然を守ることを解きつづけたようです。

そのころのこの村の状況は、、、、、というようなことは何も知らないのです。取材が出来ていないのです。

そもそも密漁といっても、村人全員が密猟者で、そのころの村の産業(?)は密漁だったのか???

それとも密漁をしていたのは村人の一部なのか、、、、

それだけではありません、そもそもこの村の戸数がいくらで、いま人口が何人なのか、、、、、そのようなことも取材できないでこれを書いているのです。

    

とにかくヘルさんはここの自然の豊かさを説き聞かせ、密漁を止めるよう説得したようです。

ヘルさんのその活動に耳を貸す人が現れたのが5年前でした。アンディさん(上の写真右から二人目)がそのリーダーになって村人の説得を続けたようです。

その努力がやっと実ったのは2年前です。「2年前から村人の意識が激変しました」と彼らは言っていましたが、、、、

彼らはそこで密漁というかたちで自然を破壊していた行動を180度転換して、今度は壊された自然を修復する方向に舵を切ったのです。

    

村人がそのように意識を変えるよう努力したのは当時マラン大学の学生で、いまは院生になっているこのヘルさんと、、、、、

    

その活動のリーダー的な立場に立っているこのアンディさん(白服の人)の二人だったようですが、、、、、

ここに行き着くまでには数々の困難があったようです。そのあたりのことが取材できたらすごいことが書けるのですが、、、、、

もちろん短時間で取材できることではありません。

タカ長がもう少し若くて、そしてその能力があったら、ここに長期滞在して彼らと寝食をともにしながら取材して、そのことを本にして出版したいくらいですが、、、、

それも出来るものなら英語で書いて、世界に紹介したいのですが、いくらどう考えてもその能力はタカ長にはありません。

しかし、彼らの活動はそれだけのことを考えさせるほど、今日的な意味を持っているとタカ長には思えるのです。

そのことを少しでも知ってから彼らが設置した看板やプレートを見ると、そこのとても深いものを感じるのです。

つい先日まで密猟者だった人が「SAVE WILD ANIMAL !!」と書いているのを見ると間違いなく彼らの意識が激変したことが分かります。


    

    

今は村人の意識が完全に変わっているので私たちもこのように歓迎されましたが、、、、、、

これがもし7年以上前にタカ長がふらりとこの村に迷いこんでいたとしたら、ひょっとしたら身の安全は保障されない、そのような村だったのかも分からないのです。

    

その村を歩いてみました。もちろんのことですが、いまは危険などまったく感じられない平和な村なのです。

黄緑の塗装がされている建物のようなシッカリしたつくりのものもありましたが、、、、、

    

このような、タカ長の目には粗末に思える建物も多くありました。これが彼らの伝統的な建物で、ここはジャワ島の「伝統的な建物の保存地区」みたいなものかも分かりません。

伝統的な建物であることは村人から聞いたのですが、このような建物がジャワ島全体のものか、それともこの地区だけのものか、それも聞き出していません。

この村の話はまだまだつづきます。



    

       

ジャワ島の旅から~32

2015年09月11日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクから~2

ハッキリしない天気が続いています。このようなときに「予約投稿」して、天気が回復したせっせと裏山に通いたいと考えています。



マランのホテルを8時頃出発して2時間のドライブ、私たちはコンダン・メラクの森の入り口でいったん車を下りました。

この画像の右、白い線と赤い線が交差しているところだと思われます。

    

ここには大きな木がありました。この木を見るために下車したわけではありませんが、、、、

とにかく人のあとをついてゆくだけの旅ですから、詳細は不明のままです。

再び車に乗ってしばらく走り、、、、、車を下ろされました。

上の画像の赤い線が糸を結んだように見えているところだと思われます。

    

    

ここで隊長さんの話があり、、、、、徒歩での探鳥開始です。

    

タカ長がイメージする熱帯雨林の雰囲気ではありませんが、このまわりの森の自然は豊でジャワクマタカも繁殖しているとか、、、、

    

これがその巣だと聞いたように思うのですが、、、、、イメージしたより小さいのは繁殖してから時間が経過しているからか???

例によって細かいことは分からないのです。

    

ここでの探鳥の目玉は、、、、、この鳥でしょうか?

    

Falconet,ヒメハヤブサ。世界最小クラスの猛禽類で、これはモモグロヒメハヤブサだと思われます。

図鑑の数字では15cm~17cm、スズメが14cmですから、とにかく小さな猛禽類であることは想像していただけるはずです。


    

    

最初の画像でも見ることが出来ますが、トンボを食べているようでした。トンボの羽がかすかに見えるはずです。

光線的には逆光、ご覧のようにゴチャゴチャした木に止まったので写真的には良くないのですが、、、、、

    

ここを飛びたって順光の枝先に移動したのはいいのですが、そのときは距離がずっと遠くなって、50倍でもいっぱいいっぱいの距離でした。

    

もうひとつの鳥がこのジャワショウビンです。

木に重なっていてアングルが良くないのですが、これは車の中からの撮影ですからどうすることも出来ませんでした。私たちが車の中だったので近くに出てくれたのでしょうから、ここは距離が近いところをヨシとしましょう。

探鳥しながら歩いてゆくと、、、、、、

    

村人が設置したこのようなものがありました。タカ長には読むことが出来ないのですが、、、、、

「次の世代のためにマランの森を残しましょう。密漁禁止」

というようなことが書かれているそうです。これだけ見ると何の不思議もないのですが、、、、、

これから私たちが向かうのは密猟者の村、、、、いや、正確に言うと「密猟者の村だったところ」なのです。

その村人が設置したものだと分かると、何か深い意味がありそうですね。

    

正確な取材が出来ていませんのでこのようなことを書くのは微妙な問題もあり難しいのですが、、、

とにかく私たちは密猟者の村だったところを訪ねているのです。

    

ここからしばらく歩き、、、、、再度車に乗って、、、、コンダン・メラク・ビーチに着いたのです。

最初の画像で赤い線が海にぶつかったあたりがコンダン・メラク、ビーチです。

そして赤い線の右端がメラク村、密猟者の村だったところです。

この村で私たちはとても貴重なことを見聞することになります。


ジャワ島の旅から~31

2015年09月10日 | 旅行のことなど
コンダン・メラク(Kondang Merak)にて~1

広島で被爆70年目の平和式典が行われていた8月6日、私たちはマランの南にあるコンダン・メラクに行きました。



その場所ですが、中央に一本の軌跡が南に伸びていますが、その軌跡の先端がコンダン・メラクです。

そこに行くことは事前に分かっていたのでネット検索したのですが、そうするとこのような美しいビーチの写真を見ることができました。

このようなところで探鳥?

詳しいことを知らなかったタカ長はそのように考えたのですが、ここに行く最大の目的は探鳥ではなかったようです。



現地に着くとこのような青い海が広がっていました。コンダン・メラク・ビーチ。グーグルアースを見るとそのように書かれています。

しかし、人影はご覧のようにパラパラ、、、、。

いくらウイークデイだとはいっても、夏休みのこの時期にこれだけの人出???

とタカ長には思われるのですが、考えてみればここは南の国、一年中海で遊べる国ですから、7月、8月のこの時期だけとか言う常識はこの国にはないはずです。



このように静かなビーチですが、時期になると海亀が産卵に訪れるということでした。

今でも豊な海が広がっているビーチなのです。

    

このような、ある面ではどこにでもある普通の風景ですが、、、、、

    

よく見るとアジサシが群れているのを見ることが出来ました。何となく豊な海を思わせる風景です。

聞くところによると、この海を少し沖に出るとイルカとか鯨を見ることが出来るとか、、、、、

この海は豊な海なのです。

    

このような海を目にすると、、、、、、よく耳にするのは、、、、、

昔は良かった、、、、、、と過去形で語られる豊な自然の話ですが、、、、、

    

ここコンダン・メラクの海もそのように「過去形」で語られる道を歩んでいたようですが、、、

ここに案内してくれたヘルさんたちの努力で、自然破壊への道から再生の道にUターンしているのです。

そのことを詳しく紹介したいのですが、何しろ資料がないのです。また、資料を集めるとしても言葉の壁もあったりで、、、、

この「ジャワ島の旅から」を書きながら時間かせぎをしていたのですが、いまのところこれと言った資料には触れていません。

そのためタカ長が8月6日に見聞したことを紹介するだけで終わりそうですが、、、、、、、、

    

実はここコンダン・メラクの村を訪ねた日本人は私たち14名が初めてなのです。

ということは、いまのコンダン・メラクのことを語れるのはこの14名だけ、と言っても良さそうです。

その14名の中の一人としてここを訪ねたタカ長の個人的な感想をこれから紹介させていただくことにします。




ジャワ島の旅から~30

2015年09月09日 | 旅行のことなど
世界文化遺産ボロブドォール~5

このボロブドォールだけではありませんが、有名観光地に行くと物売りに付きまとわれることになります。

もちろんボロブドォールも例外ではありません。入場門を入るとさっそくその洗礼を受け、、、、

それを蹴散らし蹴散らし行くと、帰りに買ってくれといって自分の名前を告げます。

ボロブドォールの観光を終えて外に出るとそこからは物売りと売店の世界で、入場するときに断った本売りの青年につかまりました。

タカ長のほしいものは何もないのですが、本だけは記念として買うつもりでいたので、チョッとそのそぶりを見せると、、、

5000円とふっかけてきます。もちろん現地のルピアで言っているのですが、言い値で買うと大損をするのは旅の常識ですね。

適当にあしらっていると少しずつ値段を下げて2,000円までになりました。まだ値引きをさせることが出来るのかもわかりませんが、、

正直言ってインドネシアに入国のとき1万円を両替し、105万ルピアを持っていたのですが、これまでほとんどその金を使うこともなかったので、、、

半分以下に値切ったのだからヨシとしてその本を買いました。他のものを考えたらこれでも相当高い買い物のようにも思えたのですが、ほかに使うアテもあまりないので、ここで手を打ったわけです。



この種の本を誰が書いたのか、そして誰が日本文にしたのか分からなくて、、、、例によって分かったような分からないようなことがかかれており、、、

どれだけ信用が出来るのかは分からないのですが、、、、、、

    

その中には下記のようなことも書かれていました。

ボロブドォールは六つの回廊と中庭、そして三つの遠景の回廊から成り立つ十階建ての寺院です。

というようなことから始まっているこの部分をそのまま紹介します。

この十の階は「ブッダになるため、一人のボディサトウァが通らなければならない十の人生の道」という意味があるそうです。ダサブミというこの教えはシャイレンドラ王朝の信仰するブッダ、マハナヤの教えからとったものだと言われています。その十の人生の道とは次の通りです。

 1.ブラムディタ、   喜び、楽しみの意味

 2.ウィマラ、     けがれからの解方の意味

 3.プラバカリ、    輝きの意味

 4.アスシスマティ、  熱心の意味

 5.スドゥルジャヤ、  負け知らずの意味

 6.アビムキ、     前向きな姿勢の意味

 7.ドゥランガマ、   遠くへの旅の意味

 8.アチャラ、     力強い、頑丈の意味

 9.サドゥマティ、   良い知能の意味

10.ダルマメガ、    ダルマの霊の意味


このように書かれているのですが、その意味が分かりますか?

タカ長の頭では、、、、これだけ読んだのでは、、、、、???ですから、、、、、

あまりあれこれ言わないで、ボロブドォールのレリーフの写真を貼りつけることにします。

順不同で、前回と同じように友だちが撮ったものも含まれています。

    

    

    

    

    

一部ではこのように修復工事みたいなことが行われているようでした。

    

    

    

    

    

多くは人の像ですが、中にはこのような、、、、

    

    

動物の像や、、、、

    

船のレリーフもありました。それらのレリーフにはそれぞれ意味があるのでしょうが、タダ単にその前を歩いただけではその意味は分かりません。

    

    

    

昨日紹介した軌跡を見て分かるように、私たちが歩いたのはほんの一部分です。それでもけっこう疲れました。

仮に睡眠を十分取っていたとしても、これらを仔細に見て行く集中力はそれほど永く続かないはずです。

その種の遺跡を見るのが嫌いではないタカ長ですから、機会があればもう一度行って、、、、ゆっくりと歩きたいのですが、、、、、

そこがジャワ島ですからタカ長の能力では個人旅行はできないし、、、、、、

ということはこれが最初で最後のボロブドォールになるのでしょう。

ここがもし韓国なら、、、、、もう何度も行っているでしょうし、ご希望があれば誰かを連れてゆくことも可能ですが、、、、

ジャワ島は遠いし、言葉の問題もあってタカ長には手も足もでません。



とりとめのないことを書いてきましたが、ボロブドォールの紹介はこれで終わらせていただきます。

私たちの旅は、、、、、、この先波乱が待っているのですが、、、、、

その前にまだ紹介していない8月6日のことを書かせていただきます。

明日以降もいましばらくおつきあい下さい。よろしくお願いします。



    

ジャワ島の旅から~29

2015年09月08日 | 旅行のことなど
世界文化遺産ボロブドォール~4



くどいようですがこのボロブドォールは世界有数の大遺跡なのです。その大遺跡を前にすると、素人は素人なりに想像の翼を広げることになるのですが、、、、

    

そもそもこのボロブドォールは何なのか?

この疑問には専門かも答えられないようで、この巨大な建築物は何であったかはいまだ解き明かされていない、ということがガイドブックに書かれていました。

寺院、王の墓、王朝の廟、僧房、曼荼羅などの諸説が交錯しているようです。

    

遺跡は三層構造になっており、外周の基壇、回廊がつくられた方壇、最上部の円壇。

最上部の円壇は仏教の三界(煩悩で生きる「欲界」、悟りを求める「色界」、物質世界から解脱した「無色界」)をあらわしているとの解釈が有力だとガイドブックに書かれています。

つまり基壇から頂上部へ上がることは、悟りへの道を歩くことになるのですが、、、、

タカ長は煙と同じで、何にも考えないで上がっただけです。これでは本当の意味でボロブドォールを見たことになりませんね。

   

頂上部から下りるときも、門をくぐる前にチョッとだけ左を見て、、、、

   

このようなものを写したり、右を見て同じように、、、、、

    

このようなものにカメラを向けただけですから、これらのレリーフを見たとは言えないかも分かりません。

各層には幅が約2mの回廊になっており、そこには仏教のまつわる物語のレリーフが延々と施されておるのです。

欲界から悟りに向かう物語を順番どおり見るためには第一回廊から時計回りに見てゆく必要があるのですが、すべて見るためには約1500面、1万人以上の表情などを見なければならないので、タカ長たちだけでなく普通の観光客には不可能ですね。

    

ということで私たちは下のほう、そこが第一層だったのか第二層だったのか思い出せないのですが、とにかく下のほうを少しだけ見てる来ました。

    

そして写真だけはそこそこ撮ったのですが、、、、

そのレリーフが何を意味しているのか、そのようなことを深く考えて撮ったわけではありません。

ということで、今日も明日もあまりコメントを入れないで写真をアトランダムにならべてみます。その中には友だちが写したものも含まれていますが、そのことの紹介もありません。とにかくならべてみます。

     

    

    

    

まだまだありますから明日も同じような写真を紹介することにします。

このようなことをしながら、タカ長は時間かせぎをしているのです。





      

ジャワ島の旅から~28

2015年09月07日 | 旅行のことなど
世界文化遺産ボロブドォール~3

私たちはボロブドォールの上へ上り、ストゥーパが林立する円壇部にやってきました。そのときの軌跡は、、、、、

    

このようになっていました。現地にいるときは何も考えなかったのですが、私たちはボロブドォールの東の階段を上り、その上部をウロウロした後西側に下りたようです。

    

そのときの写真を順不同で並べますが、、、、、

帰宅してから気づいたのですが、タカ長はある大切なものを撮り忘れたようです。その大切なものは、、、

     

どの写真を見ても写っていませんでした。おそらくそこから見えたはずですが、、、、、

    

その大切なものはボロブドォールそのものではなく、この背後の、遠くに見えたはずの山、ムラピ山のことです。

そのムラピ山が気になるのは、、、、、ムラピ山があったからこのボロブドォールが今日に残ったと思われるからです。

    

このボロブドォールは8世紀から9世紀にかけての遺跡です。ヒンドゥー教の仏教遺跡です。

そのあと14世紀後半になるとイスラム教が入ってきて、イスラム教徒が90%程度をしめるようになったのです。

そのときこのボロブドォールがイスラム教徒の目にとまったら、この異教徒の遺跡が無事ではすまなかったことは素人でも想像できます。

しかし、そのときこのボロブドォールは1000年の眠りについていたのです。

    

にわかには信じがたいことですが、この大きな遺跡がムラピ山の噴火によって火山灰に埋まり、その上に森が出来て、、、、

ボロブドォールは人の目に触れることもなく1000年の眠りについていたのです。

    

ボロブドォールを下りてから写した写真ですが、これだけみても大きな遺跡であることは分かりますね。

これが火山の噴火により地中に埋まり、その上が小山のようになっていたのでしょうか。

私たち日本人が想像するとすれば、、、大和地方の大きな古墳を掘ったらこのように大きな石室が出てきた、、、、

ということになるのかも知りませんが、それにしてもそのスケールは日本の古墳の比ではありません。

    

そのように大切な意味のあるムラピ山を見つけることが出来なかったのですから、、、、

そのときのタカ長は集中力を欠いていたのでしょう。

    

私たちはこのような門をくぐって西側に下りてゆきました。

  

この2枚はネットから借用したものですが、そのムラピ山はこのように富士山のかたちをした2930mの山です。下の写真は10年前の噴火のときのものと思われます。 

その噴火を記録した動画はここをクリックすると見ることができます。

タカ長たちはボロブドォールの観光を終えて空港に向かうとき、バスの窓からムラピ山を見ることができました。

このときは噴煙も見えなくて、ただただきれいな山、時間があれば登ってみたいような山でしたが、、、、、、

一度荒れると魔の山になるのですね。

しかし、この火山があったからこそ、いま私たちはボロブドォールを見ることができるのです。 

ジャワ島の旅から~27

2015年09月06日 | 旅行のことなど
世界文化遺産ボロブドォール~2



ボロブドォールにやって来ました。旅行ガイドブック「地球の歩き方」には、このように紹介されています。

「南国の情熱が生んだ壮大な大乗仏教Mahayanaの石造の建築物ボロブドォール。はるかインド洋をを渡り伝来した仏教は南の果てのこの国で、母国インドを凌駕するほど高度な芸術文化を花開かせた。ボロブドォールはその偉大な象徴であり、世界文化遺産にも登録されている、世界有数の仏教遺跡だ。」

その大きさは「高さ34.5m、最下部の基壇は正方形の一辺が123mにもおよぶ」まさに世界最大級の仏教遺跡なのです。

    

そのボロブドォールを紹介する写真は、目線に変化をつけるために友だちの写真もときおり使わせていただきますが、、、、

    

このような壮大な遺跡を前にすると、、、、

いや仏教遺跡に限ったことではないのですが、、、、、、

    

「馬鹿と煙は高いところに上がる」とはよくいったもので、タカ長たちは疲れた、疲れたといいながら、高いところへ高いところへ、導かれるように登ってゆきました。

    

下部6層になっているそれぞれの段にはこのようなレリーフがあり、、、、、

    

帰宅してからあらためてガイドブックを見ると「ブッダの物語が描かれた第1回廊は必見」と書かれていました。

しかし、そのときのタカ長に気持ちは「上に、、、、上に、、、、」でした。

文字どおり「馬鹿と煙は高いところに上がる」ですね。

    

階段を上がり、、、、ときどきは、、、、

    

この友だちのようにレリーフの写真も撮ったのですが、、、、、、、

言い訳をすれば、このレリーフの森は総延長5kmにもおよび、1万人が登場するのですから、どんなにがんばっても半日の観光でその全貌を見ることは不可能なのです。

    

    

だから、本気でこの仏教遺跡を見るのであれば近くのホテルに連泊して、何日かかけてみる必要があるのです。

タカ長たちが泊まったホテルもボロブドォールまで500mと近いのですが、このボロブドォールがある史蹟公園の中にもホテルやゲストハウスがあるので、本気でこの世界文化遺産を見るのであればここに泊まるべきですね。

    

というようなことは帰宅してから考えたことで、、、そのときは、、、、とにかく上へ上へ、、、、、

    

この遺跡の大きさに圧倒されながら上を目指していました。

    

上を目指すのはもちろんタカ長だけではなく、多くの観光客のこころはこの遺跡の上部に向いていたようです。

    

    

    

そのようにして上を目指したのですが、、、、、、

上に上がればあがったで、、、、、この遺跡の頂上を極めたような気分にもなれず、、、その大きさに圧倒されているだけでした。

    

この画像も友だちが撮ったものですが、、、、、、、

私たち皆が上がってきたようで、タカ長の疲れた姿も写っています。

それにしても大きい、、、、大きい、、、、、、。

        

    

ジャワ島の旅から~26

2015年09月05日 | 旅行のことなど
世界文化遺産ボロブドォール~1

タカ長がこのGooブログを始めて今日で2915日、3GBまで許されている画像を1.833GB消費しています。まだまだ余裕があるので、このところ写真ばかり多く使って、資料不足のところを誤魔化しています。

    

ボロブドォールの入り口でホテルの車から下ろされた私たちは、さっそく物売りの洗礼を受けながら中に入ってゆきます。

今回の旅行、一般の人が行くところには行っていないので、この物売りの洗礼を受けてやっと観光地に来た感じでした。

    

中にはこのような案内板があるのですが、それを見るまでもなく、、、、、アダムたちについて行きます。

    

しばらく行くと前方に褐色の、木造の建物が見えてきて、、、

皆さんその中に入って行き、、、、

    

ここがなんだか分からないまま短時間休み、、、、、、そのあとすぐそばの、、、、このような建物に行き、、、、、

    

ここで何というものか知りませんが、腰にこのような、、、、、

    

風呂敷、、、、、と言ったら叱られそうですが、とにかくこのようなものを巻くようにいわれ、、、、、

もっともタカ長はポシェットやらカメラやら持っているので、自分ではやりにくいので係りの人に巻いてもらいました。

     

敷地の隅っこにあるような建物の中でボロブドォール行きの準備を終えた私たちは再びメイン通りらしいところに出て、、、、

またしばらく歩くと、やっと前方にそれらしい、、、、、ガイドブックで見たことのある石造りの遺跡が現れ、、、、、

    

    

この前で全員整列して記念撮影をしました。カメラマンはヘルさんですが、、、、

彼が撮った写真は未だ見ていません。どのようなかたちで送ってくれるのでしょうか?

    

記念撮影を終えてからまたまた歩き、ボロブドォールに登る階段の下につきました。  

    

この程度の階段はスイスイと登って、後期高齢者の健在ぶりを見せようとしたのですが、、、、

このところの睡眠不足で体調はイマイチ、、、、、いい格好はできなかったようです。

それでも息を切らすこともなく登りきり、、、

    

はい、せまい意味でのボロブドォールに到着です。

これからこの世界遺産をゆっくり見学ということですが、、、、

    

仔細に見れば見所いっぱいの世界文化遺産ですから、被写体は無限にありそうですが、、、、、

限られた時間ではカメラを向ける対象のことを吟味することも出来なくて、、、、

とにかくたくさん撮ってやろう、、、、、という感じでシャッターを押し続けました。

タカ長の個人的な印象、、、、好みですが、、、、

あのホテルに連泊して、この遺跡を一日も二日もかけて撮ったら、、、、

それらしい写真が撮れるといいたいのですが、歴史的な背景を勉強していないので、タカ長の能力ではそれらしい写真は撮れないでしょうね。

といいつつ、明日からここで撮った写真を少し多めに(?)紹介することにします。